1420:なぜなに相談室。
お昼ご飯が終わればエーリヒさまはジークを連れて別室へと移って行った。クレイグとサフィールとソフィーアさまとセレスティアさまは仕事に戻るといって食堂から持ち場に移った。ヴァルトルーデさまはジルケさまに首根っこを持たれて『行くぞー姉御』と言われて、屋敷のどこかにいるはずだ。
フィーネさまはふんすと鼻息荒く来賓室で席に腰を下ろし私を見ている。彼女の後ろには聖王国の護衛の方が数名いて、私の後ろにはリンが控えていた。側にはヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと、お昼ご飯の時間に放置されて不貞腐れている毛玉ちゃんたち三頭が尻尾を縦に床へとばったんばったんさせている。
侍女の方に淹れて貰ったお茶の匂いが来賓室を満たし始めたころ、によによという顔のフィーネさまが口を開く。
「さて、ナイさま」
「はい?」
フィーネさまの声に私が返事を返すと、彼女はによによ顔から真面目なものに変わった。
「ジークフリードさんから告白を受けたとお聞きしました。あとヴァルトルーデさまがここ数日のナイさまは『変だ』と仰って気になされておられましたよ」
一体なにを言われるのかと思いきや、ジークが私に告白したことが気になるようだ。しかし何故バレているのだろう……あ、いや。特段、隠すことはないだろうと屋敷の方に『様子がおかしい』と問われれば、私がジークから告白を受けたことを伝えていたのだった。
それならば、屋敷の誰かから報告が届き、アルバトロス王国経由でフィーネさまが知っていてもおかしくはない。でも何故、ヴァルトルーデさまが話に登場するのかと思いきや、ここ数日考え込んでいる私を見たヴァルトルーデさまが心配してフィーネさまの下へと向かったようだ。
「聖王国の皆さまは大慌てだったのでは……」
流石にヴァルトルーデさまがくるとなれば、フィーネさまは教皇猊下方に連絡を入れないはずはない。急に女神さまが訪れる場合もあるが、一応知り合いの下へ向かう際は『一報を入れた方が無難です』と女神さま方には伝えている。
「ですね。ヴァルトルーデさまを迎え入れるために信頼できる方たちが各所の掃除を担いましたから。凄くピカピカです」
フィーネさまが苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。どうやら本当に聖王国は上を下への大騒ぎとなっていたようで、教皇猊下さえ掃除道具を持っていたそうである。女神さまの来訪を知らされていない方は驚いたのではと、私がフィーネさまに問えば『時折、慈善活動として猊下は掃除道具を持つことがありますから』と教えてくれた。
そして教皇猊下は『今日は掃除がしたい気分なのだ』と仰って誤魔化していたそうである。先々々代の教皇猊下も箒を持って掃き掃除をしていたから、他の方たちも真似をしたようである。結果、聖王国の官舎と庭と大聖堂は、普段よりもピカピカになっているとか。ちょっと見てみたい気分に駆られていると、フィーネさまがはっとした顔になっていた。
「ヴァルトルーデさまのお話をしにきたわけではないのです! ナイさまジークフリードさんにどう返事をするのですか?」
大きく口を開いたフィーネさまが私を真っ直ぐに射抜く。どうやらジークからの告白を受け、返事をしていないこともバレバレのようだ。まあ私の様子は変だったようなので、こうして聖王国から飛んできてくれた方を悪く言えない。ただ、恥ずかしいという気持ちと、もう少しゆっくり考えさせて欲しいという気持ちがある。
「…………」
そもそも、どうしてジークは今のタイミングだったのだろう。そりゃ機会を逃せば私にはボルドー男爵さまやヴァイセンベルク辺境伯さまやアルバトロスの陛下や他の面々から釣書がたくさん送られてくるはず。
今、止まっているのは陛下方になにかしらの考えがあるからで。ジークも決して意地悪をするために告白したわけじゃないことは分かっている。
長年、心の中で私への気持ちを秘めていたそうだ。聖女であるから処女性が求められるところもある。結婚している聖女さまもいるけれど、世間一般では純血の聖女さまの方が求められていた。私は聖女という仕事からお貴族さまの仕事へと比重を置いたために、ジークは丁度良い機会と考えたのだろう。でなければ私が聖女を続ける限り、彼は自分の気持ちを押し込めていそうである。
「ナイさま?」
ジークのことは好きだし、男性として見れるはず。しかし仮に私が彼の告白を受け入れたとして、ジークは嬉しいのだろうか。側にいる、都合の良い相手だから気軽に返事をしたと思われそうである。それはそれでジークに対して不誠実だろうし、そう思われてしまったら私は悲しい。クロが私の肩の上でなにか呟いているけれど、今はそれどころではない気がする。フィーネさまにどう答えれば良いものか。
「ナイさま!」
フィーネさまが私の名を呼んで前を見据えている。怒っているのか呆れているのか分からないが、聖王国の護衛の方は目をぱちくりと開いて、フィーネさまの方を見ていた。一先ず、フィーネさまの疑問に答えなければと私は纏まらない考えを口に出す。
「私がイケメンに告白されたことが信じられないんです……現実だと分かってはいますが、こう……私が受けても良いものかと」
私は言葉を口にしつつフィーネさまから視線を逸らした。
「うわあ……拗らしてる」
