1493:無事に終了。
ジークとのお出掛けは何事もなく無事に終わりほっとしている。
以前、堕ちた神さまが起きたという事件があったし、他に別のこと――オットー・なんとか子爵さまみたいな人がでてくるかなと――考えていたのだが杞憂で済んで良かった。
一応、ジークとのお出掛けの話はフィーネさまも知っているうえに、侯爵領にお触れを出したものだからアルバトロス上層部にも伝わっている。少々、気恥しい気もするが、仕方のない部分だろうか。フィーネさまの勢いに押された形でジークとの関係を進めたし、彼女の方が恋愛に関してレベルが上である。私が困ったなら相談できるお相手でもあるので有難い。
そんなこんなでジークとのお出掛けを終えた翌日。朝、起きて着替えを済ませてご飯の時間を自室で待っていれば、籠の中にいるクロが私を見ていた。
『ナイ。ジークとお出掛け楽しかった?』
クロの言葉に私は苦笑いになる。クロが言葉を紡いだ瞬間に雪さんと夜さんと華さんが『おや』と言いたげに床に置いていた首を上げた。ヴァナルもくつろいでいるフリをしているものの、耳がピコピコ動いている。
毛玉ちゃんたちは朝から相変わらず三頭でワンプロをしているので話に興味はないらしい。壁に掛けているヘルメスさんも『どうか無事に関係が進みますように』と願っているようで、魔石をペかぺかと光らせていた。ロゼさんはヴァナルのお腹のところでじっとしており、話に興味はないようである。
「普通、というかいつも通りだね。ただ二人だけで過ごしているから、ちょっと新鮮な気持ちだったかも」
本当にジークとのお出掛けはいつも通りと言って良いものだった。ただ珍しく二人で歩いていた――遠巻きに護衛の方が付いているけれど――から、少し緊張していた。
思い切って私からジークの手を握ってみたけれど嫌ではなかっただろうか。とはいえジークが手を握り返してくれたのだから、きっと大丈夫なはず。たくさん買い食いしたけれど、ジークとリンと私と三人で王都の街にお出掛けした時と一緒だ。侯爵領という違いはあれど、やっていることは同じである。なにか違うことをしてみたい気もするのだが、娯楽の少ない世界でお出掛け場所は随分と限られていた。
『いつもボクたちが一緒だからねえ。偶にはそういう時間があっても良いんじゃないかなあ』
「気を使ってくれてありがとね」
クロは籠の中で尻尾をぺったんぺったんと動かしながら目を細めている。邪魔してはいけないということで、クロはジークと私がお出掛け中の間はヴァルトルーデさまと一緒に過ごしていたそうである。
ジルケさまはおばあの背中で昼寝をし、リンは訓練に励んでいたとか。他の面子は仕事を捌いてくれていたから、お菓子のお土産を買っていった。喜んでもらえれば有難いけれど、侯爵邸で出されるお菓子より味がどうなのか気になるところ。自分自身のお菓子の分を忘れていたので、ジークとのお出掛け最大の失敗かもしれない。
むくりと顔を上げて私を見ている雪さんと夜さんと華さんが目を細めながら口を開く。
『ナイさんとジークフリードさんの関係が深くなることを、心から願っておりますよ』
『ええ。ナイさんはまだ分からないかもしれませんが、彼の方の気持ちは確かなもののようですし』
『ナイさんの子が生まれたら、屋敷がもっと明るくなりますねえ』
ケルベロスに恋の応援をされるとはこれ如何にと私は首を傾げつつ、子ができない状況に陥っていることに頭が痛くなる。一生、生理が始まらないかもしれないのだが、こればかりは運というべきか。
周りの人たちより小柄だし、古代人の先祖返りらしいからなにか理由があるのかもしれない。この辺りはヴァルトルーデさまに聞いてみる他ないのだろうか。テラさまの方が詳しそう――地球の医療知識が進んでいるので――だから、ヴァルトルーデさまでも解決できないようなら、テラさまにも相談してみよう。グイーさまは男性の神さまだから、女の人のことは疎そうだし。
「気が早いよ。でも、できると良いんだけれどね」
子供は嫌いではないし、ジークが相手なら別に良いかと考えている。他の男性の顔を思い浮かべてみながら想像すると、うーんと足踏みをしてしまう。まだ婚姻も果たしていないから本当に気が早いけれど、いずれは考えなきゃいけないことになる。
まあ、その前に私の場合は月のものがきていないということだが、本当に困ったならヴァルトルーデさまやテラさまに相談すれば良いことだ。重く捉えて精神的に参っても仕方ないし、先ずはジークとの関係を進めることだろう。今度はどこにお出掛けすれば良いだろうと、部屋に入るみんなと考えていれば朝食の用意ができたとエッダさんが呼びにきてくれる。
そして美味しい朝ご飯を食べ、執務に取り掛かっていた。
家宰さまが各国から手紙が届いていますよと私の前に差し出してくれる。どうやらフソウの帝さまとアガレス帝国のウーノさまから届いたようで、立派な判子と封蝋が施されていた。特に用事はなかったはずなので私的なものだろう。とはいえ家宰さまから差し出されたなら確認をしなければと私は手紙に目を通す。
「あ。白あんの作り方教えてもらえた。有難いな」
フソウの帝さまの手紙には『ナイは食いしん坊ですねえ』という文字も添えられている。否定ができないので笑うしかないが、餡子の作り方はエーリヒさまには門外漢だったようでフソウの皆さまに聞いて良かった。
