1424:気になる物。
おばあを水場で洗っているのだが、大人しくしてくれているため直ぐに洗い終わることができた。ただ大きな身体から水気を取るのは大変で、様子を見にきていたセレスティアさまとソフィーアさまにも手伝って貰う。
だらしのない顔をしながら布でおばあの身体をふく某辺境伯令嬢さまには、エルとジョセたち天馬さま方が面白そうな顔をして見ていた。おばあの身体をみんなで拭きあげること三十分。ようやく水気が取れておばあの毛が風に揺れるようになった。
私が『終わりだよ』とおばあの身体を軽く叩けば『ピョエ』と一鳴きする。クロ曰く『ありがとう』とお礼を伝えているそうで、私は『どういたしまして』と返しておく。そしてクロがこてんと首を傾げておばあを見ながら口を開いた。
『おばあがモコモコしてるねえ~』
汚れが落ちおばあの体毛はふよふよになっている。アンダーの毛が多少生えているので、あとでブラッシングをしてムダ毛を取らなければ。とはいえ数時間前のみすぼらしい身体から一回り大きく見える。
決して身体が大きくなったわけではないが汚れたままでいるより全然良いし、おばあも気持ち良さそうだ。セレスティアさまはドヤとおばあの身体を見ているし、ジークとリンも綺麗になって良かったねとおばあに声を掛けている。ソフィーアさまも綺麗になったおばあが顔を寄せたため、手を差し出してゆっくりと撫でていた。
そんな光景を見るためなのか、エルとジョセたち天馬さま方がおばあを拭き終えた時より近くに寄ってきていた。セレスティアさまは嬉しいのかわさあと特徴的な御髪を広げて、テンションが爆上がりしている。ジークとリンとソフィーアさまは驚きつつも『ここは侯爵邸だから』と言いたげな顔になっていた。エルとジョセが私の前に立って、おばあの方をみながら前脚で地面を掻く。
『皆が羨ましがっております』
『厩の方が我々の身体の手入れをしてくださっていますので贅沢は言えませんが、わいわいと身体を洗われるのは楽しそうです』
エルとジョセが首を曲げて私の顔の左右に顔を近付けた。サンドイッチになっているけれど、圧迫感はなくエルとジョセの綺麗で大きな眼が視界に映る。後ろではルカがブモブモと鼻を鳴らしているので、おばあが羨ましかったようだ。
ただ流石に天馬さま方みんなを洗うのは大変な労力である。お一人だけは凄く気合が入って『洗ってみせましょう!』と言いそうだが、問われている先が私であるためなにも言えないようだ。言いたいことを我慢しているというよりは、彼女の背後で某公爵令嬢さまが『ナイに迷惑を掛けるようなことを口にするな』と圧を掛けているからだけれど。まあ効果のほどは定かではない。
「天馬さま方を毎日一頭洗うとして……二十日以上必要になるからねえ」
私はエルとジョセを視界一杯に納めながら目を細める。お貴族さま方が馬を利用しているためか、馬のお手入れ道具は充実している。鬣を結ぶための紐も派手なものから地味なものまで様々だし、ブラッシング用の道具もいろいろとあるのだ。逆毛を立てて馬体に模様を描いていることもあるし、へえと感心することもある。天馬さま方の毛は冬毛になっているが短いため、ジャドさんたちほど手は掛からないけれど、なにせ数が多い。
『そうですねえ。諦める他なさそうです』
『皆を説得しましょうか』
「ごめんね。でも綺麗になるのは気持ち良いから時間を見繕ってみるよ。みんなでワイワイしながらだと楽しいから女神さま方も誘ってみよう」
私の声にエルとジョセが『いえいえ、恐れ多い』『ナイさんの手を煩わせるだけでも申し訳ないというのに女神さままで』と恐縮していた。言い出しっぺはエルたち天馬さま方なので、遠慮は不要のような。
それにみんなでワイワイしていれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまは『なにをしている?』と顔を出すはずである。ヴァルトルーデさまは楽しそうと言って参加してくれるし、ジルケさまは面倒だなと言いながら手伝ってくれるはず。
