1495:準男爵領へGO。
聖王国への二週間の出張を終えた俺はアルバトロス城から急いで自領に戻っている。
ナイさまから届いた手紙には『ベナンター準男爵領を視察させてくださいませんか?』ということが記されており、なんでもヴァルトルーデさまの『お出掛けしたい』という望みを叶えるためだそうである。
アガレス帝国首都、フソウのドエの都、ヤーバン王国王都、アルバトロス王国王都に高位貴族の方々が治める主な領地へは見学を終えているということで、それなら小領地を視察してみようとナイさまは考えたようだ。
帰国早々に大仕事が待っているなんて驚きではあるが、ヴァルトルーデさまが領地を見学されるとなれば話は別だろう。
ベナンター準男爵領は小さな領地であるもののポテンシャルが高いはず。そもそも元男爵領を準男爵領扱いにしているため領地規模が大きい。だが俺は準男爵である。
アルバトロス王国へ納めるお金は準男爵基準だ。だからその差額は領地開発のために注ぎ込んでいた。微々たるものだがなにもしないよりマシだし、領地を見て回って足りない部分――道の整備や農業用水路に新規開拓――が目立っているのだから。効果が表れるのは数年先だろうけれど、気長に待っていれば確実に成果が出る。
ただフィーネさまを早く迎え入れたい身としては、今回のヴァルトルーデさま視察は有難い話だろう。西の女神さまが視察に訪れた領主として、聖王国からフィーネさまとの婚姻を認めて貰い易くなるはずだ。
――ベナンター準男爵領・領主邸前。
そしてヴァルトルーデさまの準男爵領視察当日となっていた。準男爵領にある領主邸前で合流しようと話がされており、視察を終えればナイさま一行は領主邸で一泊する。アストライアー侯爵邸とベナンター準男爵邸を比較すれば雲泥の差が出るのだが……ヴァルトルーデさま曰く『ベッドがあるなら問題ない』とのこと。本当に西の女神さまは飾らない方である。
アストライアー侯爵家の車列が到着すれば、護衛に就いていたジークフリードとジークリンデさんを見つける。ジークフリードが素早く俺の存在に気付いて『久しぶりだ、エーリヒ』と声を掛けてくれた。
俺もジークフリードに久しぶりと声を返しているのだが、車列の最後尾にグリフォンが八頭と荷を乗せた幌馬車に小型の竜の方が二頭もいる。毛玉ちゃんたち三頭も外に出ており、おばあの隣に並んでいた。彼らがついてくるという話を俺はナイさまから聞いていない。俺はジークフリードと合わせていた視線を車列の最後尾に向けた。
「いや、うん。その、なんだ。どうしてこうなっているんだ。ジークフリード」
「女神さまとナイに聞いてくれ」
困惑する俺にジークフリードは苦笑いを浮かべていた。どうにも出掛ける前にグリフォンのおばあが『一緒に行く!』と主張したそうである。それなら通訳が必要でしょうとジャドさんが声を上げ、彼女が向かうならと他のグリフォンたちもついてきたそうだ。
大所帯になれば俺に迷惑が掛かるとナイさまは考えていたけれど、おばあの圧とヴァルトルーデさまの『大勢の方がきっと楽しい』という言葉に負けてしまったそうである。まあナイさまらしいのかと俺は苦笑いを浮かべて、もう一度ジークフリードに視線を向ける。
「あとでジークフリードの領にも行くから、そっちは楽しみにしてる」
「エーリヒの領と変わらないぞ」
俺の領の視察が終わればナイさま一行はジークフリードの領地に向かうそうだ。
「目新しいことはないとナイにも伝えたが、興味あるし、こういう機会でもなければ行かないだろうから、と押し切られた」
ジークフリードは溜息を吐いているもののどこか嬉しそうである。
「惚れた弱みだな。ジークフリード」
