1474:花盛りの若人よ。
王都の街はアストライアー侯爵領領都と比べると規模が大きいし、住んでいる人の数も多い気がする。その証拠、と言ってはなんだけれど、広場に出でいる店の数は多くいろいろな品を売っている。行きかう人たちも所せましと移動をしていて、なんだか忙しない。
お昼過ぎ。私はテオさんの後ろ姿を眺めながら、王都の広場の中を突き進んでいた。時々、大人の人にぶつかってしまい『すみません』とか『ごめんなさい』と口に出してしまうのは、私が大きな街に慣れていないためだろう。テオさんは人混みの中だというのに、上手く身体を使って避けている。ちょっと羨ましくて真似をしてみたけれど、慣れていない私には無理なことのようで、また誰かとぶつかってしまう。
「糞餓鬼、なにしやがんだ! 痛てーだろうがっ!」
「ごめんなさい」
ついに怒ってしまう人に当たったようである。と言っても人を選んで目の前のガタイの良い男の人は選んで声を上げているようだけれど。
謝罪で納得して貰えたら良いけれど、今の剣幕から察するになにか目的がありそうだ。私の目の前でしかめっ面を披露している男の人は、なんとなく貧民街にいた悪い大人と同じ目をしている。
騒ぎが大きくなればご当主さまに迷惑が掛かってしまうかも……あ、いや。目の前の男の人が逆に被害を受けそうなので、面倒事から逃げられれば良いのだが。私一人であれば有無を言わさず走って逃げるけれど、今日はテオさんと一緒に遊びにきている。彼とはぐれると違う面倒になってしまうと私が悩んでいれば、少し前を歩いていたテオさんが後ろを向き視線が合った。
「あー連れがすんません! それじゃあ!」
テオさんは近づくなり声を上げて、私の右腕を取って人混みの中を駆けて行く。私も彼に引っ張られて凄い勢いで景色が流れていた。こんなに走ったのは久しぶりだと懐かしい気持ちに浸っていれば、人が行きかう中から少し外れた場所でテオさんが足を止める。ふうと息を吐いたテオさんは私を視線を合わせた。
「アンファン、大丈夫か?」
「人が凄く多くてぶつかってしまって。すみません」
ふうと小さく息を吐いた彼に私は正直に答える。王都の街に連れ出してくれたというのにテオさんに迷惑を掛けてしまっていた。つい下を向いて謝ると、テオさんが顔を上げろと声を出す。
「気にすんな。広場の噴水の所で妹と落ち合うから、もう少しだけ耐えてくれ」
「はい。でもテオさんは凄いですね。こんなにたくさんの人混みの中をスイスイ歩けるなんて」
片眉を上げるテオさんに私は正直な気持ちを吐露すれば、彼は顔を横に背けて照れ臭そうに言葉を紡ぐ。
「あー……まあ、人が多いことに慣れていた方が得したからな。孤児は特に」
頭を後ろ手で掻きながら彼は目を細めていた。テオさんも貧民街出身だと聞いている。きっと王都の街で生き抜くためにやってはいけないことに手を染めていたのだろう。
私だって元居た国の貧民街で過ごしていたことがあるから、いろいろ悪いことをしていた。だから彼を責められないと、私は妹さんを待たせては悪いと先を急ごうと急かした。テオさんは私に行くかと声を上げ、頭を掻いていた反対側の手を差し伸べる。
「嫌なら良いんだけどよ、はぐれたら困るだろ」
顔を少し赤く染めながらテオさんに私はじっと見つめてしまった。違う、そうじゃないとはっとして、私は嫌ではないと証明するために直ぐに口を開いた。
「えっと、じゃあ。失礼します」
「お、おう」
私の声にテオさんが少し硬い声色で答えてくれる。重ねた彼の手はごつごつして私の手より大きい。ユーリの手の温かさとは違うし、他の人の手の温かさとも違った。
どうしてだか胸がドキドキして煩いけれど嫌な感じはしない。胸の音が煩い時は今まで嫌なことばかりが起きていたのに……今は本当に不思議な感じだ。テオさんは私の手をじっと見たかと思えば、ふいと顔を噴水の方へと向けて身体も足も動かしている。テオさんが前を歩いて人混みを掻き分け、私がその後ろを歩く形だ。さっきと状況は変わらないのに、手を繋いでいるだけですいすいと人混みの中を歩いていける。
なんだかそのことが不思議で面白くて、私の口から勝手に笑みが零れていた。
少し憂鬱だった人混みも、楽しく歩いていることに気付いて暫く。テオさんが私の方へと振り返る。
「見えたぞ。あれがアルバトロス王都で一番大きい噴水だ」
