1440:ちょっとした間。
二月中旬。少し休暇を利用して俺が賜った領地――ベナンター男爵領という名に決まった――に顔を出している。いろいろと試したいことがあるし、ジークフリードの所領との交易関係の相談やらもあるため、彼に話ができないかという誘いも出していた。
ジークフリードはナイさまの護衛が忙しいだろうに、俺との話し合いに即返事をくれたのは有難いことだ。小さい領ではあるけれど、長閑な場所で領地の人たちも朴訥としている方が多い。野菜や小麦を作って自給自足をし、余ったものは売りに出しているという感じなので、収入アップのために副業するか、新しい農作物で高収入を得られないかと考えている。
一先ずベナンター男爵領の領主邸で俺はユルゲンと一緒にジークフリードを迎え入れた。独身の当主ということなのか屋敷の中は男性率が高い。もちろん女性の侍女の方や下働きの方がいるのだが、ナイさまの屋敷と比べると少なかった。ナイさまの屋敷で働く女性率が高いとも言えるので、比べられないかもしれないが。こじんまりとした客室――それでも豪華――で男三人が顔を突き合わせている。
「ジークフリード、三人で会うのは久しぶりだな」
ジークフリードと会うのは本当に久しぶりだ。自由連合国の首都に赴いたり聖王国に向かったり忙しかったけれど、そのあとはアルバトロス城で外務官の仕事に励んでいる。
ユルゲンとは毎日顔を合わせているものの、ジークフリードはアストライアー侯爵領で日々を送っている。当然、三人が顔を合わせるには、こうして示し合わさないとできないことだった。椅子に腰かけたジークフリードは目を細めて小さく笑う。
「エーリヒ、ユルゲン、久しぶりだ」
前に会った時よりも声に渋みが増えている気がする彼に俺もユルゲンも笑みを返す。そしてユルゲンが肩を竦めながら口を開いた。
「本当にお久しぶりです。僕がお邪魔して申し訳ありません……と言いたいところですが、省かれるのは寂しいですからね」
うん。俺とジークフリードだけでは堅苦しくなりそうだし、ユルゲンなら俺たちの話を聞いても問題ないしアドバイスもくれるはず。せっかくの休みを奪って申し訳ないのだが、領地を見て回りたかったし丁度良かった。男ばかりというのはむさ苦しいけれど、気を使わなくて良いという便利な面もある。侍女の人に茶とお菓子を用意して貰い、身の上話から始めることとなった。
「ジークフリード。ナイさまに告白したって聞いたけど上手くいっているのか?」
俺がジークフリードを見ると『やはり知っていたか』というような顔を浮かべた。当然、ナイさま関連のことは密に連絡を取っているので、いろいろとアストライアー侯爵家の情報は上がってくるのだ。
みんな知っていることだしナイさまも承知している。陛下はアルバトロス上層部の信頼できる人たちにしか情報を渡していない。変な奴にナイさまの情報を握られて事件が起こっても困るからだ。
まあ、今の状況であればどんな人間がナイさまに立ち向かっても、赤子の手を捻るように撃退しそうだけれど。ナイさまが持つ錫杖は随分と過激なようだし、スライムのロゼもいて、ヴァナルとフソウの神獣さまがいるし、普通に護衛の方もいるのだ。ナイさまに手を出そうと考える方が愚者であった。それでも欲を出した者が良からぬことを考えそうではあるが。
「どうだろうな。俺を意識してくれていることは分かる」
ジークフリードが片眉を上げながら状況を教えてくれた。デートに誘ってもナイさまは『お出掛け』という認識だし、事件が起こってうやむやになった。
またデートに誘って雰囲気を作るよりも、あっさり告白した方が早いだろうとジークフリードは作戦を練ったようである。偶々、侯爵家の屋敷で二人きりになった時に『好きだ』と告げたそうだ。その時のナイさまはジークフリードの言葉の意味を理解できず暫くの間呆けていたが、もう一度彼が『ナイのことを女性として見ている』と言い直せば顔を茹蛸のようにさせたとか。
ジークフリード的には彼女に『男』として見られただけで十分な進歩なのだそうである。しかし進展が鈍足過ぎるのではと心配になってくる。ジークフリードが告白して数ヶ月経っているのに、ナイさまは返事を待って欲しいと保留にしているとか。
「凄く落ち着いていらっしゃいますねえ」
ユルゲンが返事を保留していることに対して肩を竦めながらジークフリードを見る。俺もジークフリードを見て良く落ち着いていられるものだと感心しながら口を開いた。
「だな。もう少しジークフリードは焦っているかもしれないとか考えていたんだけど」
ナイさまとジークフリードがくっつくことは陛下もアルバトロス上層部もボルドー男爵閣下も認めている。むしろジークフリードにもっとイケイケと応援している気もするので、彼がプレッシャーを感じていないか心配だったのだが、当の本人は落ち着いたものだ。
告白されたナイさまの方が机に足をぶつけて痛がっていたり、ジークフリードを見て顔を赤くしているそうだから、彼女の方を心配すべきかもしれない。とはいえ男の俺が女性の恋愛のアレコレに首を突っ込むわけにはいかないので、こうしてジークフリードから話を聞いているわけだけれど。
ユルゲンと俺の言葉にジークフリードは背を正したまま口を開く。
「十年一緒にいるから、ナイの性格は理解しているつもりだ。慌てても仕方ない。返事はすると聞いているし、急かすことでもないしな」