秘匿している情報ではないから好きに使って良いとのこと。ただ私の方でアレンジしたりすれば教えて欲しいと書かれている。美味しいものは共有した方が良いから、侯爵家でアレンジされたレシピを秘密にする気はない。
もちろん料理長さまを始めとした皆さまにお伺いを立てるのだが『ご当主さまのご随意に』と言われてしまう。私が皆さまにお給金を払っているから、新たに生み出されたレシピは私のモノという考えが強いようである。好きに使って貰いレシピを広め、また新たな料理を誰かが生み出してくれる方が嬉しいのだが。まあ、これは私の我が儘だなと手紙から視線を上げれば、ソフィーアさまが小さく笑っている。
「以前言っていた、アンコの色違いか。良かったな、教えて貰えて」
「はい。食べたい品があるので。できるかどうかわかりませんが楽しみです」
白あんの作り方はフソウの台所番の人が記してくれたようで、随分と細かいことまで指示を出してくれている。料理長さんたちに分かりやすいと良いのだが。セレスティアさまも私の顔を見て小さく笑い鉄扇で口元を隠した。
「ナイはなにを食したいのです? 貴女のことですから世にも珍しい品なのでしょうね」
微かに片眉を上げながら彼女が私に問う。珍しいというよりも、懐かしさで食べたくなってしまった品である。フソウにもありそうな品だが、たしか起源はまだ少し先のことのはず。
そんなことだから鍛冶屋さんに焼き型を作って貰い、今回帝さまに教えて貰った白あんを使って『大判焼き』を作ろうと試みているのだ。ついでに鍛冶屋さんにはホットサンドの型とたい焼きの型もお願いしている。完成が楽しみだと私はセレスティアさまの方を見る。
「アルバトロス王国では珍しいでしょうね」
口にできるのはもうしばらく先だろうけれど、きっと美味しいし懐かしいもののはず。少し違うことがあっても、それはそれで楽しんでしまえば良いことだ。ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまが少し呆れるも、いつものことだと頷いて仕事を再開させるのだった。
◇
午前の訓練から戻ってくれば、クレイグとサフィールが屋敷の一階の廊下で話し込んでいた。俺と妹のリンがなにを話しているのだろうと近づけば、二人は軽く手を挙げた。十年来の関係だからか俺がなにも言わずともクレイグが声を上げる。
「まーた、ナイは食い物関連で動いているのかよ。なあ、ジーク。あいつのどこが良いんだ?」
「まあまあクレイグ。ジークもそんなこと言われても困るだけだよ」
片眉を上げながら怪訝な顔を浮かべたクレイグは執務室でナイの話に聞き耳を立てていたようだ。ナイは白いんげん豆が手に入ったから『シロアンコ』を食べたいと口にし、フソウの帝に手紙を記していた。
シロアンコが作れるとエーリヒから聞き食べたくなったらしいのだが、エーリヒもナイも作り方までは知らなかったようである。フソウの菓子に使われているアンコと似た製法らしいからと、フソウに聞いてみようと数日前に盛り上がっていた。きっと今頃、屋敷の執務室で返事が届き嬉しそうな顔をしているのだろう。俺は少し呆れているクレイグと彼を宥めているサフィールに肩を竦めた。
「今更だ」
「だね、兄さん。ナイからご飯を取り上げれば、ナイじゃなくなる」
本当に今更だろう。貧民街で空腹を経験している所為かナイは食に関して随分と拘っている。責任の重い地位に就いているのだから、溜め込んだ鬱憤を食で晴らせるならそれで良いのではないだろうか。
もちろん過剰な摂取は身体に害を与えてしまうことは知っているから加減は必要となる。それに妹のリンが口にした通り、ナイから食を取ってしまえばナイではない気もする。俺とリンが小さく笑えば、クレイグがはあと深い溜息を吐いた。
「本当に前からジークはナイに甘いよなあ」
「普通だ」
ナイに甘いつもりはないのだが、周りにはそう見えるのだろうか。まあ、彼女に惚れているのだから仕方ないはずである。クレイグだってフライハイト嬢に対しては、他の女性との対応に差があるのは明白なのだから。そのうちサフィールあたりがクレイグに突っ込むだろうと、俺とリンは汗を流してくると伝えて場を離れる。
「兄さん」
「ん?」
廊下を歩いていればリンに声を掛けられた。お互い喋らないから無言でいても苦ではないというのに、一体どうしたのだろうと視線を合わせる。いつもよりリンの目には光が宿っている気がした。
「ナイと婚約しないの?」
「俺から言えることじゃないからな」
リンは俺とナイが婚約発表すれば変な輩が絡んでくることが少なくなると踏んでいるようだ。確かに婚約すればお互いに言い寄られることは限りなく少なくなるだろう。婚約者がいるのに声を掛けたと非難される貴族社会では特に。
「妙な虫が寄り付かなくなるとナイに伝えて婚約しても、ナイはそのために俺が犠牲になっていると考えかねない」
それならゆっくりでも良いからナイがきちんと俺を受け止めてくれるようになるまで待っているとリンに答えた。リンは妙な顔をしつつ『ナイはいつも考え込み過ぎ』と珍しく愚痴を零す。
たしかにナイはその嫌いがあるが、考えなしに突っ込んでいくより良いだろう。確かに婚約しようとナイに言えれば良かったが、今はまだ時期ではないとリンに伝える。いつかきちんと俺から言える日がくることを願いながら、それまでは今までより少し進んだ関係でいようと目を細めるのだった。






