1489:捉え方の違い。
エーリヒさまがフィーネさまたちに白いんげん豆料理を振舞ったそうである。なにそれ羨ましいという本音をぐっと堪えて、彼女から届いた手紙を読んでいく。フィーネさまはエーリヒさまが調理場に立ち寸胴鍋の前でお玉を握りながら、調理している姿を克明に記していた。
きっとフィーネさまは少し離れた場所でエーリヒさまの一挙手一投足を見逃すまいと必死に目に焼き付けていたのだろう。本当にフィーネさまはエーリヒさまのことが好きなんだなあと実感しつつ、ほぼ惚気が占めている手紙を読み終えた。
アストライアー侯爵邸の執務室で手紙を読み終えた私は、個人に宛てられた手紙を入れる箱に納めた。するとソフィーアさまが私を見ながら小さく笑っている。
「フィーネ嬢からはなんと?」
「ほぼ私信ですね。エーリヒさまに手料理を振舞って貰ったという話でした。聖王国はいつも通りのようです」
彼女は手紙になにが記されていたのか気になったようだ。聖王国はトラブル続きだったので、また問題が起こらないかと気になってしまうのだろう。フィーネさまから届いた手紙は惚気話ばかりでなく、きちんと政治面のことも書かれている。
ウルスラさまは政について学び始めているし、アリサさまは自由連合国の様子を伺いに出かけたり、私が会ったことのない四角い顔の宣教師の方が嬉々として信仰の薄い地域に赴いたり、少しだけお布施をくすねた神職者――厳罰に処されたとか――がいたりと、いつも通りである。
「そうか」
ソフィーアさまは変わりがないようでなによりと書類に視線を戻せば、今度はセレスティアさまが顔を上げて息を吐く。
「お二人は仲が宜しいですものねえ。マルクスさまの手作り料理……あまり考えたくありませんわ」
しれっとセレスティアさまはマルクスさまをディスっているが、最初の一口は食べそうである。マルクスさまは伯爵家子息だから料理はしないだろうけれど、騎士団で非常食の作成や炊き出しについて学んでいるだろうから他のお貴族さまより料理に対しての抵抗感はなさそうである。
そもそもセレスティアさまも辺境伯家のご令嬢であり、武闘派だからサバイバル術を学んでいる。野生の生き物を捕まえて生き延びる方法は知識としてあるだろう。かなり状況が追い込まれたなら、蛇の生血とか飲みそうだなと考えてしまうのは失礼だろうか。私が妙なことを考えていれば、ソフィーアさまが書類から視線を外して私を見ている。なんだろうと私が首を傾げると、彼女は小さく笑みを浮かべて薄い唇を開いた。
「ナイ。二日後にはジークフリードと出掛けるのだろう?」
「楽しんでくださいませ。領都に娯楽が少ないのは残念ですが」
ソフィーアさまとセレスティアさま、そして執務室にいる家宰さまは私がジークと仲を進めたことを知っている。そっくり兄妹は訓練のために庭へと出ているため執務室にいない。
ジークとリンの代わりと言ってはなんだけれど、クレイグがヘルプとして仕事に入ってくれている。クレイグは片眉を上げながら、書類とにらめっこをして我関せずを貫いている。家宰さまも女性の話に加わるべきではないと判断しているのか、黙って黙々と紙にペンを走らせていた。
「が、頑張ります」
なんだか恥ずかしいなと私はソフィーアさまとこちらを見ているセレスティアさまにどうにか言葉を返した。ジークとお出掛けする約束を取り付けたのは良いのだが、ソフィーアさまとセレスティアさまのお陰なのか侍女の方たちが、当日の衣装選びに一喜一憂していた。
私は普段通りで良いと伝えているのだが、エッダさんやお茶淹れ担当の侍女の方や他の侍女の方々が『普段通りで良いですが、気合を入れましょう!』と言って、あれやこれやと用意してくれていた。自分で迷うことがないので有難くはある。けれど派手で目立つ格好はジークも好きではないだろうし……ぬーんとまた考え込んでいると、お二人が苦笑いを浮かべている。
