1427:おばあは可愛い。
アルバトロス王国とアストライアー侯爵からの書簡を受けて、陛下は直ぐ国内を調べると宣言し、先ずは全領主たちに魔獣を飼っている者はいないかという知らせを送った。
知らせを受けた翌日、近衛騎士団と騎士団を動かして魔獣や幻獣を飼っている者がいないかと、王都を精査しようとしていた所に某領主から『領内の商人が飼っていたかもしれない』と連絡が入る。その領主は弱ったグリフォンが見つかった森も管理していた。私と陛下は執務室で顔を見つめ合い『見つかった!』『よくぞ知らせてくれた!』と手に手を取り合って目に涙を貯め込みながら喜ぶのだが、まだ気を抜いてはならないとハッとする。
「よし。近衛騎士団を急ぎ彼の領地に派遣せよ。あと領主には該当の商人を即時捕えよと命を下せ。拒否すればどうなるか分かっているだろうなと脅しも念のために掛けておくんだ」
陛下が厳しい顔を浮かべて執務室で命を下す。普段のおっとりしている性格はどこへ消えたのか、きちんと正しい命令を下している。宰相である私は陛下が本気を出したとほっとして、目の前の大問題が無事に片付きますようにと願うばかりだ。あとは当該の商人が逃げないように祈るばかりである。
そうしてまた数時間が経った頃。某領主から『商人を捕らえた』と連絡が入り、今度こそ安堵の息を陛下と共に吐くのだった。
◇
問い合わせの書簡をアストライアー侯爵家がとある国に出し数日が経っている。流石にまだ連絡はこないだろうと私はアストライアー侯爵領領主邸で過ごしていた。
ヤーバン王は事前に『お泊りしたい!』と連絡を受けていたため、今は庭でジャドさんや雌グリフォンさんとイルとイヴとおばあと毛玉ちゃんたち三頭とエルとジョセと天馬さま方に囲まれながら遊んでいる。クロとアズとネルも珍しく私たちの下から離れて庭に出ているし、ヴァルトルーデさまとジルケさまもおばあが心配なのか外でヤーバン王の側で過ごしていた。
執務机から私が庭に視線を向けると、ヤーバン王がボールを凄い勢いで投擲している。毛玉ちゃんたちとイルとイヴは素早く移動を開始し、おばあは遅れて走り出す。
おばあは身体を左右に揺らしながら相変わらずヘンテコな脚取りで走っていた。ボールに追いつくことはなく、毛玉ちゃんたちとイルとイヴが先に取ってしまっている。
忖度のない本気のレトリーブのため奇跡が起こらない限り、おばあがボールを回収できることはなさそうだ。それでもみんなと遊ぶのは楽しいようで、垂れた目を更に細めて機嫌が良い。おばあが嬉しいようならなによりと私は窓から視線を外して前を見る。
「元気ですね、ヤーバン王は」
本当に彼女は何度ボールを放っているのやら。毛玉ちゃんたちとイルとイヴは飽きずにヤーバン王にボールを投げてと強いているし、ヤーバン王も嫌な顔ひとつせず投げ続けているのだから。天馬さま方はボールが投げられても本能は揺さぶられないらしい。落ち着いた様子で毛玉ちゃんたち三頭とイルとイヴとおばあを興味深げに眺めているだけであった。
「我々とは体力が違いますからね」
家宰さまが苦笑いを浮かべつつ肩を竦める。デスクワークがメインである私たちにヤーバン王のような体力は備わっていない。ヤーバン王は執務が終われば、国の戦士たちと手合わせをしているそうだ。くるもの拒まず殴り倒しているとカカと笑っていた。それは訓練なのかと言いたくなるけれど、ヤーバン式の特訓法なのだろうと私は心を無理矢理に納得させた。
「ずっと動いているのに、鈍くなっていないな」
「鍛えておられる証拠でしょう。嗚呼、わたくしも庭に出たいものです」
ソフィーアさまも呆れ顔を浮かべ、セレスティアさまは口をへの字にしてヤーバン王を羨ましがっている。
