1472:RE・建国祭。
建国祭、当日。
ミナーヴァ子爵邸で屋敷のみんなと朝食を摂り終え侍女養成校へ向かおうとしていた時、管理人の人に私とテオさんが呼び止められた。ご当主さまからだと小さな袋を渡され、中身を確認すればお金が入っていた。
露店の高くない商品を二つ三つ買えるくらいの金額で、驚くほど高いというものではない。どうしてご当主さまからお金を頂くのかと、二人してなんでと首を傾げていれば管理人さんが『お金がなければお祭りは楽しめないから渡して欲しい』とご当主さまにお願いされたそうである。
良く晴れた空の下、子爵邸の馬車回りでテオさんと並んで馬車がくるのを待っていれば渡された袋を見つめながらテオさんが口を開く。
「ご当主さま、俺たちに気使い過ぎじゃねえか?」
「ですよね。建国祭を楽しんでこいって、お小遣いをくれるなんて」
お互いに視線を合わせて肩を竦めた。私もテオさんもご当主さまに助けられた身となる。ご当主さまは忙しく用事がなければ会えない――私はユーリの部屋で頻繁に顔を合わせていたけれど、これは例外――けれど、私はサフィールさんにたくさん気に掛けて貰っていたし、テオさんはジークフリードさんとジークリンデさんが面倒を見てくれていた。
時々、お伺いの手紙も届いて返事をしているけれど、なんだか家族とやり取りをしているみたいで照れ臭い。サフィールさんは託児所の子の面倒を見ているだけと捉えているかもしれない。でも、こうして気に掛けてくれる人というのは、大事にしなくちゃいけないのだろう。貧民街で過ごしていた時、誰も助けてくれなかったのに、今では屋敷の人たちが手を差し伸べてくれる。
テオさんも私と同じ気持ちのようで、次にアストライアー侯爵領に戻る時に持って行くお土産を何にしようかと相談している最中だ。屋敷のみんなはなにを持っていけば喜んでくれるだろうか。
ご当主さまが各地からお土産をたくさん持ち込んで、私たちにも分けてくれるから私とテオさんが持ってきた物に興味を示してくれるか不安だけれど……お菓子とかが無難だろうか。うーんと悩んでいれば、テオさんが私を見ていた。どうしたのかと彼と視線を合わせると、片眉を上げながら口を開く。
「アンファンは今日、どうすんだ? 半日で終わるんだろ?」
「お屋敷に戻るだけですよ」
今日は建国祭のため侍女養成校も騎士訓練校も半日授業で終了する。午前の授業もいつも通りではなく、建国を祝う式が執り行われるだけだ。
午後からは自由時間となって、多くの人が王都の街に繰り出して好きに過ごすという。私は特に欲しいものもないし、屋敷に戻ってゆっくりしようと考えている。私の答えを聞いたテオさんが『ええ』と呆れた顔になった。テオさんの感情の流れは凄く分かりやすい。
「どうしてそんな顔するんです……」
私に無言で友達いないのかよと言われた気もするから少しだけ抵抗しておいた。するとテオさんは呆れた顔からいつもの顔に戻っている。
「いや、ご当主さまからせっかく金貰ったんだし街に出てみねえ? 俺の妹も一緒になるけど、露店で飲み食いしてみようぜ。一人じゃつまんねーし、危ねえからな」
テオさんが後ろ手で頭を掻きながら、最後の方はそっぽを向いていた。けれどそれは妹さんとの約束を勝手に変えてしまっている気がする。
「妹さんとの時間を邪魔しちゃ悪いですよ」
「一人連れが増えるかもって前に伝えてるから気にすんなよ」
私の声にテオさんが下へ視線を戻していた。どうやらテオさんは前々から私を誘おうとしてくれていたようである。もしかして私が侍女養成校で友達ができないことを知っていたのだろうか。サフィールさんしか知らない情報だけれど、ご当主さまに伝わっている可能性もある。どうなんだろうと悩んでも仕方ないし、せっかく誘ってくれているのだから断るのは悪い。
「えと、じゃあお言葉に甘えて。お邪魔します」
「おう。あー……じゃあ、またあとでな」
私が頭を下げて顔を上げると、テオさんが軽く手を挙げて丁度やってきた馬車に乗り込んだ。私ももう一台の馬車に乗って侍女養成校を目指して貰う。
商業地区の端っこにある侍女養成校前には数台の馬車が停まっている。お貴族さまの子女か、お貴族さまの紹介で入ってきた方たちの馬車であり、彼女たちも屋敷から通っているのだ。平民の家から通う人たちは乗り合い馬車が養成校までの移動手段である。あとは宿舎生活の人たちで、彼女たちは歩いて養成校に向かう。ちなみに騎士訓練校は侍女養成校の真逆の位置にあり、不要な男女の接触を避けるために侍女養成校とは離れていると聞いた。
私は御者の人にお礼を告げると、昼に迎えにくると言い残して馬車が屋敷に戻って行く。私は養成校に向かおうと足を動かし、校門のところに差し掛かれば隣に誰かが並ぶ。
「アンファンさん、おはようございますわ」
「おはようございます」
私に声を掛けてくれたのは、入学前に顔見世のために集まった人のうち一番最初に声を上げた人であった。貴族の方なので、私は粗相はできないと背筋を伸ばす。
「本日は建国祭。王都の街は大変盛り上がりますので、街に出る際は十分お気を付けを」
隣に立つ彼女は午後から王城で開かれる、陛下方の挨拶に向かうとのこと。アルバトロス王国の陛下の人気は絶大で王都のほとんどの人が一目見ようと、王城前広場に集まるとか。スリがいるので油断をしてはなりませんよ、と彼女が教えてくれる。
