1417:女神さまの相談事。
――ただ今聖王国は上を下への大忙しになっている。
当事者である私、フィーネは落ち着いているけれど、教皇猊下にシュヴァインシュタイガー卿や、信頼に足る聖王国の聖職者の方たちは『本当か!?』『隅々まで掃除を!』『特上の茶と菓子を用意しなければ!』と騒いでいた。
事の発端は数時間前に届いた手紙からである。差出人はソフィーアさまで私宛に記されたものだ。そして聖王国宛てのものも一緒に送られてきた。私宛の手紙は私に向けたものなので遠慮なく確認をさせて頂いた。ナイさまではなく、ソフィーアさまから手紙が届くのは珍しい。どうしたのだろうと私は整った綺麗に記された文字を読む。
――ヴァルトルーデさまがフィーネ嬢に会いに行く。個人的に。
手紙の内容を簡潔に表したものだけれど。どうしてヴァルトルーデさまが聖王国にいる私の下を目指すのか。相談事があるらしいのだが、私に女神さまの悩みを解決できるのか分からないし、そもそも女神さまに悩みがあるのか。
女神さまが訪れる直前の知らせになってしまい申し訳ないとも記されており、どうやらヴァルトルーデさまが突発的に言い出したようだ。来訪までに少し間が空くのは、ソフィーアさまがヴァルトルーデさまに『突然訪れれば、相手が驚きます』とでも言い含めてくれたのかもしれない。
個人的に会うとのことなので、ヴァルトルーデさま個人な相談であろうか。まさか大聖堂のステンドグラスに描かれている女神さまのお姿の改変を、ついにお望みになったのかと私が目を細めていれば、一緒に手紙の内容を確認していた教皇猊下が椅子から転がり落ちた。それはもう綺麗に。大丈夫ですか!? と慌てて近寄る側近の方たちや神職者の方に支えられた教皇猊下が口をわなわな震わせながら開く。
『め、女神さまが……に、西の女神さまが大聖女フィーネに個人的に会いにくる、と!!』
フラフラと教皇猊下は立ち上がり、かっと目を見開く。え……教皇猊下ってこんな方だったかと驚くけれど、信仰の対象であるヴァルトルーデさまが聖王国にこられるとなれば変なテンションになってしまうのかもしれない。
現に一緒にいたウルスラは嬉しそうな顔をしている。他の方々は『ええっ!?』と驚いたり『本当に!?』と教皇猊下の言葉を信じられなかったり『……はへえ』と意識を失う方までいた。とりあえず私は意識を失った方には、現実から逃げるなと気付けの魔術を施しておいたのだけれど……まあ、結果は言わずもがな。現在、聖王国上層部は上を下への大忙し状態だ。
慌てふためいている聖王国上層部の皆さまを私とアリサとウルスラは少し複雑な気分で眺めていた。
「凄いことになっているわね」
「女神さまがこられますからね」
「個人的なご訪問ですけれど……女神さまですからね」
私たちはヴァルトルーデさま方に何度かお会いしているし会話を交わしたこともある。確かに女神さま特有の圧に気圧されそうになるけれど、ヴァルトルーデさま方は至って普通のお方たちだ。
創星神であるグイーさまは豪快で愉快な方といった印象だし、地球の創星神であるテラさまも日本でオタク生活を満喫しているという俗な方。ヴァルトルーデさまは過剰な接待を望んでいないので、聖王国はヴァルトルーデさまの来訪に口を出す気はないけれど、塵一つ落としてはならないという勢いで掃除に励んでいる。
「フィーネお姉さま、西の女神さまはどちらにこられるのですか?」
「転移でくるそうよ。ナイさまのお屋敷でお昼ご飯を食べたあと、私の気配を見つけるみたい」
アリサの疑問に私は答える。ヴァルトルーデさまは私の気配を追って近くに転移するとのこと。妙なところで転移されると騒ぎになるだろうから、官舎にある庭で待っていようと決めている。教皇猊下にお願いをして、お昼から夜の時間までは立ち入り禁止にして貰ったから関係者以外は入れなくなる。アリサとウルスラがいても問題ないそうなので、二人も同席することになっていた。