何故かテオさんが口を伸ばして自慢気な顔になっていた。そうして彼は前を向いたので、私も倣って前を見れば大きな噴水が視界に入る。まだ人混みの中だから噴水を全部捉えることはできないけれど、王国の歴史の中で活躍した騎士の彫刻が施されており、肩に抱えた水瓶から綺麗な水が流れ落ちていた。
「凄い……」
本当に巨大で立派な噴水だ。私は噴水を見上げていると、テオさんが通行の邪魔にならないところに移動してくれて足を止め横に並んだ。
「だよな。アルバトロス王国の歴史の中で一番活躍した騎士だって聞いてる。その人の手に掛かれば魔獣や幻獣だって簡単に倒せるらしい」
テオさんによれば彫刻の騎士はアルバトロス王国で暴れる魔獣や幻獣が現れれば、颯爽と駆けつけて倒したそうである。本来、暴れる魔獣や幻獣は国や領地の騎士団を大勢集めて、どうにか倒すしかないそうだ。
アストライアー侯爵邸のヴァナルさんと神獣さまと毛玉たちに、エルとジョセとルカとジア、そしてジャドたちは凄く温和で私にも優しい。そのイメージが強いのか魔獣や幻獣が暴れると言われてもピンとこない。どちらかと言えば人間の方が暴れているのではと疑問を抱いてしまう。しかし目の前の大きな騎士の像は大きな身体に立派な鎧を身に着けている。
「侯爵家の騎士の人より強そう」
「む。ジークフリードさんとジークリンデさんも魔獣や幻獣を倒せそうだけどな。あとフソウのご老体。あの人たちもすげーし、他の人たちもすげーんだからな!」
私がぽつりと零した言葉にテオさんが口を尖らせながら腕を組んだ。繋いでいた手が離れてしまい、手に灯っていた温かさが消えていく。
テオさんが言ったとおり、邪竜殺しの英雄と二つ名を持つジークフリードさんとジークリンデさんなら強いのだろう。フソウ国のお爺ちゃんたち――偶に会って、マッチャとフソウのお菓子をごちそうしてくれる――は良く分からない。アストライアー侯爵家に勤める侍女の人たちによれば『ご当主さまたちは強いけれど、騎士の人たちの質は他家と変わらない』と言っていた。テオさんは警備部の人たちに揉まれているから、騎士の方たちへの思い入れが強いのかもしれない。なんだか彼の言葉が同じものが並んでいるから。
「テオさんは?」
私が片眉を上げながら問えば、テオさんが少し慌てた様子を見せた。
「お、俺はまだまだだけど絶対に強くなる。いつかレナが自分の店持てるようにしてやりてえしな」
「私もユーリの侍女を目指して頑張らないと。他の人には絶対に譲りたくないですから」
テオさんは将来に向けての目標があるようだ。妹さんを凄く大事にしているようで、真面目な顔で私に教えてくれた。それなら私も答えないと不公平かなとユーリの侍女になる夢を口にする。彼は少し驚いた顔をしたあと、目を細めながら笑みを浮かべる。
「なら、お互いにちゃんと学校卒業しねーとな」
「そうですね。まだ先は長いですけれど」
テオさんに私は笑みを返せば、人混みの中から『兄さん!』と高い声が響く。なんだろうと私が顔をそちらに向ければ、小柄な女の子が私たちの方を目指して歩いてくる。その女の子はどこかテオさんの面影があった。流石兄妹と感心していれば、テオさんがぼりぼりと頭を手で掻きながら声を上げた。
「レナ、慌ててくると転ぶぞ!」
少し大きな声だったけれど、喧騒の中で誰も気にする人はいない。こちらまで歩いてきた女の子はにっと笑って私と視線を合わせる。テオさんは所在なさげに明後日の方へと顔を向けていた。
「子供扱いしないでよ、兄さん。あ、兄がお世話になっております。妹のレナです」
「お誘いありがとうございます。テオさんと同じ屋敷で働いているアンファンです。今日はよろしくお願いします」
お互いに名乗りを上げてどうもどうもと頭を下げる。あまり年齢相応のやり取りではないのは、お互いに貧民街で生きていたからだろうか。なににせよ、レナさんはニコニコと明るい子だと私が笑みを浮かべていると、テオさんが少し呆れた顔を浮かべてこちらに視線を戻していた。
「そういや、俺たち相手に堅い言葉使いなんていらねーだろ。俺、普通に喋ってるし。アンファンも普通に喋って良いんだぞ?」
「それは……そうなんですが……」
どうしよう。テオさんの声掛けは嬉しいけれど、お屋敷での生活が長くなって今の喋り方が身に付いてしまった。周りの方たちの喋り方も柔らかいものだし、以前のような喋り方に戻すのは少し気が引けるというか。私が迷っているとレナさんがなにかを察したのか、私とテオさんの間に割って入る。