ジークフリード曰く、ナイさまは恋愛の『れ』の字も興味がない、というよりは自分に誰かが恋愛感情を抱いていることに果てしなく鈍感になっているとか。
彼女が過ごしてきた環境の所為なのか、恋愛なんて経験してもお腹は膨れないと決め込んでいるらしい。決して彼女が口にしたわけではないけれど、見て見ぬ振りをしている部分があるとか。本当にジークフリードはナイさまのことを良く見ているなと感心していれば、その分苦労するが他人を見ることがないので安心できるらしい。
確かにナイさまはどんなイケメンを見ても『へー』で終わっていた気がする。普通の女性であれば『ねえねえ、あの人、超カッコ良くない?』『だよね! 凄くカッコ良い! あんな人と付き合ってみたいなあ』とかやり取りがありそうなものだけれど。
ナイさまの側にいる女性がジークリンデさんとハイゼンベルグ公爵令嬢とヴァイセンベルク辺境伯令嬢なので仕方ないのだろうか。フィーネさまであれば『さっきの方、カッコ良いですよね? ナイさまはどう思いますか?』とか声を掛けてくれそうである。それでナイさまの心を刺激できるか分からないけれど、なにか考える切っ掛けくらいになるのでは。でも『え、見ていませんでした』とナイさまが口にして、フィーネさまは『えー……、それは女の子としてどうかと思います!』とプリプリしそうだが。
微笑ましそうな光景だが、ジークフリードにこんなこと口が裂けても言えないと俺は頭を振る。
「なら、まだ待つのか」
「ああ。駄目なら諦めるだけだ」
俺の声にジークフリードが目を伏せる。うーん。ジークフリードはこんなに良い男だというのに、ナイさまはなにを迷っているのだろう。ジークフリードにもっとぐいぐい行っても良いのではと助言をしたくなるが、恋愛初心者どころか恋愛微生物レベルくらいのナイさまを焦らせても仕方ないのか。まあ、いつまでも話している内容ではないだろうと、夏の南の島の話や領地について話題を変えていくのだった。
◇
黄金色の畑の妖精さんが育ててくれたお野菜さんは美味しかった。女神さま曰く、含まれている魔素が多いだけで食物として人間が食べても問題ないそうである。天馬さま方とグリフォンさんたちにも好評だったし、屋敷の皆さまも最初は驚いていたけれど二柱さまが問題ないと判断してくれたお陰で、普通に食してくれているとのこと。マンドラゴラもどきがいつか生えてくれることを願いながら、日々が過ぎていき二月末となっていた。
冬の寒さの厳しさが随分と和らいで、春の様子を運び始めてくる頃だ。
お腹に仔を宿している天馬さま方はパンパンに膨れており、少しばかり触れさせて貰えば胎内で動いているのか手に仔の感触が伝わってくる。
私が預かったグリフォンさんたちの卵は少しだけサイズアップしていた。ジャドさん曰く、卵の気分次第で産まれてくる時期が変わるため、いつ孵るかは分からないそうだ。ただ魔素が濃い場所にいるので、案外直ぐ孵って元気な姿をみせてくれるかもしれないとのこと。
夜。私は自室でジークとリンとクロたちとヴァナル一家と一緒に駄弁っていた。いつものことだから本当に気楽なものであるが、ジークが私に告白したことを後悔しているのではないかとか考え始めている。
ジークとの関係が変化したわけではないが、私が告白を保留にしたことに苛立ちを募らせているのではとか、他の女性の方が似合うのではとか考えてしまう。
一方のジークはいつも通りだし、リンも変わった様子はない。クロたちもいつも通りに接してくれていて、なにかが変わるということはない。もう直ぐ答えを出さなきゃいけない時期にきているというのに、私の心と頭の中は自分でも理解できないでいる。とはいえ日々は流れていくものだから、いつも通りに過ごさなければ。
「春は大忙しかな。アンファンとテオは王都に行っちゃうから、寂しくなるところもあるけれど」
屋敷で働く若い子たちが勉強のため、将来のために王都へと旅立つ。ちゃんと王都で生活できるように手配はしているし、専門の学校に通うための準備も整っている。まだ十三歳ほどの彼らが上手く社会に馴染めるだろうか、貧民街出身だと学校で馬鹿にされたりしないだろうかと心配は尽きない。
彼らを馬鹿にすれば紹介した者として学校に出張って行くこともできるけれど、アンファンとテオが私に白い目を向けそうである。心配だけれど、彼らが無事に卒業できますようにと領地で願うしかないのだろう。懇談会や参観日のようなものはないし、理由を付けて学校に乗り込むのはなにか違うし。
侍女の方に淹れて貰った紅茶を一口嚥下して、ティーカップをソーサーの上に置けば、そっくり兄妹が肩を竦めていた。
「だな」
「だね」
二人が視線を合わせたあと、私に顔を向ける。相変わらずそっくりな双子はいつも通り、私のやらかしに文句も言わず一緒に過ごしてくれていた。十年も付き合いが続けば家族のようなものである。これから先もこうして顔を突き合わせているのだろうか。もちろんクレイグとサフィールとも続けていきたいし、新たに出会った方たちとも縁を維持していきたい。
『春は出会いと別れの季節だねえ~』
クロが私の肩の上で呑気に声を上げた。確かに春は出会いと別れの季節だけれど、今年は出会いがたくさんありそうだ。アンファンとテオは二年後に侯爵領に戻ってくるはず。もちろん長期休暇の際には戻ってくるから、ずっと会えないというわけではない。まだまだ騒がしい日々は続きそうだと、みんなで笑い夜が更けていくのだった。






