1453:どこ行こう。
夜。自室の窓際に椅子を置き、ナイに貰った天然石に星光を浴びせながら、俺はぼんやりと考え込んでいた。いつも一緒にいるアズは寝床の篭の中で寝息を立てている。
――ジーク、お出掛けしませんか?
ナイがどこかに出掛けようと俺を誘ってくれたのだが、緊張して敬語になってしまったようだ。告白を切っ掛けに俺のことを異性として認識してくれたという気持ちが湧くと同時に、彼女の心を乱していることに罪悪感と嬉しさが混ぜこぜになっている。
俺が告白をしなければ、彼女は彼女のままでいられたはずである。ただ、あまりにものんびりしていれば国から釣書を大量に送られることになるのは目に見えている。だから、俺はナイに気持ちを告げたのだ。自分以外の男に奪われてしまわないように。彼女の黒い瞳の中に映り込む男が俺だけであるようにと願いながら。
長年、彼女を思い続け川底のヘドロのように育った気持ちを必死に抑えている俺は、みっともない男なのだろう。
聖王国の大聖女フィーネとエーリヒの姿を見ていると、彼らの存在は俺にとって眩しいものである。もしナイと俺の出会いが遅ければ、彼らのような微笑ましい関係になれたのだろうか。嗚呼、でも……きっと。真っ当な関係では物足りないと感じてしまうのだろう。聖女として教会にナイが拾い上げられ、騎士として彼女と共に進むと決め死線を潜り抜けてきた俺には。
ナイはどうだろうか。
彼女もまた死線を潜り抜けてきたからか、日常を、平穏を望んでいる。体質的になにかに巻き込まれることが多々あるものの、穏やかな時間を見つけ慈しんでいる。ユーリとの時間もだし、庭の東屋やサンルームで茶を楽しむ時間もそうだろう。そして俺たち幼馴染との時間も。
おそらくナイは俺たち幼馴染との関係を大きく崩れることを恐れているだろう。クレイグとサフィールとリンと俺がナイに抱いている気持ちは変わらないというのに、ナイは彼女の下から俺たちが離れていくことを随分前から恐れているようだった。ナイが爵位を手に入れ直接俺たちを雇うことになって少し不安は晴れたようだが……俺の告白で彼女の心はまた揺れているのだろうか。
どうにもいけないな。
一人で考え込んでいると、悪い方へ物事を捉えてしまいがちだ。せっかくナイと出掛ける機会を得たのだから、楽しいものになるようになにか案を出さなければ。ナイが喜ぶことはなんだろう。
一般的な女性が男に贈って貰って嬉しいものはナイには通じない。宝石類はキラキラして目が痛くなるらしいし、花の類いは贈って貰って嬉しいけれど枯れる姿を見るのが忍びないという。ドレスを贈っても同じようなことを言うだろうし、それなら向かう先の美味い店でも見つけて入る方が絶対に喜ぶ。
「ナイらしい」
店で美味そうに食事を摂るナイの姿が手に取るように描けてしまい、俺は夜空に浮かぶ双子星を見上げる。もしナイと出会っていなければ。リンが貧民街で命を落としていれば、あの女とねんごろな関係になっていたかもしれない。
あり得なかったことは考えたくないと左右に首を振り、妙なことを思い描いてしまったと小さく息を吐く。物思いに耽るのは良いが、変なことまで考えてしまうのは良くないと俺は椅子から立ち上がりベッドを目指す。もちろん星光を浴びせていた天然石も忘れず自身の首に掛けて。
ナイはまだどこに行くか迷っているようだ。どこへ向かったとしても騒ぎになりそうではあるが、俺から提案しても良さそうだなとベッドに身体を投げ出して目を閉じるのだった。
◇
朝、いつもより早く目覚めた私はベッドの中で悶々としている。
ジークにどこかへ出掛けようと言い出したものの、落ち着いて話せる場所というのが限りなく少ない。
そもそも異性が二人で密室にという場面は避けなければならならず、出掛ける先が凄く限定されてしまうというか。こうなると言語の違う国に行って、雑踏の中で喋るのが一番無難かと思いきやグイーさまの世界は単一言語である。キツイ方言のようなものはあるが、耳を澄ませて聞き取ろうと努力すれば分かるのだ。
ジークが抱えている私に対しての気持ちを聞き出し易い場所が一番良いけれど、果たしてどこが適切か。侯爵領の領主邸でも良いけれど、それだと使用人の皆さまが聞き耳を立てていることだろう。アルバトロス国内であれば外務部の方や諜報部の方が出張っていそうである。となるとアルバトロス王国外となるのだが、他の国もアルバトロス王国と似たりよったりな行動をしそうだ。
西大陸以外の場所とも考えてみたけれど、アガレスはウーノさまがはっちゃけそうだし、共和国もいろいろと問題がある。北のミズガルズも場所を提供してくれそうではあるものの、凄く個人的な理由で訪れるのは如何なものか。南大陸もいろいろな国の伝手はあるのだが、いきなりお出掛けするから行っても良いか? なんて問い合わせは迷惑だろう。他に良さそうな場所はないかなあと、いろいろな場所を思い浮かべる。
「あ」
そういえば神さまの島を間借りするのはどうだろう。あそこであればアルバトロス王国の関係者も入りづらい。グイーさまの許可を得てからではあるが、確実に落ち着いて話ができそうな場所である。
グイーさまとナターリエさまとエーリカさまが覗き見しそうだが、神さまなので止めて欲しいと伝えておけば我慢してくれるかもしれない。ベッドから勢い良く私が身体を起こすと、籠の中で寝ていたクロが目を開けた。
『どうしたの、ナイ。いきなり起きあがるから吃驚したよ~?』
