0494:薬をくれ。
アガレス帝国で起こった件、その切っ掛けを作った大陸南東部に位置するブレイズン王国に対しての抗議、大海原のど真ん中に未発見の島を発見したこと。
アルバトロス王国を統べる王として、それらの対応に追われ執務室で頭を抱えていたその時だった。なにやら外の廊下が騒がしく、執務室の警備に就いている者の怒声が聞こえ。何事かと身構えていると、大きなノックの音が響くと私の返事を待たず、執務室の扉が開かれた。
「陛下、大変です! 黒髪の聖女さまよりご連絡が……!」
血相を変え部屋の中へと姿を現したのは、我が国の近衛騎士副団長と部下数名。王族の身の回りの警備を担っており、いつも冷静沈着で物静かな男が慌てた様子で声を上げた。黒髪の聖女と聞き、胃が痛くなるのを感じる。こっそりと右手で腹を抑えたが、誰も気づいていないので問題はなかろう。
ヴァイセンベルク辺境伯領の討伐遠征から今まで、彼女は功績と共に厄介ごとを引き連れてくる。アガレス帝国が彼女を拉致したことは、防ぎようがなく無事でよかったと安堵しつつも、報告書に目を通すと破天荒な行動が多すぎる。
誇張かと疑ったが、一緒に拉致されたメンガー伯爵子息と聖王国の大聖女からの報告書と相違なく。黒髪の聖女ナイには、破格の量の魔力が備わっていることを自覚して欲しい。アルバトロスに益を齎してくれることは有難いが、代わりに私は必要のない仕事が増えている。息子である第一皇子や王妃に、城で働く者たちにもだ。
ハイゼンベルグ公爵、叔父上は笑って『もっとやれ!』などと言っているが、私は平和路線を主張しているのだ。
周辺国からはアルバトロスは侵略者になるつもりかと問われたこともある。不可侵条約でも結ぶべきだろうと、要らぬ仕事と懸案がまた増えた。
アガレス帝国で召喚を執り行った皇子たちがどうしようもない問題児であったから、今回のことは仕方ない。命を失う可能性があったのだし、無事で戻ってきたことを喜ぶべきだ。
「騒がしい、どうした?」
王としての威厳を損なわぬよう、落ち着いた声色で近衛騎士たちに問うた。
「黒髪の聖女さまが、障壁を維持する魔術陣を破壊してしまったと知らせが入りました!」
「なっ!?」
一体どういうことだ。城の魔術陣は、歴代の魔術師団団長や魔術式開発に長けている者たちの英知を結集して作ったものだ。それが壊れるなどと聞いたことがないし、壊れるとも聞いていない。
聖女たちが赴く部屋の魔術陣は魔力を補填するだけのもので、障壁展開に関わる術式は別の場所に位置するのだが……。一体何が起こったのか。兎にも角にも、有識者の知恵が必要だ。
「ヴァレンシュタインと勤務中の魔術師を呼べ! 原因究明を急げ! ――私も現場に行く!」
「はっ!!」
現魔術師団団長は役に立たない。金とコネでその地位に就いただけの無能である。息子は幾分かマシな魔術師のようだが、ヴァレンシュタインの右に出る者は居ないだろう。黒髪の聖女は魔力量だけは彼を超えている。だが教会やアルバトロスの思惑で攻撃系の魔術は教えたくなかった。以前は貴族でもない一介の平民だったのだ。
他国へ渡ろうとすれば、簡単にいくことが出来る。あれだけの魔力持ちだ。どこででも暮らしていけることだろうと、なるべく教えないようにと制限を掛けていた。爵位を手に入れ状況が変わり、ヴァレンシュタインを師として魔術を習い、亜人連合国のエルフからも教えを乞うて、とんでもない威力を放つようになってしまったが。
それに竜を従えるどころかフェンリルも配下に置き、創造したスライムも破格の強さと知性を持っている。子爵邸に赴けば、天馬が住み着き猫又まで居付いたと聞く。次はなにを連れてくるのかと肝を冷やしていたが、流石に打ち止めだろう。だが、黒髪の聖女が起こす奇跡は魔獣や幻獣だけではない。魔力量の多さで辺境伯領に大木を生やし、リームの聖樹を枯らし、子爵邸と子爵領で野菜や果物を異常生産している。
……本当にどういうことだ。
今までの話も、今起きていることも。魔術陣が破壊されるなど聞いたことがない。アルバトロスを守る為の重要な障壁だ。定期的に手入れや検査を行っていたというのに。障壁が展開されていないと知られれば、無法を働こうとする者も出てくる可能性もある。軍と騎士団を動員して、国境警備を強化せねばならぬな。
アルバトロス王家に不満を持っている国内貴族はもちろん居る。連中が手引きする可能性もあるし、ワザと隣国に迷惑を掛けようと考える者も居るかもしれん。己の分身を十人くらい欲しい。本当に。若くして死んだ父王の意志を継いで、平和路線を突き進むと決めたのに何故こんな事態になるのだろうか。
「陛下、外に出ます」
私の事をよく理解している近衛騎士副団長が、顔を整えろと告げた。息を一つ吐いて気を引き締める。私はアルバトロスを統べる王。たった十五歳の少女が犯した失態で、悩んだり怒ったりなどみっともなかろう。口を引き締め背を伸ばし確りと足を進め、滅多に立ち入ることのない、魔術陣が施されている場所へと入る。
