1461:邪魔が入りませんように。
空の真上に浮かんだ陽の光を浴びながら、私はジークの背を眺めつつアストライアー侯爵領領都近くにある小高い丘の天辺を目指して歩いている。彼の手には大きなバスケットが握られており、なにが入っているのか少し楽しみである。今日はジークと出掛けてみようと予定を合わせていたのだが、行先はジークに任せて欲しいと言われていた。護衛の方は最小限に留めているから、警備部部長を随分と説得したのだろう。
おばあと毛玉ちゃんたちが一緒に付いてきたそうにしていたけれど、ジャドさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに止められていた。クロたちも屋敷に残っているので、前回のお出掛けの再現のようだ。丘の天辺に辿り着き歩みを止めればジークが振り返り私を見下ろす。
「この辺りで良いか」
彼の声と共に一陣の風が吹き抜けて、彼が纏うシャツを帆のように張らせていた。直ぐに風は止み、膨らんでいたシャツも元に戻る。
「だね。風が気持ち良い」
私は目を細めて侯爵領領都の方を見た。私が侯爵領を賜ってから少しは活気づいてきたはずである。街の方たちの表情は明るいし、陽が沈む頃相には各家庭から調理の煙が上がっていた。
領地内の他の場所も同じだろう。人の営みが私の肩に掛かっている。とはいえ難しく考える必要はなく、優秀な方の支えがあれば素人でもお貴族さま生活を送れることが分かった。
時折、とんでもないことを言い出して家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまを困らせているけれど。元の世界の常識が今の世界で通用しないこともあるから、仕方ないと言えば仕方ないのだろう。私の発案が間違っていれば止めてくれるので有難い限りである。領都に視線を奪われていると、ジークはバスケットの中からいろいろと道具を取り出していた。考え込んでいる場合ではないと、私はジークへ近寄る。
「ジーク、手伝うよ」
ジークは私と視線を合わせて少し考える様子を見せた。私になにを任せようかと考えているらしい。力仕事は苦手なので、なにかできることがあれば良いのだけれど。
「なら、バスケットの側にある、厚手の布を取ってくれるか?」
ジークは大きなバスケットを指差して、中から取り出してくれと乞う。私は分かったと彼に伝えて、大きなバスケットの下にしゃがみ込んだ。側には大きな厚手の布が鎮座しており、これを敷物とするようである。
ピクニックだなと私は目を細め大きな布を抱えた。地面から生えた草を均していたジークの下へと再度寄って、布を敷けば十分な広さを確保できている。きっとバスケットの中には料理長さんたちが作ってくれた美味しい数々の料理があるだろうと、私は期待に胸を膨らませた。
「バスケット、持ってきて良い?」
「結構重いぞ」
私はジークを見上げながら問えば、片眉を上げながら苦笑いを浮かべていた。持ってみなければ分からないと私はバスケットに近寄れば、一緒にジークも付いてくる。
バスケットの持ち手を持ち上げれば結構な重さに、ジークの忠告通りだったと苦笑を浮かべた。するとジークが私の背後に立って右手を伸ばして、バスケットの持ち手を持ってくれる。重さをほとんどジークが掻っ攫ったと私は後ろに立つ彼を見上げた。
「持とう」
「ん。ありがとう」
私が返事をすれば、ジークが左手を差し出してくる。どうやら布を敷いた場所までエスコートをしてくれるようだ。凄く短い距離だから必要ないけれど、彼の気持ちを無下にはできないと私は手を重ねる。彼の大きな手に私の手を重ねたその時、ふいに剣ダコに触れた。リンの手にもあるけれど、ジークの手にできたタコの方がなんとなく厚いと指先を軽く動かす。
「っ!」
「あ、ごめん」
ジークがぴくりと身体を揺らして顔を赤くしていた。手を撫でただけなのに、そう反応されても困ってしまう。とはいえ物事の感度や感覚は人によって変わるものだと私は直ぐ謝った。謝罪を受けた彼ははっとして目を細めながら言葉を紡ぐ。
