1412:剣技大会終了。
お昼前から開かれていた剣技大会は、陽が沈む頃になって最後の試合が終わる。場内の開始線の位置で審判の方が勝者の右腕を掴んで天高らかに掲げた。
「優勝者、決定!」
観客の皆さまか拍手が沸き起こり、負けた方は悔し涙を流し、勝った方は笑みを浮かべている。私は席から立ち上がり、開催者として場内へと足を運ぶ。すると優勝者の方が恭しく礼を執り、審判の方も丁寧に頭を下げ、決勝で負けた方は悔しそうに礼をする。
負けた方には申し訳ないが、一度きりの勝負だしやり直しはできない。立身出世を狙っていたようだが夢破れたようである。こればかりは諦めて頂く他ないし、また次年度も規模を大きくして開催する予定である。気概があるなら来年も出場して、実力でアストライアー侯爵家の騎士になれるように頑張って欲しい。
まあ、騎士になれたとしてもジークとリンやフソウのご老体のお二人に侯爵家の騎士団の皆さまからしごかれるだろうけれど。
決勝戦の前、ジークとリンによる勝ち上がってきた二人の評価は『門兵くらいなら務められる』『ナイの直衛は無理』と言い切り、セレスティアさまも『目の前の二人であれば、わたくしが余裕で勝ちますわ』と仰っている。
とはいえアストライアー侯爵家は人手不足である。鍛えればそれなりの騎士になるはずという声もあったので、優勝者の方のこれからに期待しよう。
「おめでとうございます。では、アストライアー侯爵家騎士団への仮入団式を執り行います」
私が勝者の前に立てば優勝者の方が地面に膝を突き頭を下げ、審判の方と負けた方が三歩後ろに下がった。そして天幕の中からソフィーアさまが長剣を恭しく持って私の横に立つ。私が『仮入団』と言ったのは、目の前の彼はまだ正式採用ではないからだ。
だからソフィーアさまが掲げている長剣には『アストライアー侯爵家騎士団の紋章』が入っていない。まだまだ目の前の彼がどんな方か分からないので、勤務態度や日常生活の評価が悪ければ正式採用をしないと開催前に通知してある。優勝者の彼も理解して参加したはずだから、私の言葉の意味はきちんと理解しているはず。
「ありがとうございます。以前より更に精進し、アストライアー侯爵家騎士団の一員となれるよう励んで参ります」
まだ歳若そうな彼がそう告げて、私はソフィーアさまから長剣を受け取る。うっかり落としてしまわないように気を付けているのだが、私の背後でそっくり兄妹が『落とすなよ』『大丈夫かな』と心配している気配がある。
肩の上に乗っているクロは『確り持って、迂闊に手を離しちゃ駄目だよ~ナイ』と目を細めて、私のうっかりさを心配してくれているようである。流石にそんなことはしないと受け取った長剣を彼の前に差し出した。
「お受け取りください。これから、よろしくお願い致します」
「は!」
優勝者の方に長剣が渡る。あとは負けてしまった方たちに参加賞――子爵領のとうもろこしさん――を渡して、今日のイベントは終わりである。女神さま方は露店での買い物を楽しんだようだし、侯爵領内の方やデグラス領とミナーヴァ子爵領からやってきた方たちも楽しんだようである。
デグラス領とミナーヴァ子爵領でもイベントを開催できるようにして、お金の動きと人の動きを活性化させたい。まだ、どんなことを行うのか未定だけれど、意見を持ち寄って会議を開いてみよう。
あとは領地に住む皆さまが楽しんでくれれば良いのだが……今回の剣技大会は楽しんで貰えたのか謎である。諜報部の方にお願いして、領内の情報収集をして貰えば分かるかと私は会場の皆さまの方へと身体を向けた。
「お集まりくださった皆さま。本日の剣技大会は終了致しました。また来年に開催しようと考えておりますので、腕自慢の方やご商売をされている方に声を掛けて頂けると幸いです」
私が声を上げれば、集まった方たちから『ご領主さまー!』『黒髪の聖女さま!』『創星神さまの使いの方!』と方々で声が上がり始める。きゃーという黄色い声とうおーという野太い声が混じっていた。