「じゃあ、気合を入れて早く終わらせましょう」
私は執務室にいらっしゃる方と視線を合わせて、書類の山を捌くべく気合を入れ直す。そうしてお昼前、いつもより少し早い時間に今日の分の執務を終えることになり、某辺境伯令嬢さまは『行って参りますわ!』と言い残して執務室から姿を消した。
「なんという素早さ」
私は某辺境伯令嬢さまが一瞬にして消えた扉を執務机から眺める。家宰さまはいつものことだと気にしていない。ジークとリンも特に問題ないと判断しているようだ。そして深い深い溜息を吐いたソフィーアさまが口を開いた。
「すまないな。幻獣や魔獣のことになるとセレスティアは人が変わる」
「大丈夫です。前からですし、仕事はきちんとこなしてくれていますので」
呆れているソフィーアさまに私は肩を竦めながら返事をした。まあセレスティアさまの幻獣魔獣好きは今更であるし、アストライアー侯爵家幻獣見守り隊の隊長である。
天馬さま方に騎乗して楽しんだあとは、愛おしそうな顔を浮かべて天馬さま方の馬体を洗ったりブラッシングしている。ジャドさんたちともいろいろと話して、コミュニケーションを取ってくれている。ヴァナルや雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちとも同じように接してくれているから、怖いと言って近づかないより有難い。
「ナイにそう言って貰えるのは助かる」
ふっと笑うソフィーアさまを見ながら私は席を立つ。
「いえ。ソフィーアさまも外に出ますか?」
私がソフィーアさまに視線を向ければ彼女も席を立った。家宰さまは執務室に残って雑務を裁いてくれるそうだ。
「私も行く。今日は客人がいるから、セレスティアが暴走しないように見守らないとな」
では庭に出ましょうと声を掛けると、壁際に控えてくれていたジークとリンも動き始める。執務室から階下に降りてサンルームに入り、そこから庭に続く扉を抜けた。東屋の側でヤーバン王とみんなとセレスティアさまが遊んでおり、護衛の方たちは少し離れて様子を伺っている。
ヤーバン王は先程と変わらず毛玉ちゃんたちと遊んでいるし、セレスティアさまは天馬さま方に囲まれながら顔を撫でたり、身体を掻いたりして幸せそうにしている。ヴァルトルーデさまとジルケさまは芝生の上に腰を下ろして、数頭の天馬さま方と話をしていた。
ボールを咥えて戻ってきたイルがヤーバン王に返してまた投げてと要求すれば、ヤーバン王がまた『ばひゅ!』という音を鳴らしながらボールを投げた。そうしてまたみんながボールを追いかけていく。
「おばあは元気過ぎだな!」
『保護して数日ですが、良く回復してくださいました』
ヤーバン王の明るい声にジャドさんが答え、雌グリフォンさんたちがうんうんと頷いていた。確かに弱っていたというのに鬼の回復速度を見せたおばあの体力はどうなっているのだろう。
今まで拘束具により力を抑えられていたから、魔道具が壊れたことにより本来の力が働いたのだろうか。まあ奇跡でも魔術でもなんでも良いから、おばあが回復したのは良いことだと私は一行の側へと歩いて行く。
「遅くなって申し訳ございません」
私の声にヤーバン王が振り返る。
「構わん、構わん! 本来なら即帰国していたところだが、私が我が儘を言っただけだ。侯爵が謝る必要はあるまいよ」
にっと歯を見せながら笑ったヤーバン王は戻ってきたイヴからボールを受け取った。ヤーバン王はおばあと視線を合わせて『そら』と声を上げて、彼女の口元あたりにボールを放る。
毛玉ちゃんたちとイルとイヴは空気を察したのか地面にお尻を付けて見守っている。山を描いたボールはおばあの口元に落ちていく。くわっと口を開けたおばあの上の嘴にこつんと当たり、ボールが明後日の方向に転がっていく。
