1492:二人の時間。
どこかへ出掛けようとナイから声を掛けられて、偶には街を気ままに歩いても良いのではないかと俺が提案し、アストライアー侯爵家の家宰殿に相談すれば『ご当主さまが街に降りる』と触れを出そうと手伝ってくれた。だから、今、ナイと一緒にアストライアー侯爵領都の街に出て食べ歩きをしている。俺とナイは各々の店で買った食べたいものをたくさん抱え、腰を下ろせる場所で食べていた。
ナイはゆっくり咀嚼しながら食べたいものの味を噛みしめているようだ。爵位を得てから食べ歩きは以ての外と、できていなかったから彼女の気晴らしになったならそれで良い。
領地の者たちはナイが外に出て歩いていること、屋台で買い付けた品を頬張っている姿に驚いているが、触れのお陰か無用に近づいてはこない。少し離れた位置にいる侯爵家の護衛は、気を張って周りに厳しい視線を向けている。余程の大馬鹿者でない限りこちらにはこないだろう。社交に出るより気楽かもしれないと俺は鶏の串焼きを口に運ぶ。
「ジーク、どう?」
いつの間にかナイが俺を見上げて問う。何度か咀嚼して味を確かめ、口の中のものを飲み込んでから言葉を紡ぐ。
「素材の味がきちんと感じられるな」
塩味だけのせいか、物足りない気がして仕方ない。屋敷であれば塩と胡椒で味付けされていただろう。とはいえ平民向けの出店で高級品である胡椒が掛かっていることなどない。それを加味すれば肉の味を感じることができるし、十分美味い部類に入る。本当に貴族位を得てから、贅沢な暮らしに慣れたと俺はナイに苦笑いを浮かべた。
「それは良かった」
俺の声を聞いたナイは満足したのか、今度は違う肉の串焼きを口に運んでいる。既に木椀に盛られたスープは完食していた。彼女の小さな身体によく収まるなと感心するが、普段通りの食事量である。
逆に太らないことが気になるが、教会の神父やシスターたちによると魔力量が高く燃費が悪い者は大食いになりやすいそうである。そして食べた物を魔力に変換するから太らないと。
ナイの成長が遅いのも多大な魔力量のためと聞いているが、女性としての機能がこないのは大丈夫だろうか。ナイは『そのうちくるんじゃないかな?』と言って気にしていない素振りを見せている。おそらく彼女の場合、周りを心配させまいと平然を装っている気がしてならない。とはいえ俺が踏み込んで良い問題ではないから、なにも言えないのがもどかしい。
もし仮に彼女と結ばれたなら子供は欲しいと考えている。ただ子を成すとなれば大変なのはナイの方だ。おいそれと願えないし自然に任せるしかないだろう。
そしてナイに女性の証が訪れないならば、それはそれで――ただし体に害がない場合だ――構わない。ユーリを正式に養子に向かえることもできるし、他の者を養子としてもかまわないだろう。おそらくナイも頭のどこかで考えているはずだから、ちゃんと言い出し易いように立ち回らなければ。
鳩や鶏の串焼きを食べ、木椀に注がれたスープを飲み干すと丁度ナイが食べ終えたようである。お腹を擦って幸せそうな顔を浮かべて俺の方を見た。
「お腹一杯~」
貧民街時代はずっと腹を空かせていたから、ナイと仲間のみんなが飯を食べて幸せそうな顔を浮かべているのは安心できる。
「結構食べたな」
「お金持ってるからたくさん買っちゃたからね」
王都で買い食いをしていた時より量が多かったのだが、残さず食べているのは流石というか。昔のように金の心配は必要はないから、ナイはなにも考えずに食べたい物を買ったようである。
「偶にしかできないんだ。構わないさ」
「時間になったしパン屋さんに戻ってみよう」
俺が言い終えればナイが立ち上がる。なんとなく右手をナイへと向ければ、左手を差し出して照れ臭そうに握り込むのだった。
◇
――もう直ぐ焼き上がりの時間だ。
