1488:振舞い料理を作る。
アルバトロス王国から聖王国へと出張して一週間が経っている。
厚手の鍋に火を掛ければ、パチパチと音を鳴らしながらゆっくりと熱が通り始める。鍋底に落とした鴨の脂がゆっくり溶け出し、微かな甘い香りを上がらせ始めた。鴨肉の脂の匂いは、牛や豚の脂の匂いとは少し方向性の違う匂いだなと俺は肺一杯に空気を取り込んだ。
刻んだ玉ねぎとにんにくを投入すれば、じゅっと小さな音を立て暫くすると香ばしい匂いが台所に広がる。木べらでかき混ぜていれば、鍋底に残っていた旨味が剥がれ、空気が少しずつ『肉の匂い』に変わっていった。
そこに、一晩水に浸けておいた白いんげん豆を入れ、ソーセージと豚肉、鴨のコンフィをたくさん加える。
「鴨のコンフィが売られているとは」
聖王国の大聖堂となりにある官舎で俺はひとりごちる。フィーネさまにお願いされ、今日という日のために昨日の休憩時間に街へ買い物に出かけたのだが、店で偶然見つけたのだ。聖王国の家庭料理として使用されているため、出来あいの物が売られていたようだ。塩を施しハーブをすり込んで一日ほど寝かせ、肉を低温の脂でゆっくり数時間火を通し、脂に浸けたまま長期保存したものだ。
肉は繊維がほどけてホロホロとした触感が味わえ、塩味はあるけれどキツくない。脂の匂いも穏やかで肉の旨味だけが残っている。欧州のどこかの国の料理だったはず。元日本人である俺が知っているのは、発達したインターネットのお陰だろう。ネットで料理方法を見て、手間暇をかけて作ってみたのだ。
「こんなもんか」
前日に仕込んでおいたストック――骨と野菜を煮込んだ出汁――を具材が被る程度に入れて、ローリエとタイムをそっと浮かばせる。鍋に蓋をして火の番をしながら、ことことという音を聞いていれば、見知った顔が調理場にやってきた。
「エーリヒさま!」
軽い足取りでフィーネさまが俺の側へとやってくる。限られた面子しかいないため、聖王国の聖堂で会う時のように謙る必要はないけれど、料理人の人たちがいるため俺は深く頭を下げた。
「こんにちは。大聖女フィーネさま、大聖女ウルスラさま、聖女アリサさま」
俺が顔を上げれば、近くで本を読んでいたユルゲンが隣に立っている。これで今日の面子は揃ったのだが、女性陣は指定の時間より随分と早い到着である。
「すみません、私たちの分まで作って頂いて」
「本当にありがとうございます」
イクスプロード嬢と大聖女ウルスラが少し困り顔を浮かべながら俺に小さく頭を下げた。
「気にしないでください。調理場を借りられたのは皆さまのお陰です。丁度、なにか作ってみたかったので、良い気晴らしになっていますよ」
「凄く良い匂いが漂っていて、お腹が凄く空いちゃいそうです!」
ふふふとフィーネさまが笑えば、エーリヒが小さく首を傾げた。
「皆さま、約束の時間より随分とお早いですが……」
「流石になにもしないのは申し訳ないので、なにかお手伝いできることはないかと顔を出してみたんです」
フィーネさまがどんなことでもお手伝いしますよと告げているのだが、護衛の人たちが『無茶はさせないでくださいね……!』と真剣な眼差しを俺たちに向けていた。
火傷なんて負えば一生残ってしまう傷となるかもしれない。いくら魔術が発展しているとはいえ、傷が消えない場合もあるのだ。そりゃ護衛の人たちの心配は当然である。とはいえフィーネさまたちの気持ちを固辞するのは、なんだか違う気がしてならない。どうしたものかなあと考えながら『少し待ってくださいね』と告げ、俺は鍋の蓋を開けて中を確認する。
「煮崩れしていないし、スープも白濁して良い感じ。黄色い脂の膜が張ってるし失敗はしてないか」