エルとジョセと私たちの会話を聞いていたおばあが目の前に立った。どうしたのかと私がおばあを見上げると、頭の上に顎を置いてぐりぐりとし始めた。
「おばあ、どうしたの?」
揺れる視界に私は目を回しそうになるけれど、おばあは楽しそうである。喉を鳴らしているのが分かるし、尻尾も左右にぶんぶんしているのだ。グリフォンの尻尾にぶたれたら吹っ飛びそうだなあという明後日のことを考えていると、クロも私の肩で揺られつつ通訳をしてくれる。
『構って欲しいみたい』
クロが私の肩から逃げて行き、お邪魔するねと言ってエルの頭の上に乗っていた。おばあはまだ飽きないようで私の頭に顎を乗せたままで『ピョエ』と短く何度も鳴いていた。しかし、おばあの行動が幼い気がするのは何故だろう。でもまあ楽しそうだから良いかと私はおばあの行動を受け入れていれば、イルとイヴが顔を出しておばあと共に庭へと駆けて行くのだった。
「おばあって呼ばれているけれど元気だね」
私はイルとイヴと共に庭に掛けていくおばあの後ろ姿に目を細める。イルとイヴの方がおばあより体格が大きい。彼女たちと一緒に並べばおばあの方が小さいのだ。
骨格の関係もあるが、栄養状態がよろしくなく大きくなれなかった可能性もありそうである。うーん。おばあには美味しい品をたくさん食べて貰って、大きくなるのは無理だけれど元気になって貰わねば。大人のグリフォンさんたちは魔素がご飯なので、私の心配は無用なものかもしれないが。
『だねえ。でも、おばあが歳を取っているのは確実だよ』
「分かるものなの?」
『うん~なんとなくだけれど、ボクたちは感じることができるよ~』
どうやらクロたち魔獣や幻獣は相手の命の残り時間をなんとなく判断できるそうである。クロ曰く『感じる命の灯が大きかったり小さかったりするんだよ』と。おばあは確実に命の灯が弱いのだとか。
「おばあが少しでも長く元気に生きられるようにしないとね」
『ありがとう、ナイ。元気になってくれると良いねえ』
私が笑うと、エルの頭の上に乗っているクロもへへへと笑っている。他の天馬さま方たちも集まってきて私の方に顔を寄せてくる。彼らの鼻息が掛かるし、頭の上や肩の上に顎が乗りぐりぐりしてくれる。
嬉しいけれど、鼻息とおよだが掛かるのは宿命だし、私の足が彼らの勢いに押されてよろよろしている。ジークとリンは助けてくれそうになく、セレスティアさまは嫉妬の視線を向けてくる。ソフィーアさまは『すまん、ナイ』と声に出して私の無事を祈ってくれていた。誰も助けてくれない状況に自分でどうにかするしかないと声を上げる。
「どうして私を揉みくちゃにするの~!」
『ナイさんの側は心地良いので、つい』
『皆、側にいたいようですから』
侯爵邸の庭で騒いでいればヴァルトルーデさまとジルケさまが遅れてやってきて『どうしたの?』『うるせえぞ、ナイ』と声を掛けてくれる。ジルケさま何気に酷くないですかと言いたくなるものの、私が大きな声を上げたのは事実で否定ができない。二柱さまが現れると天馬さま方は私の側から離れていく。道を譲っているのか、二柱さまの姿をはっきりと確認することができた。
「揉みくちゃにされていたのですが、誰も助けてくれなくて……」
とりあえず私が状況説明すると二柱さまは呆れた顔で視線をくれる。
「頭、ぼさぼさ」
「酷え格好になってんな。エッダが悲鳴を上げるぞ、それ」
そんなに酷い格好をしているのかと頭に手をやろうとすれば、しゅばっとリンが私の後ろに立つ。手櫛で乱れた髪を直してくれ、持っていたハンカチで顔の汚れを拭ってくれる。
「ジークリンデはナイに甘い」
「今更だろ、姉御」
呆れ顔の二柱さまにリンは『なにか悪い?』と言いたげな雰囲気を醸し出している。ジークは肩を竦め、ソフィーアさまとセレスティアさまはいつものことだと小さく笑っていた。