「ははは! 上手く取れないか! よし、もう一度……ほれ!」
ヤーバンの戦士の方が転がったボールを拾い、ヤーバン王に投げ返した。おばあはまた自分の番がきたと尻尾をプリプリに振っていて愛らしい姿を披露しながら、山なりのボールを取るために嘴を開けばボールが丁度口の中に入っている。飲み込んでしまわないかと一瞬心配になるけれど、おばあは食べ物と玩具の区別がちゃんとしているようだ。嬉しそうな顔をしてヤーバン王にボールを返している。
『ピョエ!』
おばあがなにやらヤーバン王に訴えているのだが、流石にグリフォン語は分からないようできょとんとしていた。
『遠くに投げて欲しいそうです。取れなくともみんなと走るのが楽しいと』
「なんと……! おばあは優しいのだなあ……!」
ジャドさんの通訳にヤーバン王が目尻に涙を溜めていた。セレスティアさまの耳に入っていれば、ヤーバン王と一緒に感動に打ちひしがれていそうである。
ヤーバン王はボールを左手に握り込みぐにゅりと形を変形させながら、右手でおばあの頬を撫でていた。器用なことをしていると感心しながら私は東屋に移動して、彼女たちが戯れる姿をソフィーアさまと一緒に見守るのだった。
午前中一杯遊んだ方たちはお昼ご飯の時間に差し掛かると流石に疲れたようである。侍女の方が『食事の用意ができました』と呼びにきてくれたため、お客人と一緒に食堂へと向かう。
おばあが寂しそうに『ピョエ~ピョエ~』と鳴いているので、後ろ髪を引かれる思いを抱えている方が二名いるが、ジャドさんと雌グリフォンさんに囲まれたおばあは鳴くのを止めている。毛玉ちゃんたちは『またくりゅ!』『あしょぼ!』『まっちぇちぇ!』と声を掛け、おばあもおばあで『ピョエ!』と返事をしていた。
「毛玉たちも優しいな!」
ヤーバン王は種族を超えた思いやりに感動を覚えているようである。毛玉ちゃんたちに視線を向けて目を細めていた。
『ちょうじぇん!』
『おばーはまみょる!』
『にゃーばんおうはごーきゃい!』
毛玉ちゃんたちはヤーバン王を見上げてドヤと胸を張っている。どこまで理解しているか分からないけれど、毛玉ちゃんたちの中でおばあは保護対象のようだ。セレスティアさまも『種族を超えた愛ですわ!』と唸っており、鼻にハンカチを当ててなにかに耐えている。
ご飯と聞いたヴァルトルーデさまとジルケさまは寝転がっていた芝生から立ち上がり、私たちの下へ歩いてきた。毛玉ちゃんたち三頭が二柱さまの周りをクルクル回り、ついでにヤーバン王の周りとセレスティアさまの周りもクルクルする。
「足下、危ない」
「毛玉、蹴られてもしらねーぞ」
二柱さまの声に『だいじょうびゅ!』『よけりゅ!』『いちゃくにゃい!』と毛玉ちゃんたちが主張する。どうやら歩いている私たちの足とぶつかる気はないようだ。ヴァルトルーデさまとジルケさまに声を上げる毛玉ちゃんたちにヤーバン王とセレスティアさまが目を細める。
「毛玉は愛嬌があるな」
「ぶほぉ!」
ふふふと笑うヤーバン王と毛玉ちゃんたちの可愛らしさにやられる某辺境伯令嬢さま。とりあえずご飯を食べようと促して今度こそ食堂へ向かう。それぞれの席に腰を下ろして配膳された昼食を嗜んでいる途中、珍しく家宰さまが姿を現した。どうしましたと私が問えば、家宰さまは一度咳払いをする。
「ご当主さま、書簡を送った国から返事が届きました」
不届き者を捕らえたため早急にアルバトロス王国へ護送するとのことです、と家宰さまが教えてくれるのだった。家宰さまの声に目の色を変えて攻撃的な顔になる方がいらっしゃる。これは一緒に行動することが決まったと息を吐き、食事を終えれば王都に赴くと家宰さまに返事をするのだった。






