1413:優勝者の初仕事。
アストライアー侯爵が主催した剣技大会に参加して、俺は優勝を果たし禄を食むことになった。
幼い頃から憧れていた騎士になるという夢を叶えた俺の前途は明るいものになる。親元で家業を手伝っていた俺が出世することになり、兄たちに凄く羨ましがられた。小麦の収穫量が少なくて、次の収穫までひもじいおもいをしなくて済む。
そしてなにより、小麦畑で汗水を垂らすことはなく剣を振っていれば良いだけ。領主である黒髪の聖女さまの横に侍り、領地の知り合いにデカい顔ができる……はずだった。
新しい年が始まった。
新年が明けて早々、俺はアストライアー侯爵領領主邸に住まいを移している。剣技大会で優勝できたと言っても、俺は見習い騎士の立場に過ぎない。
だが、働いてお金を直接貰えるということは初めての経験で、アストライアー侯爵邸の大きな門を潜り抜けた。そしてただっぴろい庭には天馬がたくさん居着いており、遠巻きに興味深そうな顔を浮かべて俺を見つている。
馬に翼が生えただけというのに、田畑を耕す馬や馬車を引く馬とは違い天馬は美しさを持っていた。きっと頭も賢いのだろうと横目で見ながら、正面玄関ではなく従業員用の屋敷の入り口に案内された。すると気の強そうな顔をしている青年が俺を出迎えてくれる。彼は俺が剣技大会で優勝したあと、侯爵家の騎士になる俺にいろいろと教えてくれた人だ。確かクレイグさんと名乗っていた。
「よくお越しくださいました。部屋に案内致します」
身綺麗な衣装を纏う彼に俺は後ろを歩いて行く。赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩くのは、汚してしまわないだろうかと少し気が引ける。そうして部屋に案内されて荷物を置き、整理したのが二日前。
昨日は屋敷にある施設の案内と挨拶回りを済ませ、今日から本格的に侯爵家の騎士として働くことになった俺に気合が入っていた……のだが、早朝の訓練を終えたあと何故、俺の目の前には子供が大勢いるのだろう。中には良い年をした大人の男女もいる。その中から簡素な騎士の格好をした少年――十代前半くらいだろう――が俺の前に立つ。
「騎士見習いのテオと申します。先任として貴殿の指導を承りました。宜しくお願いします」
「よ、よろしくお願いします……?」
俺より六歳くらい年下であろう少年は丁寧に頭を下げた。俺は子供たちが大勢いる状況と彼や年齢がちぐはぐな男女がいる状況に目をぱちくりさせた。庭の天馬たちにも驚いたし、侯爵家が提供している賄料理は凄く美味くて驚いていたのだが、また驚くことになろうとは。テオと名乗った少年は俺が固まっていることに対して片眉を上げながら口を開く。
「クレイグさんから、貴方は文字の読み書きができないと聞いています。だから早朝訓練を終えたあとの時間から昼食までは託児所で勉強をしましょう」
「な、なんで今更、文字の読み書きを習えと! 剣を振るか、屋敷の警備やご当主さまの護衛に就くのが普通では!?」
どうやらクレイグさんと面談した際に問われて答えたことが、屋敷の人たちに共有されているようだ。どうして子供に程近い少年から『勉強をしよう』なんて言われなければいけないのか。
物心が付いた時から両親が持つ小麦畑の手伝いに奔走してきた。農作業を終えたあと寝物語に聞かされた騎士が活躍する姿に憧れ、剣を振り独自に強さを手に入れたというのに。
今更、机に座って金持ちの連中と同じように勉強をするなんて、凄く格好悪いことのような気がしてならない。それに子供の中に混じって二十歳になっている俺が一緒に勉強をするなんて、恥も良いところではないか。
「えっと」
テオが俺の抗議の声にどう答えたら良いのかと怯む。そりゃ体格も年齢も違う俺からテオに迫られれば困惑するに違いない。どうにかこの場を抜け出して、侯爵家の騎士たちの訓練に混じれないかと思案し始めれば、俺と同じ歳くらいの気弱そうな顔をした男がテオの横に立つ。
