1426:平和な国に。
今日、集まってくれた皆さまに伝えておくべきことは伝えたので、みんなで遊ぼうとなった。寝ていたおばあも起きて、ジルケさまはくわっと大あくびをしながら背伸びしている。毛玉ちゃんたちは遊びの時間だと察知したし、天馬さま方も私たちの話合いが終わったのでお喋りができるとわらわらと東屋に近づいていた。
毛玉ちゃんたちはヴァナルの頭の上にいるロゼさんにお願いしてボールを出して貰っている。それを口に咥えて私の足下に置いた。どうやらボール遊びがしたいようで、三頭が目の前にちょこんと座りしっぽをぶんぶん振りながら期待の眼差しを向けている。おばあとイルとイヴは毛玉ちゃんたちに気付いたのか、一緒に混じって遊びたいようである。尻尾をぶんぶん振っている毛玉ちゃんたちの後ろでキラキラと目を輝かせているのだから。
私は芝生の上に転がったソフトボールほどの大きさの玉を握り込み、彼らに見せた。ジャドさんと雌グリフォンさんたちは参加しないようで、芝生の上にごろんと寝転がったままだ。
近くにいるヴァナルが耳をピコピコ動かしながら、なるべく私を見ないようにしている。我慢しているヴァナルを察した雪さんと夜さんと華さんは、彼の視界を塞ぐように前にちょこんと腰を下ろす。夫婦仲が良いようでなによりと私は目を細め、ボールを握り直す。
「毛玉ちゃんたち、イル、イヴ、おばあ。投げるよ、それ!」
私は大きく右腕をふりかぶってボールを投げる。芝生の上を何度かバウンドしたボールを毛玉ちゃんたちが真っ先に追いかけ始め、イルとイヴが遅れて走り出し、おばあも身体をくるりと翻してボールを追いかける。
今日は楓ちゃんが一番にボールに辿り着いて口に咥え、嬉しそうにボールをみんなに見せている。こちらにくる気はまだないようで『とったどー!』と言いたげだ。
「ぶふっ!」
ヤーバン王が私の投げたボールを見て盛大に吹いた。それはもう遠慮なく。右手で口元を抑え、左手はお腹に当てているし、私から顔を逸らして背を屈めていた。ボールが結構大きく重いので、少ししか飛ばせないのは仕方ない。そもそも身長が低いので、当然飛距離はその分短くなるのだから。
「……」
「…………女性ですからねえ」
ディアンさまは笑いを必死に堪えて口を真一文字に結び、ベリルさまは一応フォローを入れてくれた。お二人の隣ではダリア姉さんとアイリス姉さんが目を細めて、毛玉ちゃんたちの方に向けていた視線を私に向ける。
「ナイちゃん、非力なのね」
「もう少し飛んでもよさそうなのにねえ~」
笑いを我慢しているダリア姉さんとうーんと微妙な顔になっているアイリス姉さんに私は笑って誤魔化すしかない。ジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさま、そしてエーリヒさまとユルゲンさまは無言を貫き、副団長さまと猫背さんは『聖女さまですからねえ』『魔術師や聖女さまなら仕方ない』と少し私寄りの意見であるらしい。
確かに運動しない日々が多くなってきているけれど、毛玉ちゃんたちとイルとイブとおばあたちとボール遊びをするなら今のままでは楽しくないはず。パチンコのような投石系の装置でも作って貰うのもアリだけれど、一緒に遊ぶなら自分の力でボールを遠くへ飛ばしたいなあという願いもある。
楓ちゃんはとったどーと自慢するのは飽きたのか、てってってとこちらに戻ってボールを私の前に置く。私はまたボールを拾うと、ヤーバン王が良い顔を浮かべながら『私も良いだろうか?』と問うてきた。問題ないですよと握ったボールを私はヤーバン王に渡す。
毛玉ちゃんたち三頭は次はヤーバン王がボールを投げてくれると悟り、彼女の周りをクルクル回る。イルとイヴも早く投げてと言いたげにヤーバン王に視線を向け、おばあはボールが向かうであろう先の方へと既に身体を向けている。
「うむ。侯爵邸の庭は広いから遠慮は必要なさそうだ! いくぞ、そらっ!!」
ヤーバン王はおばあが身体を向けた先にボールを『ばひゅ!』と投げた。毛玉ちゃんたち三頭はきっちりとヤーバン王が投げるところを確認しながら、彼女の手からボールが離れた瞬間に走り出し加速していく。
イルとイヴもボールが放られた先に向かい走り出す。彼女たちはおばあを追い抜き、一気に加速してボールへと向かっていく。おばあは脚元が覚束ない走り方をしており、石畳の上に差し掛かると『カリカリ』という音がこちらまで届く。
