1429:軽くみてる。
涙と鼻水を流しながら良い年した男性が会議室の床を芋虫のように転がっている。捕縛縄で雁字搦めにされ足だけが唯一動かせる場所なのだが、立ち上がって逃げたり、何故飼っていたおばあを森に捨てたかを説明する気はないようだ。
アストライアー侯爵家としては当主である私に男の処分を一任されている。アルバトロス王国も私とジャドさんと女神さま方の方針に従ってくれるとのこと。ヤーバン王は席から立ち上がって蓑虫男の側で腰に佩いた長剣の鞘を持ち見下ろしていた。蓑虫男から話を聞きたいと私が彼女に伝えているので剣を抜くことはないだろうけれど、殺気を向けられている人物は歯をカタカタ鳴らして恐怖に打ち震えている。
「なんだ目の前の情けない男は。これでグリフォンを飼っていたとは信じられん」
『おそらく、卵から孵り人間の下で育てられたおばあには普通のことだったのではないでしょうか』
ふんと鼻を鳴らしたヤーバン王の隣にジャドさんが並んだ。雌グリフォンさんたちも四頭一緒に動いたので、蓑虫男の恐怖は増したに違いない。
「しかしジャドさま。長く生きるグリフォンが人間の下から逃げ出そうともしないとは」
『その辺り良く分からないんですよねえ。おばあも詳しく話してくれませんし。人間は人間におばあを自慢げに紹介していたと。そして歳を重ねて身体が弱くなってしまった今、森の中に連れていかれて放置されたとしか教えてくれないのです』
ヤーバン王がジャドさんを見ながら問えば、おばあについて話してくれる。私は耳にしていたのだが、初めて聞いたヤーバン王は複雑な顔になっていた。
蓑虫男をおばあが庇っているかもしれないと頭に過ったようである。酷い環境で暮らしていたならば文句の一つでもおばあの口から出そうなものだが、ジャドさんたちもクロもヴァナルたちも彼女から聞くことはなかったそうである。彼女を保護して一週間ほどしか経っていないので、本当に短い間のことであるが……多分、おばあはこの先蓑虫男への文句は口にはしない。
ヤーバン王とジャドさんの声を聞いていた蓑虫男が上体を上げて、一人と一頭を見上げ口を開いた。
「価値なんてないじゃないか! 毛並みも悪くなって、昼も夜も寝てばかりだ! 店の名を売るため、客寄せのために飼っていたのに仕事をしない者を切り捨ててなにが悪い!」
蓑虫男が上げた声にヤーバン王とジャドさんの瞳から光が消えた。某辺境伯令嬢さまも『は?』とドスの利いた低い声が口から漏れていた。某公爵令嬢さまがびくりと肩を動かして驚いているけれど、お二人は放置で大丈夫だ。ヴァルトルーデさまとジルケさまも神圧を出しているものの、会議室の調度品が震えていないので影響は薄いはず。慣れていない面々が顔を青くしているけれど、少しの間我慢して欲しい。
「随分と身勝手だなあ……人の手で飼われたグリフォンは森の中で狩りの仕方も知らぬまま放り出されたのだぞ? それでも生きたいと飛べぬ身体を動かして果物や虫を食べていたそうだ」
ヤーバン王が腰の剣の柄に手を掛けた。おばあは年を重ねたことと、人間の下で育ったことにより飛ぶことができない。ジャドさんたちが森の中からおばあをどうにかアルバトロス王国まで飛んできてくれたのだ。痩せて体重が軽かったこともあり交代で飛んでいたそうな。
ジャドさんが『まあまあ』とヤーバン王の隣で嘴を使って彼女を宥める。むっと口を尖らせたヤーバン王は剣から手を放して息を吐いた。蓑虫男の命を奪ってもスッキリしないし、ヤーバン王の剣が鈍るだけである。
私はふうと息を吐き、どういう経緯でおばあを拾ったのか聞きたいとアルバトロスの陛下に許可を得て席を立った。なんだか蓑虫男の国の陛下方がカチカチ歯を鳴らしながら震えているけれど、彼らに手を出す気はない。少々お願いがあるだけだから、あとで話を聞いて欲しいと横目で彼らを通り過ぎると芋虫男が凝りもせず口を開く。
「死んでくれていれば、私が捕まることはなかったはずなのにぃ!」
涙と鼻水を流しながら物体がなにか喚いていた。
――は?
