1478:ご本人登場。
どうやらオットー・シュトルツ子爵はナイさまの威光に有りつけないかと大真面目に考えているようだ。俺が男から話を聞くたびにジークフリードの顔が怒りで引き攣っている。
よくジークフリードはキレずにいるなと感心するものの、そろそろ話を聞いているのも限界だろう。周りの人たちの視線が多く刺さり始めているのだから。聴衆はオットー子爵がナイさまの話をしていること、俺とジークフリードがアストライアー侯爵家との繋がりがあることを理解している。妙な噂が流れても困るなと俺はオットー子爵に続きを話して、ナイさまの婚約者候補になれることはないと告げようとした時である。ジークフリードが肺から全ての空気を吐き出すように、長く長く溜息を吐く。
「シュトルツ子爵」
「おや。今まで黙っておられたガル男爵。如何なさいました? 私を彼女の婚約者候補として認めてくださるのかな?」
ジークフリードがシュトルツ子爵を冷めた目で見下ろし今にも殴り倒しそうな勢いがある。ジークフリードに殴られたなら、数メートル吹っ飛んで窓を突き破り庭へ飛ばされそうだ。シュトルツ子爵がそうならないことを願っていれば、ジークフリードが口を開く。
「差し出がましいようですが、ナイの婚約者の座を貴殿に譲る気などありません。お下がりください」
棘のある声を放つジークフリードが目を細めた。対してシュトルツ子爵は冗談を吹くなと言いたげにふんと鼻を鳴らす。しかしジークフリードが公的な場でナイさまの名を普通に出すのは珍しい。アストライアー侯爵と呼ぶべきところを名前で呼んでいるあたり、シュトルツ子爵に無駄な行動であると悟って欲しいようだ。まあ、目の前の男は気付いていないけれど。
「私が下がるというのであれば、便宜を図って貰わないとねえ」
にやりと口を伸ばしたシュトルツ子爵はナイさまのことを都合の良い道具としか見ていない。未だにアルバトロス王国の女性の地位は低いから、女性を利用しようと考える者が出てくるのはあり得ることだろう。しかし相手をきちんと見定めて欲しい。ナイさまに抜け道を使って手を出せば大火傷どころか、存在を抹消されてもおかしくはない。
「貴殿が我々に便宜を求めているなら、我々は貴方からなにを受けらるのでしょう?」
「さっきも伝えたが、資金に工作……できることであれば手を貸そうではないかと言っているよ」
女性の心を得るならお金が掛かること、侯爵位の人を相手にするならば更にお金は嵩むだろうとシュトルツ子爵は続けた。確かに爵位の高い女性を相手にするならば、お金の出費は相当に覚悟しておかなければならない。
でも、俺の資産はナイさまのお陰で増えているし、ジークフリードもナイさまに贈り物を渡す機会は常識的な範囲で済ませている。そもそもナイさま自身がドレスや装飾品に興味がないため、普通のご令嬢を相手にするより懐は痛まないはずである。シュトルツ子爵はジークフリードに思う所でもあるのか言葉を続けるようだ。
「ガル男爵は考えが硬い上に、侯爵閣下の婚約者の座を射止めたいようだ。随分と欲が深い」
シュトルツ子爵が肩を竦めて両手を腰のあたりで掲げて呆れている。だが周りの人たちは彼の態度に呆れているようだ。そろそろ本気で話を止めないと面倒なことになりそうだと、俺はジークフリードを見上げる。
「否定はしません。私は彼女のことを好いております。彼女が認めてくれるのであれば、婚約者の座を誰にも渡す気はないし、姑息な真似をして手に入れようなど考えてはいない」
