1483:無事のご帰還。
朝。陽が昇り、アストライアー侯爵領を目指すための車列が宿の前に並んでいた。俺たち護衛組は当主であるナイがくる前に起き、いろいろと準備を進めているところである。ナイは既に起きていて出発の準備をそろそろ終える頃だ。出発前の王都で彼女と朝の挨拶を交わした際に、顔を真っ赤に染めて俺たちの関係を少し進めたいという申し出があった。
少し進展したと言って良いだろう。
いや、相手がナイだから、凄く進展したと言っても良いのかもしれない。他人が見れば俺たちの関係は遅い歩かもしれないが、彼女を良く知る者としては随分と進歩したはず。クレイグとサフィールが話を聞けば『ようやくか。ナイは関係が変わることを嫌うよなあ』『ナイらしいと思うけれどね』と苦笑いを浮かべそうだ。
ただ意外だったことは、俺とナイだけの場で話をしなかったので、なにか前後不覚になるような切っ掛けがあったのかもしれない。なににせよ、俺的には嬉しいことである。ただナイに無理はさせられないから、いつも通りを心掛けるつもりだ。
車列に加わった新たな馬車を俺は見上げる。幌馬車の中には店から大量に買い付けた白いんげん豆が入っていた。俺は腰に手を当ててふうと息を吐けば、妹のリンが並び立つ。
「大量だな」
「ナイがこの領地の特産物を買い付けた話を領主が聞きつけたみたい。料理長、暫く頭を悩ませるかも?」
俺の声にリンが小さく笑って――他人が見れば無表情のままかもしれない――いる。侯爵家の規模を考えれば妥当な量かもしれないが、ナイが思い付きで買い付けたようなものだから料理長が頭を抱えそうである。昨日の夜に宿から提供された豆料理を甚く気に入っていたから、料理の再現をナイが料理長に願い出そうだ。確かにリンの言う通りだと片眉を上げていれば、厩から移動してきたおばあが俺たちを覗き込む。
「おばあ、どうした」
『ぴょえー』
俺の声におばあが一鳴きした。なにを言っているか分からないが、アストライアー侯爵邸に運び込まれた時から、おばあは大人しいし愛嬌を振りまいている。
おばあは他の護衛の者にも構うため割と人気がある。それを知った毛玉三頭も感化されて、護衛の者たちに愛嬌を振りまいていた。幌馬車に視線を向けているおばあはなにを考えて鳴いたのだろうか。俺はおばあの顔に手を当て撫でながら口を開く。
「中の物が気になるのか?」
俺の声におばあが右に首を傾げた。どうやら俺がなにを言ったのか分からないようだ。
「朝の挨拶じゃない?」
俺たちのやり取りを見ていたリンも右に首を傾げながら声を上げた。今のは挨拶だったのかと俺も首を傾げると、宿から勢い良く出てきた毛玉たちが俺たちの前でぎゅっと立ち止まる。
『おはにょ!』
『おばーも!』
『ちゅっぱつ!!』
ぶんぶんと尻尾を振りながら、カエデとツバキとサクラが元気に声を上げる。毛玉はいつでもテンションが高いと苦笑いを浮かべていると、ナイたちが宿の外へと出てきたようだ。
朝の早くから領地の者たちは外へと出ていて、彼女たちに気付いた者は『アストライアー侯爵だ』と声を上げ遠目から頭を下げている。ナイの黒髪黒目の容姿は目立つようで、ある意味アストライアー侯爵としての目印になっていた。
俺の隣にいたリンはナイの姿を認めて直ぐに身体を翻して、彼女の下へと向かっている。俺はおばあと毛玉に『行くか?』と声を掛けた。するとおばあと毛玉は行くと言わんばかりに頷いて俺の後ろを着いてくる。ナイは俺たちに直ぐ気付いて、身体をこちらへと向けて小さく笑う。彼女の後ろには二柱さまもいるのだが、新たに車列へと加わった幌馬車が気になるようだ。
「リン、ジーク、おはよう。おばあは朝から元気だね」
ナイは女神さま方のことは気にも留めず俺たちに声を掛ける。
「おはよう、ナイ」
「ナイ、おはよう」
俺たちが言い終えると、おばあが身体をずいとナイに近づけた。
『ピョエー!』
おばあが一鳴きすればナイは仕方ないという顔を浮かべながら頬を撫でていた。それを見ていた毛玉たちが『じゅるい!』『あたちも!』『にゃでて!』と次々に口にする。ひとしきりおばあを撫でたナイは地面にしゃがみ込んで毛玉たちにも触れている。ナイは先程、俺とどう話せば良いかと一瞬表情に出たが、おばあのお陰で難を逃れたようだ。
本当にナイは幻獣や魔獣に好かれやすい体質だ。預かっているグリフォンの卵四つは果たしてどんな仔が孵るのか。アシュとアスターとイルとイブはもともと二個の卵から孵った個体だ。もしかすれば一つの卵から四つ仔が孵るかもしれない、なんて予想している者もいる。なんにせよ、また騒がしくなるだろうなと俺は笑みを浮かべ、ナイたちが馬車に乗り込むのを確認したあと出発するのだった。
◇
アストライアー侯爵領に戻ってきた。
私たちが王都に滞在していた間、領主邸では特に問題は起きていないそうである。これから南の島にお出掛けするまでは、領地運営に精を出すことになるのだろう。デグラス領とミナーヴァ子爵領の様子も見たいから、ちょいちょい領主邸を留守にすることになりそうだ。馬車回りを降りれば、出迎えにクレイグとサフィールが顔を出していた。二人は最後尾の幌馬車に視線を向けて呆れ顔を浮かべている。