蓑虫男はなにを言った。きっと人間の下で飼われていたから自由はなくて狭いところでずっと過ごしてきて、見世物にされて周りの人たちからいろいろな感情が混ざった視線を向けられていただろう。
そんなおばあが……おばあは目の前の物体のことを一切悪く言っていないのに。先々代のことも、先代のことも、物体のことも『ごはんをくれる人がいた』くらいにしか思っていないのに。頭が沸騰してなにも考えられない。ただ目の前の蓑虫男が人の形を成していないように見えてしまう。
「――……ふざけるな」
いつもより低い声が口から洩れ、怒りに任せて手を握り込めば、勝手に魔力が身体の中から放出されていた。肩の上のクロが『うわ』と声を上げてジークとリンの方へと飛んでいく。他の方もなにごとかと慌てているのか、椅子を引く音や移動する足音が聞こえた。
『あ、あ、あーーーーーー! ご当主さまぁ!?』
聞き慣れた声が腰元から発せられているが今はどうでも良い。身に纏う服と髪がバサバサと揺れて鬱陶しい。目の前の物体って人間だったっけ。人間でないならばどうなっても問題ないか。そもそも誰かの命を粗末に扱うような奴なんてどうでも良いだろう。
『ナイ、ナイ~駄目だよぉ! 落ち着いて!』
クロの声が聞こえるけれど、流れ出る魔力の音が邪魔をして聞こえにくい。
「ナイ!」
「ナイ!!」
ジークとリンの声が聞こえて、私の肩の上に二人の手が乗った。私ははっとして後ろに立っている二人を見上げる。ほっと息を吐いたそっくり兄妹が口を開いた。
「落ち着け。目の前の男をどうこうしても意味がないとナイが言っていただろう?」
「おばあがこれから楽しく過ごすことの方が大事って」
はい。真にごめんなさい。自分で言ったことを忘れて、魔力を暴走させるなんてカッコ悪いったりゃありゃしない。ヘルメスさんにも迷惑を掛けてしまった。ヘルメスさんにもごめんなさいと謝れば『ご、ご当主さまの魔力制御が私の使命ですから。しかし今回は死ぬかとおもいました』と答えてくれた。
本当に申し訳ないともう一度私が謝ると腰元のヘルメスさんの側にあるポシェットが目に入った。あ……卵さんたち影響受けていないよねと『やべえ』という顔になればジャドさんたちがニヤニヤしている。
どうやら問題なさそうで良かったが、また卵が分裂したり二卵性に生ったりする可能性が高くなったのか。今回ばかりは私が悪いので、卵さんに起こる結果は全て受け入れよう。はあと私が息を吐けば会議室の皆さまも盛大に息を吐いている。本当に申し訳ありませんと皆さまに謝れば『男が悪い』と言ってくれた。クロがジークとリンの側から私の肩の上に飛んでくる。
『良かった。落ち着いてくれて。大丈夫?』
「うん。ごめん」
クロが私の肩の上に乗ってぐりぐりぐしぐしと顔を擦り付けてきた。クロにも助けられたなあとお礼を伝えれば、陛下と近衛騎士の方たちが窓の方を見ている。私がやらかしたから黄昏ているのかと思いきや、窓の外ではなく壁に視線を向けていた。
「壁に皹が……入っているな」
陛下がぽつりと零した言葉に私は壁を凝視する。確かに壁紙が縦に割れて亀裂が入っている。私は陛下の方へと身体を向けて頭を下げた。相手国の陛下と宰相閣下がぎょっとしているのは何故だろう。まあ良いかと私は謝るなら早い方が無難に終わると口を開く。
「陛下、申し訳ございません。修繕費用は私が出します」
私財で……賄えるはず。とりあえず人的被害はなかったので良かったけれど、怒りに任せるのは止めなければ。
「気にしなくて良い、アストライアー侯爵。して、気絶している男はどうする?」
アルバトロスの陛下が私に問いかけてくれば、相手国の陛下と宰相閣下が『アルバトロス王、凄い!』『ええ。恐れず侯爵殿に意見を申し出るとは!』とキラキラ顔を輝かせていた。