時々、彼は本当に甘い顔をするようになったと俺の肘をジークフリードの腕に当てた。特に嫌がる素振りは見せずジークフリードが小さく右に首を傾げる。
「そうなのか?」
「嫌な奴からお願いされたら断るだろ?」
「それは当然の話だ」
軽い会話を交わしていれば、ナイさまとヴァルトルーデさまとジルケさまに、ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢が馬車から降りてくる。今日はジークリンデさんがナイさまのエスコートを担うから、ジークフリードは俺の下へきたようだ。ナイさまがこちらへくる間にジークフリードと警備の話をさくっと済ませておく。新興の準男爵のため警備面に問題が発生したため、アストライアー侯爵家から多めに護衛を出して貰っている。
とにかく今回の視察が無事に終わりますようにと願いながら俺はナイさまと対面する。
「ベナンター卿、この度は視察の要望を受け入れてくださり感謝致します」
「いえ。ご足労を掛け申し訳ありません、アストライアー侯爵閣下」
ナイさまと俺はお互いに頭を下げる。友人関係であるが、公式の場では貴族同士だ。どこで誰が見ているか分からないし、暫くの間はお互いに肩を竦め合いながら社交辞令に努めるつもりだ。ナイさまの横に並んでいるヴァルトルーデさまとジルケさまも俺の前に立つ。ナイさまの側仕えという体は守られているようで、割とかっちりとした服を二柱さまは纏っている。
「変な感じがするけれど、よろしくね」
「おう。よろしくな」
ヴァルトルーデさまとジルケさまとの挨拶を終えれば、俺のことは『ベナンター準男爵さま』と呼んだ方が良いのだろうかと西の女神さまが首を傾げる。それはどうだろうかと俺が頭を悩ませていると、ナイさまは『領地の人の目があるところでは、そちらの方が望ましいかもしれませんね』と告げていた。
本当にナイさまは二柱さまたちに遠慮がないというか、一緒に過ごしていることで随分と親し気である。俺が女神さまと同居することになれば胃が痛いと腹を撫でているはず。
「ではさっそく向かいましょうか。屋敷の近くは商業地区と準男爵家に仕える者たちの家ですから、歩いて向かえる距離です」
ベナンター準男爵領は村三つを管理している。領主邸のある村が一番規模が大きく、残りの二つは田舎の農村といって差し支えない。農機具を更新しただけで、俺は彼らに随分と感謝されている。
そんなことでと思ってしまうが、なかなか目に届かない部分だったようだ。一応、村の意見を取り入れるために『意見箱』も設置した。某八代将軍さまの真似であるが、遠慮しているのか今まで一度も投書されたことがない。
識字率の低さも意見箱への投書の壁となっている気もするが、ゼロというわけではない。代筆は一般的な手法であるし、なにかあれば意見を入れてくれるだろうと期待していたのだが。領地経営は物語のようには上手くいかず、地道にやるしかないようである。
今回の一件は本当に棚ぼたレベルのことだけれど。
ジャドさんとおばあたちは邸の庭で待機することになり、みんなで道を歩いて行く。準男爵邸から五分も歩けば、商業地区に辿り着いていた。商業地区と名乗って良いのか謎ではあるが、宿があり日用雑貨を売る店が数件存在していた。
これがベナンター準男爵領の商業地区である。王都や侯爵領と比較すれば凄く辺鄙だ。でも、これから発展していくはずだから悲観することはない。ナイさまと二柱さまは物珍しそうに商業地区を見渡している。雑貨屋の人が俺たちを見て思いっきり頭を下げていた。視察に向かうからと領地の人たちには伝えている。ただ俺以外の高貴な人がくるのは意外だったようで、雑貨屋の人は目を丸くしながら顔を上げていた。
「ナイが領地で買ってきてくれたパンが興味深かった。準男爵領でもパンを買える?」