「どうすんだ、これ?」
「大量だね。こんなに豆を買い付けるなんて」
二人以外にも荷下ろしを担ってくれている人たちまで呆れていた。白いんげん豆を買い付けたけれど、大量になってしまったのには理由がある。
「領主の人が話を聞いたみたいで、ご好意で貰ったんだよね。お礼の手紙を認めないと……」
買い付け係の人が出掛けて戻ってきたあと店から領主の人へと連絡が入ったのか、せっかくならばと言われて白いんげん豆を追加で頂いた。私の所為じゃないよとクレイグとサフィールに視線で訴えるものの、二人の呆れ顔が晴れることはない。ふうと息を吐いたクレイグが私と視線を合わせた。
「料理長に食べた料理の再現をまた頼むなよ……」
「え……駄目?」
ジト目を私に向けたクレイグが私に苦言を呈す。
「駄目じゃねえけど頻度が多いと大変だろ。ちゃんと考えてやれ」
「まあまあ。ナイは調理場に立てなくなったんだから仕方ない部分もあるよ」
理由を告げるクレイグにサフィールが私にフォローを入れてくれた。教会宿舎時代のように台所に立てるなら、白いんげん豆料理を自分で再現しようとしたはずである。
ただ、今は侯爵家当主という立場を得ているため、なかなか厨房には入れない事情がある。もちろん強権を発動すれば料理できるけれど、私が怪我を負えば料理長さんたちに責任がいってしまう。自己責任だというのに世知辛い……と思ってしまうが、貴族社会がそうなっているのだから受け入れるしかないのである。クレイグとサフィールと私が話していると、おばあがこちらへとやってきてずいと顔を近付けた。
「甘えなあ……って、おばあ。顔、近ぇ!」
クレイグに顔を近付けたおばあは、彼の頭の上に顎を乗せてぐりぐりと喉を鳴らしながら首を動かしている。クレイグはおばあの力に引っ張られて身体がふらついていた。
『喧嘩は駄目だよーって』
クロが私の肩の上でおばあの代弁を担ってくれる。どうやらおばあには私たちが喧嘩をしていたように見えたらしい。
「喧嘩はしてないよ、おばあ」
「おばあは優しいね」
私とサフィールはおばあになされるがままのクレイグを見ながら目を細めた。私たちの声におばあがぐりぐり攻撃を止め、顔を上げて首を傾げる。
「俺に優しくしてくれ」
「頭、ぼさぼさ!」
クレイグがはあと盛大に息を吐くのだが、おばあのお陰で彼の頭は大変なことになっていた。それが面白くて私が笑っていると、屋敷の中に入ろうとソフィーアさまとセレスティアさまが声を上げる。おばあにまたねと告げ、私たちは護衛の人たちや屋敷の人たちにごくろうさまと戻りましたの挨拶をしながら執務室へと向かった。ジークとリンも合流して、サフィールとは途中で別れるのはいつものことである。
執務室に入るなり、家宰さまが笑みを浮かべて待ってくれていた。私が席に腰を下ろせば、家宰さまは持っていた書類を目の前に置きながら口を開く。
「おかえりなさいませ、ご当主さま。建国祭は如何でした?」
「少々、妙な方に絡まれましたが、問題なく処理できたのかなと。あとは例年通りですが……」
婚約者候補に名乗り出た方がいたけれど、変な絡み方をしていたので追い払いあとはアルバトロス上層部に預けたと家宰さまへ私は告げる。家宰さまは困った方がまだいるのですねえと呆れていた。
でもまあ、問題を起こしてくれた彼のお陰で私の意思が公表されたわけだから、結果オーライではないだろうか。オットーなんとか子爵家の皆さまには申し訳ないけれど。
「……昨年より顔見せの際にアストライアー侯爵家の名を口にする人たちが増えていた気がします」
本当に前年と比べて王都の人たちがアストライアー侯爵家の名を口々に上げていたのだ。そりゃもちろん陛下の名が一番多いけれど、歴史ある他家を差し置いて新興の侯爵家が目立つなんて……いや、新興だからこそ王都の人たちに目新しく映るのか。一緒に部屋にいるソフィーアさまとセレスティアさまが肩を竦め、家宰さまは私の顔色を見てくすくすと笑いながら口を開く。
「良いことではありませんか。知名度は貴族にとって大事なものですからね。これからも増えて欲しいものです」
「そうだな。忘れ去られるより良いではないか」
「グリフォンの卵が孵れば、さらにアストライアー侯爵家の知名度は上がりましょう」
ふふふと笑う家宰さまにソフィーアさまとセレスティアさまが相槌を打つ。そして家宰さまが『あとこちらを』と数枚の手紙を差し出した。私は家宰さまから手紙を受け取り裏面を確認する。
そこには亜人連合国とヤーバン王国とフソウ国とアガレス帝国の封蝋と印が付いている。最近、領地運営に徹していたから、ヤーバン王国以外に足を向けていないなあと私は目を細める。それぞれの手紙の内容も『遊びにきて』というものだから、時間を見繕ってお出掛けしなければ。
さて、夏までの期間はなにをしよう。私は家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに相談を始めるのだった。