寝ぼけ眼のままクロが私に問いかける。
「起こしてごめん。ちょっとジークとお出掛けする場所の候補が思い浮かんだから」
『どこか良いところがあったの?』
こてんと首を傾げていたクロが私の声を聞いて、おやと尻尾をぺしぺし振っている。
「うん。神さまの島なら邪魔されそうにないなって」
『ナイは大胆だねえ』
確かに邪魔は入らないけれど、そこを選ぶのはナイらしいねとクロが感心していた。そこまで驚かれるほどのものではないし、グイーさまにお願いすればどうにかしてくれるはず。
なんならお酒を貢げば凄く喜んで開放してくれることだろう。侯爵邸に良いお酒があるか家宰さまに見繕って貰えるようにお願いしようと私はベッドから降りる。あ、その前にジークに行先を告げて許可を取らなきゃいけない。
勝手に決めてしまうのは私の悪い癖だろう。親しき中にも礼儀ありと言われているのだから気を付けないと。着替えの介添えでエッダさんがくる前に、忘れてしまわないようにとメモを取っておく。籠の中で完全に目を覚ましているクロに私は視線を向けて口を開いた。
「ヴァルトルーデさまかジルケさまにお願いするのもアリだけれど、グイーさまに直接お願いした方が良いかな?」
『うえ、ボクにそんな大事なこと聞かないでよ~。でも神さまの島の持ち主はグイーさまだから、グイーさまで良いのかも? 迷うなら女神さま方に聞けば良いんじゃない?』
クロの助言にそうだなと納得して、机の上でメモを取る。あとなにかお酒以外に必要なものはあるかなと思い浮かべるものの、グイーさまの喜びそうなものが見つからない。クロが籠の中から飛び立って、私の肩の上に乗った。
『ねえ、ナイ』
「ん?」
クロは私の顔を見つめながら尻尾をペシンペシンと振っている。私はどうしたのかと視線を合わせると、クロはこてんと首を傾げた。
『お出掛け先、みんなに相談した方が良いんじゃないかなあ?』
「そうなの?」
一応、ジークと出掛けるとは伝えている。出先はどこか近場で済ませるか、はたまた飛竜便で大陸を超えるかもしれないとは言っているが。果たして家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまは、私が神さまの島を選んだとなればどういう反応をするだろう。
『だって神さまの島に行くって言えば、みんな驚くでしょう?』
「そうかも?」
私が首を捻るとクロが『相談しておいた方が良いよ~』と呑気な声を上げた。確かに相談はしておいた方が良いだろうか。とはいえ誰にも邪魔されずにジークとゆっくり喋る場所となれば、やはり凄く限られてしまう。
クロと話し込んでいればいつもの時間がやってきて、エッダさんが部屋に顔を出した。着替えを手伝って貰いながら彼女から朝ご飯のメニューを聞き、私は今日の予定を彼女に伝える。ありがとうございますといつものようにお礼を告げて、私とクロとヴァナルとユキさんと夜さんと華さんは食堂を目指すのだった。
◇
先程、ご当主さまの着替えの介添えに向かえば、既に目を覚まされていたのかぱっちりとした瞳でご当主さまは私、エッダを迎え入れてくれた。ご当主さまは大体、というかほぼ朝の介添えの時間に目を覚まされているが、ベッドの中で私を迎え入れてくれることが多い。
だというのに今日は既にベッドから起き上がり、クロさまとお話をされていたようである。いつもと違う光景が気にはなるものの、いち侍女がご当主さまに突っ込んでも仕方のないことだ。私は私の仕事を成すだけと着替えを手伝い終えて、ご当主さまと別れたところである。廊下を歩いて、廊下の行き止まりに辿り着いた私は首を捻る。
「なんとなく重かった雰囲気がなくなったような?」
そう。なんとなくご当主さまの雰囲気が少し前より柔らかくなっていた気がする。行き止まりにある物置部屋の前ならば独り言を呟いても誰も聞いていない。屋敷に住み着いている妖精が聞き耳を立てているかもしれないが、意味をなさない言葉であれば彼らも誰彼に吹聴できまい。仮に誰かに伝えたとしても、訳が分からないままで終わってしまうだろう。
ジークフリードさんがご当主さまに告白してから、ご当主さまは思い悩まれていたようである。お似合いの二人だとほとんどの屋敷の者は認めているから悩む必要はないというのに、ご当主さまはいろいろと考えていることがあるようだった。
一部の方たちはジークフリードさんに幼女趣味があるのではと随分失礼なことを言っていたので、私たち侍女組が『長年一緒に過ごしていたのだから、そんなわけありません!!』と説教をしておいた。
また一部にはご当主さまに別の思い人がいるのではと仰る方がいたのだけれど、ご当主さまにそんな気配は一切ない。恋愛に現を抜かすような方ではないと分かっているから、侍女組はこの噂を掻き消そうと躍起になっている。
そして男っ気がないためか、ご当主さまは男性でも女性でもイケる性質なのではという噂も流れている。ジークフリードさんが立候補したからか、他にも立候補する猛者はいないのかと盛り上がっている方もいるし……本当に救えないというか。
人って噂を面白おかしく盛り立てたがる。そんな中、ご当主さまの雰囲気が軽くなったとなれば、ジークフリードさんとの一件になにか進展があったと考えるのが筋だろう。
どうかご当主さまとジークフリードさんに幸せな春が訪れますようにと、私は祈るしかないのだった。