天幕の側で様子を見ていたヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたち三頭が顔を覗かせれば、更に声が大きくなる。気を良くした毛玉ちゃんたちは私の側に駆け寄り、三頭が並んで観衆の皆さまにドヤという自慢気な顔を向けていた。
モフモフの毛玉ちゃんたちは領内の女性陣の心に突き刺さったようで『可愛い!』『三頭もいらっしゃるわ!』『フェンリルとフソウ国の神獣さまのお仔よ!』『きっと賢い仔なのでしょうね!』と次々と声がまた上がる。
男性陣からは『大きい竜はいないのか!?』『何度か空を飛んでいるところを見たが……流石に近くでは……』『しかし小さい竜のお方が五頭もいる!』『アストライアー侯爵は凄いな!』と盛り上がっていた。
なんだか妙な雰囲気になってしまった。このままでは私がいたたまれないので解散宣言を出すべきだと口を開く。
「では、皆さま。また、どこかでお会い致しましょう!」
私の声にまた会場にいる皆さまがわっと盛り上がった。どうしようコレ、と困っているとソフィーアさまが苦笑いを浮かべながら『天幕に戻ろう。そうすれば会場の者たちは帰路に就く』と教えてくれる。あ、私がいるから皆さま帰れないのかと気付いて、私はくるりと身体を方向転換させて天幕へと戻るのだった。
優勝者の方は別の方にお願いして、アストライアー侯爵家騎士団について講義を開いて頂く予定だ。一先ず今日のイベントを終えたとふうと息を吐けば、ヴァルトルーデさまとジルケさまが露店で買った品を大事そうに掲げて屋敷に戻る準備をしている。
セレスティアさまは困ったような顔を浮かべ『終わってしまったとヴァルトルーデさまが悲しんでおられました』と教えてくれる。確かにお祭りやイベントが終われば、不思議と寂しい気持ちになることがあった。何故、そんな気持ちになるのか理由ははっきりしていないけれど、ヴァルトルーデさまにとって今日という日が楽しかったに違いない。
「戻りましょう。ご飯を食べて、お風呂に入って眠れば、今日のことは楽しい思い出になっています」
ヴァルトルーデさまはイベント事に慣れていないのだろう。夜会やお泊り会のあと、誰もいなくなった部屋で物憂げにしている時がある。ジルケさまはそんな長姉さまを見て苦笑いを浮かべて肩を竦めるだけ。ナターリエさまとエーリカさまがいらっしゃれば、なにかフォローを入れてくれるかもしれないが、いない方に期待をしても仕方ない。なので今のように私が声を掛けることになるのだ。
「そういうもの?」
「はい。それにまたイベントがあったり、みんなが集まるのことはあるので。そんな顔をしないでください」
ヴァルトルーデさまに私が気構えの方法を伝えれば、女神さまは顔を緩ませながら笑っている。大したことは言っていないし、またなにかイベントがあるのは確実なので楽しんで欲しい。
ジルケさまは『絆されやすいよなあ、姉御。大丈夫かよ』と微妙な顔になっていた。確かに『ただの壺』を『持っていれば幸せになれる壺』と言い張れば、ヴァルトルーデさまは信じて買いそうな気がする。
人間の悪意にも触れておかなければ、そのうち悪意を売った人が大変な目に合うだろう。ジルケさまによって。おそらくヴァルトルーデさまは意味が分からないか、騙されてしまったという感情止まりで怒りを覚えそうにない。もしかしてヴァルトルーデさまの天然っぷりは妹女神さまたちによる過保護振りが原因ではと、私はジルケさまを見る。
「なんだ、ナイ」
「いえ、なんでもありません」
怪訝な顔をしているジルケさまに私が答えれば『帰ろうぜ』という声が彼女の口から上がった。撤収作業は侯爵家の方たちや領都の方にお願いして、領主特権を行使して先に帰らせて貰う。
ヴァルトルーデさまは露店で買い物をしたことを一生懸命に語ってくれ、また買い物ができたら嬉しいと願っているようだ。露店で買い物ができたならば、普通のお店でも買い付けができる。
馬車に揺られること三十分。広場から領主邸に辿り着き、馬車から降りれば天馬さま方がたくさん迎えにきてくれていた。私たちは彼らと少し話込んで玄関に向かえば、出迎えの方たちが恭しく礼を執っている。皆さま仕事があるだろうに、割と集まってくれているので申し訳ない。とはいえ女神さま方も一緒だし、いてくれなきゃいてくれないで困るかもと私は苦笑いを浮かべながら口を開く。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ、ご当主さま」
