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1415:心は不思議。

 ――ナイが変。


 変なのはいつものことだけれど、いつにも増して変さが高くなっている。数日前から頻繁に机の脚に自分の足をぶつけるようになったし、いつも一緒にいるはずのジークフリードとジークリンデから距離を取っている。食べる量は変わらないけれど、時折他所事を考えているようでご飯に集中できていない。いつも美味しそうに、幸せそうにご飯を摂っているナイが珍しい姿を披露していた。


 末妹にナイが変だと聞いてみれば『暫く放置しとけ、姉御』と呆れているような、面白そうにしているような反応をくれた。ソフィーアとセレスティアに聞いても、クレイグとサフィールに問うても、エルとジョセとヴァナルとユキとヨルとハナに話しても答えをはぐらかされた気がする。毛玉はまだ幼いから分からないだろうし、エッダに聞けば『今は見守ってあげてください』となにか意味ありげな笑みをふふふと浮かべていた。


 でも何度も机の脚に自分の足をぶつけるのは痛いし、クロが焦りながら『大丈夫、ナイ?』と慌てている姿を見るのは正直見たくない。


 ここまでくればジークフリードとジークリンデに聞いてみるのが正解だろう。けれどナイの前で聞いちゃいけないことは私でも分かる。だからあのそっくりな双子とナイが離れている間に聞かなきゃいけない。最近、夕方の時間はナイは東屋でボーっとしていることが多い。時折机に頭を突っ伏して髪を掻き毟っていることもあるから、早く解決しないとナイの黒髪が禿げそうだ。


 私は図書室にいる妖精たちにジークフリードとジークリンデの居場所を聞けば、庭の片隅にある騎士たちの訓練場にいると教えてくれる。ナイはジークフリードとジークリンデが鍛錬に出ている間は一緒に過ごしていない。


 私は今が丁度良い機会だと図書室を出て足早に廊下を歩く。窓から見える庭の景色には少し前に飛来した天馬たちがのんびりと陽向ぼっこをしていた。

 人間が住む屋敷に天馬が住み着くなんて信じられないけれど、エルとジョセが居着いた経緯を知れば納得するしかない。彼らは強くはないので、こうして安全地帯があるなら自慢の翼を広げて敵から逃げることができるはず。アストライアー侯爵領の領主邸は天馬の良い避難場所になるのかもと、窓から視線を外して私は訓練場を目指す。


 随分と広い侯爵邸。誰かとすれ違えば、そそくさと隅に寄って深々と私に向かって頭を下げてくれる。女神だからと仰々しい態度を取られるのは少し変な感じだ。

 ナイのように『お疲れさま』と告げれば一応『お疲れさまです!』と声が返ってくるけれど。屋敷のみんなと日常について語ったりしたいのに、私に気軽に声を掛けてくれる人は少ない。それこそナイと幻獣と魔獣たちくらいで、他の人たちは遠慮している。そのナイが数日前からおかしい。私とすれ違っても気付いてくれず、声を掛ければ『あれ?』と変な顔をする。いつもであれば先にナイが気付いて、へらりと笑みを浮かべて声を掛けてくれていたのに。

 

 むーと私が顔を顰めていると側にいた妖精たちが『女神さま、不機嫌?』『顔、怖い~』『怒っているの?』と問いかけてくる。怒っているというよりは、ナイがおかしいことが気になっているだけである。

 それを妖精たちに告げれば『確かに、最近おかしい!』『ヘルメスも静かで、変!』『どうしたんだろう?』と首を傾げていた。確かにいつも煩い錫杖のヘルメスがこの数日黙ったままだ。主従共に変になっていることに気付いた私は、余計にナイがおかしいことが気になり始めた。早くそっくりな双子に話を聞かなければと、歩いている速度を上げる。


 「え、早っ? 今の女神さま!?」


 すれ違った誰かが驚きながら声を上げているけれど、声を掛けている暇はない。驚かせてごめんと心の中で謝りながら、庭の端っこにある訓練場に辿り着く。

 この場所は侯爵家の騎士たちが時間を割いて身体を鍛えており、騎士見習いのテオや剣技大会で優勝した人も訓練に励んでいる。時折、檄が飛んでいるのだが声の主はフソウのお爺ちゃんたちだ。背の高い双子の兄妹はどこだろうと私は訓練場を見渡す。すると先に妹の方を見つけた。どうやら走り込みをしていたのか、立ち止まって汗を布で拭き取っている。私は邪魔にならないようにと訓練場を移動して、ジークリンデの側に近づく。