「申し訳ございません、陛下!!」
私を視界に捉えた黒髪の聖女が、地面に足を付けて折り曲げ体も地面へ這いつくばらせて、周囲に聞こえる大きな声で謝罪した。彼女の後ろに控えている、双子の騎士も膝を曲げ教会式の最上礼を執っているが、背負っている雰囲気が凄く怖い。
近衛騎士の覇気よりも怖い上に、影の中から出てきているスライムとフェンリルの雰囲気も恐ろしい。何も言わないが、主人になにかあればどうなるか分かっているなと告げられている気がする。いつも肩の上に乗っている幼竜は地面に足を下ろして、ぐりぐりと黒髪の聖女の顔を撫でていた。
十五の女の子が、中年の男に頭を下げている構図だ。私がアルバトロスの王と知っていれば問題はなく、彼女がなにか不敬を働き馬鹿なことをしたと呆れるくらいだろう。
しかし、何も事情を知らぬ者がみれば……いや、亜人連合国の者が見れば、私は生きていられるのだろうか。ぶるりと震え上がりながら嫌なことを考えるが、気取られぬように平然を装い口を開いた。
「顔を上げなさい。――ヴァレンシュタインを召喚せよと命じてある。原因は直ぐに分かろう」
私の声に黒髪の聖女がおそるおそる顔を上げた。珍しく困った顔を浮かべて、どうしようかと悩んでいるようだった。まるで悪戯が見つかって怒られると怯えている子供のよう。彼女は、十五歳だというのに、その辺に居る貴族よりも肝が据わっている。
前世の記憶があると報告があったので、その影響が強いのかもしれないが、身分制度のない世界だったと聞くし文明も随分発展しているらしい。空気を読まなければ、爪はじき者にされる社会だと聞いた。どうやら人の顔色を伺うことに長けているようだ。
「……はい」
黒髪の聖女は立ち上がって、しょんぼりとした顔で力なく答えた。聖王国やアガレスで暴れ回ったのが信じられない。しばらく待っていると、バタバタと足音が響いて止まる。紫色の外套を羽織った魔術師たちが、遅れて姿を現した。
「陛下、お待たせいたしました」
「ヴァレンシュタイン。頼む」
素人が指示をするよりも、専門家に任せた方が良い。興味は破壊された魔術陣へ向けられているのか、私への挨拶もそこそこに部屋の中へと消えて行った。
本来は聖女のみが入れる場所となっているが方便に過ぎず、誰でも立ち入ることは可能だ。単純に聖女しか補填を行えないという、刷り込みを利用して聖女の価値を上げているだけ。魔力が備わっている者ならば誰でもできる。
黒髪の聖女は壊してしまった負い目があるのか落ち着かない様子で、ヴァレンシュタインが戻ってくるのを待っていた。
「魔術陣が聖女さまの魔力に耐えられなかったようですね。本当に規格外なお方です」
ヴァレンシュタインを先頭に魔術師たちが戻ってきた。魔術陣が壊れたというのに、魔術師全員が黒髪の聖女を面白そうな顔で見ていた。やはり魔術師は変わり者が多い。国の根幹を覆すような出来事なのだが、関係ないとばかりに自身の欲求に従っている。
「直るのか?」
「直すこと、元に戻すこと自体は簡単です。しかし聖女さまの魔力量に耐えられるものに術式を変えるというならば、少々お時間を頂くことになるでしょうか」
直すだけならばすぐに可能だが、黒髪の聖女に耐えられるように改良するには時間が掛かるようだ。
新しく見つけた島で魔力量が枯れるまで大地に注ぎ込んだことで魔力最大量が増えたことと、黒髪の聖女がその事実に気が付いていなかったことで、魔術陣が壊れたそうだ。魔力量が増えると自覚できるはずだが、何故気付かないのだと頭を抱える。二度手間ではあるが、まずは魔術陣を直して皆で協議すべきか。
「副団長さま」
私たちのやりとりを黙って聞いていた黒髪の聖女がヴァレンシュタインの顔を見上げた。
「どうしました、聖女さま」
「自分で防御壁を張っても良いですか?」
何を言っているのだろうか。平時なので王国全土に障壁を張ってはいないが、たった一人で障壁を張るとは一体どういうことだ。障壁に魔力を注ぐ機構は、かなり効率化が施されている。術者が自前で張るよりも、魔力消費量が少なくて済むというのに。
「それは僕ではなく、陛下のご判断でしょうね」
「できるならば助かるが……可能なのか?」
ヴァレンシュタインが私に顔を向けたので代わりに答えた。
「はい。王国全土に障壁展開するとなると、目算ではありますが一週間程度は保てます。ただ地理に詳しくないのでかなり大雑把なものになってしまうかと」
……なんということだろうか。たったちっぽけな人間が王国全土に障壁を張り、尚且つ一週間もの間張り続けることが出来るとは。もう問題を起こさないで欲しいと願うが、何かしら引き起こすのだろうと誰にもわからぬように息を吐き、胃に良い薬を誰か持ってきてくれと願うのだった。