俺がうんと頷けば、フィーネさまがいつの間にか横に立って、鍋の中を覗き込んでいる。不意の展開に俺の心臓がドクンと音を立てた。距離がいつもより近い……女の子特有の柔らかく優しい匂いが料理の匂いを上書きする。いかんいかん、集中集中と鍋の表面を軽く崩して、蓋を元に戻した。
「本当に美味しそうですね!」
またフィーネさまがふふふと笑みを浮かべて俺を見上げる。楽しそうな彼女の姿に俺の頬が自然と緩んでいたのか、ユルゲンが俺の耳元で『エーリヒ、顔が緩んでいますよ』と小声で告げた。緩ませているつもりはないのだが、勝手に表情が綻んでいたようだ。人の目があるから気を引き締めて、俺はユルゲンと女性三人に豆料理のレシピを渡す。
「この中でなにか食べたい品はありますか? 時間が掛かる品は作れませんが、直ぐできるものなら作りますよ。と、少し失礼」
俺が差し出したレシピを彼彼女らに渡し鍋の前に立つ。何度か鍋の蓋を開けながら、表面を軽く崩すことを繰り返す。根気がいる作業となるが、だんだんと完成が近づいていると分かるし、待っている間に他のことができるので有難い。まだオーブンに入れなきゃいけないし、リクエストがあれば何品か作れる。後ろを振り返れば、フィーネさまとイクスプロード嬢と大聖女ウルスラは仲良くレシピを覗きこんでいた。
「こんなにたくさん」
「凄いですね」
「種類が多くて目を回してしまいそうです」
三人の言葉に俺とユルゲンは苦笑いを浮かべる。豆料理を知らないかとナイさまから問い合わせを受けて用意したレシピが、彼女たちが今眺めているものである。我ながらよく覚えていたなと感心する。
高校生の時は遊ぶ金欲しさに、大学生の時には学費と生活費を稼ぐためにアルバイトをしていた。一人暮らしを充実させるため飲食店のキッチンに立てるバイトを選んだことが、社会人になり、異世界人となって活躍するとは誰も思うまい。
「ゆっくり選んで貰って良いですよ。メインの料理は時間が掛かりますから」
俺は彼女たちに声を掛け、窯から鍋を降ろしてオーブンへと投入する。途中、取り出し覗き見れば、耐熱皿に移したカスレの表面がゆっくりと乾いて焼き色の皮を作っていた。俺はそれを壊して、またオーブンに戻した。あとは同じことを何度も、何度も繰り返すだけ。
「さて、そろそろ決まったかな?」
焼いている合間を縫って俺はユルゲンと三人がいる机の方へと歩く。何枚か机の上にレシピが並べられており、どれを候補にしようかと頭を悩ませているようだ。俺はユルゲンの隣に腰を掛け、対面にはフィーネさまとイクスプロード嬢と大聖女ウルスラが困り顔を浮かべ笑っていた。どうしたのかと俺が首を傾げると、フィーネさまが口を開く。
「エーリヒさまに作って頂ける機会は今後訪れないでしょうし、凄く迷いました…………! しかし、私の一存でコレに決めさせて頂きます!」
フィーネさまが意を決したように、数枚並べられたレシピの一枚に手を掛け俺の前へと差し出す。そのレシピは白いんげん豆のサラダと書かれていた。
「サラダ、ですか。手間も掛かりませんし、直ぐに取り掛かりますね」
俺が席から立ち上がれば、期待に満ちた視線を感じる。さて。サラダであるが、俺の書いたレシピにはツナが必要だ。とはいえ聖王国は内陸で手に入らない代物。ベーコンで代用してみるか。
赤玉ねぎ、キュウリ、レモンとオリーブオイルは用意できているし、塩胡椒とハーブもある。火を使わず、ぱっと作れるし、アルバトロス王国から持ってきていたドレッシングを使えば、いろんな味が楽しめる。あとはパンに塗るための白いんげん豆のディップも作っておいた。
本当は白いんげん豆の味噌汁やお浸しを作りたかった気持ちがあったものの、ユルゲンとイクスプロード嬢と大聖女ウルスラが同席している。なら口に慣れた品の方が良いだろうと、今日のメニューとなった。オーブンの中の様子を伺いつつ、サラダをぱぱっと作る。本当に白いんげん豆だらけの料理になったなと、作った俺自身が驚いてしまう。