あたいの旦那はアストライアー侯爵領領都にある平民向けのパン屋を営んでいる。あたいも旦那の妻として店を手伝っていた。結婚してからずっと店に立っているから、もう十年ほど経っているだろうか。
子供もできて小さい盛りでまだまだ心配は尽きないが、上の子は『父ちゃんの店を継ぐ!』と鼻息荒くしている。下の子はまだ小さいく将来のことなど考えていないものの、手に職を付けて独り立ちできるようにしてやらないと。店が大きくなれば上の子と下の子で兄弟でパン屋を営むのもアリだろう。それには今の店が更に繁盛するように頑張らなければならないだろう。
あたいは一家を支える旦那に視線を向ければ、窯の前で煤けていた。
「うう……またご領主さまがくる……不味いからと店を潰されたり、首斬られたりしないよな……はは、ははははは……」
あたいは丁度席を外していたからご領主さまにお会いすることはなかった。年若いお方で女の子だってのに広大な侯爵領を治めているなんて信じられないが、以前の領主さまの時より街に活気がある。
時折、竜に天馬にグリフォンが領主邸の方へと飛んでいく姿を見たことがある。ご領主さまが彼らを飼っているそうで、屋敷の庭にたくさんいるそうだ。そして女神さまがお過ごしになっていると噂を耳にしたことがあるのだが本当だろうか。
なににせよ、今のご領主さまになって税が軽くなり、街を訪れる者も増えている。吟遊詩人にご領主さまの話を聞きたいと声を掛けられたことがあるから、きっと王都でも人気なのだろう。
なんたって創星神さまの使いを担うような方――夢の中のご領主さまは華奢でお可愛らしい人だった――なのだ。信仰心篤く物凄くご立派な方が治めるアストライアー侯爵領の未来は明るいというのに、あたいの旦那は凄くシケた顔をしている。あたいはありありと溜息を吐き、両手に腰を当てて口を大きく開いた。
「アンタ! ご領主さまへ伝えた時間になるよ! 早く窯からパンを取り出しな!!」
パンがきちんと焼き上がっているのか様子を見て、足りないなら再度窯にいれなきゃいけないし、焼けているなら取り出さなければならないというのに。全く。
「どうしてお前は平然といられるんだ?」
「なにか問題があったなら、とっくにアンタの首は身体とお別れしてるだろうさ! ご領主さまは創星神さまの使いを務めるような方だよ! そんな方がアンタのつまらない首なんて斬るわけないの!」
本当に。問題なら、あたいら平民なんてとっくに命はない。旦那の話ではご領主さまは凄く丁寧に注文したそうである。そんな方が旦那の首を斬る分けがない。
平民を人と思っていないお貴族さまであれば、そもそもウチの店になんか足を運ばない。だというのにご領主さまは焼きたてのパンが食べたいともう一度くると言い残して去っているのだ。あたいの大声に旦那はびくっと肩を動かして視線を合わせた。
「ひ、酷いぞ!」
「もうすぐご領主さまがお越しになるんだろう? 手を動かしな!」
旦那はあたいの声に呑まれたのか、ようやく窯の中からパンを取り出す。焼けた小麦の良い匂いが漂ってきて鼻をくすぐる。丁度その時だ。店の扉に取り付けているカウベルが鳴り、小柄な少女と背の高い赤毛の青年が立っていた。
ご領主さまが領地就任の際に顔見世のパレードを行っていたが、あたいは集まった人たちの壁に阻まれお顔を良く見れていない。だが、その黒髪黒目の少女は創星神さまのお告げの際に一緒にいた方である。本当に本物だとあたいは感動に胸を震わせる。こんな狭い店にくるような方ではないし、領主邸で働いている者たちもほとんどこないのではないだろうか。
「ひ、ひ、ひらっしゃ……」
「いらっしゃいませー!」
旦那の頼りない声をあたいは遮って声を上げる。するとご領主さまは小さく笑みを浮かべ、赤毛の青年と共に店の中へと足を踏み入れた。あたいは窯の前に立ちすくむ旦那の身体を押しのけて、店のカウンターへと歩いて行く。