「ベナンター卿、領内でパンを買えるお店はありますか?」
ヴァルトルーデさまが後ろからナイさまに語り掛けている。周りから見れば側仕えが当主であるナイさまに耳打ちをしているように見えるだろう。ナイさまはヴァルトルーデさまの声を聞き届け、代わりに俺へ質問した。
「申し訳ありません。パン屋自体が存在しません。村の者たちは共同の窯で纏めて焼いて保存しています。屋敷のもので良いならご提供できますよ」
領地が小さく自給自足が基本のようなものである。領地の人たちはパンを店で買うことはなく、一週間に一度、村にある共同の窯でパンを焼いて家庭に持ち帰っている。
人が集まって一緒になにかをしている光景は街中で会社員として働いていた俺には眩しいものだ。領地のみんなで一緒にパンを焼いてみたい気持ちがあるものの、領主が出張ってしまえば問題である。我慢だなあと目を細めていると、俺の声にヴァルトルーデさまとジルケさまとナイさまがぱっと顔を綻ばせた。
「楽しみです」
ナイさまが俺ににこっとした笑みを浮かべた。どうやら俺が焼いたと勘違いしているようだ。でもまあ屋敷の料理長にパンのレシピを渡して作って欲しいと頼んでいるから、俺が作ったようなものかもしれない。事実は伏せておくべきか、きちんと伝えるべきかと迷っていれば商業地区の視察を終えていた。宿屋に赴いても店の人を驚かせるだけだし、高級店ではなからナイさまたちが泊まれるはずもない。
「では、もう少し歩いてみましょうか」
侯爵位の方と二柱さまを歩いて連れまわすのは気が引けるが、領地の規模が小さいから問題ないはず。それから特にトラブルもなく視察を終えることになった。
あれ、ナイさまが一緒にいるからなにか起こるかもしれないと覚悟していたのだが肩透かしである。平和に終わったならなによりで、あとは屋敷での歓待である。侯爵家より満足のいく料理が提供できるか分からないけれど、立食形式にして気軽になんでも手に取れるようにしておいた。本来ならコース料理を出すべき状況だが、迎え入れているのはナイさま一行だ。
そうして陽が暮れて、晩餐会の時間となった。俺は屋敷の食堂の暖炉の前でグラスを掲げながら口を開く。
「本日はお疲れさまでした。小さな領地で特筆すべきところはありませんが、なにかご参考になれば幸いです。乾杯!」
俺が音頭を執るなんて思ってもいなかったが主催者である。錚々たるメンバーが揃っていて、俺の親父であれば腰を抜かしていたかもしれない。そんな人たちを前に俺はきちんと床に足を着けて口上しているのだから、俺の肝は随分と太くなった気がする。
小さな食堂に乾杯の声が上がる。屋敷の人たちは侯爵位を持つ人たちが訪れていることに驚いているし、粗相をしてはならないと気を張っていた。普通にしていれば大丈夫なのだが、ナイさまの噂しかしらなければ怖いと捉えてしまうようである。ナイさまは並んだ数々の料理を前に目を輝かせ、二柱さまはさっそくパンを置いている篭に手を伸ばして口に運んでいた。
麹や発酵のための菌という概念はまだ存在しておらず、パンを焼いても硬いものが多い。お金を持っている人たちの間でエールの泡を利用して、パンを発酵させる手法が開発されているけれど。発酵させる菌が認知されるのはもう少し先だろう。イースト菌とか買えるようになるのはいつになるのやら。
「エーリヒのパン、美味しい」
「確かに美味えな!」
ヴァルトルーデさまとジルケさまはさっそくパンを口にして気に入ってくれたようだ。ボルドー男爵閣下に頼み、ワインの澱を分けて貰っていた。仄かに甘い香りがするはずと俺は二柱さまがパンを口にする姿を見て安堵するのだった。俺の屋敷でも美味しいご飯に有りつけるという認識が神さま一家に広まるまで、そう時間は掛からない。