「いや、なんでもない。前の時みたいにベントウを作ってみたんだ。ナイが気に入ってくれるか分からないが少し上達したはず」
「あれ、ジークが作ってくれたの?」
ジークの声に私は目を見開いた。てっきり料理長さんたちが昼食を用意してくれたのかと思いきや、ジークの手作り弁当のようである。
「ああ。料理長たちの方が良かったか?」
「ううん。大変だったでしょ。ありがとう、嬉しい」
肩を竦めたジークを私は真っ直ぐ見つめて声を返した。前に彼が作ってくれたお弁当は不格好ながらも味はちゃんと美味しかった。多分、そこまでに失敗の山を築いていたはずである。ジークも領地持ちの爵位を賜っているから忙しいはずなのに、時間を作って練習していようとは。今回も練習したのかなと私が首を傾げていれば、ジークが歩を進め始める。
「エーリヒや料理長のように上手く作れないけどな」
「私も作れないよ。どうして腕の差があんなに出るんだろうね」
ジークが私を見下ろしながら歩いていると敷物の前に直ぐに辿り着く。本当に同じ品を同じ手順で作っているというのに、味に差が出ているのはなにが原因なのだろう。経験の差と言われればそれまでなのだが、確実に美味さの度合いに差が生まれている。
「不思議だよな」
「同じことしているのに」
二人で視線を合わせて肩を竦めれば、なんとなく面白くて顔が緩んでしまう。本当に不思議だと靴を抜いで敷物の上に二人して上がり、バスケットを真ん中に置いて正面にジークが胡坐をかいて座り込んだ。
私は正座をしながら足を崩させて貰う。フソウではないし私的な場だから特に問題はないだろう。ジークがバスケットの篭の蓋を開いて中身を取り出してくれる。手伝おうかと私は声を掛けたものの、ジークは自分でやりたいようだ。それならお任せしようと私は出していた手を引っ込めるのだが、なんだか男女の立場が逆転している気もする。
「ジーク」
「どうした、深刻な顔をして」
「次、二人で一緒にお出掛けするときは私がご飯作る」
私を見つめるジークが片眉を上げながら笑う。どこが面白かったのか分からないけれど、ジークに三度目のご飯の用意をお願いするのは避けたい。私も女なので女性らしいことをしなければ。一応、場数は踏んでいるつもりなのでジークよりは上手く調理はできるはず。味についてはそれなりのものが提供できるはずだと、私が目を細めていればジークがまた笑った。
「分かった。頼む」
ふふと笑うジークは次を願ってくれるだろうか。なんとなく告げた言葉だったけれど、またお出掛けできるのは有難い。屋敷内で生活が完結できているので、お出掛けする機会がめっきり減っていること。
急ぎの場合は転移で移動するため、他の領地に寄る機会が他のお貴族さまより馬車移動が少ない。凄く恵まれているけれど、各領地のご当地ご飯を食べるのは楽しい。しかし私がお弁当を用意する場合、なにを作れば良いものか。
「気合入れて作るよ」
とりあえず、から揚げとか定番の品を作れると良いけれど……料理長さまは私に油を使わせてくれるかどうか。駄目と言われれば強権を発動させようとか考えていれば、ジークが怪訝な顔になっている。
「……食べ切れる量で頼む」
「そういう意味じゃないよ!」
もしかしてジークは私が大量のお弁当を用意して食べ切れと強制すると考えているのだろうか。食べ切れなければ持って帰れば良いだけであると私は即反論しておく。微妙な顔のままのジークは私の声にほっとしたような顔になっていた。
でもまあ質より量だと私は今まで口にしていたのでジークの勘違いは仕方ない。次に私がお弁当を作る際は質を重要視しようと誓っていれば、ジークが風呂敷に包んだお弁当を取り出してくれる。
「エーリヒさまかな?」
「ベントウのフロシキのことなら、エーリヒだな。元の世界だとこうしていたから、風情が出るかもと教えて貰った」
やはり風呂敷の提案はエーリヒさまのようである。几帳面なエーリヒさまらしいと片眉を上げ、湧いて出てきた『懐かしい』という気持ちを押し込める。