私に向けられたものではないので気にしないけれど、普通に会話をしているだけなのに相手国の陛下と宰相閣下はなにを考えているのやら。彼らのことよりアルバトロスの陛下に答えなければと私は慌てて口を開く。もちろん平静に務めて。
「また男が変なことを口走れば、私は怒りに任せてなにを仕出かすか分かりません」
非力そうな芋虫男を殴っても蹴ってもスッキリしないだろうし、目の前で自決して貰っても後味が悪いだけである。とはいえ、私が怒っていることは表明しておかなければと陛下の顔を見る。
「そ、そうか」
「ですので申し訳ないのですが、ベナンター卿とジータスさまに男からの聞き取りをお願いして宜しいでしょうか?」
とばっちりだし仕事を増やして申し訳ないのだが、王城内で死人を出すわけにもいかないと私はエーリヒさまとユルゲンさまに視線を向ける。少し驚いているお二人だけれど先程の惨状を鑑みて、その方が無事に終わると判断してくれたようである。
「ふむ。二人とも構わぬか?」
「もちろん構いません」
「はい」
陛下の問いにエーリヒさまとユルゲンさまが答えれば、ヤーバン王が小さく手を挙げた。
「話に割ってすまない。私も同席して良いだろうか?」
「構わないが……」
ヤーバン王の願いにアルバトロスの陛下がエーリヒさまとユルゲンさまに大丈夫かと視線を向ける。
「陛下がお認めならば、問題ないかと」
「はい。仕事ですから問題ありません」
キリっとした顔で返事をしたお二人にヤーバン王がにっと笑う。
「我が儘を申してすまないな。同席させて貰うぞ」
『あ、では私たちも宜しいでしょうか?』
何故かジャドさんと雌グリフォンさん四頭の参加も決まって取り調べが行われるようだ。相手国の陛下と宰相さまは『どーぞどーぞ!』と苦笑いを浮かべて、芋虫男に視線を向けている。
とりあえず近衛騎士の方が芋虫男を場内の地下牢に連れて行ってくれるそうだ。あとで聞いて欲しい内容をエーリヒさまとユルゲンさまに渡さなければいけないのだが、私が強く握り込んだ拳に爪が食い込んでいて血が滲み出ていた。
「むう。痛い」
自覚をすると手に痛みが走る。ジークとリンが私の後ろから覗き込み、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「ほら、手を出せ、ナイ」
「じゃあ、反対の手を出して、ナイ」
ハンカチを取り出したそっくり兄妹に私は『ごめん』と苦笑いを浮かべて素直に両手を差し出した。会議室にいた副団長さまと猫背さんが『おやおや』『痛そう』とこちらを見ている。
「治癒を施せる者を呼んできますね」
「僕たちそっち方面はさっぱり」
どうやら魔術師団から人を呼んでくれるようだ。ソフィーアさまが私の傷を見て卒倒しそうになっているし、魔術師の方にお願いして素直に治して貰おう。お願いしますと口にしようとしたその時だった。
「あ。ハインツ、ヴォルフガング、私がやる。呼ばなくて良いよ」
面倒でしょ、と言いたげにヴァルトルーデさまが声を上げる。というかヴァルトルーデさま、私がうろ覚えのお二人のファーストネームをきっちり覚えているなんて凄い。
いつも副団長さまと猫背さんと呼んでいるから私はなかなか覚えられないのだ。ヴァルトルーデさまが私の前に立ち神力を使って、手のひらの傷を綺麗さっぱり治してくれる。ジルケさまは居心地が悪そうな顔をしてこちらを見ていた。
「ありがとうございます」
「ううん。いつもお世話になっているから。でもナイが怒るの珍しい」
ヴァルトルーデさまが不思議そうな顔をしているけれど、私も感情を持っているので泣くこともあれば怒ることもある。とはいえ人前ではなるべくフラットな感情でいようとは心掛けているので、女神さまがそう思っても仕方ない。
まだまだ未熟者だなあと反省しつつ、相手国の陛下と宰相さまに視線を向けて私はにっこりと笑みを作るのだった。お願い、聞いて貰えるかな?






