1419:振舞われるアレ。
――お昼ご飯の時間となった。
転生者組はアストライアー侯爵領領主邸にある調理場に立ち、料理人さんたちが腕を振るう場を見ていた。新しいレシピを試すので、エーリヒさまは助言役、フィーネさまはどんな納豆料理が出来上がるのか楽しみで立ち会っていた。
私はお客人を放置するわけにもいかないと調理場で料理人さんたちを見守っていたのだが、彼らは見ている方たちがいようとも女神さまではないと知り安堵の息を吐いていた。
どうやらヴァルトルーデさまとジルケさまはご飯前に調理場に姿を現すことが多いようである。料理人さんたちの話では、ヴァルトルーデさまは中をこっそり見ているのだとか。ジルケさまは気軽に『今日はなにを作るんだ?』と聞いて、料理人さんたちの答えを聞いてすたすたと去っていくそうである。どちらにしても女神さまが台所に訪れるというのは稀有なことだろう。
まあ貴族の方や大聖女の称号を持つ方たちが他家の調理場に顔を出すというのも異例だが。今回は新しいレシピの助言という目的があるため、カウントをするつもりはない。料理人の方たちは慣れない納豆に苦戦しつつも、エーリヒさまのアドバイスを頂きながら料理を先程完成させた。
さっそく一緒に食べようと食堂に赴いたところである。
いつもの面子も集まってきており、ジークとリンとクレイグとサフィールにヴァルトルーデさまとジルケさまもいて、今日はソフィーアさまとセレスティアさまも加わっている。床にはヴァナルと雪さんと夜さんと華さんがごろんと転がっており、毛玉ちゃんたちは部屋でまだ惰眠を貪っているそうだ。クロたち竜組には果物を用意していつもの場所に移動していた。
いつもは料理を席に運んで貰う形を取っているのだが今日は納豆料理の試食会ということで、バイキング形式とさせて頂いている。フィーネさまはテーブルの上に並んだ数々の納豆料理に目を輝かせていた。
「納豆料理がたくさんです!」
納豆好きのフィーネさまが凄く嬉しそうに笑っている。納豆が苦手な方たちは微妙な顔になっていた。食べれない人や食べたくない人用に普通の料理も用意して貰っている。
結構な量が並んでいるのだが二柱さまがいれば問題なく食べ切れるはずだ。私も遠慮なく食べて良いようだし、苦手な納豆が食べやすくなっているならばいろいろと挑戦してみたい。口にせずに『不味い』と判断するのは作ってくれた方とレシピを提供してくれた方に失礼だから。
「フィーネ。納豆好きだね」
「納豆尽くめだな」
ヴァルトルーデさまとジルケさまが喜んでいるフィーネさまに声を掛ける。納豆好き少女は二柱さまに顔を向けて、納豆がいかに美味しいか、そして健康に良いかを力説し始めた。
確かに納豆は健康食品と言われているけれど、何事も加減が必要である。納豆を食べ過ぎると腹痛や吐き気を引き起こすし、婦人系疾患に掛かりやすくと聞いた記憶が残っている。
フィーネさまが一番気を付けなければならない方であるが流石に分かっているはず。それに『食べ過ぎは良くない』と私が口にしても、説得力が皆無なので一先ず黙っておこう。美味しいご飯の前に無粋なことを言ってはならぬと言葉を飲み込み、私は別のことを声に出す。
「皆さまが苦手な粘りや匂いは調理の過程で消えてて食べやすくなっているかと。エーリヒさまのレシピに感謝ですね」
料理の過程で納豆特有のアレは消えている。納豆オムレツは美味しそうだし、納豆焼き飯や油揚げの納豆はさみなどと本当に料理の種類がたくさんあった。私がエーリヒさまを見上げれば、彼は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「あ、いえ。気になさらないでください。趣味みたいなものですし、なにか考えるのは楽しいですからね」
片眉を上げながら笑うエーリヒさまにフィーネさまが『尊敬します!』と元気良く笑っている。本当にフィーネさまは納豆が好きなのだと一同が同じ思いを抱きつつ私は音頭を執る。
「では――」
私が手を合わせれば皆さまも両手を合わせる。クロたちもこっちを見ており、一緒に食べ始めるつもりらしい。
――いただきます!
