1411:子守の相手。
何故、ナイではなく俺とサフィールがヴァルトルーデさまとジルケさまと一緒に行動しているのだろうか。
数日前、屋敷でナイに二柱さまの買い物に付き合うことを頼まれて、流石に女神さま相手に助言をするのは難儀すると断ろうとすれば、柱の陰から俺たちの様子を見ていたヴァルトルーデさまが悲しそうな顔を浮かべたので『分かった』と了承したわけであるが。
命令を受けたのだから履行しなければならないが、心の中で苦言を呟くくらいは許して欲しい。絶世の美女と言っても良いヴァルトルーデさまとどことなくナイに似ているジルケさまと一緒にいる。それに屋敷の中ではなく外に出掛けているので、道行く連中から注目を浴びている。男も女もヴァルトルーデさまの美しさに見惚れているか、人間の造形美を超える女神さまに恐れているかのどちらかだった。
サフィールは既に諦めているのか、どんな食べ物でどんな味がするのかを二柱さまに語り、ナイが好きそうな品も教えている。ずらりと並ぶ露店や屋台にヴァルトルーデさまが目を輝かせながら、ジルケさまと俺とサフィールに顔を向ける。
「クレイグ、サフィール、どう買えば良い? 私が過ごしていた頃は物々交換だったから」
ナイにお金を貰ったけれど使い方がイマイチ分からないとヴァルトルーデさまが言葉を付け足す。物々交換で物のやり取りをしていた時代は、今からどれほど前のことだろう。
俺はその辺りの知識は薄いため良く分からないが、随分と昔だということだけは分かる。サフィールは少し驚きながらヴァルトルーデさまの話に耳を傾け、ジルケさまは盛大に息を吐いた。
「姉御……ほんとに部屋から出て良かったな。悪いな、あたしらに付き合わせて」
ジルケさまがヴァルトルーデさまの顔を見上げたあと、俺たちの方に視線を向けて申し訳なさそうな顔をしている。ジルケさまは南大陸で買い物をしたことがあるようだが、金はどう用意したのだろうか。
グイーさまの様に創造できるのか、はたまた何かの機会に金を得ていたのか。なににせよ、今回の買い物を楽しみにしていたようだから、俺とサフィールは二柱さま――主にヴァルトルーデさまだが――にきちんと正しく理解できるように伝えねば。金貨をポンと出して屋台の店主たちが驚く光景を作りたくない。
「欲しい品を指定して、お金を払えば大丈夫かと。金額を提示してくれている店は良心的なはずですよ。あと金を無暗に人前で出さないでください。金を持っていると知られれば、盗られることがありますので」
一番簡単な買い物は金額を表示している店で買うことだろう。硬貨の種類を把握して数字が理解できるなら難なく払える。あと気を付けておくべきはスリの存在だろう。
王都に各地の領都や領地では、どこにでも存在する輩である。俺たちも貧民街で生活している時に、止む無く行動に出たことがあった。見つかれば袋叩きにされ兵士に突き出される。
財布を失くして困っているかもしれないという罪悪感が湧いて気が進まないし、どちらにせよあの環境から抜け出せて良かった。良かったけれど、あの頃の俺が今の俺を見れば『嘘だ!』と叫びそうである。
スリの話を持ち出せば、ヴァルトルーデさまが金が入った服のポケットに手を当てた。話を聞いて気になったようで無意識の行動らしい。ジルケさまが『余計にバレるぞー』と声を上げれば、長姉さまが『う』と短い声を上げていた。サフィールも俺に続いて、女神さま方にアドバイスを送るようである。苦笑いになった彼がゆっくりと口を開いた。
「お店の方と値段の交渉もできますが、慣れていなければ店の方に言われた値段を払うのが良いかと。ただ身形で判断されて、正規の値段より高く告げられることもあるので気を付けてくださいね」
サフィールが片眉を上げて苦笑いを浮かべている。俺たちの格好はどうみても平民には見えない。一応、商家の者の格好をしているが、俺とサフィールはいざ知らず、女神さま方が商家の娘の格好をしていても、纏っている独特な雰囲気は変わらない。
だからこそ道行く連中が視線を向けているのだろうけれど……店に赴けばどうなるやら。ヴァルトルーデさまは神力の制御が下手ということで、ナイと別れ際に魔術具を一つ借り受けていた。確かに屋敷にいる時より圧は収まっている。あとは店の者たちが耐えられるようにと願っておこう。サフィールの説明を聞いたヴァルトルーデさまが小さく首を傾げる。
「そんなこともあるんだ。難しい」
「ま、ナイが駄賃をくれてんだから、食べたい物買おうぜ、姉御。スリに金盗られないようにしろよー」
大丈夫かと心配そうな顔になるヴァルトルーデさまとなんとかなると言いたげなジルケさま。姉妹が逆転しているような気もするが、屋敷でも同じ調子である。気にしたら負けかと俺とサフィールが肩を竦めていると、ヴァルトルーデさまが声を上げた。
「ん。気を付ける。クレイグとサフィールはなるべく手を出さないで」
「行こうぜ、姉御」
ヴァルトルーデさまが俺たちの方へと向き、ジルケさまは長姉さまの横に並んで手を頭の後ろに回した。そうして目的の屋台の前へと向かい肉の串焼きを買っている。
店主はどえらい美人の登場に腰を抜かしそうになりながら、どうにかヴァルトルーデさまとやり取りをして支払いを済ませていた。一体、何本の串焼きを買ったのか、店主がぎこちないながらも忙しなく動いている。
「クレイグ、サフィール」
手を出すなと先程告げていたのにヴァルトルーデさまが俺たち二人の名を呼ぶ。どうしたのかと女神さまの下へと向かえば、買い過ぎて串焼きを手に持てなかったようだ。