「時間になったので、再度こさせていただきました。借りた篭、お返しいたします」
ご領主さまは本当に小柄な方である。店のカウンターが少し高いのか、掲げた篭が胸の位置あたりになっていた。大人の女性であれば腰あたりが普通である。平民のあたいに丁寧な言葉使いを用いてくれるなんてと驚くが、教会の聖女さまも務めていらっしゃる。きっと、教会で他の平民にも同じ態度なのだろう。あたいはご領主さまから籠を受け取り口を開いた。
「ご領主さま、ご丁寧にありがとうございます。そしてわざわざご足労頂き、本当に申し訳ありません」
あたいはきちんと言葉を使えているだろうか。生憎とアストライアー侯爵領領都の商業地区で育った身だ。貴族と関わることなんて一切なかった。貴族なんて高慢ちきで嫌味な連中が多いと聞くけれど、あたいのご領主さまはとんでもなくできた方のようである。
「他のお店の方と話したのですが、良い匂いに負けてしまいました」
「小麦が焼けて膨らむ匂いはお腹に効きますからねえ!」
小さく笑うご領主さまのお言葉にあたいもにっと笑みを返した。焼きたてのパンの香は本当に良い物だ。頼りない旦那だがパンを焼く腕だけは本物で、買いにくる客のみんなに味を褒められる。だからあたいの自慢のパンだ。ご領主さまもきっと気に入ってくれるに違いない。でなければ再度店に足を運ぶなんていう面倒なことはしないはず。
「さあさあ、好きなだけ取ってください!」
先程焼けたパンをあたいはカウンターの前に出す。旦那は奥の物陰からこちらを見ていた。ご領主さまは気付いていないけれど、赤髪の青年は微妙に片眉を上げて奥に視線を向けていた。
旦那の姿に目を細めた赤髪の青年は直ぐに視線を戻して、ご領主さまを見下ろしている。おや。旦那に向けた視線とは違い、優しいもののような。おやおや~とあたいは赤髪の青年を見た。するとあたいの視線と赤髪の青年の視線がバッチリと合う。なにかと言いたげな赤髪の青年の視線にあたいは素知らぬ顔でご領主さまへと顔を向ける。
「では焼きたてを四つ頂けますか?」
「はいよ。四つですね。少々お待ちを」
ご領主さまは遠慮しているのか四つだけで構わないようである。もっと買って欲しいなんて口が裂けても言えないし、あたいは言われた通りに四つパンを取り分け、店で一番高い紙に包んでご領主さまの前に出した。ありがとうございますとご領主さまは紙包みを受け取り赤髪の青年を見上げる。行くか、うん、と短いお二人のやり取りにあたいはピンときた。
ご領主さまと赤毛の青年は踵を返して扉の方へと歩いて行く。
「ヴァルトルーデさまへのお土産だね」
「確か興味があると言っていたな」
ご領主さまと赤毛の青年が穏やかな声を上げながら店を出て行った。ヴァルトルーデさまが誰かは知らないけれど高貴な方なのだろう。ご領主さま以外の口にも入るようだが、あたいが自慢のパンを気に入って頂けると嬉しい。こりゃ一生の思い出だと一人で頷いていれば、奥から旦那がやってきた。
「お、お前、よく、ご領主さまと平気で話せるな……」
「良い人じゃないか! 恐れる理由がどこにあるんだい?」
本当にご領主さまを怖がる理由なんてどこにもない。
「侯爵位を持つ方だぞ! 俺たちとは生きる世界が違うだろう?」
「それはそうだけど……ご領主さまはあたいたちに合わせてくれているのに、怖がるのは失礼だよ! しっかし、あの赤髪の青年はご領主さまの良い人なんだろうねえ」
「まさか。護衛だろ?」
旦那とあたいは言葉を交わしながら、またパンを作って焼いていく。数日後、ご領主さまがウチのパンを買ったことが噂になり、大繁盛店になるなんて。本当に生きているとどんなことが起こるのか分からない。