私が声を上げれば、侍女長さまが側に寄ってきた。家宰さまは執務室で仕事をしているとのことで、私の出迎えにこれないことに申し訳ないと彼女に言伝をしていたようである。
「優勝した者は如何でございましたか?」
「鍛えれば、きちんと実力を発揮できるはずだと」
侍女長さまの疑問に私は後ろに控えているそっくり兄妹の方を見た。侍女長さまは『なるほど』と優勝者のレベル判定を下したのはジークとリンと分かり、納得してくれたようだ。門兵くらいは務まると言っていたけれど、ご老体二人の訓練に寄って優勝した方の実力がどれほど上るのか。少し楽しみだと笑みを浮かべると、侍女長さまがこの後の私の予定を問うてきた。
「一先ず、ユーリの部屋に顔を出して執務室で雑用を片付けてから、ご飯を済ませてお風呂に入ってゆっくりしようかと」
「承知致しました」
私が告げると侍女長さまが恭しく礼を執る。私はよろしくお願いしますと彼女に伝えて、ユーリの部屋を目指そうとすればヴァルトルーデさまとジルケさまも一緒にくるようだ。
一緒に戻ってきているソフィーアさまとセレスティアさまは先に執務室へ向かい、クレイグとサフィールも各々の持ち場の様子を見に行くそうである。長い侯爵邸の廊下を歩いていると、私の後ろから声が上がった。
「今日はユーリに会っていない」
「忘れられちまって、大泣きされても困るからな」
二柱さまの声に私が振り返ると至極真面目な顔をしている。確かにユーリと暫く会わなければ顔を忘れられることもあるかもしれない。実際、毎日会っている乳母さんとアンファンとサフィールと、時々ユーリと会えないことがある私たちとでは親密度が違う。
とはいえここ最近は平和な日々が続いているので、ユーリとの時間を増やすことに成功していた。それが功を奏したのか……ユーリの部屋に入って、乳母の方と挨拶を交わしてユーリに近づく。
「にゃいねー」
玩具で遊んでいたユーリが私たちに気付き、両手を広げながらこちらへとことこ歩いてきた。以前、ご当主さまとユーリに呼ばれてショックを受けていたが、ようやくユーリは私を『姉』と認識してくれたようである。乳母の方は『ご当主さまを呼び捨てだなんて』と困惑しているが、今のユーリならば問題ないはずだ。もう少し成長すればきちんと周りの状況を見て、私の名を呼んでくれるはず。
「ただいま、ユーリ」
私は両手を広げているユーリの脇に手を差し込んで抱き上げると、彼女は嬉しそうな顔を浮かべる。
「おきゃえり」
最近はこうして挨拶を交わすこと――といっても相手が喜んでくれるから言っているだけで、意味は分かっていなさそう――も覚えており、本当にユーリの成長が目覚ましい。身体つきも良くなってきている。子供故に直ぐに体調を崩すこともあるが、大きな病気には掛かっていない。私がユーリを抱き上げると、横からヴァルトルーデさまがひょっこりと顔を出しユーリを見ている。
「ただいま」
「?」
ヴァルトルーデさまの声にユーリが不思議そうな顔を浮かべて小さく頭を捻っている。ユーリに挨拶をスルーされたヴァルトルーデさまはショックをありありと顔に浮かべ、ジルケさまは肩を竦めていた。
ジークとリンは『……ユーリ』『ちょっと面白い』という顔でこちらを見ている。ヴァルトルーデさまはがっくりと肩を落としながら、小さく声を上げた。
「どうして……」
「ユーリの名前を呼んでいないから、誰に対して告げたのか分からなかったのでは?」
落ち込んでいるヴァルトルーデさまに苦笑いを私は浮かべてしまった。一先ず、原因になっていそうなことを伝えてみたが、果たしてどうだろうか。ヴァルトルーデさまは気を取り直してユーリと視線を合わせる。私はユーリにもう一度無視されればショックを受けて立ち直れないというのに、女神さまの心は強い。
「ユーリ、ただいま」
「おきゃえりー」
ユーリが返事をくれたことにより、ヴァルトルーデさまはへらりと笑うのだった。現金な女神さまだと思わなくもない。