1497:新しいものはないか。
ジークの領地となる、ロウ男爵領はエーリヒさまが治める地と変わりない規模であり発展具合も同程度である。領主邸がある町と二つの村から構成され、町を守る巨大な壁もなく町への入場も厳しい規制はされていない。
本当に穏やかな場所だと馬車の中で目を細めていれば、領主邸前へと辿り着く。門扉の前の警備兵の方が凄く驚いているのだが、その視線はジャドさんとおばあたちへ向けられたものである。
アストライアー侯爵家の家紋を掲げた馬車にも一瞬向けていたが、注目を浴びたくて『ピョエー』と声を上げたおばあに驚いたようである。領主邸の中に入らないのは、単に車列の長さが原因である。伯爵位規模の屋敷であれば問題ないのだが、男爵家の規模では少々手狭で門扉前で降りる方が無難であった。
先に向かっていたジークは既に門の前に立っており、彼の隣にはロウ男爵家の代官さまと家宰さまも控えていた。やはりジークが頭半分背が高く手足が長い。リンのエスコートを受けながら馬車から降りれば、既にエーリヒさまが降りてジークと一緒に待ってくれていた。私はリンから離れジークの前に立つ。
「ご招待、ありがとうございます。ロウ男爵」
「アストライアー侯爵閣下。ご足労痛み入ります」
社交辞令を述べ、私はロウ男爵家の代官さまと家宰さまにも挨拶をする。緊張しているようで少し噛んでいたのだが、ジャドさんたちの方へ視線が向いていたから魔獣や幻獣が怖かったのだろう。
決して私が怖いわけではないはずだと自分の心に言い聞かせながら、さっそく町をみんなと一緒に歩くことになる。町の人たちはジークのことをきちんと領主と認識しているようだ。女性陣、特に若い人はきゃーと黄色い声を上げているし、小さい男の子は腰に佩いている長剣が気になるようである。男性陣もロウ男爵領の未来に期待しているのか、明るい表情でジークを見ていた。
「人気があるんですねえ、ロウ男爵」
「揶揄わないでください、閣下」
私が冗談を口にすれば、ジークは小さく肩を竦める。お出かけの時の様に手を繋いだりはしていないけれど、私の左隣にジークがいると安心できた。
ロウ男爵領もベナンター準男爵領と同じで商業地区は食堂併設の宿屋と数軒の日用品屋さんしか存在していない。少々寂しい気もするが、自給自足が基本の場所である。商業活動でお金を得るのは難しいのだ。余った食品を売ってお金を得て、生活必需品となる塩や衣料品に農機具を買う。これの繰り返しだ。ジークとエーリヒさまにやる気があるなら、識字率の上昇を目標に掲げ、領地の発展に貢献できるように進めていくのが無難だろうか。まあ、私が口を出すことではないとジークの案内に耳を傾けるのだった。
◇
ナイとジークフリードの背を眺めながら、ロウ男爵領の道を歩いている。
私の隣にはセレスティアが鉄扇を広げて口元を隠しながら、二人の背を眺めていた。視界の中にヴァルトルーデさまとジルケさまの姿があるのだが屋敷で共に過ごされていることに慣れてしまい、二柱さまの姿を視止めることは私の日常と化していた。
本当にナイは出会った頃からなにかに巻き込まれてばかりだと口元を緩めるのだが、今、彼女の隣を歩くジークフリードと上手く関係を築けるのだろうか。幼馴染として長く一緒に過ごしていることで、家族以上の絆を築いている彼と彼女が恋仲となれるのか。
とはいえ、きちんとナイもジークフリードからの告白を受け、異性として認めて関係を進めようとしているのだから外野がなにか言うべきでないのだろう。私にできることは彼らが真っ当に関係を築けるのか見守ることだけだが、それでもやはり心配なものは心配なのである。
「上手くいくと良いんだが」
「妙な輩が絡んでくる可能性もありますものね。特にナイは目を付けられやすいですし」
私は溜息を吐きながら声を上げてしまう。その声が隣の彼女に聞こえていたのか、鉄扇を閉じて私を見ながら言葉を紡いだ。
「建国祭の夜会の時のように、ナイと関わりを持ちたいと考える者はごまんといるからな」
あの時の田舎貴族は正直無謀な行動に出たと呆れてしまうが、ナイはジークフリードの声を耳にしていたようでいろいろ思うことがあったようだ。彼と関係を進めようと決意したのも建国祭のあとだから、関係を進める切っ掛けにはなっている。妙な者のお陰というのは腑に落ちないが、亀の歩だった二人の関係が進むことは喜ばしいことである。
「妙な輩が絡んだとて益があるならマシですが、ナイに益がありませんもの」
「だな」
私たちがナイの側仕えになったのは先を見越して利益になりそうだという理由だから、絡んでくる者を大っぴらに批判はできないところがある。あるにはあるが、明け透けに利益だけを狙う者を側仕えとして主人に近づかせるわけにはいかないのだ。
セレスティアはどう考えているのか知らないが、ジークフリードとナイが結ばれることに異論はないようだ。彼女の場合、婚約相手であるマルクス・クルーガーと上手くいっているのか疑問であるが……セレスティアであれば彼を尻に敷きながら御すのだろう。
