1437:魔力放出。
ディオさんを調理部の研修生として受け入れて数日が経つ。調理部の皆さまは彼が神さまであることに緊張しつつも、受け入れてくれているそうだ。ヴァルトルーデさまとジルケさまも彼が気になるのか、この数日頻繁に調理場に顔を出しているそうである。
彼が作った料理の品定めを良くしているそうで、以前より腕が上がっているとか。一日二日で上がるようなものではない気がするものの、女神さま方が言っているのであれば本当だろう。彼が神さまの屋敷に戻り、北と東の女神であるナターリエさまとエーリカさまの偏食が治れば良いのだが。
私は午前中の執務の最中、一息ついたため顔を上げて家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまの方に顔を向ける。真面目に仕事をしている時に申し訳ないが、少しは息を抜かないと肩が凝りそうだ。
いや、うん。私以外であれば魔術で治すけれど。顔を上げた私にお三方が気付いたようで小さく首を傾げている。あ、これは黙っていると『なにかあったのか?』と聞き出されるパターンなので、彼らより先に言葉を紡ぐ。
「料理長さんによればディオさんの料理の腕は問題ないようですね」
私が口を開くと、ソフィーアさまとセレスティアさまと家宰さまが苦笑いを浮かべる。壁際ではジークとリンがいつも通り護衛に勤め、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちが床に寝転がっていた。ロゼさんはヴァナルのお腹の所でぽよんぽよん動いているから、新しい術式でも考えているのかもしれない。クロとアズとネルと青い幼竜さんと赤い幼い竜さんはそれぞれの肩の上でご機嫌に過ごしていた。
「ん、ああ。最初はどうなるのか不安だったが、調理部の者たちは普通に接しているようだな」
「ええ。まさか神さまに料理の手解きをするなど、誰も考えませんもの」
「とはいえ、神さまに調理を教えたとなれば彼らの実績となりますから。良いことではないでしょうか」
お三方はとんでもないことではあるけれど、調理人の方たちに箔が就くので問題ないと捉えているようである。確かにヴァルトルーデさまとジルケさまが屋敷で寝泊りしているのだし、今更、神さまが増えたところで問題は少ない気がしてきた。聖王国は涙目になるかもしれないが。
「ナイ。畑に魔力を与えるのか?」
「はい。準備が終わったようなので、今日の午後に行おうかなと」
ソフィーアさまの疑問に私は答えた。王都のタウンハウスである子爵邸と同規模の畑をお願いしたため、直ぐ庭師の方が用意してくれたのだ。どうやらタウンハウスの庭師の小父さまと連絡を取って、侯爵領領主邸の庭師の方はいろいろと聞いたらしい。庭師の方とお弟子さんたちの力で完成した畑は立派であった。水汲み場や肥料に道具を揃えてくれていたし、既に畝も作られている。
至れり尽くせりだから畑の妖精さんが怠けないか心配になってくるものの、天馬さま方やジャドさんたちに伝えれば凄く期待していたから、妖精さんは忙しいかもしれない。ルカとジアにはマンドラゴラもどきを楽しみにしているとご機嫌な様子だったので、畑の妖精さんたちにお願いできるだろうか。そんなことを考えていると、セレスティアさまが音を立てながら鉄扇を開き窓の外を見る。
「ナイ! 気合を入れて取り組みましょう!」
彼女は鉄扇を窓の方へと向けているので天馬さま方とグリフォンさんたちのために頑張ろうと言いたいようである。そんな彼女を見てソフィーアさまはふうと深く息を吐き、家宰さまが苦笑いになる。
「ははは。ご当主さま、無事に妖精が誕生することを願います。ヘルメスさんがいるので大丈夫だと信じておりますので」
家宰さまは王都の子爵邸の庭を知っているため今更驚きはしないようである。ただ私の魔力量が以前より増えていることが気になるようで、彼はヘルメスさんに視線を向けていた。
『家宰殿。不肖ヘルメス、ご当主さまの為とあらば例え火の中、水の中、森の中、どこへでも駆けつけますし、ご当主さまの役に立って見せます! ええ。食費が嵩んでいるということなので、確かに畑の妖精が誕生すれば便利でしょう!』