私が声を上げれば、他の皆さまもいただきますと声を上げる。そしてフィーネさまが直ぐに取り分け用のお皿を手に持ち、並べられた数々の料理を少しずつ取り分けていく。そんな彼女の姿を皆さまが見て笑い、自分たちも続こうと料理の前に立ち始める。
エーリヒさまはフィーネさまの側に立ち、クレイグとサフィールは各々食べたい品を選ぶようだ。ソフィーアさまとセレスティアさまは少し怪訝な顔を浮かべているものの、納豆料理に挑戦するようである。
ヴァルトルーデさまとジルケさまもフィーネさまには負けまいと料理を取り分けている。私は遅れて取り分け用のお皿を手にすれば、ジークとリンも同じように続いた。
クロとアズとネルは三頭一緒に果物を突っ突いている。慣れているのか綺麗に爪と牙で皮を剥き、中身を美味しそうに食べている。そういえば子爵領の試験用の果樹園に新しい品種を植えたい。とはいえ目新しい品はなさそうだから、なにか見つかれば良いのだけれど。
美味しそうに食べている三頭たちを横目に私は料理の前に立った。魔石を利用して保温されているため、料理が冷めることはない。湯気の立つ納豆チャーハンや油揚げの納豆はさみとか美味しそうだ。きょろきょろと視線を彷徨わせてなにを食べようかと思案する。
「どれが良いかな?」
迷った末にどれを取れば良いのか分からず、私の口から自然に言葉が漏れていた。
「ナイの好物に絡めたものはないな」
「お肉をたくさん使った品が少ないね」
そっくり兄妹の耳に私の声が届いていたようで、笑いながら答えてくれる。確かに今日のお昼ご飯にはお肉料理が少ない。納豆を使っている料理なので主役になれなかったようである。
少し寂しい気もするが、苦手な納豆を克服する機会だ。ジークとリンを私は見上げて『ご飯たくさん食べようね』と伝えれば、二人は片眉を上げて『たくさんあるから食べ損ねることはない』『納豆、美味しくなっていると良いな』と返事をくれる。私の腰元で最近凄く大人しいヘルメスさんがペかぺかと魔石を光らせていた。珍しい。
『杖にも味覚があれば良かったのですが。悩ましい……人型となれば味覚も備わるのでしょうか』
ヘルメスさんには聴覚と視覚は備わっているのだが、嗅覚は弱く、味覚はないそうである。ただ味覚まで手に入れてしまうと『錫杖』の定義がぶっ壊れてしまいそうなので止めて欲しいし、なにやら問題発言をしていたような。取り分けが終わったヴァルトルーデさまとジルケさまがしょぼんと悩ましそうにしているヘルメスさんに気付いた。
「ヘルメスが喋った」
「お、ナイの魔力が落ち着いたのか?」
ヴァルトルーデさまが目を細め、ジルケさまはなんだか失礼なことを口にする。確かにヘルメスさんはここ最近口数が少ない。ロゼさんなんて『静かで良い』と言っているし、他の方たちも仕方ないというような顔をしている。
ヘルメスさん曰く私の体内を巡る魔力が妙な流れを引き起こしていると教えてくれたけれど、私自身はヘルメスさんのお陰なのか魔力の流れがおかしいと分からない。
ジークの告白を受けてから変だ変だと言われているので、いろいろ考えていることが不味いのか。しかし、いつまでもジークを待たせるのは悪いし早く答えを出さないと。むーと私が唸っていれば、側にいたそっくり兄妹が苦笑いを浮かべ、女神さま方が『なにか考えてる』『忙しい奴だなあ』と少し呆れている。
『あ、女神さま方! ご当主さまの意識を向けさせるのは止めて頂きたく!?』
ヘルメスさんが慌てた様子で二柱さまに抗議の声を上げた。私はいかんいかん平常心となるべく意識を恋愛方面へ向けないようにする。とりあえず、ご飯を取り分けなければと女神さま方には少し失礼しますと断りを入れて、料理を取り分けていく。
食べたい品とお野菜を取り分けて席に着けば、他の方たちも取り分けが終わって各々箸を進めている。私もいただきますともう一度手を合わせて、納豆チャーハンに箸を付ける。納豆の独特な匂いと粘り気は消えて、チャーハンの味と納豆の味が上手く混ざり合っていた。他の料理も程よい味で、流石エーリヒさまのレシピと侯爵家の料理人さんたちであると目を細める。
「ネバネバが消えて、食べやすいな」
「ね。熱を通すだけでこんなに変わるんだね。不思議だ」
クレイグとサフィールが少し不思議そうな顔を浮かべて箸を進めている。どうやら納豆が様変わりしたことが面白いらしい。
「確かに食しやすいな」
「ええ。匂いも消えておりますし、見た目も悪くありません」
ソフィーアさまとセレスティアさまが顔を合わせて、意外だと言いたげな顔になっていた。ヴァルトルーデさまとジルケさまは美味しいのか、無言で納豆料理を食べ続けている。フィーネさまは食べている皆さまの顔を見渡して、へにゃりと笑い口を開いた。
「そのままの納豆も美味しいのですけれど……でも、皆さまが食べてくださって嬉しいです」
フィーネさまが嬉しそうに微笑む。彼女が提供してくれた納豆レシピは『納豆サンド』や『納豆おにぎり』であった。お寿司の軍艦巻きとかあるから食べれないことはないけれど、見た目のインパクトが強すぎて南の島では不評だった。今日はエーリヒさまのレシピや侯爵家の料理人の方たちの手が入り、印象が悪かった納豆に対して南の島組の皆さまの認識が変わったようである。
「良かったですね。フィーネさま」
エーリヒさまがフィーネさまを見ながら微笑んでいた。彼は普段より柔らかい顔をしているような気がする。恋人同士だというのに離れて暮らしているから、今日の様にこうして会えた時は嬉しいようだ。
クロたちにも美味しいかと問えば『美味しいよ~』と声が戻ってくる。納豆料理故なのか銀シャリさまが食べたくなるけれど、チャーハンがメニューにあったので用意していない。少し物足りなさを感じていると、ふと思い出したことがある。ジークのでっかいおにぎりは食べ応えがあって良かった。また食べたいなあと、ふと感じるのだった。






