1456:顔見せのご挨拶。
――侍女養成校。
名前の通り、侍女を育てる教育機関である。アルバトロス王国王都にある我が校は、長く続くアルバトロス王国史の初期から存在する由緒ある学び舎だ。私はここで学校長を長年務めている。
主に平民の者を受け入れているのだが、貴族家からもご息女をお預かりすることもある。平民は裕福な家庭か学のある者が入学している。貴族家からは資金に難のある家か、三女や四女の者が多く我が校の門を潜っていた。今年度も二十名弱の者を受け入れることになっており、今日は貴族家からの紹介状で入学を決めた者たちが顔見せのために集まる。
果たして何人が卒業資格を得られるのか。最短で二年という月日が必要となり、留年すれば紹介してくれた家に顔向けできなくなる。将来の給与にも関わることだから、我々教師も気合を入れて挑まねば。
学校長室で窓の外を見ながら、顔見世の時間がくるまで暇を潰している。途中、事務長が困り顔でやってくる。私の近くで立ち止った事務長は少々肝の小さい男だ。今日の顔見世に不安でも抱いているのか、眉尻を下げて私を伺うような表情になっている。事務長として仕事はきちんとこなしているのだから、もう少し態度を改められないものか。長年一緒に働き、私は彼に度々苦言を呈しているものの難しいようであった。
「学校長」
「如何なさいました?」
「アストライアー侯爵の紹介で通うことになった者はどういった子でしょうか……?」
事務長の疑問に私はふむと考える。今年度はアストライアー侯爵閣下の紹介状が学校に届いて教職員一同大騒ぎした。西大陸どころか、全ての大陸に名を響かせている侯爵閣下からの紹介状である。侯爵閣下曰く、女子の人格に問題はなく、屋敷で基礎教育を終えているとのこと。将来、アストライアー侯爵家の侍女を務めさせたいということで、我が校を選んでくださったそうだ。
そして、侯爵閣下が通わせたいという女子を受け入れるか、受け入れないかの職員会議では全員一致で賛成だった。侯爵閣下が嘘を吐く必要はないというのに、事務長はなにを恐れているのだろう。私は彼の肝の小ささに息を軽く吐いてから口を開く。
「特に問題はないかと。侯爵閣下からの書状に生徒に対する注意事項は記されておりませんでした。まあ、屋敷の外へ出る機会が少なかったようで、王都の街に出すのが少々不安であると閣下は心配なさっているそうです」
侯爵閣下はアンファンという子を大事にしているのか、街に出て歓楽街に嵌ってしまえば、殴っても良いから更正させて欲しいとまで書かれていたのだ。
もちろん、そのような事態になる可能性は低いのだが、別の領地から王都に移り歓楽街の遊び場に嵌る者は一定数いる。娯楽が少なく、刺激に強いモノに嵌ってしまうのだろう。
そうなった生徒は家に知らせて引き取って貰うか、我が校で厳しい管理の寄宿舎生活となるかのどちらかだ。飛ぶ鳥を落とす勢いの侯爵閣下が屋敷の者の一人をそこまで気に掛けるとは。少しアストライアー侯爵家で働く者たちが羨ましいと私が目を細めると、事務長が怪訝な顔でまた口を開く。
「侯爵が嘘を吐いている可能性は? アストライアー侯爵家の者です。我々が彼女に手を出せないという場合もあるでしょう?」
「心配し過ぎでしょう。それに侯爵閣下は悪いことをすれば、怒って諭してやって欲しいとも仰っておりました。そのような閣下が紹介なさった者が暴れ馬という可能性は低いでしょうに」
私の言葉に事務長が『それはそうですけれど……』と深く息を吐いた。
「事務長はなにを心配なさっているのです?」
本当になにを心配しているのだと私は彼に片眉を上げる。
「いえね、女神さまがご滞在なされているというアストライアー侯爵家でしょう? 各国にも顔が広い侯爵ですし、亜人連合国からの信も得ておられる方の家にいる者です。威を翳すのは容易なことでございましょう」
確かにアストライアー侯爵の威を翳すのは簡単なことだ。もし行動に移せば、周りの者たちは従うしかなくなるはず。しかし。
「そんなことをすれば、アストライアー侯爵の顔に泥を塗る行為です。初期教育は終えているとのことですから理解しているでしょう」
勝手に貴族家の威光を翳せばどうなるかなど事務長も知っているだろうに。アストライアー侯爵閣下の名声に目が眩み、判断を正しく行えないようだ。
「そうです。そうですがね? まだ若い者です。後先を考えず行動することもあるはずでは……」
「ふう。本当に貴方は心配性ですねえ。そろそろ時間です。講堂へ行きますよ」
私は大袈裟に息を吐いて、部屋にある大きな時計を見ると時間になっていた。事務長は『あ、そろそろ時間だと呼びにきたのでした』と声を漏らすのだが、早く告げてくれれば良いのに。
まあ、時間には間に合うから構わないかと私たちは部屋を出て、校内にある講堂を目指して歩いて行く。途中、職員とも合流して行動に辿り着き中に入れば、並べられた椅子に数名の女子が腰掛けている。
私はそのままステージ前に置かれた演台に辿り着き、春から入学する貴族家の者や貴族家からの紹介を受けた者へと視線を向ける。すると『学校長に礼!』という声が上がった。私は頭を下げずに前を向いたままである。これから彼女たちは二年間、侍女になるための勉学に励むことになろう。無事に卒業できるようにと願うばかりだ。
「皆さま、ようこそ侍女養成校へ。春から入学なさる皆さまとの顔合わせを楽しみにしておりました。二年間、確りと学んで卒業なされることを願います」