良く言ったぞと褒めたいけれど、ナイさまにジークフリードの気持ちを何度も伝えているかと心配になってくる。ナイさまは恋愛に慣れていないようだから、彼女の気持ちに整理がつくまで待っているのもアリだけれど妙な方向に走らないかと気が気でない。それならジークフリードが強引にでも押して行った方が良い気もするのだが……人様の恋愛模様に口を出すわけにはいかない。だから目の前の男もなにもしないことが一番なのである。
「……こちらが下手に出ていれば好き勝手を」
ぼそりと呟いた今の声がシュトルツ子爵の本心を言い表しており、ジークフリードがぎゅっと拳を握りしめた。あ、不味いと俺がジークフリードとシュトルツ子爵の間に割って入ろうとした。
「エーリヒさま、ジーク。美味しい食べ物は……失礼いたしました。ご歓談中でしたね」
ナイさまが人混みを掻き分けて俺とジークフリードを見つけて声を掛けたようだ。運が良かったのか、悪かったのか、シュトルツ子爵の存在は今気付いたようである。
身内向けの笑みから外交用の顔に切り替えてナイさまが小さく目線を下げた。おそらくナイさまはシュトルツ子爵のことを全く知らず、俺たちの知人と判断しているはず。そして声を掛けられ、ナイさまと目線が合ったシュトルツ子爵は好機とばかりに笑みを作る。
「これは、これは、アストライアー侯爵閣下! 貴女に直接お会いできる日がこようとは!」
シュトルツ子爵の勢いにナイさまが、というよりは彼女の側にいる方たちが『なんだコイツ?』という顔になっている。ナイさまも片眉を上げているが、男を粗雑に扱えば俺たちの関係に皹が入るかもと耐えてくれていた。
しかしボルドー男爵閣下まで一緒に行動していたのは意外である。これでシュトルツ子爵は終わりを告げそうだなと目を細めていると、ジークフリードがナイさまとシュトルツ子爵の間に立つ。ナイさまはジークフリードが前を塞いだことで呆気にとられ、シュトルツ子爵は明らかにジークフリードを敵対視していた。
「何故、君が私と侯爵閣下の前を塞ぐ?」
シュトルツ子爵は先程までのおどけた声からドスの利いたものになっていた。そんなに怖くないから、ジークフリードも脅威と感じてはいないはず。
ただナイさまは目を丸くしてなにが起こっていると俺たちを注視していた。こういうところは凄く慎重なナイさまだから助かる。助かるんだけれど……凄く面白そうな顔をしているボルドー男爵さまが怖いし、ヴァルトルーデさまが嫌な空気を察しているのか眉を潜めていた。
ハイゼンベルグ嬢もヴァイセンベルク嬢もジークリンデさんも状況を訝しんでいるし、ジルケさまもなにか感じ取っていた。というかナイさまがジークフリードの邪魔をしないように気を使っているような……と俺の頭の上に疑問符が浮かぶ。そうして当事者であるジークフリードが厳しい圧を放ちながら、シュトルツ子爵を目線で射抜いた。
「私はアストライアー侯爵閣下の護衛を務めております。閣下に仇為す者だと判断すれば、当然、私は貴方を排除できる」
ジークフリードの声にナイさまがなにが起こったと渋い顔になり、ボルドー男爵閣下が『やっても構わんぞ』と言いたげだ。丁度、宰相補佐殿が慌ててこちらにやってきたので、俺は壇上の陛下に視線を向けた。
陛下と賓客として招かれているリーム王とヴァンディリア王とフィーネさま、そして筆頭聖女と筆頭聖女補佐であるフライハイト嬢とリヒター嬢がこちらに心配そうに見ていた。陛下は胃の辺りを抑えているので、こちらでなにが起こっているのか安易に想像できているようだ。
「しかし今の君は閣下の護衛の任を外れている。越権行為ではないかね?」
「え、そうなの?」
シュトルツ子爵の声にナイさまがジークフリードに問いかけた。するとボルドー男爵さまがぶふっと吹きながら『空気を読め』と言いたげにナイさまの方を見ている。ただ公爵位を辞している彼は口を出す気はないようだ。
