0037:魔術具。
2022.03.15投稿 2/2回目
「ごめんねナイ。一回で決められなかった」
しょぼんと犬が耳と尻尾を垂れているような顔をしながら、私の側へと寄ってくるリン。
「ううん。片方の視界を奪えたから十分だよ」
生き物が視覚から得る情報の割合は多大である。狼の視界は三六〇度あると言われているので、単純計算で半分には減った。
死角から攻めれば、ある程度有利に運ぶだろう。だからリンの行動は決して無駄ではない。未だに痛みに耐えかねて、こちらを襲ってくる様子はないのだから。眷属である狼もつられているのか、今のところ動きはない。
「だが、どうする? ――魔獣退治は難しいと聞くが……」
討伐報告例が少なく攻略法が確立されていないし、特出した力を持った人間が倒すことが多いが故の弊害だった。沈黙が下りていた為なのかジークが問うてきた。
「どうにか……学院の生徒や教諭方だけでも無事に逃がしたい所ではありますが」
「その意見には我々も賛成です」
フェンリルを気にしつつ、いつの間にか近づいていた騎士団と軍の指揮官が苦悶の表情を浮かべて隣に立っていた。
「殿下や他の方々は?」
あまり気にしていなかったので聞いてみる。殿下たちもであるが他の人たちも怪我なく無事であろうか。本来ならこんなことにはなっていない筈なのに、運が良いのか悪いのか。
「後ろに下がっては頂きましたが、未だゴブリンや狼共がウロウロしているので単独で避難させるには危険です。しかし人数を割けば目の前の魔獣にやられてしまう可能性が上がってしまう」
殉職者なんてだしたくはないだろう。被害が大きければ大きいほど遺族に対しての弔意や隊の再編等、やる事が多くなってしまうのだから。
「その場にとどまって頂くしかないのですね……」
危険ではあるけれど、小物が時々彼らを襲っているだけである。ソフィーアさまとセレスティアさまが指揮を執りながら生徒を鼓舞しつつ無難に倒しているので、今のところ問題はなさそう。
「そう……なりますな」
「……申し訳ありません」
私に負担がかかってしまう場合があることを考えてのことだろう。
「いえ。――被害が大きくなってしまう前にカタを付けましょう」
殿下たちの警備に人数を割かなければらないし、フェンリル討伐の為の人数も割かなければならないので、采配が難しい。
本当なら、騎士団と軍を全てフェンリル討伐に割り当てて、殿下たちの護衛は私が請け負うと言いたい所だけれど、失敗した時は何故警護を疎かにしたと罪に問われる。だから勝手は言えないので、全力を尽くすしかない。
「アリスっ! 出ては駄目だっ!!!」
「大丈夫だよ、ヘルベルトさまっ! 私だって魔術は使えるものっ!」
殿下や二人の制止を押し切ってヒロインちゃんが前へと走ってくる。まさか学院生が出てくるなんて誰も考えていなかったようで、彼女を止められる人が居なかった。
「痛いよねっ! 苦しいよねっ! でも、大丈夫だよっ!! 私が助けてあげるから!! ――さあ、心を開いて!」
フェンリルの前へと躍り出て両手を広げて、大声を張っている彼女。殿下や側近五人は、悲惨な顔をして彼女の名前を呼びながら戻れと叫ぶ。
ソフィーアさまとセレスティアさまも珍しく驚いている顔を見せ、慌てている様子なので危ないと分かっているのだろう。
「死にたいのか!」
「馬鹿なことをっ!!」
指揮官二人が舌打ちをしそうな勢いで、言葉を漏らした。
「逃げろぉおおおおお! アリスぅぅぅううう!!!」
殿下の裂けるような叫び声が響くと同時痛みから立ち直ったフェンリルが彼女を一瞥して咆哮。
――"目覚めは明日の腕の中"。
怪我をしていない方の前脚でヒロインちゃんへと狙いを定める。
――"堅朗たる父よ、かの者を守り給え"。
フェンリルの咆哮に耐えられるようにとまた魔術を発動させ、次いでヒロインちゃんを守るための障壁魔術も施行させた。一瞬でやり遂げねばならなかったので、無詠唱である。無駄に魔力を消費したことが告げるように、身体がずんと重くなると同時に指にはめていた魔術具が壊れた。
「――ナイ?」
「まさか……無詠唱」
察しのいい二人がいの一番に気付いてこちらを向く。
「まだ余裕はあるから――他の人には黙ってて」
不安にさせてしまう。魔力量は限られているものなので、使用した魔力の量と自身の総魔力量を考えながら使うのが常識である。だから無詠唱で魔術行使なんて滅多にしない。それより、きょとんとしながらその場にへたり込んだヒロインちゃんを回収しにいかないと。ついでに拘束魔術を使ってでも大人しくさせなければ、被害が大きくなってしまう。
「指……魔術具が……」
リンが私の手元を見てぼそりと呟いた。よく分かったなあと苦笑いをしがなら彼女に視線を向ける。
「大丈夫だよ。制御が甘くなるけれどね」
私の多すぎる魔力量は体の中を駆け回っていろいろと不都合をおこしてしまう。それをみかねた公爵さまが、家で雇っている魔術師に魔力を抑える魔術具を作らせて私に与えてくれた。
公爵さまは精度が良くないと漏らしており、もっと良いものを作れる人を探しているようだけれど、見つからないそうだ。頂いたもので十分だったのでまるで気にしていなかったのだけれど、ここにきて壊れてしまった。魔術の使用は可能だけれど、制御が甘くなってしまうだろう。マイナス要素はなく威力の加減が難しくなるくらいなので、あまり問題はない。
「無茶……はするんだろうが、無謀は止めろよ」
「わかってる。二人とも心配しすぎ」
そう笑って、こちらへと殺気を向けたフェンリルに向き直るのだった。