0360:【④】誕生会。
2022.07.24投稿 4/4回目
ハイゼンベルグ公爵さまの誕生日を祝う夜会の席で、お馬鹿さんがやって来た。取り繕う必要はないから、もうお馬鹿さんでいいや。おっとりとした顔で私を頭の先からつま先まで品定めするように見下ろし、アクロアイトさまへ視線を向けて発した言葉。
――一部を私に譲ってはくれんかね?
この時点でアウトでダウトだと強く思うのだけれど、気の所為だろうか。公爵さまー、公爵さま~、身内を引き取って下さいと視線をチラッと向けたけれど、客人と談笑していた。
あの人こういう時に役に立たないというか、信頼の上で放置してくれているのか、どちらなのかよく分からない。状況が酷くなっても知らないよと、バーコーツ公爵一同さまを見る。ソフィーアさまが私の下へとやって来たのは、目の前のお馬鹿さんを止めろという無茶振りなのだろうか。
「その衣装の布も極上のものでございましょう?」
公爵夫人が舐め回すように私の聖女の服を見て言葉を発すると、バーコーツ公爵が『ほう』と目の色を変えた。そりゃエルフの皆さまや妖精さんの協力の下、編み上げた布だから一般には出回っていない。化粧濃いなあ、ケバいなあ、と妙な事を考えつつ誰か助けてーと願うけれど、誰も助けてくれない。
バーコーツ公爵夫人のご実家は、数年前に彼女と縁切りしている。説得も再教育も無理と判断したらしい。縁を切って正解で正常な判断ができるのに、どうしてそんな女性を外に放出してしまったのか。環境で性格が変わることもあるから、公爵夫人という椅子の座り心地に酔ってしまったのかもなあ。自制できる人なら良かったけれど、夫人は無理だったのだろう。
ふと私の服に伸びて来た手を制す手が現れた。ジークとリンの気配が一変するけれど、彼らが手を出すことはない。
「待て」
二人の代わりに制してくれたのは、真っ赤なドレスを纏ったソフィーアさまだった。伸びて来た手が声に反応してびくりと止まる。
「何よ、ソフィーア」
私へ手を伸ばしてきたのは公爵令嬢さま。年頃は同じ位でお母上に似て気の強そうな顔立ちに、薄桃色のドレス。雰囲気と顔の造りに合っていない。個人の趣味嗜好もあるから、あまり考えるべきではないか。
「勝手に服に触れるのは如何なものか」
「ちょっと触るくらい良いでしょ! 減る物じゃないわ!」
自分の行動を遮られてしまったのが悔しいのか、少し声を荒げた公爵令嬢。そういえば立場的にはソフィーアさまと同格になるのかな。彼女は公爵の娘だけれど、ソフィーアさまは孫娘となる。
微妙な所だけれど、学院に通いつつ仕事も務めているソフィーアさまと放蕩三昧らしい公爵令嬢さまを同格に扱いたくない。
「分かって言っているのか? この衣装は――」
騒ぎを聞きつけて、こちらへ目を向けている人たちが多くなってきた。
「――ソフィーア、妹が済まないね。まだ分別がついていないんだ、許してくれないか」
なんだろう。彼の言葉を聞くだけでぞわぞわしたのだけれど。ソフィーアさまの肩を軽く触って、彼の妹とソフィーアさまの間に割って入った。
ハイゼンベルグ公爵さまの情報によると目の前の彼は次代のバーコーツ公爵。格好をつけているけれど、なよっとしているので衣装に着せられている雰囲気を感じ取れる。ジークや護衛の騎士さまたちの衣装の皺の寄り方は綺麗なのだけれど、次期バーコーツ公爵は服の皺が情けない。鍛えている人と比較するのは失礼なのかもしれないが、率直な気持ちだった。
分別はつけておいた方が良い。でないと、これから先が思いやられる。
「ところでソフィーア。私の求婚をいい加減に受けて欲しいのだが?」
甘ったるい声で囁いているけれど、なんだか上から目線。ハイゼンベルク公爵さまから聞いてはいたけれど、相手にされていないのに口説くってどういう神経をしているのだか。
