1463:刈り取りされる。
――仔天馬さまを取り上げた翌日、朝。
天馬さまの出産はすぽんと出てきてくれたため、今回は寝不足に陥らずに済んでいる。長い時は産気づいてから二十四時間が経過しても産まれないこともあるので本当に超安産だ。
仔になにかあれば嘶くようにと伝えていたけれど、夜の間もなにもなく無事に過ごしていたようで起こされることなく朝を迎えている。いつもの時間になれば自然と目が覚めて身体をベッドから起こす。暫くボケーとしていると、ベッドの近くに置いている篭の中身がもぞもぞ動いた。
『おはよう~ナイ~』
クロが篭の中から首を出して私を見ながら挨拶をくれる。私もクロに視線を合わせれば、のっそりと篭からクロが出てきて翼を広げた。
「クロ、おはよう」
私が挨拶を言い終えると、肩の上にクロが乗る。いつもであれば私が着替える時まで篭の中で過ごすのに今日はどうしたのだろうか。
『ナイ。ごはん食べたら、産まれた仔の様子を見に行かない?』
「そうだね。仕事の前だけれど、少し遅れるって伝えれば問題ないと思うから行ってみようか」
クロがこてんと首を傾げながら問うてきた。確かに仔天馬さまと母天馬さまの様子は気になるから、朝の内に確認しておく方が良いだろう。執務を終えて昼食を済ませたあとは、ユーリに仔天馬さまの可愛さを教えてあげたい。
怖がるか、仲良くできるか分からないけれど、こうして生き物に触れ合えるのは幼い子にとって良い環境だろう。最近のユーリはヴァナルがお気に入りらしく、部屋に赴いたヴァナルのお腹に抱きついたり、のそのそと身体の上に昇りうつ伏せで寝転がっている。どこかの誰かさんに似ている気もするが、真似しているわけではないはずだ。名誉のために名前は伏せておくけれど、ユーリは誰かさんが庭で過ごしている姿を見る機会はないのだし。
そうこうしていれば、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも起きて『おはよう』と声を上げる。私も彼らに挨拶を返せば、エッダさんがいつもの時間通りに着替えの介添えをすべく部屋に顔を出す。
着替えを終える頃にリンも顔を出し、朝ご飯に行こうと誘ってくれた。もちろん私は異議無く返事をして、リンとエッダさんと一緒に廊下へ出れば、クロたちも加わって一緒に食堂を目指す。途中の丁字路で誰かきたとおもいきや、ジークであった。彼も私たちに気付いて歩みを止める。
「おはよう、ナイ、リン、みんな」
きっちりと服を着こなし、短く切りそろえている赤髪に乱れているとことはない。眠そうな気配なんて全くないし、ジークは普段通りである。普段通りなのだが、前より眩しく見えるのは気のせいだろうか。一先ず、挨拶をしなければと私はジークを見上げた。
「ジーク、おはよう」
「おはよう、兄さん」
『おはよ~』
私のあとにリンとクロが続いて、ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちもそれぞれ声を上げる。毛玉ちゃんたちは相変わらず元気一杯で、出会ったことが嬉しいのかジークの周りを何度か回って元の位置に戻った。
彼の肩に乗っているアズも一鳴きして挨拶をくれるので、私たちもアズに声を返せば満足したような顔になっている。アズも大分屋敷に慣れたようだと安心して、食堂に行こうとまた歩を進める。
そうして食堂に入れば、既にクレイグとサフィールが席に座しており私たちを待ってくれていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまはまだこられておらず、空席のままであった。二柱さまがご飯の時間に遅れるのは珍しいと後ろを振り返ると、長姉さまと末妹さまが廊下に立っている。いつの間にと私が目を見開けば、ヴァルトルーデさまが微かに笑い、ジルケさまが大あくびをした。
「おはよう」
「……はよーさん」
「おはようございます。ヴァルトルーデさま、ジルケさま」
二柱さまが声を上げ、私とみんなが返事をした。すると女神さま方はすすすと歩み寄ってきて、行こうとテーブルの方を見ている。ヴァルトルーデさまは目がしっかりあいているけれど、ジルケさまは眠そうである。夜更かしでもしていたのかと気になるものの、椅子に座ってご飯を食べなければと自席を目指す。
席に着いてクレイグとサフィールとも朝の挨拶を交わして、今日の朝ご飯はなにかなと期待に胸を膨らませる。すると扉から料理長さまが現れて、今日の朝ご飯のメニューを読み上げてくれた。