そうして侍女の方が『お茶の時間ですがどう致しますか』と私たちに声を掛けてくれれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが目を輝かせて『飲む』『甘いもん、食いてえな』と伝えていた。侍女の方は困った顔を浮かべて私に助けを求めるので『サンルームに人数分のお茶の用意をお願いします』と口に出す。そして私はジークとリンとソフィーアさまとセレスティアさまに身体を向けた。
「お疲れさまでした。休憩にしましょう」
私の声に何故かヴァルトルーデさまとジルケさまが『行こう』『早く行こうぜ』と急かしてきた。他の面々は二柱さまに苦笑いを向けるだけだ。私は肩を竦めて、みんなと一緒にサンルームへと向かう。
エルとジョセとルカとジアは庭に出て、気が向いた数頭の天馬さま方が一緒にサンルームの方へと歩き始める。本当に二柱さまの食い気は凄いなあと感心しながら時間が進み。
――翌日、朝。
ちょっと出てきますと言って留守にしていたジャドさんと雌グリフォンさん四頭が戻ってきた。庭に降り立った彼女たちは『ピョエー!』と鳴いて私を呼んでいる。丁度、朝ご飯を済ませたところなので、少し待っていてくださいと声を掛け、ジークとリンと一緒に庭へと出た。イルとイヴとおばあや天馬さま方もなにごとかと、戻ってきた彼女たちの下へと集まっている。
『ナイさん、こちらを』
「なんでしょう、これ……足輪かな?」
ジャドさんの前には鉄製っぽい輪っかが転がっている。輪っかと言っても壊れていて、きちんとした形を成していない。修復すれば足輪に戻りそうだ。ジークとリンも私の後ろから地面を覗き込み、クロとアズとネルも不思議そうにこてんこてんと首を傾げていた。
「みたいだな。おばあの脚に入りそうな大きさだ」
「魔術が施してある?」
足輪(仮)の内側には魔術文字が刻印されていた。壊れているので術式がはっきりと読めないが、なんとなく拘束系のものだと理解できる。
『おばあを見つけた近くに落ちていたものです。一緒に拾っておけば良かったのですが、おばあを優先させたので』
「うん。おばあの方が大事だし、取りに戻ってくれたんだから問題ないよ……」
私は交互にジャドさんと雌グリフォンさん四頭の顔を撫でていれば、戻ってきた彼女たちを見つけたセレスティアさまが庭に駆けてくる。魔獣幻獣が大好きな方の後ろにはソフィーアさまもゆっくりとした足取りでこちらにきていた。そうして私たちの下にお二人が合流すれば大所帯になる。とりあえずお二人には目の前の物の説明をしておく。するとセレスティアさまがぶわりと覇気をまき散らす。
「誰がこんなものを……!」
「しかし魔獣や幻獣に施せるものなのか?」
怒りのセレスティアさまと落ち着いた雰囲気でソフィーアさまがいろいろと考えているようである。確かに人間が作ったものにグリフォンという強い幻想種が囚われることはなさそうだ。うーんと頭を捻っていれば、ジャドさんが困り顔で答えてくれる。
『卵を拾った人間の下で孵った個体であれば可能ではないでしょうか。唯一の救いはおばあが人間を恐れていないことですねえ』
『ピョエ?』
ジャドさんの推測におばあが不思議そうに首を傾げた。たしかに人間に捕らわれていたのなら、恐れていても良さそうなのにおばあにはソレがない。とにかく。
「術式の調査は魔術師団にお願いしてみましょう。魔獣や幻獣を飼える方は限られるはずですし、おばあを側に置いていた方は案外早く分かるかもしれません」
私は足輪(仮)を手に取って、アルバトロス王国上層部と魔術師団に連絡を入れようと執務室のある場所に視線を向ける。
おばあを飼っていたなら何故捨てたという気持ちと、大地を駆け空を飛ぶグリフォンの自由を奪ったのは誰だという気持ちがふつふつと湧き、なににしてもおばあの幸せを一番に考えつつ起こった問題に取り組もうと決めるのだった。