私に対する第四王子殿下は裏があったから別物として、彼は一応ソフィーアさまの婚約相手として候補の一人だったらしいけれど。というか、未だに婚約者が居ないなら不良物件だと主張しているようなものだ。ソフィーアさまは理由があってのことだから別である。
「申し訳ありません。――学院や仕事で貴方に時間を費やすことが出来ません」
「つれないねえ。ヘルベルトとの婚約が白紙に戻ったとはいえ、君は傷モノであることに違いはない。私が貰おうと言っているのだよ、断るのは贅沢というものではないかい?」
目の前でやり取りしている言葉にむっときた。何故貶める必要があるのだろう。ソフィーアさまに益がある婚約というなら、お貴族さまとして受けるべきであろうが、バーコーツ公爵家に嫁入りしたとして良い未来なんざ全く見えない。
真面目なソフィーアさまのことだ。公爵家の立て直しに奔走しそうだし、立て直した端からお金を使い込まれそう。ソフィーアさまに任せきりと言うのも申し訳ないので、口を開こうとしたその時。
「止めなさい。今は黒髪の聖女と話をしているのだ、後にしなさい」
バーコーツ公爵が止めに入った。
「……っ」
公爵の言葉には逆らえないのか、まだ何か言いたげだけれど息子くんは押し黙る。取りあえず、話の矛先がソフィーアさまから私に移ったことに息を吐く。ミシっと音が鳴ったのはセレスティアさまの鉄扇の音か、はたまたジークかリンが握った剣の柄の音か。
「聖女よ、何でも良い。――私に譲ってくれるかね?」
おっとりとした顔で笑みを浮かべ距離を縮めてくるバーコーツ公爵。なんでも良いって何だろう。凄く抽象的で主体性がないというか。私が持っている竜の鱗や牙といった、珍しいものが欲しいだけなのだろうか。
後ろへ下がりたくなる気持ちを抑えて、その場に止まり確りと背を伸ばしバーコーツ公爵の目を見据える。相変わらず身長差がアレだけれども。
「お断りいたします。何故、見ず知らずの公爵さまにわたくしが得たものをお渡ししなくてはならないのでしょうか」
珍しい物が好きでコレクターであるならば最低限の良識くらいは見せて欲しい。
「金額提示さえ成されていないということは取引ですらないということ。――公爵閣下が、一介の法衣子爵でしかないわたくしに何を望まれているのでしょう」
領地持ちの男爵位もあるけれど、今はどうでもいいや。さて、これでバーコーツ公爵はどうでるのか。ありきたりなのが、諦めるかキレるかになるけど。
「嗚呼、地位を振りかざして奪い取ることもできますね」
公爵を始め、夫人と息子がぐぬぬと歯を食いしばった。もしかして爵位を笠に奪い取ってきたのだろうか。性質が悪い。とはいえ、だからこそ追い落とそうと公爵さまが私を派遣させたのだし。
「そ、そんなことはせぬっ!」
そうか、それは良かった。良いことだ。何かを望むなら、何かを差し出さないとね。聖女の治癒依頼も報酬として対価を差し出して頂くのだし、話の筋としてはおかしくない。
「ではバーコーツ公爵閣下はわたくしに何を望み、何を差し出せるのでしょうか?」
「……っ! どれ……わ、私の愛人になれ!」
嫌だ。なんで好きでもない人の、しかも愛人って。というか夫人が隣で凄い顔になっているけれど。そして周囲も引いている。
「いい加減にしろ。――今この国で黒髪の聖女を無下に扱えばどうなるかなど、皆知っておろうに。欲に目が眩んだ愚か者ならば、破滅の道しかあるまいよ」
ハイゼンベルグ公爵さまが、ようやく現れた。第一王子殿下も引き連れているし、逃げられないだろう。この場に居るお客さんも証言者になってくれるだろうし……――もしやサクラの可能性もあるの。
参加者は限定出来るし、これ最初から逃げられないヤツじゃないか。公爵さまえげつないなと、庇ってくれている公爵さまの背を見る。出会った頃と変わらない、どっしりとしたその背を。