「脚の爪、擦ってますよね。音が凄い」
おばあは走る際に爪を地面に擦っているようである。おそらく今までの運動不足が原因だろう。イルとイヴの歩様とおばあの歩様を比べると、脚が上がっていないし交互に出ていない。おばあの走り方は可愛らしいけれど、険しい道を歩くには不十分だろう。おばあには歩様の矯正が少し必要かなと私が目を細めれば、他の方たちも難しい顔をしている。
「むう」
ヤーバン王が腕を組んで悩ましい顔になっていた。そして『おばあから自由を奪っていた者がいるなら、くびり……』となにか言葉を零しながら怖い顔に変わっていた。
「十分な運動をしてこなかったのだろうな」
「動けないわけではありませんし、遊びの中で鍛えれば良いですね」
ディアンさまとベリルさまも目を細めておばあの歩き方や走り方は頼りないと判断したようである。ただおばあは動けているので、日々こうして遊んでいれば自然に治る可能性もあるだろうと教えてくれた。
「そうね。ウチにきて、山道を歩いてみるのも良いかもしれないわ」
「最初は大変だけれど、グリフォンやフェンリルなら直ぐに慣れてひょいひょい動けるようになるよ~」
ダリア姉さんとアイリス姉さんは亜人連合国の険しい山道を散歩すれば勝手に筋肉が付いて、脚元が丈夫になるだろうと提案してくれる。確かにアストライアー侯爵領はただっぴろい平地が殆どなので、亜人連合国にお邪魔して運動するのは良いのかも。
私も一緒にいけるなら、おばあと一緒に散歩するのもアリだろう……いや、流石に歩幅とかの関係でおばあに筋肉が付きそうにない。それなら毛玉ちゃんたちやイルとイヴにジャドさんたちにおばあを見て貰う方が賢明か。
かなり小さくなった毛玉ちゃんたちの姿を見ていると、ボールを取った仔が先頭を走ってこちらを目指していた。
「あ、戻ってきたわね」
「あれは……どの仔だっけ? そっくりだから分からないや」
ダリア姉さんとアイリス姉さんは先頭を走る毛玉ちゃんと追いかけている二頭の毛玉ちゃんたちの区別はつかないようである。彼女たちの更に後ろにはイルとイヴとおばあの順で走って戻ってきていた。
「今度は椿ちゃんがボールを取ったみたいですね」
確かに毛玉ちゃんたちはそっくりだけれど見慣れればそれぞれに特徴があるし、バンダナで三頭を色分けしている。毛玉ちゃんたちと偶にしか会わないダリア姉さんとアイリス姉さんに見分けは難しいようである。
尻尾をプリプリ振りながら喜んでいる椿ちゃんがボールをヤーバン王の前に放る。また投げて欲しいようでみんなが期待の眼差しを向けており、般若のような顔をしていたヤーバン王は一瞬にしてだらしのないものに変わった。
凄く現金なと驚いていれば、さっとボールを拾ったヤーバン王がまた『ばひゅ!』という人間から外れているのではと言いたくなるような音を醸し出しながらボールを放った。そうしてみんながまた追いかけていく。
「脚の速さは毛玉たちの方が速いのねえ」
「意外だよね~グリフォンの方が身体大きいのに」
確かにフェンリルより身体の大きいグリフォンが足の速さに競い負けるとは。おばあは運動不足なので仕方ないけれど、若いイルとイヴが毛玉ちゃんたちより脚が遅いとは。ダリア姉さんとアイリス姉さんの声にむくりと身体を起こしたジャドさんがこちらに視線を向けた。
『飛ぶ方が得意ですからね。大地を駆けるフェンリルと空を翔けるグリフォンでは我々の方が分が悪いのです』
ジャドさんの声にヴァナルと雪さんたちも加わる。
『跳べるけど、飛べない』
『まあ、仕方のないところでしょうね』
『種族で得意不得意は分かれますから』
『競っても意味はないのでしょう』
どうやらそれぞれに得意分野があるので比べるのはナンセンスだと言いたいようである。近くにいたエルとジョセは『逃げ足は自慢できますが』『武力面で天馬は役に立てないですからねえ』とぼやいていた。そこにルカが大きな嘶きを上げ、ジアが煩いと兄を嗜めるように尻尾でルカの後ろ脚の肉付きの良いところを『べちん!』と叩く。なんだか侯爵邸の庭は平和だよねえと目を細めるのだった。
◇
私はとある国の宰相を務めている者だ。はあと深いため息を吐いて、数日前の出来事を静かな執務室で反芻している。
――不味い、不味い、不味い!