 「ジークリンデ」


 「はい?」


 私が声を掛ければジークリンデが短く声を返してくれた。ナイと同じく彼女は私を女神として過剰に扱うことはない。ナイの近くに私が寄れば警戒しているので、面白い反応を見せる子だ。彼女からナイを取り上げたりはしないのに、どうして警戒するのか不思議だけれど。ジークリンデは汗を拭いていた手を止めて私と相対する。


 「この数日、ナイが変」


 私が訓練場に訪れた目的を果たすため、さっそく聞いてみた。ジークリンデは私の声に驚いているのか、意味を考えているのか。表情が動かない子だし、意味が通じなかったのかと私は言葉を付け足した。


 「なにか知ってる?」


 「知ってはいます。けれど女神さまに教えても意味はない、はず」


 ジークリンデが私の疑問に答えてくれるけれど、さらりと流されてしまった。意地悪をして教えてくれないのではなく、私が状況を理解しても意味はないと言いたいようだ。

 表情を全く変えず、彼女は紫色の瞳で私を射抜いている。嘘を吐いている雰囲気はないし、これ以上なにかを聞き出そうと試みても教えてくれそうにない。駄目かと私が小さく息を吐けば、彼女もまた小さく息を吐いてから言葉を紡ぐ。


 「どうしてもというなら、兄さんかナイに聞いてください」


 「わかった。邪魔してごめん」


 ジークリンデが言葉を長く続けるのは珍しいし、向こうから助言をくれるのも滅多にないのに。ジークリンデと喋る機会はほとんどないから、今回初めてマトモに会話を交わした気がする。

 彼女はいつもナイの側でナイのことを見守っている。それは家族としてのように見え、親友のように捉えているように見え、忠誠心の高い犬が飼い主に向けている感情の様にも見えた。


 なににせよ、ジークリンデにとってナイは特別な存在なのだということは理解できる。そんな彼女が私に向けた最後の言葉は、ナイを慮って口にしたのだろう。私はジークリンデから踵を返し、ジークフリードはどこにいるとまた訓練場を見渡した。


 「どこだろう?」


 ジークフリードの姿が確認できない。ジークリンデがいるから一緒に訓練場にいるはずなのに。私が首を傾げれば、一緒にきていた妖精が『あっち!』と彼の居場所を教えてくれる。

 ジークリンデがいた場所とは正反対の建物の影になっているところで、ジークフリードは見習い騎士のテオと剣技大会で優勝していた青年に手解きしていた。

 テオと青年二人同時に相手をしても、ジークフリードは余裕な姿で木剣を捌いている。時折、手や足も出ていた。それに苦しんでいるのは青年の方で、テオは『やっぱりきた!』と言いたげな顔をしてジークフリードの長い手や足をどうにか避けている。終わるまで待った方が良さそうだから私は隅っこで見守ることにした。訓練をしている他の騎士が私の顔を見てぎょっとしているけれど、頭を下げて続行していた。誰も話しかけてくれないなあと目を細めていれば、フソウのお爺ちゃん二人が軽い足取りで私の前に立つ。


 「女神さま、珍しいですな」


 「ええ、訓練場で貴女さまの姿を見るとは。如何なされました?」


 目を細めたハットリのお爺ちゃんとフウマのお爺ちゃんが私を見ながら笑っている。確かに訓練場に足を向ける機会は少ないので、お爺ちゃんたちが驚くのも仕方ないことだろう。特に隠すことでもないし、お爺ちゃんたちには私がこの場にいる理由を告げておこう。


 「ジークフリードに聞きたいことがあって」


 「そうでしたか」


 「おや。彼を呼んできましょうか?」


 私が答えれば、お爺ちゃん二人はジークフリードの方に視線を向ける。訓練の最中のようだし中断してまで切羽詰まってはいないはず。私が邪魔しちゃ悪いからキリの良さそうなところで声を掛けると伝えれば、ハットリのお爺ちゃんが姿をふっと消した。

 残ったフウマのお爺ちゃんは私の話し相手を務めてくれるようで、事情だけジークフリード殿に伝えておいた方が良いでしょうとハットリのお爺ちゃんが姿を消した理由を教えてくれた。


 「凄いね」


 「我々は忍びの者ですからなあ。あれくらい朝飯前ですぞ」


 はははと笑うフウマのお爺ちゃんはアストライアー侯爵家について語り始める。歳を経てからフソウからアルバトロス王国に移住したから、困ることがたくさんあるかと思いきや、直ぐに馴染めたので驚いたそうだ。

 一番の理由はフソウのご飯が用意されていることらしい。タタミがないのは寂しいけれど、ナイに申し出ればフソウにお願いしてタタミを寄越してくれたそうだ。ついでに敷布団と掛け布団も用意してくれ、心配事はなくなったらしい。フウマのお爺ちゃんと二言三言交わし終えると、ハットリのお爺ちゃんがすっと姿を現した。にっと子供のように笑い、突然戻ってきたことに驚いたかと言いたげだった。