「教会の専属護衛騎士となったあの日から、一時たりとも閣下の護衛の任を外れたつもりはありません」
ジークフリードがナイさまの方に視線を向けて割と重い台詞を告げた。ナイさまは少し照れ臭そうにしているが、今の言葉にジークフリードの気持ちが詰まっているとは気付いておらず、単に忠実な騎士だと嬉しくなっただけのようだ。
ナイさまジークフリードの凄く重い気持ちに気付いてあげてくださいと俺は叫びたくなるものの、重い気持ちを受け取るにはナイさまくらいの鈍感さが必要だろうか。むーと俺が唸っているとナイさまの後ろで控えていたジークリンデさんがジークフリードの隣に立つ。着飾った背の高い双子の兄妹が並ぶと華があるようで、周りの人たちがおおと色めき立つ。
「兄さん、排除して良い? 嫌な感じがする。ナイに近づいて欲しくない」
ジークリンデさんがジークフリードの方をチラリと見て、シュトルツ子爵に視線を向け直す。
「少々、いや随分と今の言葉は私に対して失礼ではないかな? 私は子爵位、君は男爵位の身。爵位の違いも分からぬ女が男の私に盾突くつのかな?」
確かに爵位で物事を図るなら法衣男爵位であるジークリンデさんが領地持ちの子爵位である男に盾突くのは無礼と言われても仕方ない。だがアストライアー侯爵の、ナイさまの側で護衛を務められる実力を持っていることをシュトルツ子爵は綺麗さっぱり忘れ去っている。
「爵位も性別も関係な……――ナイ?」
「先程から話を聞いていれば、わたくしのジークフリードとジークリンデに貴殿は随分と失礼な態度を執っておられます。直ぐに立ち去って欲しいものですが、貴方の目的を教えて頂きたい」
ナイさまがジークフリードとジークリンデさんの間を縫って前に出る。ぼんやりとナイさまの身体の周りが光っており、腰元の錫杖が『またご当主さまが感情に流されております。やれやれです』と呟いた。シュトルツ子爵は目的の人物が引っ張り出せたことに喜んではおらず、ナイさまの雰囲気に飲まれているが目的を問われたためどうにか気を引き締める。
「私はアストライアー侯爵閣下の婚約者候補に名乗り出たいのです。どうか私の気持ちを受け取って頂けないでしょうか?」
大仰に語るシュトルツ子爵の声は会場に響き渡っていた。陛下方、壇上にいる高貴な方々は頭を抱え、女性陣は『あり得ない』という表情になっている。周りの人たちも田舎者の子爵がなにを言っているのだと呆れた顔になっていた。
ボルドー男爵さまは『こんな小者がナイの相手を務めることはできないだろう』と言いたげであるし、二柱さまと側仕えの二人も同様の気持ちを抱えているようである。そして宰相補佐殿の顔が青褪めていた。ナイさまはなにを考えているのか分からないが、黙り込んでいるので言葉を選んでいるのだろうか。しばしの沈黙のあと、ナイさまがゆっくりと口を開く。
「貴方が候補に名乗り出たところで婚約者の座は射止めらないでしょう。諦めてください。それより、先程の貴方の態度をジークフリードとジークリンデに謝罪をして頂けませんか?」
ナイさまがジークフリードとジークリンデさんの方へと視線を向けた。双子の兄妹はナイさまに首を緩く横に振る。
「必要ありません、閣下。今後、関わることはありませんので」
「同じく。謝罪をされても受け取りません」
二人の返事にナイさまが小さく息を吐く。ジークフリードとジークリンデさんが謝罪を拒絶した時点でシュトルツ子爵とは関わりがないし、これから先ナイさまとシュトルツ子爵が交わることはない。しかしこれ。きちんとナイさまの婚約者を公表しなければ、シュトルツ子爵のような人がまだまだ出てきそうだと俺は呆れてしまうのだった。