「はい。ご心配、ありがとうございます」
「……わたくしの喋り方もあるのかもしれませんが、もう少し気楽に喋って頂いても宜しいのでは?」
私が小さく頭を下げれば彼女は片眉を上げながら妙な顔になっている。
「平民と貴族の人とでは違いますので……」
私は今の喋り方が普通になっているから、彼女と普通に話すと言ってもどうすれば良いのだろう。授業も一緒に受けているので、彼女にはなにかと気に掛けて貰っている。
共同作業がある場合、一緒にやりませんかと言われて私を輪の中に加えてくれるのだ。私がアストライアー侯爵家の関係者とバレているのかもしれないが、彼女は一度も便宜を図って欲しいとか、なにかを要求してこない。分かりやすい人は顔に書いてあるし、擦り寄ってくる人もなんとなく分かる。彼女にはソレはないけれど、でもやはり貴族の人と平民とでは違うはず。
「わたくしは確かに貴族籍に入っておりますが当主ではありませんわ。それに婚約者もおりませんしね。気楽なものです」
ま、婚約者がいたならばわたくしは王立学院の方へ通っていましたわね、と彼女が言葉を付け加える。ふうと彼女は肩を竦め、校舎に入りましょうとまた声を上げる。おはようと声が響く正面道を歩いて校舎の中に入って教室へと彼女と一緒に向かう。
「おはようございますわ」
「おはようございます」
彼女が先に教室に入り、私も後に続く。既に登校している人が何人もいて教室内は仲の良い人たちでお喋りに興じている。おはようの挨拶が飛び交いながら席に就いて、鞄の中身を取り出し机の中に仕舞い込む。
侍女養成校だけれど、アルバトロス王国の歴史や周辺国のことも学ぶため座学も多い。あとは着替えの介添えの練習とか刺繍のやり方に繕い物、給仕の方法にとたくさんのことを学ぶ。初めて学ぶ人もいるため、予習復習をしている人との差が出ることもある。そういう時は助け合うのが養成校の方針なのだそうだ。
早くしろと顔に出ている方もいるけれど、教室内で一番爵位の高い先程の彼女が諫めている。なので私の教室は割と平和なのだろう。隣の教室はギスギスしていることがあるようで、お手洗いで泣いている子を見たことがある。
私はどうすれば良いのかわからなくて、見て見ぬ振りをしてしまった。次に同じ場面に遭遇すれば、声を掛けることができるだろうか。問題は解決できないけれど、話を聞くだけでも気持ちが落ち着くかもしれない。
鐘の音が鳴り、授業の始まりを示めされた。
今日は講堂で、建国祭の祝意を上げて授業は終了だ。登校した意味はあるのだろうかと言いたくなるけれど、毎年こうしているそうだ。他の教育機関も同じと聞いたので伝統になっているらしい。最後に訓練校校長の挨拶で閉められ講堂から教室に戻って、ホームルームを行い解散となる。またワイワイガヤガヤとする教室で、私はふいに声を拾い上げる。
「アストライアー侯爵も午後の顔見世に参加なさるそうですよ! 一目見られるかしら!?」
「炊き出しと治癒院にも顔を出されると聞いておりますから、今から教会に赴けば間に合うのではないでしょうか!?」
盛り上がる声が私の耳に自然に届いていた。昨日、ご当主さまと会った身としては複雑な気分である。確かにご当主さまはお可愛らしい人だし、屋敷の人たちへの対応も優しいと聞く。
盛り上がっている人たちは夢に出てきたご当主さまに憧れているから、本物のご当主さまとはイメージがかけ離れているような。私たちを気に掛けて、お小遣いをくれる人だと彼女たちが知れば幻滅するだろうか。
彼女たちの声を聞きながら、私は屋敷に戻る準備を進める。机に仕舞い込んでいた教科書を取り出して、鞄の中に丁寧に入れ込んでいると朝、私に声を掛けてくれた人が席の前に立つ。彼女を私が見上げれば笑みを浮かべる。
「アンファンさん、また」
「はい。さようなら」
私が声を上げると、片眉を上げて彼女は礼を小さく執って教室を去って行った。私も帰ろうと席を立ち上れば『ああ、アストライアー侯爵さま!』という声が聞こえてくる。教室を出て廊下を歩きながら、私は大丈夫かなあと一抹の不安を覚えるのだった。
それから校舎を出て校門に辿り着けば、迎えの馬車が既にきてくれている。私は御者の人に声を掛け、馬車に乗り込みミナーヴァ子爵邸へと戻る。テオさんも同時に戻ってきたようで、玄関ホールで鉢合わせした。
「おう、アンファン。おかえり」
「ただいま戻りました。テオさんもおかえりなさい」
お互いに声を上げて、養成校でご当主さまが話題になっていたと言えば、騎士訓練校でもご当主さまの名前が挙がっていたそうだ。どうやら騎士を目指す彼らもご当主さまに一目会ってみたいそうである。
願わくば侯爵家の騎士になりたいと。そういえば養成校でもアストライアー侯爵家の侍女になれないかなあ、なんて口にしていた子がいた。伝手がない限り難しいと聞くから、本当に運がないと駄目だろう。騎士になるにも伝手が必要になるから、こちらも茨の道なのだとか。
「じゃあ、昼飯食って、外に出てみようぜ」
「はい。楽しみです」
照れ臭そうなテオさんに私は笑みを返す。妹さんと会うのは初めてだけれど、仲良くなれると良いなあと窓の外を見上げれば、お陽さまの光がさんさんと窓に降り注ぐのだった。