店主は入れ物になるような葉っぱや紙を用意していなかったようである。仕方ないと俺とサフィールは笑って、ヴァルトルーデさまが買った品をいくつか店主から受け取った。
ジルケさまは隣の店の品物に興味があったようで、普通に店の人間とやり取りを済ませて俺たちの下へと戻ってくる。大きな葉っぱを皿代わりにしている中にはオリーボーレンという小麦粉からできた菓子が大量にあった。ヴァルトルーデさまとジルケさまが『美味しいと良いな』『だな』と視線を合わせて笑う。するとその時、会場からわっと声が湧き起こった。
「始まった?」
「みたいだな。戻るか」
会場から湧く声に釣られて二柱さまが会場の方へと身体を向ける。俺たちも彼女たちに倣って視線を向ければ、先程より人が多く集まって熱気に包まれていた。
「はい」
「ですね」
俺たち二人は先を行く女神さまの背を追い、ナイたちがいる貴賓席に戻るのだった。串焼きを抱えたまま。
◇
ヴァルトルーデさまとジルケさまがクレイグとサフィールを引き連れて――逆かもしれない――露店に買い物へ行っている間、私たちは用意された貴賓席に腰を掛ける。
野試合のような大会だから、天幕を張った下に椅子を置いたものだけれど当主用の椅子は随分と座り心地が良い。天幕のど真ん中に私が座して、ジークとリンは立ったまま後ろに控えている。
ソフィーアさまとセレスティアさまは私の右横に腰を掛けている。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも一緒だ。ロゼさんは興味がないのか影の中から出てこない。エルとジョセとルカとジアと天馬さま方は屋敷でお留守番をしている。たくさんの天馬さまが侯爵邸に飛来したと噂になっているようだし、アルバトロス上層部に報告すれば『そ、そうか。侯爵が問題ないならば構わない。無事に仔が産まれることを願う』(意訳)という返事がきている。
ヴァルトルーデさまとジルケさまはなにを買いに行ったのかと私が露店が並ぶ方に顔を向ければ、ソフィーアさまとセレスティアさまが口を開いた。
「女神さま方に買い物を頼むのは如何なものだろうか、ナイ」
「ええ。気軽に声を掛けるなんて、ナイくらいですわ」
片眉を上げながら、お二方が呆れていた。私を咎めるというより、構わないのかという確認のようである。確かに女神さまに買い物を気安く頼むものではないだろう。
「つい、食べたい気持ちが先行して」
そう。単に露店が出している食べ物に興味を抑えきれなかっただけだ。食べたいという気持ちに罪はないし、お店の方も儲かるのだから良いのではなかろうか。本当は違う方にお願いしようと考えていたのだが、露店に出向くならばと女神さま方に頼んだ次第である。
『でもヴァルトルーデさまはナイにお願いされて嬉しそうだったよ。多分、あまり気にされていないんじゃないかなあ?』
クロが私の肩の上でソフィーアさまとセレスティアさまに声を掛けた。確かにヴァルトルーデさまとジルケさまは私のお願いを聞き入れてくれたし、二柱さまなら嫌なことは嫌だと口にするはず。
クロの声にお二人が苦笑いを浮かべていれば、試合が始まるようで審判の方と一組目の方たちが簡易の試合場に現れた。すると集まっていた方たちから歓声が沸き上がる。大きな会場というわけでもなく、野試合のようなものなのに割と楽しんでくださっているようだ。良いことだと私は前を向けば、審判の方と目が合った。どうやら開始しても良いかという確認らしい。
私が頷くと同時に、審判の方から『お互いに、礼。始めっ!』と高らかに声が上がる。数瞬の間を置き、対戦者二名がお互いに距離を詰めれば、カンカンと小気味良い金属音が鳴り響く。
訓練を受けている騎士や軍人の方ではない所為か、少し動きが硬いような気がする。私はジークとリンの顔を見上げて『どんな感じ?』と無言で問えば、そっくり兄妹はゆっくりと首を振る。
まだ第一試合だから手練れの方が現れるのは難しいのだろうか。私は前を向いて、強い方が見つかれば良いのだけれどと考えていると背後が少し騒がしい。どうしたのかと後ろを振り向けば、見知った顔が現れていた。
「ナイ」
「戻ったぞ」
ヴァルトルーデさまとジルケさまがクレイグとサフィールを連れて、露店から戻ってきた。随分と早い帰りだと驚いていれば、買った串焼きをこちらに持ってくるために戻ってきたそうだ。
二柱さまもだが、クレイグとサフィールも手にたくさんの串焼きを掲げていた。何故、そんなにたくさんと疑問を浮かべていると、ヴァルトルーデさまがみんなの分と仰った。どうやら侯爵家の面々に食べて欲しいようで、自分たちの分と私たちの分を買ってきてくれたようである。はい、と差し出された串焼きを私はヴァルトルーデさまから受け取った。
「ありがとうございます」
まだ温かい串焼きを口の中へと頬張れば、タレの味が広がっていく。ジルケさまはソフィーアさまとセレスティアさまにも串焼きを渡している。女神さま方も椅子に腰を掛けて買った串焼きを食べて笑みを浮かべていた。
クレイグとサフィールは手持無沙汰にしている侯爵家の面々に持っていた串焼きを渡していた。本当に何本買ってきてくれたのやらと笑っていれば、いつの間にか第一試合が終わり第二試合へと移行していた。試合を観ているつもりが串焼きに集中してしまい、最初しか覚えていない。これでは駄目だと真面目な顔を浮かべ第二試合を観ていれば、またヴァルトルーデさまとジルケさまが露店へと旅立っていくのだった。