0401:命からがら。
2022.08.11投稿 1/4回目
気を失った操縦士は意味の分からないものが苦手だと、帝国首都にある飛空艇場に降りた際に苦い顔をしながら零していた。一流の操縦士の癖に肝の小さい奴だと心の中で、苦い顔を浮かべている男を罵りながら、私は南京錠が掛けられている箱を持つ。
『びゃあああああ』
空の上よりマンドラゴラもどきの悲鳴は弱くなっているが、まだ叫ぶ力はあるようだ。何本ものマンドラゴラもどきから発せられる声に辟易してくるが、必ず陛下へ届けなければ外交官としての資質が疑われてしまう。
「――ようやく帝国に……!」
飛空艇に乗り込み東大陸の国々を度々飛んでいるが、今回のアルバトロス王国訪問は長距離移動ということ、黒髪黒目の方に会えるという期待。
いろいろな感情が混ざり合いながら彼の国へと赴いたが、結果はこのマンドラゴラもどきのみ。だがしかし、黒髪黒目の少女さまが確実に存在すると分かったのだから、アガレス帝国にとって良い知らせとなるだろう。
「はい。帰り道はどうなることかと思いましたが、無事に地上へ降りることが出来ました」
私の副官が安堵をありありと顔に浮かべて、滑走路へ降りた。迎えの馬車がまだ少し遠い位置に居るから良いが、彼らがこちらへ来る頃には、その締まりのない顔を帝国臣民としてどうにかしておけと伝え。
「出迎えご苦労。陛下との謁見を早速望む。急いで皇宮へ向かってくれ!」
「は。――無事に戻られ安堵致しました。直ぐに向かいましょう」
頼む、と御者や出迎えの者に告げて馬車へと乗り込む。飛空艇が離着陸する滑走路は長く広い。少々、皇宮までの道のりを長く感じつつも、馬車は確実に陛下の下へと近づいていく。
空の上から眺めたみすぼらしいアルバトロス王城とは違い、広く雄大で立派な城である。大陸の半分強を統べる統治者らしく、その居住まいは厳かさをひしひしと感じ取ることが出来る。馬車が止まり外へと出る。帝都の真ん中にある広大な広場、更に中心。
「――アガレス帝国万歳!」
アガレス帝国を建国した初代皇帝陛下を模した巨大な像へ礼を執る。周囲にも初代さまの像へ頭を下げる者や軍人たちは敬礼をしていた。
何故、このようになったのかは理由は定かではないが、我々がこの大地で帝国臣民として生きていられるのは初代さまのお蔭。初代さまが居なければ、アガレス帝国は誕生しなかったのだから。
初代さまは己の体一つで東大陸の北端から領土を広げていった傑物で、東大陸の約三割を統治した偉大なるお方。
二代目さまも初代さまの意思を継ぎ、彼もまた東大陸内の領土を順調に広げ四割を。三代目さまは領地拡大こそなされなかったが、帝国交通網の要である飛空艇を遺跡から発掘し運用を開始した学者系の傑物だった。
そうして何代も経て、現皇帝陛下となる。偉大なる皇帝陛下は、我々帝国臣民の父である。皇妃殿下は我々帝国臣民の母。黒髪黒目のお方は大陸を創造した女神さまが、我々に遣わした平和と安寧を齎す使者である。
雄々しいお姿の初代さまの像に感嘆の思いを寄せつつ、その場を離れて再度馬車へと乗り込む。
我々帝国臣民を束ねる皇帝陛下の皇宮へと辿り着く。周囲に居る宮で働く者たちが私に気が付いて口々に声を掛けてくる。
「無事でなにより」
帰り道の空で死にかけたがな。
「黒髪黒目の少女さまには出会ったのか?」
会うには会ったが、色よい返事は得られなかった。替わりに私が抱えている箱にマンドラゴラもどきが入っている訳だが。黒髪黒目の少女さまから賜ったものなのだから無下には扱えぬ。
「どこにおられるのだ?」
アルバトロス王国だよ。彼女はアガレス帝国に全く興味を示さなかった。そんな馬鹿なと憤りたくなるが、隣の大陸の者なのだから仕方ない。
「こちらへ来ていないのか?」
来ておらぬよ。しかし皇帝陛下に報告すれば、宰相殿を始めとした帝国の切れ者たちが、黒髪黒目の少女さまを奪還する秘策を齎してくれるに違いない。そう、我々アガレス帝国に歯向かう者など居ないのだから。
「我々も会える日が来るのか……」
ぼそりとした声なのに、やけにはっきりと私の耳に届いた。
「――ああ。必ず、アガレスの地を踏んで下さる筈だ!」
私の耳に届いた声に、力強く応える。そうだ、そうに違いない。小柄な黒髪黒目の少女さまはアルバトロスの貴族と仰り、アルバトロスで生きると申された。
だが、アガレスの地を一度訪れ、この素晴らしく広大で美しい国を見て貰えば分かるはず。アルバトロスなどアガレス帝国に比べれば、小さく弱い国に過ぎず価値もない国だと知ることになる。
「我々アガレス帝国に不可能などあり得ぬ!」
そう、制空権を握ることが出来るのは我々アガレスだけ。他国は遺跡から出た飛空艇を満足に動かす技術は存在しない。
魔石の産出地域もアガレス帝国が統治している。東大陸の覇権はアガレス帝国が握っているのである。大陸全土掌握まで必要なものは、時間のみ。残っている国々を統べるには、少々血を流さねばならぬだろうが致し方のないこと。
「――アガレス帝国万歳!」
「アガレス帝国万歳!」
自然と周囲から声が上がった。皆、アガレス帝国への忠誠心が高く感心する。
「私は陛下へ報告に参る! 皆、少し待っていてくれ!」
ああ、そうだ。アガレス帝国が黒髪黒目の少女さまを、無事に迎える為の切っ掛けに過ぎないのだ。
黒髪黒目の少女さまは、我々に本心を隠している可能性だってある。アルバトロスの悪い大人たちに騙されている可能性もあるのだ。小柄で華奢な黒髪の少女さまが既に貴族の当主の座に就いているのは、はっきり言って異常である。
――さあ、陛下に会いに行こう。
数時間後、私は巨大な扉の前に立つ。この先は選ばれた者しか立ち入ることが許されていない、謁見場である。
警備兵の手によって開かれた扉の中を窺い知ることは出来ない。なぜなら、逆光で私の視界が塞がれてしまっているのだから。カツン、と靴の踵が大理石の床を踏みしめる音が鳴り、謁見場へと一歩進む。
この数十分後。
『びゃああああああああああああああああああああ』
何とも言えない複数の声が謁見場に響くことになる。私は……害はないが皆が驚く可能性があるので止めておいた方がと忠告したのだが。好奇心旺盛な皇子殿下たちの言葉に逆らうことも出来ぬし、なにより陛下が何も告げられない。
私の責任ではないよなと心の中で冷や汗を掻きつつ、またマンドラゴラもどきを回収し。南京錠を掛けた箱の中から叫び声が聞こえることは、それ以降なかった。