「そっか」
流石に望郷の気持ちをジークに悟られるのは避けたい。前世に強い思い入れはないけれど、偶に懐かしさに気持ちを駆られることもある。ジークは風呂敷の結び目を解き、お弁当の蓋を開けてくれた。そしてバスケットの中から大きなおにぎりも取り出してくれる。笹の葉に包まれたおにぎりは異様に大きいサイズである。それが四つ並んでいて、きちんと海苔も巻いてある。本当に北大陸にフソウ国が存在していて良かったと私は目を細めた。
「ジークのおにぎりだ」
へへへと私が笑えばジークが申しわけなさそうな顔になる。
「大きくないかと料理長に言われたんだが、どうしてもこの大きさになる……残しても構わないから無理するなよ」
さっきは大量のお弁当を作ることを危惧していたのに、私が食べ切れない量かもしれないとジークが慮ってくれた。特に問題ないし、ゆっくり食べれば用意してくれた品は完食できる。
「無理なんてしないよ。ジークのおにぎり大きくて好きだし」
「……! そうか」
私の声にジークが目を見開いたあと、ゆっくりと閉じながら柔らかい声色で返事をくれた。そうしておかずが入ったお弁当箱を見れば、卵焼きにウインナー、肉巻きチーズが大量に入っている。
結構大きいお弁当箱に詰め込んでくれているのだが、二人で十分に食べ切れる量だ。そもそもジークは身長が高いためか他の人より多くカロリーを必要としている。私もゆっくりと量を食べる口だから、残すという心配はしていない。ジークが用意していたお箸を渡してくれ、彼もお箸でお弁当を食べるようだ。私は一度、お箸を手放してから、崩している足を正座にしてから手を合わせる。
「いただきます!」
「いただきます」
声を上げたあと正座を崩せば、ジークが取り分け用の小皿をくれる。お箸を丁寧に持ち上げながら、最初にどれを頂こうか迷う。卵焼きもウインナーも肉巻きチーズも最初の一口として甲乙つけ難い。
でもやはり卵焼きかなあとお箸を伸ばして、黄色い卵焼きを手に取った。前回は少し焦げていたし形が歪だったけれど、今日の卵焼きは綺麗な色だし巻き方も美しい。ジークは頑張ったなと有難く一口頂けば、冷めても美味しいようにと味付けされた卵焼きの甘さに目を細める。
「美味しい」
「良かった。どんどん食べてくれ」
私が卵焼きを嚥下する姿を見たジークは安心したように声を上げる。ジークは肉巻きチーズに手を伸ばしており、男の人は味の濃い食べ物の方が好みなのかとなんとなく考える。
そうして大きなおにぎりに手を伸ばして食べ進めていると、丁度具のところに辿り着いた。おにぎりの具はおかかだから、トリグエルさんから『妾のカツオブシを食べたな!』と文句を言われそうだった。美味しい美味しいと食べ進めていれば、ふと私はなにかが足りないことに気付く。片眉を上げながら大きいおにぎりにまたかぶり付いてなにが足りないと考える。
「お味噌汁が欲しいね」
やはりこのラインナップとなればお味噌汁が欲しくなる。とはいえ保温できる水筒がない時代に持ち歩くのは難しい代物だ。とはいえお金で解決できないこともない。ジークは私の声にああと声を上げる。
「フソウで良く出たスープのことか。俺には難易度が高いな」
確かに料理に慣れていない人には少々難しいだろうか。出汁から取らないと駄目だし、味噌を入れるタイミングも作る人によってそれぞれである。しかし次は私がお弁当を用意するなら問題ないはず。
「じゃあ、私が次作って持ってこよう」
「楽しみにしている」
私が笑うとジークも笑ってくれた。また優しい風が一陣吹いて時間が流れていく。食べ終えて、ごみは残さないようにと周囲を見渡し、馬車が待ってくれている場所まで二人で歩いて行く。
なんとなくジークの背を見つめるだけなのは勿体ない気がして彼の腕の裾を掴んだ。ちらりと私の方を見たジークは顔を真っ赤にしている私を見て満足そうに笑い、なにも言わないまま下へと下りていく。馬車に乗り込んで屋敷に戻ろうと御者の方にお願いすれば、ジークとのお出掛けはなにも起こらないまま無事に終えるのだった。