今日はパンと具だくさんのスープなのだが、昨日の仔天馬さまの取り上げお疲れさまですということで食後にケーキが出るとのこと。どうやら仔天馬さまが無事に産まれたために、ケーキを特別に用意してくれたそうだ。心の中で朝から贅沢ができると喜んでいれば、クロが私の顔を覗き込んでいる。
『嬉しそうだねえ、ナイ』
「甘い物があると嬉しいよ」
目を細めながら問うクロに私は口を伸ばしながら笑う。朝から重いという方もいるかもしれない――現にジークとクレイグは微妙な顔である――が、私は美味しいケーキが食べられるので嬉しい。
もっと贅沢を言って良いならチョコレートケーキが食べたいけれど、共和国の安価なチョコは超甘い。あれをケーキにするのは勇気がいるため、料理長さま方に提案していないのだ。
ただ、いつか食べられると良いなと願っているため、共和国にお願いしてカカオの純度が高い品を作って貰うのもアリだろう。生産量が少ないので割高になりそうだが。私がうーんと考え込んでいればヴァルトルーデさまが嬉しそうな顔になり、ジルケさまの眠そうな目が一気に開いた。
「私も嬉しい」
「あたしもだな」
女神さま方も食後にケーキを頂くのは問題ないとのこと。料理長さま方が作ってくださったケーキはどんなものだろう。スタンダードなケーキなのか、タルト系のケーキで果物がたくさん乗っているタイプなのか。
ご飯のあとが楽しみであるが自分たちだけ――人間だけ――食べるのは気が引けてきた。ヴァナルたちには手作りジャーキーがあるけれど、クロたちは肉を食べないし、果物がメインで他はほとんど食べない。
「クロ。クロたちは甘いお野菜って食べられるの?」
『食べようと思えばね~果物が一番好物ってだけだから。どうしたの?』
私はクロと視線を合わせると答えてくれた。どうやらクロたちは食べられる果物がなければ、次は野菜を食べるようになるらしい。要は好みの問題なのだそうだ。
「私たちだけケーキを食べるのは気が引けるから、お野菜でケーキ作って貰えるかなって」
『ん? 気にしなくて良いのに』
クロは特に感じていないようだが、毛玉ちゃんたちが私の声に反応してキラキラとした視線を向けていた。毛玉ちゃんたちは人間のご飯に興味があるものの、ヴァナルと雪さんたちに止められている。クロたち用のケーキなら毛玉ちゃんたちにも大丈夫だろう。私が毛玉ちゃんたちと視線を合わせると、鼻を鳴らして言葉にできない気持ちを表しているようだ。
「私はクロたちも一緒に食べられるなら嬉しいよ」
『じゃあボクもナイたちみんなと食べるの楽しみにしてるね~』
クロが私の顔に顔を擦り付けてくる。今度、さつまいもケーキを提案してみよう。クロたち用なので小麦粉も砂糖も使わないものを。上手くできるか分からないけれど、最初は失敗してもブラッシュアップしていくだけだ……調理部の皆さまが。
南瓜でも大丈夫そうだと考えていれば、みんなが早く食べようという顔になっていた。料理長さまが苦笑いを浮かべて給仕の方に声を掛ければ、焼き立てのパンとスープを用意してくれた。お野菜がたくさん入っているので、お腹は十分に膨れるはず。手を合わせて頂きますと声を上げれば、各々、食べたいものから手を付けていく。
パンをスープにつけて食べるのも美味しくて好きである。ただ、お貴族さまになって焼きたての柔らかいパンを食べる機会が多くなっているため、浸す回数が減っていた。
今日はどうしようかと迷って、結局パンそのものの味を楽しもうと分けて食べる。そうして最後にケーキが出てきて、美味しい美味しいと口の中に運び食事を終えて、各々の持ち場へと散って行くのだが、今日は執務室に行く前に庭に出て仔天馬さまの様子をみたい。やりたいことがあると私がジークとリンに告げれば特に問題はないようで、先触れの方を執務室へお願いしようとなる。そうしてジークとリンと私は庭に出ようとすると声が掛かった。
「ナイ、ナイ」
「どうしました、ヴァルトルーデさま?」
私が後ろを振り向けば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが席から立ち上がりこちらへと歩いてくる。どうしたのかと二柱さまがくるまで待っていれば、私の前でピタリと止まった。
「野菜のケーキ、気になる」
「な。美味いのか?」
どうやら二柱さまは先程の会話の内容が凄く気になったようで、クロは面白かったのか小さく笑っている。
「どうでしょう。私も試すのは初めてですし……さつまいもを裏ごしして型に流すだけのものなので、食べられるものになっていますが味、薄いと思いますよ」
