1450:進展、どうですか。
ナイさまが椅子にちょこんと座って自信なさそうな顔になっている。彼女にしては珍しい。後ろで護衛を務めているジークリンデさんはいつも通り澄ました顔で、背筋を伸ばして立っている。そしてナイさまが悩みつつ口を開いた。
「どうして、ジークは私なんかに告白したのでしょう……?」
ナイさまの声を聞いて、私は椅子から転げ落ちそうになる。大聖女フィーネとして勤めていたことで、椅子から無様に落ちるということにはならなかったけれど……ナイさま……そこからですか!? と言いたくなってしまう。ナイさまの恋愛観はさっぱり分からない、というかナイさまから恋愛について語っているところを見たことがない。いろいろ言いたいことがあるけれど、先ずは。
「ナイさま、ナイさま! 私なんか、ではないですよ。ジークフリードさんが興味のない女性に告白なんてするはずないでしょう!?」
ジークフリードさんからの告白を受けて悩む必要はあるのだろうか。あとはナイさまが答えを出せば良いだけなのに、何故、そこで悩むのか。私がどう返答したものかと考えていると、ナイさまが先を口にする。
「でもイケメンが私に告るなんて有り得ます? チビですとーんで魅力は皆無ですし……フィーネさまくらい胸があれば、そりゃ多少は期待が持てますが」
そこ、そこに突っ込んでくるんですか。確かに私はナイさまより胸は大きいけれど……そこに嫉妬してどうするんですか!? 人は容姿だけで誰かを好きになることはないのに。
もしかしてナイさまの恋愛観は凄く拗らせているのでは……と頭を抱えそうになるのをぐっと堪える。部屋に控えている侍女の方もこちらを気にしないような素振りをしつつ、聞き耳はきちんと立てているようだ。侯爵家の他の護衛の方まで微妙な顔になっているし、聖王国の護衛の人たちも『ええ……』と困惑気味である。やばい。ナイさまの恋愛経験値が幼稚園児より低いかもしれない。
どうすればナイさまがジークフリードさんの気持ちを受け入れてくれるのかと私は悩むものの、こればかりはナイさまが決めなければいけないこと。そこに関しては誘導しない方が良いだろうと一つのルールを決め、ナイさまのご自身の評価の低さがどうにかならないものかと口を開く。
「ナイさま、胸は関係ありませんよ!」
「いや、揉むなら大きい方が良いじゃないですか」
私がティーカップを手に取って紅茶を飲もうと口に近づけると、ナイさまがとんでもないことを言い出した。
「ちょ!? なにを言っているんですか!!」
私が紅茶を口に含んでいれば、目の前のナイさまにぶっかけているところだったとティーカップをソーサーの上に素早く戻す。ふうと息を吐くものの、どうしてナイさまは男性側に立って物を考えてしまうのだろう。私も胸が慎ましければナイさまの味方になっていたかもしれないと、変な方向へ思考が飛びそうになる。
「自分が男性だったなら、大きい方を揉みたくないですか?」
「わ、私に聞かないでください! 胸は胸ですよ! 万物に与えられたものですしっ! というか質問が繰り返されていますよ!」
至極真面目な顔をしたナイさまが私に問うてくるけれど、どう返して良いのやら。とりあえず彼女の言葉に同意してはならないことだけは分かるので、反対を表明……というよりは無難に答えておいた。妙な返しになった気がするけれど、胸は男性にもあるものだし間違ったことは言っていないはず。
「フィーネさまが疑義を呈すので」
「…………すみません」
ナイさまがジト目で私を見てくるので、誠意が全く籠っていない謝罪を私はしておいた。床の上でゴロンと寝転がっていたフソウの神獣である雪さまと夜さまと華さまがのそりと立ち上がって、私の椅子の隣に座る。ヴァナルさんも寝転がっていた床から顔を上げて、番である彼女たちが移動したことで彼も横に移動してきた。毛玉ちゃんたちは相変わらず三頭で戯れており、私たちの話には興味がないみたいだ。
「話が戻ってしまいますが、ナイさま」
「はい?」
私が話の流れを変えようとすれば、ナイさまが目を丸く見開く。ああ、本当に彼女との最初の出会いはインパクトがあったと私は目を細めた。怒りで魔力を垂れ流しつつ、元教皇に迫り私にも言葉を投げていた。
今は迷子の子供みたいに不安を抱え、どうすれば良いと悩んでいる。もう少し恋愛に積極的な方であれば、ジークフリードさんの告白を直ぐに受けていただろう。ずっと一緒にいることで、異性として意識しようにもできなくなっているのかもしれない。
「私なんか、ではないでしょう? ジークフリードさんはナイさまだから告白をしたのかと。確か学院でも女子生徒から告白を受けていましたよね?」
「はい。ジークはモテるので」
私の言葉にナイさまが少し嬉しそうに答えた。どうやらナイさまは、ジークフリードさんを褒められてと勘違いしているようだ。
「そんなモテるジークフリードさんがナイさまが良いと仰ってくださったなら、自信を持ってください。ナイさま、可愛いですし。言えないだけで好意を抱いている異性の方はたくさんいらっしゃるかと」
ナイさまのことを可愛いと考えている男性はたくさんいるのではないだろうか。常識のある方だし、話しかければ普通に対応してくれる。貴族の世界に住んでいるから、身分差で声を掛け辛いこともあるだろう。うーん。確かナイさまが学院の一年生の頃、変な方に絡まれていたから妙に警戒でもしているのだろうか。今のナイさまの顔は凄く微妙なものになっている。
「えー……と言いたげな顔をしないでください!」