「気負わずにな」
「ナイ。どうしてそう硬くなるのです?」
ソフィーアさまが目を細め、セレスティアさまが『女神さまが後ろに控えている方が緊張しますわ』と続けて零した。
「女神さま方は居候ですしね」
どうにも私の感覚は周囲の人たちからズレているようだ。ヴァルトルーデさま方を敬っていないわけではないので、二柱さまは特に問題にしていない。そういえば祈りを捧げよとか強制されないなと、私はソフィーアさまとセレスティアさまの方を見る。
「居候だと捉えているナイの考えがよく分からないな。普通は崇めるはずだが……」
「西の女神さまと南の女神さまが気さくな方なので、今の屋敷が成り立っているような気がしますわ」
確かに横柄な神さまであれば、今頃アストライアー侯爵邸は混沌としていたことだろう。転がり込んだのがヴァルトルーデさまとジルケさまで良かったと安堵しつつ、私は疑問に答えるべく考えを巡らす。
「元々住んでいたところが多神教でしたから。一神教の神さまは超越した凄い存在が多いですけれど、身の回りに神さまが宿っているという考えでしたから、どうしても大勢いる神さまの中の一人として認識してしまうのかなと」
おそらく私が一神教の信徒であれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまに向ける態度は変わっていたかもしれない。海や川、握っているペンにも神さまが宿っていると言われ、大事にしなさいと周りの大人たちから教えられたとお二人に伝えれば不思議そうな顔になっている。
「妙な感覚だな。我々の捉え方だと海や川、自然は神から与えられた代物という認識だ。ペンは人間が作ったものだから、神が宿っていると言われてもピンとこない」
「確かに。雑に扱うことはありませんが、罰が当たるという感覚は薄いですものね」
ソフィーアさまとセレスティアさまが不思議そうな顔で首を傾げている。こればかりは私とお二人の捉え方の違いだ。分かりやすいのは……ああ、そうだ。良い場所がある。
「フソウ国の信仰が元の場所に一番近いものでしょうか」
「確かにフソウ国の信仰は独特だったな」
「面白い考え方でしたわよねえ」
そんなこんなで、執務室で他愛のない話をつながら仕事を捌いていく。ジークとのお出掛けまであと二日。
◇
――フソウ国。出島。
聖王国の宣教師としてフソウ国という小さな島国に私は足を踏み入れました。初めて見る建築様式に目を見張りながら街を行き交う人々を眺めます。大陸から少し離れた国故か独自の文化を築き上げたのでしょう。
腰に二本の剣を佩き、頭の一部を剃り込んで髪を纏めた男性が歩いていたり、不思議な歩様で街を颯爽と駆ける者に、小さな子供は前掛けだけという破廉恥な衣装を纏っております。女性も動き辛そうな衣装を纏っていますが、華やかな色合いの服で目に楽しい。
私はフードを被った従者を引き連れながら、街の散策許可を得て歩いているところでした。小さな子供が私を見上げて指を指しました。おやと私が首を傾げると、子供はへらりと笑い欠けた前歯が露わになります。
「父ちゃん、父ちゃん! この小父さん、凄く顔が四角いよ!!」
おやおや。子供は正直者ですねえ。確かに私の顔は周りの者たちより随分と顔が四角いです。しかしこの四角い顔は初対面の者には衝撃が強いようで、覚えが良いという便利な代物です。
宣教師故に異国の地で顔と名前を憶えて貰わねば仕事に差し障ります。私は被っていた帽子を取り、子供の前にしゃがみ込みました。すると慌てた様子の小柄な男性がやってきて、子供の頭を抑え込みました。乱暴は良くありませんが、親としては当然の行為なのでしょうと私は口を噤んでおきました。
