1470:庇護。
自室に戻って時間まで休んでいるとジークとリンが部屋に顔を出した。二人は外で護衛の任に就いていたというのにほぼ疲れていないそうである。私は馬車の揺れで少々身体が疲れているのに、どうしてそっくり兄妹は平然としているのやら。
毛玉ちゃんたちもおばあと共に侯爵領から王都まで歩いていたわけだけれど、まだまだ元気が有り余っている。マジで体力お化けだよなあと感心しつつ、私は籠の中でちょこんと座るクロの方へと顔を向ける。
「クロは疲れていない?」
『ボクは馬車に乗ってただけだから、全然疲れていないよ~』
どうやらクロも全く疲れていないようだ。
「馬車の揺れ、キツくなかった?」
『揺れてたかな?』
馬車の揺れの影響はないのかと聞いてみれば、あまり気にならなかったようである。
「ちょっと羨ましい」
『こういうところ竜は鈍いからね~』
竜の方たちは小さな地震も気にしないそうで、馬車の揺れも平気なのだとか。私が目を細めるとクロが籠の中から飛び立って肩の上に止まる。長い尻尾をテシテシ動かして、執務室に行こうと促してくれた。
私はジークとリンに行こうと告げて移動を開始した。広くて長いタウンハウスの廊下であるが、侯爵領の領主邸より狭い気がする。王都のミナーヴァ子爵邸の廊下も広くて長かったけれど、侯爵邸と比べるのは可哀そうなレベルだから本当に爵位の違いであからさまな変化である。
執務室に辿り着き部屋の中に入れば、クレイグが私たちを待ってくれていた。ソフィーアさまとセレスティアさまも先にきていたようで、何故かヴァルトルーデさまとジルケさまも顔を出している。二柱さまは休憩時間中はおばあたちと遊んだのちに、ちょっと飽きたとクレイグの家宰さま代理の姿を見届けにきたとのこと。クレイグは少し恥ずかしそうだけれど、女神さまにはなにもいえないようだ。
「お待たせして申し訳ありません」
私が部屋に入るなり口を開いて、当主の席に腰を下ろす。ジークとリンは壁際に控えて護衛を務めてくれるようだ。ソフィーアさまとセレスティアさまはクレイグの補助役で、ヴァルトルーデさまとジルケさまは見守り役らしい。あとでアリアさまとロザリンデさまもきてくれて、教会のタイムスケジュールを教えてくれる手筈になっている。クレイグが私の斜め前に立って、ごほんと咳払いをする。
「では、ご当主さま、打ち合わせを行いましょう」
「よろしくお願いします」
なんだかクレイグの敬語が新鮮だけれど、お仕事なので我慢をしなければ。ただヴァルトルーデさまとジルケさまは面白そうな視線をクレイグに向け、彼は彼で二柱さまに『揶揄わないでください』という視線を向けている。
「朝から教会に赴き、昼までは時間を消化します。午前中の動きは筆頭聖女さまと筆頭聖女補佐さまに内容の確認をお願いしております。昼食を教会で済ませたのち、アルバトロス城で陛下との謁見、王都の方々への顔見せ、夜は夜会に参加する手筈です」
クレイグが明日の予定を読み上げてくれる。午後からの予定は昨年も過ごしているため、大体把握しているので凄く箇条に説明されている気がした。クレイグも理解してのことだろうし、ジークとリン、そしてソフィーアさまとセレスティアさまも把握しているので誰も突っ込まない。
唯一、楽しそうな雰囲気を醸し出しているのがヴァルトルーデさまだ。私の侍女に扮して参加するようだけれど、果たして一体、何人の方に彼女が西の女神さまだと露見するだろうか。
今度はクレイグが移動ルートや時間を教えてくれる。大体、例年通りだなという感想を抱いていれば、誰かが部屋の扉をノックする。リンが一番近くにいたため、直ぐに対応してくれた。訪れる方は限られており確認しないまま入って貰って構わないものの、こういうものはキチンとすべきなのだそうだ。リンが確認を取って、私の方へと戻ってくる。
「ナイ。筆頭聖女と筆頭聖女補佐がきた」
「入って貰って」
