0421:仔フェンリルの名前。
2022.08.20投稿 1/2回目
ポチでもなくタマでもない、子フェンリルに似合うお名前か……。難しいなあと腕を組んで私室の部屋のベッドの縁に座って考えている。
クロは珍しく籠の中で座って私を見ているし、ロゼさんと子フェンリルは高価な絨毯の上でじっとこっちを見ている。そんな期待の目を向けないで欲しいなと苦笑いを浮かべると、クロが籠の中から立ち上がって私の肩へとちょこんと乗った。
『そんなに深く考えなくても良いんじゃないの?』
クロが首を傾げて私を見る。確かに気軽に名前を付けても良いけれど、後々のことを考えるとちゃんと付けるべきなのだ。
「そうもいかないよ。私たちより長く生きるだろうし、変な名前だったら私の感性が疑われるんだし……」
魔獣は幻獣に近い生き物で、子フェンリルも時間が経てば喋れるようになるだろう。そして私に名前を付けて貰ったと誰かに教えることもあるはずだ。そして妙な名前を付けていれば、後世の人たちに笑いものにされるのがオチである。
自分の名前も自分で適当に付けたものだし、ロゼさんの名前――気に入っているけれど――も割と場当たり的につけた。黒天馬さまのルカはみんなで考えて名前を付けたのだからノーカウント。
『ボクの名前は凄く気に入っているよ』
そう言ってクロは翼を広げて胸を張る。
「ありがとう。でもクロの名前を思いついたのって、奇跡みたいなものだからね?」
頭を捻り切って出した名前だからなあ。そうそうクロの名前のようなレベルをポンポン思いつく訳もなく。
フェンリルって確か神話で登場していたから、かなり格が高いはずなのだ。こちらの世界では魔獣扱いで滅茶苦茶デカくて知能が凄く高い狼とか言われているけれど。名前が一緒だし何かしらの意味があるのだろうかと疑問に思うことがある。
『そうなの?』
「うん。――でもこの子の名前を付けるなんて……」
まあ一緒に付いてくると聞いた時点でなんとなく予感はしていたし、子爵邸に住むなら不便だし。子爵邸で働く方たちの苦言も理解できるけれど、一緒に考えませんかと言うと辞退されるのは目に見えているから、まだ誰にも言っていない。ソフィーアさまとセレスティアさまなら一緒に考えてくれるだろう。ただ新学期が始まるので、準備で忙しいだろうし声を掛け辛い。
『マスター』
「どうしたのロゼさん?」
私を呼んだロゼさんに返事を返すと、まん丸な体をぷるんと揺らして少しだけ縦に伸びた。子フェンリルはその横で綺麗な座れの体勢を取って、私を見上げている。
『コイツが紙に言葉を書いてって言ってる』
子フェンリルがロゼさんの体に顔を擦り付けているので、ありがとうとでも言っているのかも。
「もしかして文字のこと?」
子フェンリルは喋れないというのに、文字を読めるだなんて不思議だ。ただロゼさんが付きっ切りなので教えていた可能性もあるし、賢いから勝手に理解していた可能性だってある。
『うん』
どうやら単語を書いて欲しいようだった。机の引き出しから真っ白な紙束を取り出した。ノートよりも安価なので、勉強用に机の中に仕舞ってあったものだ。これなら一枚に大きく文字を書くことも出来るし、数文字書いて別の紙にまた文字を書いても良い。
とりあえずロゼさんに子フェンリルがどうしたいのか聞いてみると、一枚の中に文字を適当な大きさで何個か書いて欲しいとのこと。
「これで良いかな?」
はふはふと短い息を吐きながら子フェンリルは紙をじっと見つめ、暫くすると立ち上がっておもむろに紙の上に前足の片方を乗せた。
「う゛」
最初に置いたのは『う゛』だ。そしてまた紙を跨いで移動して『あ』『な』『る』『が』『ん』『ど』と順番に指していき、満足したのかまた絨毯の上に綺麗にお座りしている。
「う゛あなるがんど……ヴァナルガンド、かな?」
確か、神話の方で別名だったような気がする。記憶がおぼろげだし、調べることも出来ないから不確かなものだけれど。今の子フェンリルは可愛いというイメージが強いけれど、大きくなったらカッコよくなるだろうし似合っているんじゃないかな。
『前の名前、参考になるかって』
ちょこんと座っている子フェンリルの横にロゼさんが体を引きずって並んだ。ちょっと自慢気に言っているロゼさんが可愛い。
「君は前の名前が好きなの?」
私はベッドの縁から立ち上がり床に膝をついて子フェンリルを見ながら問いかけると、子フェンリルは短く一度吠えた。ヴァナルガンドってかっこいい名前だけれど実際呼ぶとなると長い名前になってしまう。なにか短縮できないかなあと考えたあと口を開いた。
「えっと、ヴァナルガンドがちゃんとした名前で、普段はヴァナルって呼んでも良い?」
へへへと短く息を吐きつつ子フェンリルは尻尾をブンブン振って、私の膝の上に両の前足を置いた。なんだか撫でて欲しそうなので、右手を子フェンリルの横顔に添えると目を細めながら手にすりすり顔を擦り付ける。
「じゃあ、これからヴァナルって呼ぶね。――改めて。これからよろしく」
軽くヴァナルの左前脚を取って何度か上下に振る。人間同士ならば意味合いは分かるだろうけれど、フェンリルであるヴァナルに意味が通じるのか分からないけれど。改めてよろしくと思いを込めて手を握って離した。
『よろしくね、ヴァナル』
クロが頭を下げてヴァナルを見ると、ヴァナルはヴァナルで伏せの体勢に。竜とフェンリルだと上下関係は竜の方が上となるのだろうか。それともクロの力が規格外なので、自然にそういう関係となったのかも。真意は分からないけれど、平和な関係のようで良かったと安堵した。
『ヴァナル、良かった』
ロゼさんもヴァナルの横で体を左右に揺らして名前が付いたことを喜んでいるようだ。これから名前を呼べるようになるし、ヴァナルはロゼさんに懐いて面倒をみている。短い時間だけれど、確実にロゼさんとヴァナルは絆を紡いでいるはずだ。仲良きことは美しきかな。
これからもこの関係が続くようにと願いつつ、明日から新学期なので準備をしなくちゃと勉強道具を纏めるのだった。