「申し訳ありません、異国のお方。子供故に躾が入っておらず。大変、大変、失礼を!」
「いえいえ。私の顔が四角いのは事実。有難いことに女神さまから頂いた自慢の身体は丈夫故に。気にしておりません」
慌てて頭を下げた小柄な男性に子供が『父ちゃん、痛い!』と声を荒げています。そろそろ頭の手を放しても良いのではと、当たり障りのない言葉を私は紡ぎました。ですが、男性は申し訳なさそうに頭を下げたまま。そして子供の頭に手を置いたまま。どうしたものかと悩み、話を変えようと私はもう一度言葉を紡ぎます。
「もし。知っていれば教えて頂きたいのですが、デジマというこの場所に教会はありますか?」
教会があるならば、一度足を運び祈りを捧げたい気持ちがあります。仮にあったとして、北の女神さまを祀っているでしょうけれど、場所が違っても西の女神さまに私の祈りが届くはず。
「キョウカイでございますか? 初めて聞く言葉ですし、出島では聞いたことがありませんねえ」
お力になれず申し訳ありません、と小柄な男性が頭を下げました。
「おや。北の信仰はフソウ国に浸透しておられないのですねえ」
これは好機と私は目を細めれば、目の前の小柄な男性が妙なことを言ってしまったのかと冷や汗を掻き始めました。脅すつもりはないのですが、大柄な私は小柄な男性に威圧感を与えてしまうようです。
むむ。身長や体格の差で恐れられるのは如何なものでしょうか。しかし教会が存在していないとは驚きです。デジマという場所は北大陸の国とフソウ国を繋ぐ場所として存在していると聞きました。
選ばれた者しかフソウ本土に入れず、デジマに入れた者ですら厳選されていると聞いております。私が宣教師としてデジマに入れたのは、大聖女フィーネさまがフソウ国との連絡を取る手段を持っており、宣教師を派遣して良いかと問い合わせて貰ったところ、デジマであれば構わないと返事がきたのです。私は意気揚々と乗り込んだわけですが、信仰を伝え広めるには難儀するのかもしれません。なにせ北大陸の信仰すら伝わっていないようですから。
とはいえすごすごと逃げ帰るつもりは毛頭なく。目の前の親子に西大陸の信仰を説いてみようと少々時間を頂きました。不思議そうな顔で親子は私の言葉に耳を傾けております。
長々彼らを拘束するわけにもいかず、女神さまの奇跡を凄く端折った形でお伝えしていますが、きっと信仰のために女神さまは私を許してくれるはず。そうして私は小脇に抱えていた聖典を開き『女神さまのご加護を』と言って話を終えました。
「なあなあ。四角い顔の小父さん。神さまに祈りを捧げれば腹が膨れるのか?」
「お腹は満たされないかもしれませんが、心に救いができましょう!」
首を傾げた子供に私は両手を広げます。そう御心の広い西の女神さまによって、自身の心に余裕ができ穏やかに暮らせるはず。
「でも人間を幸せにしてくれるんだろ? オラが一番幸せなのは腹いっぱいに飯を食った時だ。なら女神さまはオラの腹を満たしてくれねーなんて酷い奴じゃねー――うご!」
「本当に、本当に失礼を致しました! それでは、さらば!!」
話を続ける子供の口を父親が塞ぎ、小脇に抱えて道を猛烈な勢いで走っていきました。子供の言葉は確かに一理あるのでしょうが、心の拠り所を作るのが神職者としての務めです。ここで挫けては宣教師失格と消え去った親子の姿に目を細めました。
「せんせい、だい……じょうぶ?」
「はい。大丈夫ですよ。しかし教義を広めるには時間が掛かりそうですねえ」
私の側に控えていたフードを被った従者の頭に手を置いて撫でてやりました。東大陸のアガレス帝国での宣教も苦労しましたが、更に難儀しそうだと私は気合を入れるのでした。