ナイとジークフリードの関係が上手くいき、きちんと彼女に月のものが訪れればアストライアー侯爵家は盤石だ。侯爵家を万全に動かすための人数にまだ届いていないが、そちらは時間が解決してくれる。
ナイは当初、自身の家は一代限りだと考えていたが多くの者を従えるようになり、未来をきちんと見てくれるようになった。ナイは逃げ癖や見ないフリをすることがあるため、どうにかならないものかと心配していたが、ここにきてようやく覚悟が決まったようである。
腹を決めたなら、二人の関係を応援しなければ。まあ私にできることは本当に数少なく、こうして二人の背を眺めるくらいしかできないけれど。
彼らの未来が明るいものでありますようにと願いながら、ロウ男爵領の視察が続くのだった。
◇
ジークフリードの領地、ロウ男爵領の視察をしながら俺は考える。
ナイさまから『落花生』を美味しく頂けるレシピがないかと、自領であるベナンター準男爵領を視察している際に問われていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまも俺に期待しているようで、目をキラキラさせながらナイさまとの会話に耳を傾けていた気がする。単に茹でて食べても美味いだろうし、細かく刻んで料理に振りかけるとか、ピーナツ豆腐もアリだろうか。
ピーナツバターならパンに塗って食べることもできる。原始的な製法であれば、擂鉢に落花生を入れ油分が出てくるまで気合と根気で混ぜ続け、好みでごま油やはちみつ、黒砂糖、砂糖、を加えれば良い。
たしか保存期間は一週間ほど持つはずだ。ただアレルギーが怖いから、パッチテストを行った方が良いかもしれない。その辺りもきちんと知らせておいた方が良さそうだ。
外務官の仕事はやりがいがあるけれど、料理のことを考えるのも楽しい。領地をどう発展させていこうかと方向性を決めることも苦ではないから、頭の中で考えることが性に合っているようである。
フィーネさまとの関係も上手くいっているはずで、あとは彼女を迎え入れるだけであるが……お相手が他国の大聖女を務めているので少し難儀しているかもしれない。
ボルドー男爵閣下は『略奪しても良いんだぞ?』と俺に発破を掛けているが、できるなら正攻法でいきたい。一応、愛し合っている者同士がキスをすれば聖痕が消えるという、とんでも設定を乙女ゲーム配信で見ていたため知っている。知っているがそれは『正攻法』なのか微妙なため、最終手段とか保険として扱おうと決めた。そうなればフィーネさまを正式に迎える方法の難易度が凄く高くなる。
相手は一国の大聖女さま。俺は一国の準男爵である。
せめて子爵位程度に就かなければ、フィーネさまを迎え入れるには難しいだろうか。外務官で出世するには時間が掛かるし、やはり領地運営でなにかしらの大きな功績を立てるのが一番の早道である。
とはいえアルバトロス王国にはナイさまというトンデモ人物がいるので、功績を挙げても目立たない気がする。ただアルバトロス王国上層部はナイさまだけを見ているわけではないから、きちんと真面目に領地を発展させれば認めてくれるはず。
前世知識を頼って領地を発展させるのもアリだろうか。
肥料の開発に農機具の開発、土地に合った種苗の開発とかもできそうである。ナイさまのお陰で亜人連合国やフソウにヤーバン王国、共和国とアガレス帝国と繋がりを持っているから問い合わせくらいならできる状況だし。各国の農業事情の資料が欲しいと乞えば手に入るはず。ここしばらくのやるべきことが決まったなと俺が横に視線を向けば、ナイさまとジークフリードが笑みを浮かべて語り合っていた。
――良かったな、ジークフリード。
ずっと淡い思いをナイさまに対して彼は抱いていたようだし、ようやく関係を進めることができたようだ。まあ彼らを良く知らない人は護衛と主人だと捉えてしまうかもしれないが、少しばかり関係性を知っている身として、ここ最近の二人の雰囲気が柔らかいものになっている。
「ロウ男爵領も共同窯でパンを焼いているのですか?」
「そうですね。各家庭に火力の強い窯を用意するには資金が必要となりますから」
二人の会話を耳にして男爵領規模であれば、どこも同じようなものだろうと俺は一人頷く。既製品のように大量生産が可能になれば、領地の人たちの手を煩わせることはない。ただそうなればパンを買う金が必要となってくるから、手に入れられない人も出てきそうだ。上手く事を運ぶには、いろいろと問題が発生するなと俺は肩を竦めふと思う。
火力の強い窯でピザを作れるのではと。
炭酸飲料でジャンクフードを食べる自分の姿を想像すれば、腹の虫が鳴きそうになってきた。ピザやハンバーガーを作れば確実にナイさまは喜ぶし、ヴァルトルーデさまとジルケさまも物珍しさに目を丸くしそうである。フィーネさまは『わあ!』と手を合わせながら喜んで、凄いですと俺を褒めてくれるだろう。他のみんなの反応は微妙なところだけれど、口にしてくれるはず。それに南の島でみんなで焼いて食べるのもアリだろうし、遊びに向かう前にちょっと試作品を作ってみるかと決めるのだった。