リンと私のやり取りにクレイグが『名前くらい言ってやれよ』と言いたげな顔になっているが、話題に出す気はないようである。リンは短く返事をして扉の方に向かい、お客さまを迎え入れた。アリアさまとロザリンデさまが聖女の衣装を纏って執務室に姿を現した。私は席から立ち上がり応接用の椅子へと移動して、お二人をこちらに導いた。
「本来なら来賓室に筆頭聖女さまと筆頭聖女補佐さまをお出迎えすべきですが、執務室で打ち合わせを執り行うようになって申し訳ありません」
教会との打ち合わせとなるので、本当であれば来賓室で行うか私が教会に赴くべきなのに、お二人にはご足労を願うことになり申し訳ない限りである。
「いえいえ! 執務室に入る機会が今までなかったので、今日は訪れることができて嬉しいです!」
「筆頭さまは、ずっと行ってみたいと仰っていましたものね」
アリアさまは執務室をきょろきょろと見渡しながら目を輝かせ、ロザリンデさまはそんなアリアさまに苦笑いを向けている。楽しいものはないし、どこにでもある当主の仕事部屋だと思うのだが。
でもまあ、女神さまが同席していたり竜が五頭いるので、物好きな方の興味は引くかもしれない。私が肩を竦めれば、アリアさまが凄く恐縮した顔になり、ロザリンデさまが苦笑いを深めている。部屋を見渡していたアリアさまがはっとして、突然私の方へと顔を向ける。どうしたのだろうと私はアリアさまと視線を合わせる。
「カルヴァイン枢機卿が顔を出せないことを悔やんでおりました」
「説明に赴きたかったそうですが、枢機卿の身である彼も仕事を抱えておりますので。わたくしたちの説明で申し訳ないのですが……」
アリアさまとロザリンデさまが申し訳なさそうな顔になっているものの、カルヴァインさまがこの部屋にこない方が良いだろう。だって、ヴァルトルーデさまとジルケさまがなんとなくと言って同席しているのだから。
彼が屋敷に訪れていれば、凄く緊張したまま説明を行わなければならないし、じっと女神さまに見つめられようものなら気絶しそうである。カルヴァインさまは女神さまへの敬意が大聖女ウルスラさまと同レベルなので、少しずつ女神さまに対する耐性を高めていかなければ。荒治療で強制共同生活なんてものを企画できなくはないが、彼の心と胃に大きなダメージを与えそうだ。私は妙な考えを打ち払い、アリアさまとロザリンデさまを見る。
「それこそ気になさらないでください。筆頭さまと補佐さまを使わしてくれたのであれば、教会は敬意を払ってくれている証ですから」
私はアリアさまとロザリンデさまに問題ないと告げれば、さっくりと打ち合わせを済ましてしまおうと教会でのスケジュールを教えて貰う。
私も久方ぶりに王都の治癒院に参加したいと申し出ると、側で見届けてくれるだけでも王都の皆さまにとって良いことだとお二人に諭されてしまった。ジルケさまに私に扮して貰い、私は適当に変装して参加すれば騒ぎにならないのではと言ってみるもののクレイグに即却下されてしまう。なんだつまらないと言いたくなるが、確かに馬車で手を振っていたことを考えると私は客寄せパンダに徹した方が良いのだろう。
「ナイさまがグイーさまの使者を務めてくださり、教会には信者の方がたくさん訪れております」
「聖女を目指す女性も増えましたから。本当に有難いことですわ」
どうやら王都の教会は随分と繁盛しているようだ。聖王国も信者の方が巡礼の旅として訪れる方が増えているので、王都の教会も訪れる方が増えるのは当然か。
更に神職者やシスターに聖女を目指そうと試みる若者が増えているとのこと。人手が足りないと教会は悲鳴を上げ、知識を持っている紫髪くんの地位を上げたそうである。カルヴァイン枢機卿の下に就いた彼は真面目に働いているようで、信者の方たちとも交流を深めているそうだ。
なんだかんだで教会も忙しいようである。暇を持て余すよりは良いことだし、女神さまも地上に降りているから信仰が活性化するのは必然なのかもしれない。そんなことを考えていると、また扉をノックする音が部屋に響く。今度はジークが取次ぎを担ってくれるようである。すたすたと長い足を動かして彼が扉を開けて話をして、直ぐこちらに戻ってくる。
