0487:【③】帰り道の途中。
用意された簡易椅子に座って、ぼーっと大海原を眺めている。
私の後ろにはジークとリン、肩の上にはクロ。ロゼさんは膝の上、ヴァナルは随分と大きく――狼の三倍くらい――なって真横に伏せている。ソフィーアさまとセレスティアさまも周囲に目を配っているうえに、軍の方も数名警備を担っている。小型の竜の皆さまも私を気にしている様子で、偶に声を掛けられるのと同時に島で採れた果物を頂いていた。
エルとジョセは、美味しいものがないか探してきますと告げ島の上空を駆けている。食いしん坊だよなあと笑ってしまったが、天馬さまのことは笑えない。私も食い意地は張っているのだし。しかも美味しい果物や食べ物を見つけたら、持って帰って畑の妖精さんに渡してみようと作戦を練っている。
アルバトロスになく、子爵邸の畑で量産して種や苗が量産出来れば、新しい食文化が開く可能性もある。料理センスは全くないと言っていいので人任せになるが、本職の料理人に料理開発してもらう方が美味しいだろう。その部分を頑張る必要はないのだし。まあ、一言でいうなら材料だけ渡して丸投げするという、迷惑極まりないスタイルだった。
フィーネさまとメンガーさまは落ち着かない様子で、椅子に座っている。竜の皆さんが気を使ってお二人に声を掛けているが、余計に緊張度が上がっているとは気が付いていない。フィーネさまとメンガーさまの膝上にも、島で採れた果物が沢山貢がれていた。
公爵さまと代表さまは、軍の皆さまの指揮と竜の方々を見守っている。ダリア姉さんとアイリス姉さんとお婆さまは、面白そうだから探検してくると言い残し、手近に居た竜の方を捕まえてタクシー代わりに乗って島の上空を飛んでいる。面白いものがあれば良いけれど、さてはてどうなるのやら。しかし、まあ……。
「……離れようよ……距離近い……」
そう。距離が近いのである、いつもより。気持ちは理解できるけれど、アガレス帝国が二度目の召喚を執り行うとは考え辛い。巨大魔石を二十五個破壊したが、あれで半数の飛空艇が行動不能となってしまったそうだ。魔石が新たに産出されれば問題ないそうだが、巨大魔石となるとかなり難しいと聞いた。
政権交代すれば魔石発掘の予算を、帝国のインフラ整備に使いたいとウーノさまは仰っていたので、魔石発掘が盛んに行われることはない。東大陸の他の国で巨大魔石が産出するのは珍しく、数を揃えられない上に貴重品。黒髪黒目召喚に使うよりも、魔石エネルギーに頼って行っている『発電』などに使う方が有用だそうだ。西大陸でも魔石に頼って、魔術具を使って電気替わりにしていたり、お風呂を沸かしたりするのだ。東大陸にその技術があっても、魔石の大きさが違うだけで不思議ではない。
『ボクはいつも通りだよ』
『マスター、また居なくなったら大変』
『イヤダ』
確かにクロはいつも通りだけれど、顔に顔を擦り付ける頻度が上がっていた。ロゼさんは誰かの視線は苦手と、人前では私の影の中に居るというのに。ヴァナルもロゼさんと一緒に……一緒に、あれ。
「聞きなれない声が聞こえたけど、誰……ってヴァナル?」
伏せていたヴァナルは私の声に反応して、顔だけを上げて視線は私に向け目を細めた。
『……』
「あれ、気のせい?」
『ヴァナル、複雑な言葉は喋るのが難しいって』
ロゼさんの解説の後に、ヴァナルはくーんと甘え鳴きをして顔を私の膝の上に乗せる。顔が大きいのでロゼさんの居場所がなくなり、ロゼさんは体を上手く使ってヴァナルの頭の上に移動。
「そっか。言葉が理解できているなら十分だよ。ゆっくりでいいから、いつか一緒にお喋りしようね」
私の声に、ヴァナルは伏せからお座りの体勢に変えて、顔を近づけてきた。右耳の後ろ辺りに手を当てて撫でると、気持ち良さそうな顔をして尻尾を豪快に揺らしてる。そんな私たちをセレスティアさまがなんとも言えない顔で見ていた。
「ねえ、ヴァナル」
『?』
ヴァナルを呼ぶと、私に視線を合わせて顔を傾げる。フェンリルって狼っぽいけれど、仕草は犬のソレだよね。主人の言葉を必死に理解しようとして、顔を傾げている犬にしか見えないのだから。私はセレスティアさまの方を見て、ヴァナルに視線を戻す。
「……どうしたものかなあ」
セレスティアさまは仕事中だけれど、ヴァナルの行動に思う所があるらしい。幻獣大好きな彼女のことだから、私が羨ましいと思っているのだろう。
『……』
ヴァナルは少し考える素振りを見せて、セレスティアさまの下へと向かい横にちょこんと座った。ヴァナルは随分と大きくなったので、私の背丈は軽く超えている。セレスティアさまの横に座っても十分に大きい。頭の上にはロゼさんが乗ったままだった。
「ど、どういたしましたか?」
『…………』
『前にヴァナルと添い寝したいって言ってた』
「え、ええ。叶う事ならばと願いましたが……」