「まあまあ。アンファンさんも、兄さんもそんな顔しないで! 折角のお祭りなんだから楽しまなきゃ! 時間が勿体ないし、行きましょ! ほらほら!!」
レナさんがそう言いながら、腕に腕を絡ませて私とテオさんを引っ張って雑踏の方へと進む。レナさんが目指しているのは広場に集う露店の場所だろう。レナさんの勢いに引っ張られて、私の顔が勝手に緩む。テオさんも勢いの強いレナさんを見て苦笑いを浮かべつつまんざらでもない様子だ。そうして食べ物屋さんがたくさん並ぶ区域に差し掛かると自然と足が止まっていた。レナさんがなにか食べたいものはありますかと口にして、私はなにが良いだろうかと迷う。
せっかくならみんなと一緒に食べれる物が良いよなとか、珍しそうな食べ物はないかなとか、ユーリでも食べられそうなものを見つけて美味しければ再現したいなとか考えていれば、テオさんが溜息を吐いた。私とレナさんが不思議な顔をしながらテオさんを見れば、ふっと彼が小さく笑う。
「二人とも、飾り物とかには興味が湧かねえのな。子供だなあ」
「兄さんも人のことは言えないでしょ? いつも、食べ物屋さんは一番に寄る場所じゃない」
ふふんと笑っていたテオさんがレナさんの暴露によって、今言わなくても良いだろというような顔になっている。本当に兄妹仲が良いなあと私が笑っていると、二人が『笑うなよ』『笑わなくても良いじゃないですか!』と私の方に意識が向く。
私はやはり二人は仲が良いと笑って『串焼き食べたくないですか?』と声を上げれば、テオさんとレナさんは『肉か』『お肉、良いですね!』と賛同を得ることになる。何度か屋敷の人たちにお祭りに連れて行って貰ったことがあるけれど、今日のような規模のお祭りは初めての経験だ。他にも寄ってみたいところがあるけれど、テオさんとレナさんが行きたいところも気にしないと。
初めてレナさんと会ったけれど、人懐っこい彼女は私にいろいろと声を掛けてくれ、テオさんが突っ込んだりと凄く楽しい。こういう関係を誰かと築けるなんて夢にも思っていなかったから少し感傷に浸ってしまいそうだ。
でも、お祭りの楽しい空気を壊してはいけないと、ぐっと我慢をして二人といろいろなお店を回る。そうして時間が過ぎて行き、陽が傾き始めた頃だった。
公園の出入り口付近で人だかりができていた。なにがあるんだろうとテオさんとレナさんと私が首を傾げていれば、ご当主さまがお城に向かうため馬車が目の前の道を通るという話が聞こえた。その話を耳にしたレナさんが凄く良い顔をして、少し待ってみようと提案をする。私とテオさんはご当主さまと顔を合わせたことがあるし特に気にならないけれど、レナさんは公爵家の車列を見てみたいようだ。
暫くの間、道の端で待っていればパカパカと馬の蹄の音が聞こえ始め、集まっていた人たちの声が更に騒がしくなる。そして煌びやかなアストライアー侯爵家の馬車が目の前を通り抜けて行く。ご当主さまは窓から集まった人たちに手を振っていた。ご当主さまはユーリの部屋で会う抜けた雰囲気ではなく、真面目な雰囲気を携えてたので私は凄く驚いた。
「侯爵さまだ! 助けられた時のこと覚えていないんだよね……ちょっと残念」
車列を見たレナさんが嬉しそうな顔をするけれど、直ぐに馬車は目の前を通り過ぎて行ったため残念がっていた。
「レナがまだ、弱っちい頃だったからなあ。俺たちは本当に運が良かった。しっかし、本当に王都の人たちがすげー集まってるな……ご当主さま、こんなに人気がある方だとは」
テオさんが周りをきょろきょろと見渡せば、先程よりも人が増えていた。そして侯爵家の馬車が過ぎていったことを口々に語りあっている。私はテオさんの意見にうんうんと頷いていれば、レナさんが目を吊り上げた。
「なにを言っているの、兄さん! 創星神さまの使者を務めた方なんだよ! 凄く、すっごーーーく、騒ぎになったんだからね!」
レナさんは物凄い剣幕でテオさんに突っかかると、抑えろと彼が妹さんを宥めていた。あまり実感はないけれど、ご当主さまは本当に凄い方なんだなあと改めることになる。
でも。やっぱり、ユーリの部屋でなんとも言えない顔で笑っているご当主さまが、本当のご当主さまだろうなあと私は遠くなる馬の蹄の音を聞きながら、テオさんとレナさんに違うお店に行ってみようと声を掛けるのだった。
そういえばヴァルトルーデさまとジルケさまは同乗していたのだろうか?