「アンファンとテオがきたんだが……もう一回きて貰うか?」
「ごめん、そうして貰って良い」
ジークはお客人がいることで、アンファンとテオに下がって貰った方が良いと考えたようだ。私もお客さまがいる中で二人を通せないと苦笑いになる。
「分かった」
ジークが小さく頷けばアリアさまとロザリンデさまが声を上げた。
「なら私たちが退席しますね。予定の時間を過ぎていますし……」
「アリアさん。アンファンとテオに謝罪をしてから戻りませんか?」
アリアさまが席から腰を上げ、ロザリンデさまも腰を上げつつ二人に謝るそうである。律儀だなあと私が目を細めていれば、クレイグが『アンファンとテオの話の内容は大したものではない』と教えてくれる。
どうやらアリアさまとロザリンデさまが同席していても問題はないと言いたいらしい。アリアさまとロザリンデさまはアンファンとテオのことを知っている。屋敷で一緒に過ごした時期もあったから、お二人がいそいそと退出した方が逆に気になってしまうだろうと私はジークにテオとアンファンに入って貰うようにとお願いする。アリアさまとロザリンデさまも状況を掴んで再び席に腰を戻し、私は執務机の方の椅子に移動する。
「失礼します」
「し、失礼します!」
アンファンが落ち着いた声色で、テオが少し緊張した声で執務室の中に足を進める。中にいたメンバーに驚いたのかテオの足取りはかなりぎくしゃくしていた。アンファンはユーリの部屋を訪れる二柱さまで慣れたようで、女神さまが同席していることに驚いていない。肝の太い子だなと私は小さく笑って、二人を迎え入れる。
「アンファン、テオ。私に話があるとのことですが、部屋にいる方たちが聞いても問題はありませんか?」
私の問いで、執務机の前に立った二人がごくりと息を呑んだ。
「はい」
「はいっ! 問題ありません!」
またアンファンが落ち着いた声で、テオが緊張からか大きな声を上げる。ジークが微妙な顔になっており、テオになにか言いたげだ。リンも微妙な顔を浮かべているものの、ジークほどではない。
他の皆さまはテオの緊張を微笑ましそうな顔で見守っている。これは早く本題に入った方が良いだろうと私はさっそく彼らの用事を聞いてみた。アンファンとテオは顔を見合わせたあと、大きく息を吸い頭を下げる。
「屋敷から養成校へ通うのではなく、宿舎から養成校へ通いたいとお願いに参りました」
「ご当主さまにミナーヴァ子爵邸からの通学を手配して頂きましたが、世間を知らない自分たちは訓練校が用意している宿舎で生活を送るべきかと考えた次第です!!」
アンファンとテオはミナーヴァ子爵邸で日々を送るのは自立は難しいと考えたようである。養成校や訓練校の同級生たちと話して、宿舎生活の方が良いと考えた結果なのだそうだ。
私は妙なやっかみに彼らが襲われれば困るだろうと、ミナーヴァ子爵邸での生活を提案して実行して貰ったのだが。まあ、彼らも良い歳なのだ。二人が考えたことはなにも間違ってはいないし、それも良いだろうと私は片眉を上げる。
「なるほど。確かに宿舎生活の方が友人を得やすいでしょうし……自分自身のことをできるようになりますね。ただ、既に新年度が始まっていますので、宿舎の枠がなければ入れないでしょう。その場合は諦めて頂けますか?」
私はクレイグにお願いして、養成校と訓練校に手配できないか問い合わせをお願いする。ただ無理に部屋を用意しなくて良いことだけは伝えて貰うように念を押し、アンファンとテオは執務室をあとにする。
「庇護は必要ないと喜ぶべきだけれど……少し寂しいですね」
部屋を退室した彼らを見届けた私の口から自然に声が漏れていた。執務室にいた皆さまも目を細め、彼らが大人の階段を昇っていることに感心しているようだった。
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