以前にセレスティアさまがそんなことを言っていたなあ。天気のいい日に芝生の上で一緒にお昼寝とか、もふもふなヴァナルだし添い寝すると気持ちが良さそう。
『ヴァナルが大きくなったからいつでも出来るって言ってる』
ロゼさんはセレスティアさまに告げると、ヴァナルの頭の上からぽーんと一回で私の膝の上に着地した。魔術陣が展開していたから、何かしらの勢いを殺す魔術を発動させたようで、ロゼさんが飛び込んできた勢いを感じることはない。
「まあ、まあ! よろしいのですか!?」
嬉しそうな顔をして、ヴァナルを見るセレスティアさま。ヴァナルは返事代わりに、顔をセレスティアさまの腕に一度擦り付けた。言葉は喋ることが出来ないけれど、通訳を通せばこうしてコミュニケーションを取れるのは有難い。ロゼさんやクロのお陰だよなあと、なんとなく二つの頭を順に撫でる。
「セレスティア、仕事中だぞ」
「ソフィーアさん。仕事中ですから、警戒を怠るなんて間抜けは致しませんわ!」
本当かなあと、周囲の方たちが疑いの視線をセレスティアさまに向けるけれど、ヴァナルと添い寝が出来る嬉しさのあまり彼女は気付いていない。
ただ割とよく見る光景なので問題はないはずだ。セレスティアさまのお貴族さまとしての格が少々落ちるかもしれないが、婚姻先は決まっているし将来は安泰。だらしのない顔を浮かべたところで、辺境伯令嬢という称号が周囲を牽制できるんだし。
「ナイちゃん」
「ナイちゃーん」
ふいに頭上から声が聞こえたので上を向くと、ダリア姉さんとアイリス姉さんがひょいっと飛んでる竜から飛び降りて、私の数メートル先にすとんと着地した。
「あ、危ないですよ」
人間だと骨を折りそうなくらいの高度があった。お姉さんズはエルフなので大丈夫なのかもしれないが、それでも心配なのである。
「大丈夫」
「エルフだからね~。人間より丈夫だから心配いらないよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんは、あの高度から飛び降りても問題はないようだ。お二人が言葉をいい終えると、ぱっとお婆さまが姿を現す。
『そんなことより聞きなさいな!』
怪我していないかは大事なことだと思うけれど、お婆さま的には重要度が低いようで。もちろんエルフのお姉さんズの心配はいらないと確信しているからだろうけど。
「あ、そうだったわ。――お湯が湧いていた所があったの」
「温度も丁度良いし、お風呂替わりに使えるよ~。何日か入っていないよね?」
どうやら温泉が湧いている場所があったようだ。お姉さんズの提案は魅力的だけれど、勝手をして良いものだろうか。でも入りたい気持ちも大きい。
「う……」
丸二日間お風呂に入っていない。風邪を引かない限りは毎日入るのが習慣だったから、髪がべとべとだし、体もねちゃねちゃしている気もする。
「行きましょう」
「行こう~」
抱きかかえられて、降りて来た竜の背に乗せられる私。気分はドナドナされる子牛なんだけれど。お姉さんズの勢いに押されて、誰も止める人が居ない。ただ私一人で行動する訳にはいかないので、最低限の護衛は必要だ。
「リン」
「ん」
私がリンを呼んだことにお姉さんズは何も言わない。護衛が必要だと亜人連合国へ赴いた時に知っているからだろう。
私がリンに声を掛けたことで、彼女は嬉しそうな顔を浮かべてこちらへと歩いてくる。
「他に来る人は?」
ダリア姉さんが女性陣に声を掛けた。男性陣を連れて行く気は全くないらしい。竜の方々の上空警戒で、この島に人が住んでいないことは確認済み。魔物も居るにはいるが、脅威はないそうだ。
「はい。私も参ります」
「わたくしも参りますわ。ナイの護衛を務めさせて頂きます」
ソフィーアさまとセレスティアさまが挙手して願い出た。それにダリア姉さんが頷き、許可を出して。
「ん。――君は行かないの?」
大人しく私たちのやり取りを見ていたフィーネさまに、アイリス姉さんが声を掛けた。
「ひゃひゃい!」
「そんなに驚かなくても。まあ亜人は珍しいもんねえ~」
「寿命が長いのと魔力が多いだけで、人間と変わらないわよ。さ、行きましょう」
簡易椅子に腰を下ろしているフィーネさまの腕をダリア姉さんが取って立ち上がらせた。有無を言わせぬ素早い行動に苦笑いしつつも、気を使ってくれているのが分かるので何も言えない。お風呂って大事だし。女性陣が終わったら男性陣にも開放かなあ。
「え、え?」
『人間とエルフって変わらないかしら? まあ細かいことを気にすると長生きはしないわね!』
そういえばフィーネさまって、お婆さまの姿と声を認識出来たかなあ。見えていなきゃ祝福掛けた方が無難かなと、浜辺から飛び立つ竜の背に乗ってお湯が湧き出ているという場所まで、かなり短い空の旅が始まるのだった。