自由連合国という不届き者が統べる国を大陸会議で糾弾し、西大陸は平和な時間となっていたのに。アルバトロス王国とアストライアー侯爵から届いた書簡により、我が国は大騒ぎになっている。
私はこの国の宰相を務めており、書簡が届いたことを陛下に早く知らせねばと城の廊下を走り抜けている。目指すは陛下が執務を執り行っている部屋であるのだが、いつもより道程が遠く感じるのは何故だろう。そして足が凄く重いのは何故だろう。
どうにか辿り着いた執務室の前には近衛騎士が涼しい顔を浮かべて警備に就いている。今から私が陛下に書簡が届いたことを報告すれば、彼らの顔は真っ青に染まることだろう。
警備に就く近衛騎士は息を切らした私に『宰相殿、どうされました?』『大丈夫ですか、そんなに急いで』と呑気に声を掛けてきた。私は彼らに『危急の事態が起こった! すまんが通してくれ!』と伝えて執務室の扉に手を掛ける。驚いている近衛騎士に無視を決め込み、執務室の中へと私は雪崩れ込むのだった。
「へ、へ、陛下っ! ごほっ! 急いでこちらに目を通してくださいませっ!」
「宰相。どうしてそんなに急いで……アルバトロス王国からの書簡か?」
私が書簡を掲げれば、おっとりしている我が国の王が目を見開いた。ちょうど二枚の書簡が重なり陛下にはアルバトロス王国から宛てられたものしか見えなかったようである。
「は、はい! あとアストライアー侯爵家からもあります!」
「は?」
陛下は目を見開いていた。アストライアー侯爵家が他国に問い合わせの書簡を送ってきたと他国の者から聞いたことはない。侯爵と仲の良い国であればあり得る話であるが、付き合いのない国とは縁がないのは当然である。
我が国もアストライアー侯爵とは縁がなく、何故書簡が届いたのか意味が分からないと陛下の顔が物語っていた。ただ内容を知れば届いた理由に納得できるはず。
「陛下、戻ってきてください! そして早く目を通してくださいませ!!」
「はっ!」
遠くなっていた陛下の目に生気が戻る。陛下は頭を振って手を差し出した。私は陛下に書簡を渡せば、アストライアー侯爵家から届いた書簡を先に目を通している。
本題の部分に陛下は辿り着いたのか、額から一筋の汗が流れ落ちていた。そうしてアルバロス王国から届いた書簡に目を通すと、視線を下げた陛下は机上の一点を見つめている。執務室にいた者たちが大丈夫かと騒ぎ始めれば、陛下ががばりと顔を上げた。
「我が国でグリフォンを虐げていた者は誰!? 誰なの!?」
陛下が突然奇声を上げれば、周りの者たちが『ご乱心!? いつもおっとりしている陛下がご乱心なされている!?』とざわめいている。いや、理由を知れば『なるほど』と理解できるから、少しばかり陛下が落ち着くのを待って欲しい。
「陛下、早急に王国内を調べ上げましょう。一先ず……我々は知らないが国内に不届き者がいるかもしれないから総力を挙げて調べると返事をして誠意をみせねば!!」
私は混乱している陛下を落ち着かせるために、やるべきことを伝えてみた。そりゃ、書簡で『アストライアー侯爵と懇意にしているグリフォンが貴国の森で弱っているグリフォンを保護した。魔術具を使用して自由を奪っていたようなのだが……事情、知らね?』というものである。
もちろん文面はもっと丁寧なものだし、国と国とのやり取りなのだから正式な問い合わせであるが、あのアルバトロス王国とアストライアー侯爵からの書簡に驚くのは仕方ない。
「ううっ。何故、何故、平和な我が国に問題が舞い込んでくるのだ。アルバトロス王は大変だと高みの見物をしていた私がいけなかったのか?」
良い歳をした陛下が半泣きになっている。気持ちは分かりますが、早く動かねばグリフォンを国獣と定めているヤーバンも出てきますよと急かせば、陛下は大急ぎで返事を認めるのだった。