「さつまいもって、あの甘い芋だよね」
私の説明にヴァルトルーデさまは興味を持ったままだが、ジルケさまは作り方を聞いて微妙な顔になっている。
「美味しそうだから、私も食べてみたい」
「分かりました。不味くても責任持てませんよ?」
あれ、こんなことを言ってしまうとクロたちに不味い品を渡すようにも聞こえる。いや、言葉の綾だとクロたちは理解してくれるはずと、彼らを見れば『行かなくて良いの?』みたいな顔になっていた。そうだ、仔天馬さまの様子を伺いにいく時間が減ってしまうと私がヴァルトルーデさまを見上げると、何故か長姉さまはドヤと胸を張っている。
「美味しくない料理、出てきたことない。だから信じてる」
確かに屋敷て不味い料理を提供されたことはないけれど……砂糖もなにも入っていないスイーツを美味しく感じられるか微妙なところである。まあ、不味くても笑って思い出になれば良いかと私はヴァルトルーデさまに仔天馬さまの様子を見に行ってくると告げれば、無言で二柱さまが私のあとを着いてきていた。
私は特に気にすることもないと足を進め、ジークとリンも私が気にしないなら口にはすまいと女神さま方をスルーしている。毛玉ちゃんたちはヴァルトルーデさまの手に鼻タッチしたり、ジルケさまの周りをクルクル回りながら歩いていた。
そうして厩の近くに赴くと、天馬さまたちの姿がチラホラ見える。その中に某辺境伯ご令嬢さまが普段より特徴的な御髪を広げて、魔術具で写真を撮りまくっている。
昨日産まれた仔天馬さまの姿は見当たらないが、以前産まれた仔天馬さまが数頭集まって庭を走っているからだろう。走っている姿を撮り終えたセレスティアさまは、魔術具を天高く掲げて声にならない声を上げている。
「セレスティアが凄い格好になってる」
「すげー背が反ってるぞ」
二柱さまが某辺境伯ご令嬢さまを見て小さく笑っていた。あの姿を笑って済ませられるなんて凄いと感心していると、私たちに気付いたセレスティアさまがばっと体勢を戻す。私は見て見ぬ振りをするのが優しさだろうと、彼女の方へと足を向け口を開く。
「おはようございます、セレスティアさま」
「おはようございます、ナイ。温かな陽射しの中、産まれたばかりの天馬さま方が揃って庭を駆ける姿を見れようとは……幸甚ですわ!」
セレスティアさまは朝食を素早く済ませ、朝早くから天馬さま方の姿を魔道具に納めているようだ。大きくなっていく過程を収めているとのことで、彼女の最近の日課になっているらしい。私が成長記録を見せて欲しいとお願いすれば、勢い良くセレスティアさまが許可をくれる。
「ありがとうございます。昨日産まれた仔天馬さまの様子を伺いにきたのですが、一緒に行きませんか?」
成長記録を見せて貰らうお礼ではないが、一緒に仔天馬さまの様子を見に行かないかと問えば彼女は凄い顔になって目を見開いた。
「ほばあ! よ、よろしいのですか、ナイ!? 母親である天馬さまが嫌がらないでしょうか?」
「騒がないなら大丈夫かと」
私の後ろで二柱さまが『セレスティアは面白い』『愉快すぎだろ……』と声を上げているが、ご本人は昨日産まれた仔天馬さまのところへ行っても良いのか迷っているようである。
「……難しい注文ですわね。ナイ、わたくしの声を一時的に消す魔術はありませんか? それか存在を消す魔術でも構いませんわよ?」
セレスティアさまが困り顔を浮かべながら私に問うていると、腰元のヘルメスさんがぺかぺかと魔石を光らせた。
『ではご当主さまの代わりに術を施しましょうか?』
「ヘルメスが……一生喋れなくなりそうなのでご遠慮しておきます。ナイ。もし、わたくしが厩で煩ければ、ジークリンデさんに命じて意識を刈り取ってくださいまし」
セレスティアさまが拒否を示せば、ヘルメスさんはしょぼんとして『そんなことは……ですが確かに絶対とは言えないですものね』とぼやいていた。
ジルケさまが『早く行こうぜ』という声を上げ、私たちも早く行こうとなる。そうして厩の一番奥の馬房を目指せば、昨日産まれた仔天馬さまは母天馬さまの乳を飲んでいる。邪魔するのは悪いかと私は母天馬さまに手を振って、またあとでと口だけ動かして厩を出る。
「小さな仔が母の乳を一生懸命に吸う姿があんなにも尊いものだとは……くぅ!」
厩の外で開口一番にセレスティアさまが声を上げ、ハンカチで目元を拭う。一先ず仔天馬さまも母天馬さまも問題なさそうだし、仕事を始めようと私が言えば解散となるのだった。






