1438:ごごごごごごご。
託児所に預けられている八歳くらいの男の子が、作った家庭菜園の真ん中で私の前に立つ。彼の手の中には庭師の小父さまから預かった種が三つ転がっていた。私を見た男の子はおずおずと言った感じで手を差し出す。どうしたのかと私が首を傾げると彼は意を決したように口を開いた。
「ごとうしゅさま。コレ、僕が植えても良いですか?」
「うん。大丈夫だよ。美味しく育ちますようにって、優しく丁寧に植えてあげてね」
「やった! ありがとうございます!」
男の子に私が答えるととびきりの顔をして私の下から託児所の子たちの下へと駆けていった。彼らの側にはサフィールとクレイグが片眉を上げているので、どうやら男の子は私に許可を取るようにとクレイグとサフィールに言い含められたのだろう。まだ自由気ままに遊びたい盛りだろうに、きちんと礼節を保って接しているのだから親御さんがきちんと躾をしているようだ。託児所の効果もあれば良いのだが、影響はどれほどのものだろう。
畑の側ではエルとジョセ、天馬さま方とジャドさん家族とグリフォンさん四頭とおばあがこちらを見ている。天馬さま方は春と夏に撒く予定の人参が楽しみだとか。
グリフォンさんたちもいろいろな野菜を食べれる環境ができて嬉しいようである。おばあは良く分かっていないのか、不思議そうな顔でこてんこてんと首を傾げていた。そうして子供たちが落とした種を見つけて首を下げようとしている。私は彼女の下へと歩いて行き、そっと嘴に手を添えた。
「おばあ、種を食べたら駄目だよ」
『ピョエ~?』
私の声におばあがどうしてと言いたげに首を傾げる。すると毛玉ちゃんたちも寄ってきて三頭が並んで地面にチョコンとお尻を付けた。彼女たち三頭も良く分かっていないのか『にゃんで?』『たべもにょたべりゅ、とうじぇん!』『おにゃかすいたら、たべりゅ!』と口にしている。
まあ。確かに平時であれば種を食べても問題ないかもしれない。天候不順による飢饉に陥り食料が足りない場合、種を食べてしまい次の年に撒くものがないという事態に陥った話がゴロゴロ転がっている。
次代のためにと己は種籾に手を付けず死んだものの、村の人間は彼の崇高な行為により助かったなんていう逸話もあるのだ。一人の犠牲で多くを救う話は美談に聞こえるものの、みんなが少しづつ我慢していればその人が亡くなることはなかったかもしれない。なんて考えてしまうと世知辛くなってしまう。
「おばあも、毛玉ちゃんたちもお腹が空いたら困るよね」
『ピョエー……』
おばあが情けない声を上げてしょぼんと首を下げる。どうやらクロの通訳によれば、今日はご飯ナシと勘違いしたようだ。すぐにジャドさんたちがおばあに補足の説明をして顔を上げていた。
『やじゃ!』
『らめ!』
『いやら!』
毛玉ちゃんたちは私の言葉の意味を一応理解してくれているようで、尻尾を縦に動かして地面に打ち付けている。
「種は食べ物を生み出すためのものだから食べちゃ駄目だよ。もちろん、食用のものもあるから全てがってわけじゃないけれど」
ひまわりの種とか海外では食べる習慣があると聞いている。アルバトロス王国では聞いたことがないけれど、違う国では食用として量産されていてもおかしくはないだろう。毛玉ちゃんたちは私の話を分かってくれたのか、いないのか……地面に付けていたお尻を上げて、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんの下へと走って行った。
『毛玉ちゃんたちは自由だねえ』
「だね」
私がクロと笑っていれば、子供たちとクレイグとサフィールがジークとリンを呼んでいる。どうやら種蒔きを手伝えということらしい。私は当主として畑の中で現場監督を務めるだけだ。