私の答えを聞いたフィーネさまが凄く妙な顔を浮かべながら引いている。引く要素はないはずなのに何故、彼女は呆れているのか。だって、イケメンなら美女を選び放題である。本人の気持ち次第だろうと突っ込みが入りそうだが、一緒に生活する上で顔も大事な要素である。見たくもない顔を毎日拝まなければならないのはしんどい。
「ごほん! とにかくジークフリードさんは本気です。お付き合いするかどうかはナイさま次第ですが、きちんと答えてあげてくださいね」
フィーネさまがうんうんと頷いている。言いたいことを言ったようで、納得した様子を見せている……気がする。私はふとフィーネさまは何故エーリヒさまと付き合い始めたのだろうと口を開いた。
「フィーネさまは何故、エーリヒさまが良かったのですか?」
意味合い的には変わらないはず。フィーネさまは可愛い系の美人だし、聖王国にもイケメンはたくさんいる。言い寄られる機会が多くありそうだし、エーリヒさまはイケメンの中に入れば埋もれてしまう口だ。失礼かもしれないが、フィーネさまは面食いっぽい雰囲気がある。
「はえ?」
フィーネさまがきょとんとした顔をしながら少し考える雰囲気を醸し出した。
「そ、そりゃ……カッコ良いですし、優しいですし、一緒にいて楽しいですし、美味しいご飯を作ってくれますし、手紙もマメにくれて、出掛けた先のお土産も届けてくれるんですよ? くすんだ金色の髪が風に靡いて彼が目を細めるところとか、エスコートを受けた時のごつごつした男の人らしい手とか……あと他には、凄く落ち着いた柔らかい声で喋ってくださいますし、歩く速度も私に合わせてくれるんです」
こんな人、何処にもいませんよとフィーネさまが顔を赤くしながら惚気ていた。息継ぎがほぼないまま語り切ったので、エーリヒさまに対して持つ彼女の気持ちは凄く強いのだろう。そういえば恋愛話はあまりしていなかったなあと私が目を細めれば、肩の上のクロがこてんと首を傾げながら口を開く。
『フィーネはエーリヒのこと大好きなんだねえ』
クロは尻尾で私の背を叩きながら呑気な台詞を吐き、フィーネさまは幸せそうに『大好きですよ』と答えている。私も彼女のようにジークのことで惚気る日がくるのだろうかと、窓の外の晴れた空を見るのだった。
◇
昼ご飯のあとフィーネさまとナイさまたちと別れた俺とジークフリードはアストライアー侯爵邸の来賓室を一室借りていた。男同士の気軽な場であるが、俺に付いている護衛の方が一緒である。
ジークフリードは自分の身を守れる実力を持っているため一人で行動できる。少し羨ましくあるものの、幼い頃から騎士として鍛えてきた彼と貴族の三男としてのほほんと生きていた俺とでは扱いが違うのは当然である。ジークフリードがナイさまに告白したとアルバトロス上層部から報が入り、告白を受けたナイさまの様子が変だということも耳にしている。
今日、久方振りに顔を合わせたジークフリードは案外落ち着いているものの、ナイさまは少し落ち着かない様子である。いつも通りに見えるけれど彼女はジークフリードのことを確実に意識していた。
そしてナイさまは一人、頭の中で悩みまくっていることも。彼女はここ数日珍しく悩んでいる様子を見せたり、ご飯を零したりしているそうだが、確実にジークフリードを見る視線は変わっていた。
「ジークフリード、大丈夫なのか」
来賓室の椅子に腰を掛けて早々に俺はジークフリードに声を掛ける。赤毛のすこぶる顔が整った目の前の男も椅子に座る。ジークフリードは羨ましいを通り越して、嫉妬なんて湧かない顔の良さを持っているのだが、自分の顔の良さを鼻にかけることはない。領地運営の勉強も順調らしく地頭も良いときている。そんなイケメンが小さく首を傾げて俺を見ていた。
「なにがだ?」
「いろいろだ、いろいろ」
なにかとは口にせず俺はジークフリードに再度問う。すると彼は小さく笑って『特に問題はない』と答えてくれた。ずっと思いを寄せていた相手に告白したというのに随分と落ち着いているようである。ナイさまの方が挙動不審なのは如何なものか。極上なイケメンからの告白を受けたならば凄く喜びそうだが……ナイさまだからなあという思いが胸に湧く。
「少しくらい俺のことで悩んでくれても良いんじゃないかという気持ちがある。ずっと抱えていた気持ちを打ち明けたんだ。ナイの返事が遅くても問題ないさ」
ジークフリードがふふと肩を竦めながら笑えば、アズが彼の肩から飛んで机の上に降りる。どうやらいきなり肩が動いたことに驚いたようで、アズはジークフリードに抗議の声を上げていた。
すまないとまた笑ったジークフリードは手を差し出して、元の位置に戻るようにとアズを促した。嬉しそうに一鳴きしたアズはジークフリードの手に何度か顔を擦り付けて、元の位置である彼の肩の上に乗って満足そうにしている。
「……何気に重いんだな、ジークフリードの気持ちは。俺なら早く返事が欲しいって思ってしまいそうだ」
俺が小さく笑えばジークフリードは不思議そうな顔をした。どうやら自覚がないようである。確かに幼い頃から抱えていたものを告白したとなればスッキリするかもしれない。その後にフラれる可能性だってあるのに、ジークフリードは泰然として凄く落ち着いている。
「そうか? 他の人間と比べたことがないから分からないが……ナイが導き出した答えなら、どちらでも受け止めるつもりだ」
なんだろう。目の前のイケメンは心もカッコ良いようである。ナイさまと同様にジークフリードもソワソワしているのかと心配していたのに、俺の気持ちは無駄に終わったようだと肩を竦めるのだった。