執務机の上に置いていたヘルメスさんが魔石をピカピカーと光らせて、何故か凄く気合の入った台詞を吐いた。ヘルメスさんが高笑いをしている幻聴が聞こえるのは何故だろうか。まあ、支出に占める食費の割合が高いと家宰さまが渋い顔になっていたから丁度良い機会のはず。あとは私が畑に込める魔力量を間違えなければ良いだけだ。
「なら、食事を済ませたあと行う予定なのか?」
「はい。そのあと畑に子供たちとほうれん草やキャベツの種を撒いてみようかなと」
ソフィーアさまが再度質問を飛ばしてきたので私は答える。ヘルメスさんはご機嫌なのか鼻歌を奏でていた。
「分かった。一応、なにか起こってからでは遅いから私も参加する。構わないか?」
「大丈夫ですよ。見ているだけでも良いですし、種蒔きが気になるなら参加なさって貰っても大丈夫です。子供たちがいますが」
ソフィーアさまは畑に魔力を込める際に見守ってくれるようである。彼女であれば問題が起こっても即応してくれるので有難い。私が連絡役を務めると『やべえ、どうしよう』という意識が先にきて、動くのが少し遅くなってしまうのだ。ソフィーアさまが参加を決めれば、セレスティアさまも一緒にくると挙手をし、家宰さまは執務室で待機しているとのこと。ジークとリンはもちろん一緒だし、ヴァナルたちもきてくれるはずだ。
「じゃあ。お昼ご飯まで、執務、頑張りましょう」
私が声を上げるとお三方が返事をくれる。子供たちが参加するなら、ユーリも誘ってみようと決めて再度仕事に取り掛かった。
――お昼の十二時となった。
今日の仕事は綺麗に片付き、明日の分の仕事を少しだけ裁くことができたので上々だろう。今日のお昼ご飯はなにかなと食堂に移動すれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまとクレイグとサフィールが先に待ってくれている。
「遅れました」
「大丈夫。時間通り」
「ま、あたしらが早くきただけだからな。気にすんな」
私が謝罪を口にするとヴァルトルーデさまとジルケさまがフォローを入れてくれた。確かに時間通りだけれど、待たせてしまったことは事実である。五分前行動を心掛けているけれど、偶に外れることがあって今日がその日だった。身内ばかりだから構わないけれど、知らない方だと平身低頭謝らなければなと考えていればクレイグと視線が合った。
「ナイ、俺も畑に行って良いか?」
「構わないよ。サフィールもくるしね」
クレイグは畑に興味があるようで午後からお手伝いをしてくれるようである。彼なら子供たちの面倒を見れるし助かると、私は特に問題ないと許可を出してサフィールに顔を向けた。サフィールは私と視線を合わせて肩を竦める。
「子供たちが楽しみにしているから、魔力を込めすぎて変なことにならないように気を付けてね。ナイ」
「……頑張ります」
どうやら彼は私のざっくり魔力放出が危ないから十分に注意して欲しいようである。ヘルメスさんが魔力制御を行っているので大丈夫なはずだけれども……錫杖さんがアッパーな方向にスイッチが入ると少々怪しい……いや、大分怪しい。
自分でも魔力制御には十分に気を払おうと決めれば昼食が運ばれてきた。焼きたてのパンとスープがメインで、スープにはお野菜さんがゴロゴロ入っていて美味しそうである。パンも綺麗に焼きあがっているのだが、いつもより形が歪なような。といっても味に変わりはないだろう。そもそも料理長さまの厳しいチェックが入っているため、合格ラインに届かなければ私たちに提供されないのだから。
「いただきます!」
さっそく手を合わせて頂くのだが、いつも通り美味しい料理なので大満足である。女神さま方も幼馴染組も特に問題ないようで、ぺろりとみんな平らげていた。お皿の上に残り物がないようにと気を付けて『ごちそうさまでした』とまた手を合わせる。
すると物陰から料理長さまとディオさんがひょっこり現れた。料理長さまは被っていた帽子を脱いで胸元辺りに抱え、ディオさんがこちらへと歩を進めて礼を執った。クレイグとサフィールがぎょっとしているけれど、今更ディオさんに礼を執るなと言っても無意味だろうから諦めて欲しい。
「如何でしたでしょうか?」
どうやら今日はディオさんが昼食のほとんどを任されていたそうだ。料理長さま曰く、最初にディオさんに作って貰ったスープは薄味だったので改良を加えたと。