一緒に植えたいのはやまやまだけれど、子供たちの楽しみを取るわけにもいかない。小さな畑だと然程時間も掛からず、全ての場所に種を植えることができるだろう。種を植えたら水を撒いて、元気に根を張り芽が息吹ますようにと願わなければ。私が目を細めながら畑を見ていると、ヴァルトルーデさまとジルケさまが畝から立ち上がってこちらへきた。
「ナイが魔力を放出したけれど、畑の妖精きてくれるかな?」
「さあな。気まぐれな連中だからこねえかもしれねえし、くるかもしれねえ。けどよ、いきなり明日現れる、なんてことはねえさ、姉御」
私を見下ろすヴァルトルーデさまにジルケさまが答えた。どうやら畑の妖精さん、というより妖精さん全般は気まぐれなため出現率は良く分からないそうである。ただ私が放出した魔力が魔素になり、畑に影響を齎したなら現れるかもしれないそうだ。
魔力の魔素化は一日二日ではできないそうで一週間ほどは掛かるとか。ジルケさまの声にヴァルトルーデさまが『残念』と声を零す。どうやら子爵邸の畑の世話をする妖精さんたちの姿を見守るのが楽しかったようで、引っ越しにより見れなくなって少し寂しかったそうだ。ヴァルトルーデさまが願えば妖精さんたちが大量に寄ってくれそうだけれども、流石に呼び寄せるような無粋なことはしないらしい。自然が一番だとヴァルトルーデさまが零していれば、子供たちが全ての種を撒き終えて私の前に集まった。
「ご当主さま。ぜんぶ、まけました!」
「ちゃんと元気に大きくそだってねって、おねがいしながら植えました!」
「たのしかったです! ご当主さま、さそってくれてありがとう!」
わらわらと集まった子供たちが思い思いに私へ報告をしてくれる。泥だらけになっているけれど偶には良いだろう。今日のことは保護者の方には通達済みだし。子供たちを褒めているのかルカが嘶きを上げ、ジアに煩いとヒップアタックを貰っている。天馬さま方は収穫した野菜を食べられる日を楽しみにしているとのこと。
二柱さまも自分で植えた野菜を食べるのは初めてのことだから、収穫の時と調理されて提供されることが待ち遠しいとか。私は子供たちと視線を合わせ――年長組の子たちと背がそう変わらない。というかアンファンには抜かれてる――て口を開いた。
「みんな、お疲れさまでした。きちんとお仕事を終えたみんなには料理長さま方が用意してくれたお菓子があるよ。託児所に戻ったら、きちんと手を綺麗に洗って食べてね」
本来は私の仕事なので託児所の子たちには報酬として料理部の方にお菓子を作って貰うようにお願いしていた。流石にショートケーキとまではいかないが、パウンドケーキ等の焼き菓子をお願いしますと伝えてある。
私も食べたいところだが、私がお願いするとお皿に凄いデコレーションを施してくれる。普通に手に取ってパクつきたいのに、ナイフとフォークで切り分けて食べることが多い。ちょっと託児所にお邪魔したい気持ちを抑えていれば、サフィールとクレイグが無言で『そろそろ』『俺たち戻るわ』と訴える。そうしてサフィールとクレイグは子供たちの方へと歩く。
「さあ、戻ろうか」
「ご当主さま、失礼します」
そうして子供たちとクレイグとサフィールが託児所へと戻って行った。私は水撒きを忘れていたと残った面々で畑に水を撒いていく。何故かヴァルトルーデさまとジルケさまに『ナイはじっとしてる』『当主なんだ、動かなくて良いだろ。小さい畑だし、庭師のおっちゃんと撒けば直ぐ終わる』と言って、ジョウロを奪っていった。
私も水をあげたかったのにという愚痴は飲み込んで、楽しそうに水を撒くヴァルトルーデさまとジルケさまと凄く緊張している庭師の小父さまの姿に苦笑いを浮かべるのだった。
――翌日。朝。