「よし、完成」
さて。今日のおもてなしは女性が多い。盛り付けは目に鮮やかになるように気を使わなければ。しかし聖王国の食堂故か、お皿が地味なものが多い。うーんと悩んでいればフィーネさまとイクスプロード嬢と大聖女ウルスラが調理場の方へとやってきた。
俺は女性陣にどんな皿が良いかと問えば、各々が良さそうなものを選んでくれる。限られている中で可愛らしいものを選んでくるのは流石女性だなと感心しながら、俺は作った料理をよそっていく。
彩が寂しいなと急遽、トマトと葉物野菜を切ってサラダに添える。パンに塗るディップもブルーベリージャムやイチゴジャムを添えたので、少しはマシになったはずだ。豆料理の中にジャムがあるのは少し違和感を受けるが身内同士だから構うまい。
テーブルの上に並べられた料理にみんなが目を輝かせている。一人で作るのも楽しいが、俺が作った品を喜んで食べてくれる方が嬉しい。アルバイトは厨房から客席を覗く機会は滅多になかった。こうして直に様子が見て取れる経験は異世界へと転生しなければ叶わなかっただろう。
食べようとなって、誰が音頭を執るかとなる。みんなが俺に視線を向けているが、個人的には言い出しっぺのフィーネさまにお願いしたい。聖王国の大聖女さまだし、彼女が口にしなければ集まることはなかった。俺の声にフィーネさまは『わかりました』と言って、すうと息を肺に取り込む。
「それでは……――作ってくださった方と、食べ物に感謝して、いただきます!」
フィーネさまの口上は日本式だけれど良いのだろうか。まあ、アストライアー侯爵が口にしているから、俺たちも真似をしているで理由は整うのだが。それに二柱さまもナイさまを真似して『いただきます』と言っている。そのうちグイーさままで言い始めるのではないだろうかと考えているが、今はまだ。フィーネさまの声にみんなが続いていた。俺は嬉しそうにスプーンを持ったみんなに声を掛ける。
「まだ熱いので気を付けてくださいね」
はいとみんなが素直に返事をくれる。ナイさまであれば熱いからと言って少し冷めるまで手を付けないメイン料理であるが、みんなは平気なようでスプーンで掬って口に運んでいる。
「鴨肉が口の中で溶けていきますね!」
「ソーセージも凄く良い味です!」
「美味しいですね!」
女性陣三人が顔を柔らかくさせながら、二口目、三口目とスプーンを動かしている。ユルゲンはゆっくりと咀嚼して俺を見た。
「豆も肉に負けず、ちゃんと口の中で主張しています」
ふふふと笑うユルゲンに俺は良かったと安堵する。一応、豆が主役なのだから、豆について感想が欲しかった。俺も一口口に運べば、豆の甘い味と肉の脂身の美味さが口の中に広がっていく。流石女神さまがお植えになられた白いんげん豆と納得しながら、昨日作っておいた白いんげん豆のディップをパンに塗り、ぱくりと齧りつく。
「少し甘過ぎかな?」
味付けが甘い方によってしまったかと俺が目を細めると、フィーネさまもパンとディップに手を伸ばして口に運んだ。
「美味しいですよ。丁度良い甘さです!」
へらりと笑う彼女の好みに合っていたようで良かったと安堵しながら、みんなの手がどんどん進んでいることも確認した。どんどん減っていく料理にみんな満足してくれたようだと笑い、食事会が終わりを告げる。
機会があれば、また開きましょうと告げて部屋に戻ってベッドに寝転がった。やはり俺が作った料理を嬉しそうに食べてくれる姿を見るのは心が満たされる。領地貴族となったため、毎日作ることはできないが特別な日に俺が料理を振舞うことをしても良さそうだなと目を閉じるのだった。