パンも昨晩から用意して種を寝かし、早朝に窯の中へ放り込んだとか。形が少し歪だったのは、彼は神力を使ってパンを創造していたため手作業に慣れていないためだったそうである。
というかディオさんは数日で成長し過ぎではないだろうか。でなければ料理長さまから信を得て一食を任されたのだから。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「うん。美味しかった」
「そういや、屋敷の飯より全然美味かった。ごちそうさん」
私がディオさんにお礼を伝えると、ヴァルトルーデさまとジルケさまが続き、ジークとリンとクレイグとサフィールも『ごちそうさまでした』と声を上げる。
ディオさんは照れ臭そうに『お嬢さま方に褒められました』と料理長さまに告げると『良かったですねえ』と声が返った。ディオさんの修業期間は短そうだと私は頷き、一時間休憩したあとで裏庭に集合と声を掛けておく。ディオさんと料理長さまは片付けと従業員の皆さまの食事の準備に取り掛かるとのことで私たちとは別行動である。
――一時間後。
私はユーリを連れて、ジークとリンとヴァナルたちと一緒に裏庭に移動する。裏の日当たりの良い場所に小さな畑がぽつんとできていた。庭師の方が私の姿を見て礼を執り、私も軽く頭を下げる。
「本日はよろしくお願い致します。急な話となってしまい申し訳ありませんでした」
「いえ、ご当主さま。私の好きなように庭を管理させて頂いておりますので、裏庭に畑を作ることくらい造作もないことです」
侯爵領の領主邸の庭師さんとは余り話したことはない。基本、庭は庭師の方の趣味趣向に任せるとお願いしているので、方向性を示せていないので当主としては失格だろう。
屋敷にある庭園を凝るお貴族さまは多いと聞くし、当主が庭を気に入らなければ退職という理不尽な目に合い易いとか。侯爵邸は広いというのに、ずっと綺麗な庭を維持して貰っているのだから文句なんてない。時折、庭師の方から育てる植物はなにが良いかとか相談があるけれど、生憎と花関連はさっぱりなので家宰さまとソフィーアさまとセレスティアさまに協力して貰っている。
庭師の方と今後、庭をどうしていきたいか話を聞いていれば、クレイグとサフィールが子供たちを連れて、ヴァルトルーデさまとジルケさまがエルとジョセと天馬さま方とジャドさんとイルとイブとグリフォンさん四頭とおばあを連れてきた。
子供たちは天馬さま方やグリフォンさんたちがいてもなにも問題ない。というか天馬さま方の鼻を撫でたり、グリフォンさんたちの尻尾で遊んでいた。サフィールが気まずそうな顔をしたけれど、天馬さま方とグリフォンさんたちが問題ないなら構わない。
私は子供たちが天馬さま方とグリフォンさんたちと遊んでいる間に魔力を込めてしまおうと、ユーリをジークに預けて畑の前に立つ。十二畳ほどの広さの小さな畑であるものの、家庭菜園レベルなら十分なもの。
「ヘルメスさん、私が魔力を込めすぎないように調整をお願い致します」
『はい! もちろんです! 初めての共同作業ですね、ご当主さま!! うふふ……!』
なんだろう。ヘルメスさんの艶めいた声に不安しかないけれど、私のお願いは聞いてくれるはず……と腹の真ん中あたりを意識して魔力を練る。私の短い髪がはらはらと揺れ始めお腹に熱が点る。
『流石、ご当主さま。並の者ではできないことを、やってのけてくださいます! ヘルメスでなければ御しきれませんよ!』
ヘルメスさんがなにか言っているけれど、凄く喋る錫杖さんのことだ。ノリが良いだけだろう。私は無意識に右手を前へと突き出して、身体の中に渦巻く魔力を一気に外へと放出させた。なんだかアルバトロス城の魔力陣への補填以外で久しぶりに魔力を消費した気がする。
『あ、あら? ……まあ、良いでしょう』
なんだか凄くスッキリしたのだが、ヘルメスさんの助力のお陰だろうか。ヴァルトルーデさまとジルケさまが呆れた顔になって『魔力凄く出してた』『ケロッとしてやがんな、ナイの奴』と言っているが、そんなに出したつもりはない。さて、今度は畑に種を撒こうと庭師の方にお願いしていた、冬に種を撒く野菜を受け取るのだった。