目が覚める。エッダさんがくるまでまだ時間があるため二度寝をするのもアリかもしれないと、私がベッドの中でごろりと寝返りを打てば足下と背中になにかがぶつかる。
背中は一緒に寝ていたリンと分かったものの、足元の毛むくじゃらはなんだろう。ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちはベッドの中に侵入することはない。一瞬、クロに毛でも生えたのかと考えるものの、頭の上にある籠の上でネルと一緒に寝息を立てている。もう一度足を動かして感触を頼りに探っていれば、毛むくじゃらが声を上げた。
『寝相が悪い……なんじゃ、この足は妾を何度も蹴りよって』
姿は見えないけれど、潜ったトリグエルさんの声が聞こえてきた。どうやら寒さに耐えられず私の部屋のベッドで暖を取っていたようだ。私がもう一度足を動かせば、私とリンの頭の方までトリグエルさんが移動してくる。リンはベッドの中でもぞもぞしている私たちに気付いて目を開いた。
「おはよう、リン」
「……ナイ、おはよう。トリグエルがいる」
私はまだ寝ぼけ眼のリンと視線を合わせて声を上げれば、彼女が返事をくれる。トリグエルさんにも気付いたようで、リンの紫色の瞳が黒い塊を映していた。
『悪いか?』
「悪くないけれど……まあ、いいか。起きるの、ナイ?」
トリグエルさんのことはどうでもよくなったリンが私を視界に入れ直す。起きようにも少し早いし、ベッドの温かさを貪るのも悪くない。
「エッダさんがくるまで時間があるから、二度寝しても良いかなって」
「そういえば、起きるには少し早いね」
「うん。って」
リンが私の方へと腕を伸ばし、片手は腰に、片手は真っ直ぐ伸ばして私を引き寄せる。リンの腕に私の頭が乗り、彼女との顔の距離が更に近くなった。私とリンの間にいたトリグエルさんは、狭まった間に挟まれまいとベッドから逃げ出す。シーツから出たトリグエルさんは枕の横で抗議の声を上げる。
『寒いぞ!』
「毛がある。マシ」
リンの容赦ない返事にトリグエルさんが目を見開いた。
『毛があっても寒いのじゃ! だから中に入り込んだのに!』
入らせろと言いたげにトリグエルさんは私とリンの間に顔を突っ込んでくる。リンが私の背から手を放して、トリグエルさんの前脚の後ろに手を入れてぽいとシーツの中に放り込めば、黒い塊はするすると中に入った。そうして『蹴るんじゃないぞ!!』と言い残して、トリグエルさんは私たちのお腹の辺りで身体を丸める。
「トリグエルは贅沢」
「本当に。目が冴えちゃった。このまま、クロたちが起きない声でおしゃべりしてようか」
リンが私の腰に手を戻せばトリグエルさんに少し文句があるようだ。私はリンと顔を近付けてエッダさんがくるまでお喋りをしようと提案する。リンは問題ないようで、他愛のない私の最近の話や未来の話、昔の話にご飯の話を聞いてくれる。そろそろ起きる時間かという頃に廊下がバタバタし始める。なんだとリンと私は見つめ合って身体を起こした。
『なんじゃ! 眠れそうだったのに!!』
トリグエルさんの文句が上がれば、エッダさんが部屋にきてくれて四度のノックを鳴らす。私がどうぞと声をあげれば慌てた様子で入ってきた。なんだかデジャブと私が感じていれば、エッダさんが口を開く。
「ご、ごごごごごごご、ご当主さまっ!? 裏庭の畑に黄金の妖精が現れたそうです!!」
凄く慌てふためいている顔のエッダさんが告げる。リンはしれっと背に回って私を抱き留めて顎を肩に乗せていた。トリグエルさんはシーツの中から捩り出て『黄金の妖精? なんじゃそりゃ?』と首を傾げる。そしてクロとネルが顔を上げて『朝からどうしたの~?』と声を上げた。一先ず着替えて畑の様子を見ようとリンと話し、エッダさんには家宰さまや他の面々にも話を伝えるようにと私はお願いするのだった。






