1452:再挑戦。
昨日、大聖女フィーネと兄さんの友人二人が帰り、私たちは王都の侯爵邸からアストライアー侯爵領の領主邸に戻っていた。またいつも通りの穏やかだけれど騒がしい日々に戻るはずが、ナイがなにか考え込んでいる。
ナイは時々、深く考え込むことがあることは知っているから放っておいても自分で解決している。でも、兄さんから受けた告白の件はいろいろと後を引き摺っているようだ。昨日、大聖女フィーネのおせっかいでナイは兄さんのことについて話すことになったから、周りのことも考えて早く答えをださなきゃいけない、とでも考えているのだろう。
夕食前。ナイの自室でボケーと椅子に座っている姿を見た私は、彼女に声を掛けるために近づく。いつもであれば部屋に入った瞬間にナイは私の存在に気付くというのに、ぼーと前を向いたままだ。
ナイの側にいるクロとヴァナルとユキとヨルとハナと毛玉は私の存在に気付いたけれど、私だと分かり騒ぎ立てようとはしない。小さく溜息を吐いた私は、ソレさえ気付かないナイに苦笑いを浮かべたあと口を開いた。
「ナイ、大丈夫?」
「え、リン。なにが?」
私がナイに声を掛ければ顔を上げてこちらを見た。いたのかと言いたげな顔をしており、笑みを無理矢理作っている。兄さんのことで思い詰めているから、私に相談するのは憚れるとでも考えていたのだろうか。少し寂しい気もするけれど、ナイだから仕方ないと納得できているところもある。私はナイの正面に立って床にしゃがみ込む。机を挟んでいるから、机の上に両腕と顔を乗せてナイを見上げる形になった。
「ずっと考え込んでる」
「大丈夫だよ。それよりジークを待たせちゃってるから早く答えを出さなきゃね」
片眉を上げて笑うナイに私は伝えておくべきことを言わなきゃと言葉を紡ぐ。
「兄さんはどれだけ待たせても問題ない。ナイがちゃんと結論を出せるまで待たせれば良い」
兄さんはきっとナイが悩むことを分かっているし、他の男より兄さんが一歩前に出ていることも承知している。でなければナイは兄さんに対して顔を赤く染めたり、視線を逸らすことはない。
それが分かっているからナイの返事はいくらでも待っていられるのだ。例え歳を経てお爺ちゃんとお婆ちゃんになっていても文句は言わないはず。でもナイは私たちのことを見ているようで、大事なところは見えていないから判断を誤るのだろう。
「リン。流石にそれはできないよ。ジークにちゃんと答えなきゃ」
「じゃあ、ナイは中途半端に出した答えを兄さんに伝えるの?」
「……それは」
ナイが珍しく言い淀む。真面目な話にナイが狼狽えることは殆どない。でも多分、兄さんのことをちゃんと考えてくれている証拠でもある。ナイが私に相談してくれなかったことは少し寂しい気持ちがあるけれど、ずっとナイの妹の立ち位置にいた私だから仕方ないのだろう。
聖王国の大聖女に相談役を取られてしまったが、ナイが胸の大きさを気にしていることや、生理がきていないことを問題にしていることを知れた。私と相談していたら聞き出せなかったかもしれない。でも、ナイ。ナイが男の子に生まれていたら、大きい胸の女の子が良いんだとは言えないけれど。
私から視線を逸らしたナイは気まずそうな表情を浮かべている。クロが彼女の肩の上で心配そうに伺っていた。ネルもナイのことを気にしてくれているのか、小さく鳴き声を漏らしている。
「ナイ。周りに振り回されないで」
周りの人たちも酷いのではないかと言いたい。兄さんがナイに告白したことを喜んでくれるのは有難いけれど、ナイに期待の視線を向けているのだから。
ナイがそういうものに鈍ければ良かったのだが、周りの人の思いには割と敏感なところがある。変に鈍い時があるけれど、ナイは大体気付いているのだ。アルバトロスの王さまやボルドー男爵さまの期待も分かっているのだろう。ヤーバン王の妊娠報告もナイに圧を掛けている気がしてならない。