あとは私たちの護衛の方が控える。お茶とお菓子を用意したけれど、ナイさまの屋敷で出される品と比べると数段劣るかもしれない。美味しくないと言われたらどうしようという心配があるのだが、ヴァルトルーデさまだから怒ったりはしないはず。
アリサに続いてウルスラが私の顔を覗き込んだ。嬉しそうな顔を浮かべており、ヴァルトルーデさまの来訪が待ち遠しいようである。
「では、お昼の時間を過ぎれば女神さまがこられるのですね」
「そうね。お昼ご飯を済ませたら、庭に出ておきましょう」
なので今日のお昼ご飯は普段より少し早めである。一応、アストライアー侯爵家のお昼の時間を聞いているので、妙なタイミングで女神さまがこられることはないはず。食堂や官舎の廊下にヴァルトルーデさまが現れれば騒ぎになるのは確実なので、この辺りは気を付けておかないと。
「はい」
「はい!」
アリサとウルスラが元気に答えてくれる。さて、ご飯を済ませてヴァルトルーデさまを庭で待とうと私たちは食堂を目指すのだった。
――そうしてお昼過ぎの時間となる。
時間を潰すため、三人でヴァルトルーデさまの相談事は一体なにかと話していればそれぞれの意見が出てくる。ステンドグラスの一件が真っ先に上がったことが面白い。ただヴァルトルーデさまは西大陸を見て回りたいそうなので、お姿をご本神さまと寄せて、その姿が世間に知れ渡れば直ぐにヴァルトルーデさまだと分かってしまうはず。
だから、違う相談事かもしれないのだが……あまり思いつかない。ナイさまのお屋敷のご飯の質が落ちることはないだろうし、飽きることもないだろう。ナイさまは巻き込まれ型のトラブルメーカーだから、女神さまが暇になることはなさそうである。
「あ、全く別の話になるんだけれど……――」
私はアリサとウルスラを見て、伝えておくべきことを話しておく。その内容は、ナイさまがジークフリードさんから告白を受けたこと。告白によりナイさまが前後不覚に陥っていること。アルバトロス王から私に向けて、ナイさまから恋愛相談を受ければ答えてやって欲しいとお願いされていること。そのうちナイさまも聖王国を訪ねてくるかもしれないと、冗談めかして私が笑えばアリサとウルスラも笑っている。
「やっとですか。ジークフリードさんの気持ちに気付けないナイさまもナイさまですけれど」
「あはははは。でも、少し憧れますね。男性から告白されるなんて」
少し呆れた様子のアリサと苦笑いでウルスラが笑ったあと少し照れた顔になった。確かに私たちは聖女の身だから、男性から告白を受ける機会は滅多にない。それになんとも思っていない方から告白を受けても困るだけである。
ナイさまが前後不覚に陥っているのはジークフリードさんを男性として見ているからではないだろうか。でなければ、ナイさまなら『ごめん、ジークのこと男性としてみれない』とはっきりと伝えて期待なんて持たせないはず。そんなことを考えていれば、キンと高い音が聞こえた。私がきょろきょろと周りを見れば、アリサとウルスラも不思議そうな顔を浮かべていた。
「?」
「魔力が流れました?」
アリサは首を傾げ、ウルスラは魔力を感じた気がすると妙な顔になっている。なんだったのかと視線を前に戻せば、ふと聞いたことのある声が聞こえた。
――フィーネ、今から行っても大丈夫?
「め、女神さま!?」
どこからともなくヴァルトルーデさまの声が聞こえてきた。アリサとウルスラにも聞こえているようだけれども、西の女神さまは私を名指ししたから会話に加わる気はないようだ。
――あ、驚かせた?