 

 「ジークフリード殿に伝えれば、あと五分ほどお待ちいただきたいと申しておりました」


 「ありがとう」


 「いえいえ。爺の喋り相手を務めてくださり、こちらこそ感謝致しますぞ」


 そう言ったハットリのお爺ちゃんはフウマのお爺ちゃんの隣に並ぶ。彼もまたフソウからアルバトロス王国に移住して、こちらの生活も楽しいと笑っている。

 強かなお爺ちゃんたちだなあと暫く会話を続けていると、ジークフリードがこちらにやってきた。ハットリのお爺ちゃんから話を聞いても直ぐにこないあたり、彼が急いでこちらにくれば私が気を遣うと察知してくれていたようだ。

 ハットリのお爺ちゃんとフウマのお爺ちゃんがジークフリードがくれば『女神さま、また爺の話し相手をお願い致します』『茶飲み友達になれると良いのですが』と言って去って行く。ジークフリードはお爺ちゃんたちに小さく頭を下げて私の方に向き直った。

 

 「お待たせして申しわけありません」


 「ううん。私が勝手にきただけだから」


 礼を執るジークフリードに私は気にしないでと告げる。彼は私が訓練場にきたことを不思議に感じているようで、妹と同じ紫色の瞳を私に向けていた。


 「ナイが変だよね」


 「…………」


 私が問えばジークフリードが視線を逸らした。ナイとナイの幼馴染である彼らはきちんと相手の目を見て話してくれる。そんな彼らは私が女神だと言って視線を外すことはしないのに、何故私の一言目でジークフリードは視線を外したのか。

 

 「椅子に足をぶつけて痛がっているし、二、三日前から夕方は東屋で一人で変な顔をしてる」


 私が視線を逸らしたジークフリードに言葉を続けると、彼は視線を再度私に合わせてくれる。少し目を細めて不安気にしているのは何故だろう。


 「……自惚れかもしれませんが、ナイに俺の気持ちを打ち明けました」


 「気持ち?」


 ジークフリードがナイに打ち明けるような気持ちってなんだろう。特に思い当たることがないと考えていると、ジークフリードが顔を赤くしながら答えてくれる。


 「その……ナイを好きだと俺が伝えました」


 ジークフリードが更に顔を真っ赤にした。人間は好きな人同士が結ばれて子を成して次へと繋いでいくそうだ。貴族はその限りではないとエッダに教えて貰っていた。ジークフリードとナイが夫婦になるのはなにもおかしいことではないし、ナイがジークフリードを選んだなら良いことだろう。しかし。


 「そっか。でもなんでナイは悩むんだろう」


 ナイはジークフリードのことを嫌っている様子は感じない。むしろナイが一番自然体でいられる相手ではないだろうか。ナイは凄く周りのことに気を張っている。ジークフリードとジークリンデが側にいる時は穏やかに笑っているのだ。だからお似合いだと私は思うのだけれど、どうしてジークフリードの打ち明けた気持ちを汲み取らないのか。私はナイの気持ちや考えていることが良く分からない。


 「おそらく、俺たちの関係が変わってしまうと悩んでいるのではないでしょうか」


 顔から赤みが少し引いたジークフリードが俺の予想ですがと片眉を上げている。


 「ジークフリードはそれで良いの? 変わるものじゃない気がするけど」


 ナイたちの絆は簡単に変わるようなものではないのに。ナイが一番分かっていそうだというのに、何故、ナイは悩んでいるのか不思議だ。ジークフリードはナイの気持ちの整理がつくまで待っているとのこと。でも早くナイがジークフリードに答えてあげなければと気になってしまう。だって人間の命は儚く短いものだから。


 「はい。今はまだ。ただナイには俺の気持ちに対して答えを出して欲しいと願っています」


 小さく笑うジークフリードに私は『そっか』と言葉を返して彼と別れるのだった。ナイが変になった原因は分かったけれど、何故ジークフリードの気持ちに答えないのだろうという疑問が残るのだった。


 ……お似合いなのに。

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― 新着の感想 ―
うーん、あの森がなければもう少し……………… まぁ、最大の問題は、お付き合いしても婚姻して次代を残せないことだけど、妹が居るから、そこは解決してるので、独占欲を発揮したいだけかなー いや、…
ヴァルトルーデ様…人間は、色々と複雑なんですよ…。 ヴァルトルーデ様も周りの人達も、ナイとジークがお似合いだと思って居る様ですが…それとこれとは違うというか…うーん"(-""-;)"まぁ、もう少し見守…
ジークに余り問い詰めんで下さい、でもこの後はナイかな?
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