「振り回されてはいないけど……でも、今ジークに返事をするのはちょっと難しいね。なんだか周りの人たちのためにジークの気持ちを利用しているみたいに見えるから」
「兄さんは気にしないし、ナイがそう考えていることも分かってる」
やっぱりナイはいろいろと考えすぎだ。そうやって考え込んで動けなくなったら意味がないのに。でも、ナイらしいとも言える。貧民街で私たちの手を引っ張って生かしてくれたこと。
ナイが聖女に選ばれて、学と伝手のない私たちも仕事を得ることができた。今、私たちが手にしているモノは全部ナイがくれたもの。私たちがこのことを口にすれば、ナイは妙な顔をしながら『それは違うよ。リンが自分で頑張ったから手に入れられたものだ』と告げるだろう。確かに頑張って手に入れたものもあるけれど、切っ掛けをくれたのはナイだから。
机に置いていた右腕を伸ばしてナイの頬に触れる。細い彼女だけれど、ムニムニしてて柔らかい。いつものことだからナイは私の右手を受け入れてくれていた。
「リン?」
でも長く頬を撫でていれば、どうしたとナイの表情が変わっていく。
「兄さんは答えを急いでいないってナイに伝えたかっただけ。あと周りの視線は気にしちゃ駄目。難しいかもしれないけれど」
「ありがとう、リン」
ナイが私の右手に左手を添えた。体格に差があるためか、ナイの手は私の手より一回り小さい。ナイは随分と大きなものを背負ってしまった。潰れないだけの強さを持っているからこそだけれど……無理はしないで欲しい。
周りの期待もあるから、答えようと頑張っている節もある。偶には放り出して楽な方へ向かっても良いのに。でもまあ、そんなナイだから私たちもナイの側にいようと思えるのだろう。別に兄さんの告白を断ったとしても、なにか変わるわけじゃない。
「クレイグとサフィールもきっと分かってる。それに兄さんの気持ちを受け入れなくても良いんだよ」
「え?」
「えって。もしかして断ること、考えていなかったの?」
私はアレと首を傾げる。ナイは兄さんの告白を断るという選択を意識していなかったようだ。いつもであれば、いろいろと選び取った結果を考えて、進む方向を決めているのに。
これは兄さんには良いことかなと私は笑えば、ナイが口を曲げて何故笑っているんだと無言の抗議を上げていた。でも可愛いから怖くないし、本気で怒っているなら魔力をまき散らしてヘルメスが悲鳴を上げている。
「……そんなことない」
「そっか。ふふ」
これは本当に兄さんの告白を断ることを思考に入れてなかったようだ。私がまた笑えばナイが居心地悪そうに視線を逸らす。
「ご飯、食べに行こう」
ナイが声を上げながら私の右手を軽く取り席から立ち上がって、一人ですたすた部屋を歩いて出て行く。私も後を追いかけなければと床から立ち上がった。
ナイの妹の立ち位置はそろそろ卒業かもしれない。仕方ないけれど、あの女神にでも譲れば良いだろう。でもナイの専属護衛の役目は誰にも預けない。預けられない。そこだけは兄さんと私の特権なのだから。
◇
確かにジークの告白をどう受け入れようかと私は悩んでいて、断ることを視野に入れていなかった気がする。リンに改めて言われて気付いたけれど、私はジークのことを男性と見ていたようだ。
本当におかしな話だし、まさかリンに気付かされようとは。美味しい晩御飯を食べながら、ジークの告白を受けてから今までのことを思い返せば考えすぎだったのかもしれない。晩御飯のスープをスプーンで掬い、口に運んで嚥下する。味付けの具合も抜群で相変わらず美味しいしと目を細めれば、不思議そうに私を見ている人がいた。
「ナイの奴、機嫌が良いな」
「そうだね。なにかあったのかな?」