「驚きましたが大丈夫です。って、聞こえているのですか、今の私の声」
声しか聞こえないけれど、ヴァルトルーデさまが無表情なまま声を掛けているのだろうと想像できた。ヴァルトルーデさまが聖王国にこられることをナイさまは知らないとのことだから、女神さまの側にナイさまはいないのだろう。しかしヴァルトルーデさまであれば時間を過ぎればぱっと現れそうなのに、くる前に声を掛けてくれるとは。ジルケさまからの助言かなと笑っていれば声が続く。
――聞こえてる。ソフィーアが向かう前に一言あった方が良いだろうって。
どうやらヴァルトルーデさまが声を掛けてくれたのは、ソフィーアさまからの助言のようだ。流石、生真面目な公爵令嬢さまだと笑っていれば、ヴァルトルーデさまが『直ぐ行くね』と声を上げる。
すると芝生が生えている地面に幾何学模様が浮かび始める。グイーさまが登場した時よりも随分控えめなもので、陽の光と同化しているのか幾何学模様から発する光は目立たない。
幾何学模様の上に人影が形成される。神影かもしれないが……まあ、なんでもいいか。形成された影がはっきりとし始めれば、ヴァルトルーデさまともう一方、ジルケさまの姿も見えた。幾何学模様が地面から消えれば、ヴァルトルーデさまとジルケさまの姿がはっきりと視界に映る。
「おまたせ」
「おう。邪魔するぞー」
声を上げたヴァルトルーデさまとジルケさま。しかし末妹さまがいらっしゃるとは聞いていなかったのだが。アリサは『あれ?』と首を傾げ、ウルスラは驚いて目を丸くひん剥いていた。
「ジルケさまも!?」
「あ、すまん。気まぐれで、姉御についてきただけだ。過剰な敬意なんて必要ねえからな。そもそもあたしは南だし」
ジルケさまが手を頭の後ろに回してボリボリと搔いている。確かに南の女神さまなので信仰には関係ないかもしれないが……あとで教皇猊下方が知れば腰を抜かしそうだ。報告しないと問題になるだろうし、猊下方が腰を抜かすのは決定だなあと遠い目をしているとヴァルトルーデさまが半歩前に出る。
「フィーネ、アリサ、ウルスラ。時間を取って貰ってありがとう」
「いえ。しかし相談というのは一体? 私たちで答えられると良いのですが」
微かに笑ったヴァルトルーデさまにお礼を言われるとは。ちっぽけな人間が女神さまの悩みに答えられるようにと願うしかない。とりあえず、二柱さまを庭にある小さな東屋に案内して席に就いて貰った。
係の方にお茶とお菓子の用意をお願いして持ってきて貰ったら、係の人は場から去るようにと告げた。これで護衛の方たちと私たちしかいない状況になり、ようやく本題に入れる。するとヴァルトルーデさまは機を察したようで口を開いた。
「ナイが変。変な原因は分かったけれど……どうして答えないんだろう」
片眉を上げたヴァルトルーデさまは、この数日ナイさまの様子がおかしいと感じているようである。しかし話が先に進み過ぎていてはっきりと内容が把握できない。ジルケさまが小さく溜息を吐いて『姉御がすまねえなあ』と私たちを見てから言葉を紡ぐ。
「姉御、話がぶっ飛んでるぞ。もちっと経緯を詳しく話してやれ」
「そうかな? そうかも?」
ジルケさまの助言にヴァルトルーデさまは首を傾げながらもナイさまが変な理由を私たちに教えてくれる。どうやらナイさまはジークフリードさんから告白を受けたことに対して悩んでいるらしい。
食べる量は変わっていないけれど、猫舌のナイさまが熱い料理をふーふせずに食べて『あつっ!』と言って、舌を火傷していたとか。いつもであれば提供された料理を美味しく食べれるようにと、熱い料理には細心の注意を払うナイさまが、である。
確かに珍しい行動だし、歩いている途中で柱に身体をぶつけたりしているそうだ。屋敷の皆さまは何故、ナイさまが変な状況に陥ってしまったのか知っているそうである。
皆さま、見守っていようというスタンスを取っているようで、ナイさまを見て見ぬ振りをしているとか。家宰や侍女長に侯爵家の主だったメンバーは『ジークフリードさん、よくやった!』と喜んでおり、あとはナイさま次第である。アルバトロス王国の陛下も認めているようだし、問題は少ないようだが……女神さまは周りに気付いていないようで、ナイさまが変なことに対して違和感を受けるようだ。
「ナイさまなら、そのうちご自身で答えを出すかなあと」
「だよなあ。姉御、姉御が気にしても、どうにもならねえもんだぞ」
私の声にジルケさまが『だよなあ』と言いたげである。そしてジルケさまはヴァルトルーデさまに向かって肩を竦めた。
「うん。でもナイは自分の気持ちを誰かに打ち明けるのは苦手だから。ちょっと心配。煩いヘルメスも静か」
ヴァルトルーデさまが東屋の席から晴れた空を見上げる。
「確かにヘルメスが大人しいのは気になるけどよ」
釣られてジルケさまも空を見上げる。確かにナイさまはご自身の心情を誰かに語ることをしない。自分のことより周りの人のことを気にしている。私がなんとなく啜った紅茶は少し冷えていて、ジークフリードさんの告白がナイさまに齎す影響はどれほどのものだろうと私は目を細めた。ジークフリードさんから話を聞いているかもしれないけれど、エーリヒさまにも相談してみようかな。
転生者同士なら、恋愛観について気軽に語り合えるかもしれないし。