「話の途中に割って入ってすみません。侯爵家では文字の読み書きができない人は勤務時間中に習得しようという方針を取っています。子供たちと一緒に学ぶので最初は驚かれるかもしれませんが、覚えれば授業は終わりです。あと屋敷の図書室が開放されているので、文字を読めるようになれば読書や勉強がはかどります」
にこりと笑った気弱そうな男は子供たちに懐かれているようで『サフィール先生』と呼ばれていた。彼のうしろに隠れて子供たちは怒りを露わにした俺を見上げていた。
「今更ですか?」
俺の声にサフィールさんは『はい』と笑みを浮かべて頷いている。俺が覇気を出しているというのに彼は全く動じていない。剣技大会の一回戦の俺の相手は驚いて剣筋が鈍っていたというのに。無駄な時間でしかないと俺が歯噛みをしていれば、部屋にいる大人たちが声を上げる。格好からして、屋敷で雇われている下働きの連中のようだ。
「確かに今更かもしれないが、文字の読み書きができればできることが増えるぞ、新人!」
「難しいけどよ、文字が読めるようになって助かってるぞ。まだ書けねえけどな」
にかっと笑いながら中年の男二人がサフィールさんのフォローに入っている。サフィールさんは俺の態度を全く意に介さず『じゃあ、席に座ってくださいね』と言って、テオに俺を預けた。
テオも俺の覇気を気にせず『行きましょう。何度か体験してから無駄だと判断しても遅くないはずです』と大人顔負けの声を上げている。先程の彼が言い淀んでしまったのは、俺に上手く言葉を返せるようにと考えていたのだろうか。結局俺は文字の読み書きの勉強を受けるしかなく、不本意なまま託児所で人生で初めての習い事を受けることになる。
俺の隣にテオが腰を掛け、机に広げた硬い紙に書かれた文字を読み上げていく。どの文字が口で発する音なのかを最初は覚えていくそうだ。
覚えていない子供たちも一緒に腰を掛け、硬い紙に書かれた文字を真剣に見ていた。俺より託児所の子供たちの方が文字を覚えているようで、テオの声より先回りして口に出している。
「お兄ちゃん、覚えるのたいへんだけれど、がんばろう!」
「おぼえたら、ご本をよめるようになるから楽しいよ!」
子供が俺を見つめてにっこりと笑えば、抜けた前歯が丸見えになっていた。先程、俺を見上げながら怯えていた子供たちではないので、彼らは人懐っこいのだろう。流石に十歳以上離れている子供に圧を放つのは大人げない。席から立ち上がった子供の一人が部屋の隅っこに走っていき、なにやらガサゴソと物を探している。サフィールさんは子供の質問に答えたり、大人組の疑問を丁寧に解いていたりと忙しない。
「ぼくね、このご本だいすきなんだ! かっこいい騎士のおはなしだよ! 文字がよめるようになったからお父ちゃんとお母ちゃんによんでもらわなくても分かるの!」
子供が戻ってきて机にボロボロの本を置き、凄く嬉しそうな顔で笑う。相変わらず笑えば前歯が抜けていて間抜けな面を晒しているが、本気で俺に語り掛けているようだ。本の表紙には鎧を纏った騎士が描かれている。子供向けにだから、騎士の装備は大盾に長剣というあまり見ない格好をしているが。そうして本を持ってきた子供が中を開いて読み上げ始める。
――この話は……俺が子供の頃、親から寝物語として聞かされていたものと同じ内容だ。
両親は本の内容をどこで知ったのだろう。もしかして誰かが口ずさんでいた話を必死に覚えて、俺たち兄弟に聞かせていたのだろうか。知らないところもあれば、ところどころ両親が面白おかしく内容を盛っているところもあった。
寝物語は俺が大人になるにつれて、多くのことを忘れていたようである。強くて立派ということに変わりはないけれど、騎士は情けない姿を見せたり情に厚い男だった。そして、決して悪を許さず正義を貫く者。
「かっこいいでしょ?」
「ああ、本当にな」
短い話を読み終えた子供が俺を見上げる。どうやら彼も騎士に憧れているのか、ボロボロになっている本に描かれている騎士に目を輝かせている。子供たちは騎士になりたいとか領主邸で働きたいとか、王都へ行って学院に通いたいとかそれぞれ夢を語っていた。
