1444:ちょっと西へ。
ジルケさまが何故かジャーキーを食べたいと言い出した数日後、今度はヴァルトルーデさままで食べてみたいと告げた。私はまた『味がないですよ』と言っても、とりあえずトライしたいようである。
周りの皆さまは女神さまに魔獣と幻獣用のおやつを渡して良いのかと悩んでいるものの、女神さま方の好奇心が勝っているのだから仕方ない。私はまた調理場からストックしていたジャーキーを貰って、ヴァルトルーデさまに渡せば微妙な顔を浮かべて食べているのだった。
また数日の時間が過ぎて。三月初旬になっている。
普段通りの日々を過ごしている中、テオとアンファンが王都に旅立つ準備を始めていた。持って行く荷物は少なく、鞄一つで十分なのだとか。
ユーリと別れることで少し寂しそうなアンファンと、王都でお針子見習いとして働いている妹のレナに会えるテオは嬉しそうである。ユーリはアンファンとの別れの時期が近づいているとは知らず、いつも通りに過ごしていた。いなくなってから気付いて大泣きしそうだと乳母の方が心配していたけれど、どうなることやら。
私たちは私たちでいろいろとお誘い頂いているため、今日はヤーバン王国に向かう。亜人連合国の皆さまも招待されており、ヤーバン王国はちょっとしたお祭り騒ぎなのだとか。私は雌グリフォンさんたちから預かった卵四つをヤーバンの皆さまにお見せするため。亜人連合国はヤーバンに移り住んだワイバーンさんたちと小型の竜のお方の様子を伺うためという理由があった。
早朝。まだ薄暗いアストライアー侯爵領領都の外に降り立った超大型竜である青竜さんと赤竜さん二頭の盛大なお迎えに苦笑いを浮かべながら私は挨拶をする。一緒に向かうおばあは驚きで垂れた目を見開いて、うず高い超大型竜の方を見上げていた。
クロが飛んで行き青竜さんと赤竜さんに事情を説明すれば、二頭のお方はなるほどと理解してくれておばあの方に顔を向ける。ド迫力な顔が近づいてきて驚いたおばあは私の後ろに隠れて様子を伺っている。
『おや、老グリフォンは我々のような竜には初めて会いましたか。驚く必要はありません。貴女に敵意はなく、食べることも致しません』
『ええ。我々の図体が大きいだけで貴女と変わらぬ存在です。仲良くしましょう』
尻尾が垂れ下がっているおばあに赤竜さんと青竜さんが声を掛けた。おばあは彼らの声に驚くものの、一生懸命に言葉を理解しようと首を傾げている。私はどうにかなるだろうと見守るだけだ。私の肩へと戻ってきたクロが着地して『大丈夫だよ~』とおばあに呑気な声を掛ける。
『ピョエー……?』
おばあは私の頭の上に顔を置き、また首を傾げている。ジャドさんと雌グリフォンさん四頭はおばあの行動を楽し気に見つめていた。
『さあ、乗ってください』
『時間もありましょうからね』
赤竜さんと青竜さんの声にアストライアー侯爵家の面々がそれぞれ乗り込む。毎度、いつものメンバーで私とジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまと護衛の皆さまである。
そして当然のように侍女に扮せていないヴァルトルーデさまとジルケさまが一緒だ。まあヤーバン王は二柱さまの正体を知っているから今更だけれど。騒ぎになるため知っている方以外には二柱さまのことは『私の侍女』で押し通す。
あとジャドさんとイルとイヴ、おばあと雌グリフォンさん四頭に天馬さま方も顔見世として一緒に赴く。身重の天馬さまはなにがあるか分からないのでお留守番だ。赤竜さんの背に乗り込んで鱗の感触を確かめながら私は前を向く。
「では、よろしくお願い致します」
侯爵家の面々が乗り込んで、私は赤竜さんと青竜さんに声を掛ける。
『はい。参りましょうか』
『ナイさんたちを乗せて移動するのは久方ぶりですねえ。では確りと捕まっていてくださいね』
大声を出したわけではないのに、二頭の方にはきちんと届いていた。本当に不思議だと目を細めていれば、大きな翼を広げた赤竜さんと青竜さんから魔力が溢れ出す。
彼らが動こうとすると身体の中の魔力も一緒に動いているようだ。腰元のヘルメスさんがそう教えてくれ、おばあはきょろきょろと当たりを見渡す。青竜さんの背に乗った天馬さま方は初めて竜の方の背に乗るため、少しおっかなびっくりという感じだった。
侯爵領の領都を見下ろすのは久しぶりである。壁の補修工事や道路整備を行ったため、以前より見た目が綺麗になっている。
ミナーヴァ子爵領もデグラス領(仮)もアストライアー侯爵領も少しづつ成長しているので有難い限りだろう。私の手腕というより部下の方たちの手柄だろう。そういえば、忘年会とか新年会とか慰労や新しい年になった決起会のような概念はまだないので、今年の年末か来年度早々に開催しても良さそうだ。いろいろと頭の中で考えていると、割と時間が過ぎていたようである。
赤竜さんと青竜さんが地面から離れて随分と高度を上げている。既にアルバトロス王国を超え、国を二つ三つ経ている。西へと移動しているのだが、反対側、ようするに赤竜さんの尻尾側に視線を向けると地平線が見えていた。
「うわあ……凄い景色」
はるか先にある地平から陽が昇り始めていた。陽の光で赤くなっている空と藍色の境目が交じり合って、なんとも言えない色合いを醸し出している。屋敷で寝ていれば見られない景色だと感心して、私の口から勝手に声が漏れていた。
クロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんに、毛玉ちゃんたち、そしてジャドさんたちも同じ景色を眺めている。隣の天馬さま方も陽が昇ってきたところを目に焼き付けているようだ。
「凄いな」
「綺麗だね」
ジークとリンが私の後ろで同じ景色を見ている。私が落ちないようにとガードされているのは子供扱いされているようだけれど。
「こんな景色、誰彼が見られるものではないな。本当に凄い」
「ええ。なんて美しいのでしょう」
ソフィーアさまとセレスティアさまも壮大な景色に見惚れているようだ。グイーさまの使いを果たしている時も朝陽が昇る中を移動していたことがある。ただあの時は余裕がなかったのか景色を楽しむことはあまりなかった。偶にはこういう贅沢も良いなあと目を細めていれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが私の横に並ぶ。
「確かに今の景色は竜の背に乗っていないと無理」
「だな、姉御。地上で見るのとはまた違う」
そんなこんなを言いながら景色を楽しんでいれば、幻想的な光景は一瞬だった。陽が昇って空が明るくなり冬の青い空が広がっている。カラりとした澄んだ空気を肺いっぱいに取り込んで、背伸びをすれば凄く気持ち良い。
お喋りをしつつ、料理長さまが持たせてくれた朝食をみんなで食べていればヤーバン王国に辿り着いていた。なんだか移動時間が短くなっているのは気のせいだろうか。眼下に見えるヤーバン王国王都のお城では見張り台から兵士の方がこちらを確認して、なにやら伝令を飛ばしている。
『少し早く辿り着いたようですね』
『迎えの方たちが慌てているようです。申し訳ないことをしてしまいました』
赤竜さんと青竜さんが王都の上空を旋回しながら高度を落としていく。私はヤーバン城に視線を向ければ、一つの尖塔からヤーバン王の姿を確認することができた。
「あ、ヤーバン王がいる。見えるかな?」
私の声にジークとリンが『上側だからな』『見えていないかも』と答えてくれる。とはいえ彼女と視線が合ったような気がするので私は小さく礼を執る。すると尖塔の窓から顔を出しているヤーバン王がにっと笑って手を振ってくれた。
「見えているのか……凄い視力だ」
「まさか捉えているとは」
ソフィーアさまとセレスティアさまが結構な距離があるというのに、ヤーバン王が私たちを視認していたことを驚いている。ヴァルトルーデさまとジルケさまは『彼女だし』『だな』と納得していた。
私たちはヤーバン王国王都の外にある空き地に降り立ちお迎えがくるのを待っていると、北の空から緑竜さんがこちらに飛んでくる。彼もまたヤーバン王都の空を旋回して、ゆっくりと広場に降り立った。緑竜さんの背の上から、ひょいひょいとディアンさまとベリルさまとダリア姉さんとアイリス姉さんが降りてきた。
私たちは彼らの下へと歩いて行き礼を執る。畏まる必要のない仲ではあるが外交の場――多分――である。私がお久しぶりですと声を上げれば、皆さまが笑みを浮かべながら私を見下ろした。
「久方ぶりだ。会えて嬉しい」
「そうですね。なかなか、貴女の領地に行けずにいますから」
「天馬がきて、グリフォンもきて、卵を預かって、ナイちゃんは変わらず忙しそうね」
「本当にね~でも良いことだから。あたしたちは嬉しいよ~」
以前はアルバトロス王都のミナーヴァ子爵邸の隣でしょっちゅう顔を合わせていたけれど、領地に移り住むと簡単に会えなくなっていた。少し寂しい気持ちがあるけれど、頻繁に他国の方と会っていた方が変だったのだろう。とはいえ私が会いたいといえば直ぐに時間を見繕ってくれるし、逆に皆さまが私に会いたいと願えばスケジュールを調整して貰う。
黄金の畑の妖精さんのことや、妊娠している天馬さま方のこと、おばあのことを話していれば、迎えの方たちがやってきた。ワイバーンに乗って。しかも先頭はヤーバン王だ。見事な手綱さばきを披露しながら、ワイバーン十騎が地面に降り立つ。ヤーバン王都の門からは馬車が数台こちらに向かってきている。ワイバーンの背からひょいとヤーバン王が降りて私たちの前に立つ。
「アストライアー侯爵、亜人連合国の皆、良くきてくれた! 歓迎する!」
カラカラと笑うヤーバン王に私とディアンさまが代表として声を返せば、ヤーバン王はジャドさんとイルとイヴと雌グリフォンさん四頭とおばあの方に視線を向けて、なんとも言えない顔を浮かべる。そして私が下げているポシェットに視線を落としてなにか言いたそうな顔をするものの、ぐっと堪えて彼女は城の方を指で差す。
「積る話はたくさんあるが、先ずは城へ向かおう!」
ヤーバン王の声に従い、寄越してくれた馬車に私たちは乗り込んだ。ヤーバン王は馬車には乗らず、そのまま歩いて私たちの護衛に就くそうだ。え、一国の王さまが気軽に務めて良いものなのかと首を傾げるも、ヤーバン王国である。
強者が王となる風習だからあり得ることかと私は納得して、動き始めた馬車の窓から景色を見る。ヤーバン王国の王都の中に入るのは初めてだし、どんなところだろうと密かに笑みを浮かべるのだった。