私はそう言うものの、過去を振り返ってみる。アガレスで彼女に助けて貰ってからというもの、相談事は私から持ち掛けるばかりだし、ナイさまに悩みを聞いて貰っているばかりだった。ナイさまのことも聞いておけば良かったと反省していると、ナイさまの表情が少し和らいでいるものの、なにか考えているようだ。
「可愛い系より、美人系の顔が良かったのですが」
「贅沢ですねえ」
「そうかもしれません」
ナイさまの贅沢な言い分に私は肩を落とす。そこは否定してくださいと言いたいけれど、正直に答えてくれるのはナイさまの良いところのはず。私が床に寝転がっている雪さんたちに視線を向ければ『手強い方ですねえ』『ナイさんらしいですけれど』『我々のように番を見つけられれば良いのですが』とぼやいている。ほら、神獣さまも心配していますよと私は声を上げ、話を続けましょうとナイさまに告げるのだった。
◇
ジークフリードがナイさまに気持ちを伝えたと聞いた俺、エーリヒ・ベナンターは進展はあったのかと凄く心配をしていた。
今やナイさまは各大陸で名を馳せている。変な輩から釣書が送られてくるなんて頻繁に起こっているが、アルバトロス王国は認めていないと言って断りを入れている。ナイさまも知っていることであるが、釣書が頻繁に届いているとまでは分かっていないだろう。
ジークフリードもナイさまの名声を考えて、今の内に気持ちを伝えておいた方が良いかもしれないと考えたのだろうか。一歩大きく前に進んでいるはずなのに、ナイさまが恋愛に奥手なためか凄くゆっくりとしたもののようである。フィーネさまが心配して今回アストライアー侯爵邸に訪れることになったのだが、俺とユルゲンはジークフリードのメンタルケアを頼まれている。ナイさまの返事を待ち続けているジークフリードは大丈夫かと心配だったのだが、案外普通に生活をしているようだ。
アストライアー侯爵邸の賓客室で椅子に腰かけているジークフリードはいつもと同じ様子なのだから。彼の肩の上に乗っているネルが顔を擦り付けてご機嫌な様子になっている。俺たちも俺たちで、淹れて頂いた紅茶を手に取って喉を潤し前へと視線を向けた。
「ジークフリードがナイさまに告白したと、城で騒がれているよ。時間が経って噂が立ち始めたみたいだ」
「ええ。閣下のお相手は決まっておりませんでしたから、ようやくかと皆さま安堵しているようですねえ。まあ、無謀なことを考えていた方もいたようですけれど」
まだ結果は出ていないというのに、城ではめでたいめでたいと大騒ぎである。陛下方もまんざらではなさそうだし、俺はボルドー男爵閣下から『なにかあれば頼む』と念を押されている。
おそらくフォローをしろということだけれど、果たして他人様の恋愛事に足を突っ込んでも良いのか。ただジークフリードがナイさまのことを好きなのは承知しているので、どうにか彼の気持ちが実るようにと願ってしまう。ずっと一緒に過ごしているのに、ジークフリードの気持ちに全く気付かないナイさまもナイさまだと俺は言いたいのだから。
「迷惑を掛けてすまない。ナイに俺のことを意識して貰いたかったんだが、あまり進んでいないな。それでもまあ、意識はされているはずだ」
「さっきのナイさまはいつも通りだけれど、ジークフリードに対して変化はあったのか?」
「意識して、偶に顔を赤くしたりするな。偶に視線を逸らされもする」
俺の疑問にジークフリードが答えてくれる。どうやら不意に視線が合ったりすると、ナイさまが恥ずかしそうにして視線を逸らすそうだ。告白前はそんなことは一切なく、視線を逸らすなんてことはなかったとのこと。これは期待しても良いのではと俺がユルゲンの方を見ると、彼も同じことを考えていたようで口を開いた。
「それはジークフリードに好意を持っているのでは? 閣下が異性にそのような仕草を安易に見せるとは思えません」
やはりユルゲンも同じことを考えていたようである。ナイさまは興味のない異性に好意を向けられても、ばっさりと切ってしまいそうであるが、ジークフリードの告白を受けて待ったを掛けている。
期待を持たせようとすることや、焦らそうなんて考えは彼女の中にありそうにない。それならジークフリードと付き合っても問題ないはず。でもまだジークフリードはナイさまから返事を貰っていない。なんだかじれったい関係だと肩を竦めていれば、ジークフリードが小さく息を吐いた。
「多分。でもナイはぐだぐだ悩んでいるみたいだな」
ジークフリードはそれも承知の上で告白したようである。全く恋愛に興味を示さない彼女だから、きっといろいろと悩むだろうと。案の定、悩んでいるナイさまを見てジークフリードは彼女らしいと安堵したようだ。だからナイさまが結論を出すまでは急ぐことはないと。仮に他の男性がナイさまに告白をしたとしても、根が真面目な彼女であれば受けることはないと確信しているようである。
「ジークフリードは良い男なのにな。俺なら即、返事をするなあ」
「こればかりは、人によるんだろう」
「侯爵閣下は理想の高い方なのかもしれませんねえ」
俺が冗談めかすとジークフリードもユルゲンも苦笑いを浮かべている。あとはナイさまが心を決めれば良いだけのようだ。周りの皆さまはジークフリードとナイさまが結ばれることを望んでいるようだし、少し恋愛に奥手な彼女にじれったさを感じているようだけれど、邪魔をしたり手を加える気はないそうだ。
ヴァルトルーデさまとジルケさまも静かに見守っているようだし、クロさまと天馬さま方やグリフォンたちも微笑ましそうにしているとか。
ジークフリードは待つ構えを取っている。あとはナイさま次第というよりは、時間の問題かなと俺は一つ頷いて、南の島のことを話し始めるのだった。