クレイグが呆れ顔を浮かべ、サフィールは片眉を上げながら声を上げる。ジークとリンは私たちに一瞬視線を向け問題はないと判断して食事を続けて、ヴァルトルーデさまとジルケさまはご飯の美味しさに気を取られていて、こちらを全く気にしていない。
「いつも通りだけれど」
「まあ、なんでも良い。ナイが美味そうに飯食ってるの、久しぶりに見た気がするしな」
「だね。その方が落ち着くよ」
私が声を上げると、二人は肩を竦めながら食事を再開させている。私は食事の手を止めてクレイグとサフィールの声に答えたというのに、割と酷い仕打ちではなかろうか。
「まあ、良いか」
でもまあご飯が冷めると美味しくないのは事実だし、作ってくれた方に申し訳ない。部屋の扉の影からディオさんがこちらを覗いているので、彼はなにか一品作ってくれたようである。
彼の腕前は十分に育っていると料理長さまが教えてくれたので卒業は近いかもしれない。侯爵家が持つレシピを手に入れて、嬉しそうな顔をしながら『これで北と東のお嬢さま方が口にしてくだされば!』と気合を入れていた。大丈夫かなと心配はあるものの、グイーさま向けに酒の肴になるレシピも渡しているので職を奪われることはないはずだ。
「ごちそうさまでした」
私が手を合わせると、他の面々も手を合わせて感謝を捧げている。ヴァルトルーデさまとジルケさまは黄金の妖精さんが作ったお野菜さんが食卓に並ぶようになってから、更に食欲が増している気がする。
どうやらお野菜さんに含まれている魔素量が多いので、美味しいご飯が更に美味しくなっているとか。それは良かったと安堵しつつも、エンゲル係数が高いからと裏庭に畑を作ったのに意味があるのだろうかと首を傾げたくなる。まあ、天馬さま方とグリフォンさんたちも喜んでいるから、深くは考えまいと席を立ちあがって食堂を出る。
ユーリがご飯を済ませ身を清めたことを確認して彼女が寝入るまで部屋で過ごし、自分もお風呂に入って就寝すれば、またいつもの日々が過ぎていく。その間にディオさんが神の島に戻り、北と東の女神であるナターリエさまとエーリカさまの食事量が増えたと喜びの報を聞いたり、飛来した天馬さまに第一号の仔が誕生したりと忙しいものの楽しく過ぎている。
三月中旬。アンファンとテオが侍女養成校と騎士訓練校に入学するため、アストライアー侯爵領を馬車で出発して王都を目指すことになる。二人は私たちの見送りに照れ臭そうにしていたが、遠慮なく馬車が見えなくなるまで見守る。
親がいない二人だからこそ、屋敷のみんなは彼らのことを自身の子供と同じ目線で見てくれている。私たちは親というよりは妹と弟として捉えているけれど、なににしても彼らが大人になるために一歩踏み出した。
「少し寂しくなるかな」
私は後ろを振り返りジークとリンを見上げた。ユーリはアンファンに懐いているので、少しの間機嫌が悪くなるかもしれない。乳母さんが困らなければ良いけれどと私が悩んでいれば、そっくり兄妹が口を開く。
「だな」
「だね」
ふっと笑った二人ははるか先を行く馬車を見つめていた。春は出会いと別れの季節というから、アンファンとテオに良い出会いがありますようにと願うばかりである。そうしてまた数日が過ぎた頃。
――ジーク、お出掛けしませんか?
と私が彼に問うた。ジークの返事は『分かった。どこに行くんだ?』というありきたりなもの。とはいえ、なんとなくだけれど前より嬉しそう、というか……どこかホッとしているような気もする。
告白の返事をするためというよりは、なんとなく彼との距離を縮められないかなという私の身勝手な考えである。ジークは私との距離を既に詰めているけれど、私はまだジークとの距離が少し空いていた。だから、なにか告白の返事をできるような切っ掛けが掴めますようにと願っただけ。まだ行先も決めていないけれど、今度は二人できちんと考えてどこかに出掛けようと、背の高いジークを私は見上げるのだった。