なんだろう……俺は騎士になりたいと憧れて仕事の傍ら剣を振っていただけで、目の前にいる子供たちのように勉強なんて一つもしてこなかった。必要のない環境にいたということもあるのだが、侯爵邸で働くのであれば学を身に着けた方が良いのだろう。だからこそ下働きの良い年をした連中だって、子供の中に混じって文字の読み書きを習っている。
「文字、読めるように頑張らないとな」
「うん! お兄ちゃんがよめるようになったら、ご本いっしょによもうね!」
前歯が抜けている子供たちと約束を取り付けていれば、いつの間にか時間が過ぎていて。託児所を出た俺とテオは従業員用の食堂に顔を出す。部屋の中には食べ物の良い匂いが充満していて、空きっ腹には堪えるものである。
ただ今から食べることができると理解しているので、空きっ腹の度合がどんどん上がっていく。食堂のカウンターで受け取った昼飯は家で出される品より随分と豪勢な食事だ。初日から毎食違う食べ物が提供されていることが信じられない。野菜と肉とスープが揃っているだけでも豪華なのに、パンも好きなだけ食べて良いという。
「侯爵家の料理って凄いんだな」
「他の家だと、毎回違う品が提供されることはないそうです。朝は凄く軽く済ませようとしますし、温かい食事が出る機会は少ないとか」
感心している俺にテオが一緒のテーブルに腰を下ろして、他家の食事事情を教えてくれた。これだけでも侯爵家の騎士になった価値はあるよなあと満足しそうになるが、俺はまだまだ駆け出しのひよっこである。いつかはご当主さまの護衛を務められるようにならなければと、豪勢な昼ご飯をたらふく腹に詰め込んだ。ふうと少し出っ張った腹に手を当てれば、テオが妙な顔を浮かべて口を開いた。
「昼から動けなくなりますよ……ご老体の訓練」
「なにか言いました?」
確かに昼から動けなくなりそうだが、休憩時間は十二分にある。午後の訓練が始まる頃には動けるようになっているはず。昼から動けなくなると言ったテオのあとに続いた声はなんと言ったのだろう。
それにしても、俺も食ったがテオもかなり食っていたのに、自分のことは気にならないらしい。まあ、まだテオは身体ができる前だから俺より量を食った方が良いのかもしれない。なんだかんだとテオと俺が世間話をしていると、少し先の話となる。
「自分は春から王都の騎士訓練校に入ります。ご当主さまが道を用意してくださいました」
どうやら侯爵邸で働く子供たちはご当主さまの推薦により王都の訓練校に通うことになるそうだ。訓練校への紹介状はご当主さまが用意してくださり、学費もゆっくり返すことになっているとか。
若いのは羨ましいとテオを揶揄っていれば、そろそろ時間だと告げて邸内にある訓練場に移動した。そうして変わった格好をしたご老人二人が侯爵家の騎士の中に混じって訓練に参加したのだが……凄く年齢にそぐわない動きをする御仁たちだ。
そうして最後に俺はテオと手合わせすることになる。木剣を握り込み、テオが俺の前に立つ。周りには野次馬と化した騎士の連中がどっちが勝つかと盛り上がっている。テオに賭けている人がいて、俺は子供に負けるわけにはいかないと柄をぎゅっと握り込んだ。
「――はじめ!」
声が上がると同時に木剣を構えたテオの姿が俺の視界から消えた。相手が消えたことにより俺は驚きで目を見開いていれば横腹に衝撃を受ける。
「なっ?」
「勝者、テオ!」
驚いている間に審判が勝者の名を告げた。目の前から消えたテオは腰を低くして一気に距離を詰めて、俺の脇腹に木剣を打ち込んだようである。
ま、負けた。剣技大会を優勝した俺がテオと名乗る見習い騎士に負けた……どうして……と頭の中で考えるものの、俺が弱かっただけという純然たる理由しか思い浮かばない。一瞬で試合が終わったことに絶望しながらも、見習い騎士のテオが相当の実力を持っていたことに驚きを隠せない。正規の騎士はどれだけ強いのだろうか。そして俺は強くなれるのだろうか、と。