私は短く挨拶を終える。あとは若い者同士で交流を深めれば良いと、私はそそくさと講堂から撤収するのだった。不安顔のままの事務長も一緒に。
◇
侍女養成校に顔見世のため訪れている。
ミナーヴァ子爵邸からは馬車で送って貰った。凄く贅沢な気だけれど、御者の方は暇だから丁度良い仕事ができたと笑っていたから少しだけ気が楽だ。校門を抜けて係の人に講堂へ向かうようにと指示された私は、こじんまりとした建物の中で椅子に腰を下ろしている。
先程、学校長の挨拶が終わり、これから集まった子たちとお茶会を行う予定である。お茶会に参加することもあるだろうと、侍女長さまから作法を教わっている。
時々、アストライアー侯爵邸の侍女の人たちのお茶会にも誘って貰って、一緒に嗜んでいたから初めてのことではない。ないけれど、知らない人たちとお茶を飲むという行為に、私はどうすれば良いのだろう。エッダさんから『アンファンは平民だから末席に座すのが普通。もし主催者に席を指定されたらソコに。上座に腰を下ろしている人がお茶を飲むまで、手を付けちゃ駄目だよー』とも教えて貰っているので、これを守れば問題ないはず。
講堂に集まった人たちは私と歳の頃は同じだ。私以外に五人の女の子がいて、身形の凄く良い子が二人、私くらいの身形の子が三人いる。華美な衣装は纏わない方が良いと、ミナーヴァ子爵邸の侍女の方に教えて貰ったのでこれで良かったのだろう。養成校の先生に導かれて、今度は中庭にある東屋に案内され席を指定される。
お茶を淹れてくれるのは在校生のようだ。私たちと年齢が近い。案内役の先生は東屋の端でこちらを見守っている。お茶が目の前に差し出され、湯気が白く上がっていた。目の前にはお菓子が用意されているけれど、侯爵家ほどの量ではない。
「では、わたくしからご挨拶を」
上座の位置で腰掛けている子がふっと笑う。子爵家の四女で、婚約者もおらず身軽なため侍女養成校に入ったとのこと。卒業後は縁のある家の侍女になるそうだ。
もう一方は男爵位の三女の生まれで、本当は王立学院に通いたかったけれどお金がなく侍女養成校に入ってどこかに就職できればという望みを持っているとか。他の三人は平民でご両親が貴族家に勤めており、仕事を継ぐために当主の紹介で侍女養成校に入ったそうである。そうして最後に私の番となって、席から立ち上がり頭を下げる。
「ラウ男爵閣下の紹介で参りました。アンファンと申します。不慣れなことがたくさんあり、ご迷惑をお掛けすることもありますが、よろしくお願い致します」
私がアストライアー侯爵の紹介できたとなれば騒ぎになると考え、ジークフリードさんとジークリンデさんがお世話になっていたラウ男爵さまの紹介で養成校に入ったということになっている。
ラウ男爵さまも快諾してくれて、一度顔合わせをしていた。お優しい老夫婦の人たちで、平民である私に普通に接してくれている。養成校にも事情は説明済みと聞いているけれど、これってご当主さまの発案だろうか。
ご当主さまはしっかりしてそうでいて、抜けているところがあるため、私がアストライアー侯爵閣下の紹介できたと言っても気にしなさそうだ。そもそも事実だし。もしかすれば、侍女長さまか家宰さまがご当主さまに説明してくれたのかもしれない。
私が家名を名乗らなかったことで、みんなが目を細めているけれど直ぐに流してくれている。
平民の人も通う養成校だから、気にしても仕方ないのかもしれない。私が席に着けば小さく拍手が起こった。少し照れ臭いけれど、ちゃんと自己紹介をできて良かったと安堵する。
そうして子爵家の四女の人が最初に喋り始めて貴族の人が追随しつつ、私たち平民組にも声を掛けてくれていた。なんだか気を使って貰っているけれど、貴族の人と平民とは壁があるのでみだりに喋ってはいけないそうだ。
エッダさんたち侍女の人から『アストライアー侯爵家が特殊だから、養成校で普通の貴族の人たちの生活を学んできて』と真面目な顔で告げられ『貴族の人が平民の使用人に声を掛ける時は用事があるときだけ』なのだそうである。ご当主さまは私とすれ違うと、体調の心配や勉強の進み具合やご飯は食べたかとか、美味しいかとかいろいろと話しかけてくれる。どうやらそれは普通ではなく、使用人は壁際に下がって当主の人が過ぎ去るのを待つだけらしい。
ユーリの部屋に遊びにきている西の女神さまも私に普通に喋り掛けてくれるし、南の女神さまも言葉使いは乱暴だけれど気軽に語り掛けてくれる。乳母の皆さまは女神さま方に凄く恐縮していて、二柱さまは『緊張しなくて良い』と言っているけれど慣れる気配がない。
それが原因なのか、ユーリの遊び相手を務めている私にいろいろと女神さまから質問が飛んでくる。時々、西の女神さまの質問が難しくて、私が困っていると南の女神さまが助けてくれる。そんな中で、ご当主さまがユーリの下に遊びにくる。毛玉たちも参加するし、ユーリの部屋は凄く騒がしくなる。
「……」
なんだか凄く遠い昔のことのようで、懐かしくもある。騒がしくて楽しい時間を過ごすのを二年間は我慢しなければならないと私は黙り込む。
「どういたしました、アンファンさん?」
私の様子がおかしいと子爵家の四女の人が心配そうな顔をして声を掛けてくれた。人の話を上の空で聞かないのは失礼だと、私は小さく頭を振って前を向く。
「いえ、なんでもありません! 失礼しました」
お茶とお菓子美味しいですねと声を上げるものの、アストライアー侯爵邸で出される紅茶の味には程遠いのだった。






