1406:次の報。
アストライアー侯爵領領主邸には二十頭少々の天馬さまたちが集まっている。どうやら石配りを終えた私に『お疲れさまでした』という挨拶と、お腹の中に仔がいる番たちは侯爵邸で過ごしたいという要望を届けにきたのだとか。
番になっていない個体もいるので、ルカとジアの番候補になるかもというエルとジョセの親心もあったようである。私は彼らを無下に出来ないと、屋敷の庭で過ごすことを許可することになるのだった。様子を見にきているヴァルトルーデさまとジルケさまは天馬さま方と触れ合いを始めている。天馬さま方は大人しく、噛んだり暴れたりもない。私が平和な光景だなあと目を細めていると、ヴァルトルーデさまとジルケさまがこちらを向いた。
「可愛い」
「寝床が増えた」
ヴァルトルーデさまは癒しが増えたようで嬉しいようである。ジルケさまは新たなお昼寝用のベッドが増えたことでご機嫌になっている。天馬さま方は女神さまの発言に異論はないどころか、エルとジョセが微笑みながら私の隣で言葉を紡ぐ。
『女神さま方に褒めて頂けるとは光栄です』
『寝床ならいつでも提供します、とのことです』
確かに女神さま方に褒めて頂いたなら栄誉なことなのだろう。私は神さまを崇拝する感覚が分からないので、有難みがイマイチ理解できないけれど。
それよりも私の後ろから若い個体の仔が頭の上に顎を乗せて、なにやらもぞもぞと動いている。肩の上で過ごしているクロはなにも感じていないのか、いつも通りにこてんこてんと首を傾げながら集まった天馬さま方を見ているだけ。私はなにがしたいのだろうと後ろを振り向こうとすれば、若い個体の仔が見ちゃ駄目と言いたげに頭の上に置いていた顔を動かして鼻先を使って私に前を向いたままでいるようにと訴える。
「どうして私のアホ毛を食むのかなあ……」
お婆さまもだし、他の妖精さんやらも私の頭の上で過ごすことが多い。若い天馬さまも私のアホ毛を食んでなんだか満足気な様子だ。そういえばルカも私のアホ毛を食んでおよだ塗れとなることが多々あった。本当にどうして私のアホ毛を狙って食むのやらと呆れていれば、腰元のヘルメスさんが声を上げる。
『ご当主さまの余剰魔力の漏出元になっていますからねえ。少し羨ましいです。まあ、私は随時ご当主さまの側にいるので、彼らと同じ効果を得られておりますからね!』
ふふんと自慢げな様子でヘルメスさんが魔石をテカテカと光らせている。私のアホ毛の先から魔力が漏れている疑惑は前からあったけれど、ヘルメスさんの今の言葉で確定したようなものだ。
ヘルメスさんは私の身体に流れる魔力を制御してくれているので、細かいことまで把握している……らしい。私の背後でジークとリンが『増えたな』『また増えたね』と声を掛けていると、屋敷の方から凄い勢いで走ってくる方を視界に捉えた。
セレスティアさまが凄い勢いで走ってきて、私の目の前でぎゅっと足を止めた。彼女の顔は紅潮しているし、特徴的な御髪もいつもの倍くらい膨らんでいるような。整った彼女の顔が私の方にぐっと近づけば、クロが『セレスティアの顔が凄く近いねえ』と呑気な声を上げている。
「ナイ! ナイ! ナイ! これは一体どういうことでございますの!!!?」
彼女の声には魔力が宿っているのか凄く耳に届く声だった。天馬さま方は突然現れたセレスティアさまに興味を示している。屋敷の庭に出る扉のところにソフィーアさまの姿もあった。目を丸く見開き、私から視線を外したセレスティアさまは二十頭ほど集まっている天馬さまへと顔を向けた。彼女の肩に乗っている赤い幼竜さんは不思議そうに彼らを見て『ぴょあ~』とひとつ鳴く。
「えっと。私がグイーさまの使者を務めた労いを伝えにきてくれたそうです。あと、お腹の中に仔がいる方たちは暫く屋敷で過ごすことになりました。少し庭が手狭になりますがご容赦ください」
私はセレスティアさまの斜め後ろから声を掛ける形となっていた。言い終えると喜色の笑みを携えた彼女ががばりと私の方へと向き直る。
「手狭になることはありませんわ! 侯爵邸の庭は広いですから普通に過ごされるだけなら問題ないでしょう! 狭いというのであれば街の外で過ごされるのもアリかと。禁忌の森が丁度良い場所となるのでは!!?」
鉄扇を開いたセレスティアさまがふふふと笑いながら口元を隠す。今にも高笑いを始めそうな勢いがあるのだが、大声を出せば天馬さま方が驚くというなけなしの理性が働いているようだ。私の一存で決めてしまったけれど、こうなる場合を想定していたので家宰さまには相談済みである。もちろん側仕えを務めてくれているソフィーアさまとセレスティアさまにも。
セレスティアさまと一言二言交わしていると、ソフィーアさまが私の隣に立って目の前に広がる光景に目を見開いている。ヴァルトルーデさまは飛来した天馬さま方みんなと挨拶を交わしているし、ジルケさまは大柄な天馬さまを見つけて背中の上で寝転がっていた。ソフィーアさまは女神さま方から視線を外して私を見下ろした。
「予想通りになるとは……驚きだ」
呆れているのか、驚いているのか分からない声色で真面目なソフィーアさまに問われた。怒ってはいないようで、前に話していたことが現実になるなんてと信じられないようである。そんな彼女を見ていたセレスティアさまは開いていた鉄扇を閉じ、集まった天馬さま方へと向けてドヤと笑う。
「ソフィーアさん。ナイですもの。今更ですわ!」
胸を張りそう言い切った某辺境伯家のご令嬢さまを華麗にスルーした某公爵令嬢さまが私に手紙を差し出した。手紙に記されている文字は随分と力強いものである。ああ、と私は差出人を思い浮かべた。
「ナイ。ヤーバン王から手紙が届いている。個人的なもののようだから、先にナイが目を通してくれ」
ソフィーアさまから受け取った手紙を私は開いて中身を取り出す。相変わらずの力強い文字に苦笑を浮かべながら、私は手紙を読み進めた。どうやらジャドさんはイルとイヴを連れてヤーバン王国を旅立ったようである。ヤーバン王はジャドさんの助言によって雄グリフォンの生活環境改善ができることになったので、嬉しいけれど話し相手がいなくなったことで寂しくなったようである。
ただ亜人連合国からワイバーンや小型の竜の方たちがお引越しをしており、彼らは王城でヤーバン王と他の皆さま方と戯れているようだ。ワイバーンの仔たちは精鋭兵士の方たちと訓練を共にして空を翔けるようになったとか。小型の竜の方たちは人を背に乗せるより、荷物を引く方が楽しいようで馬で引けない重い荷物を運んでくれているそうだ。なんだかヤーバン王国も愉快な状況になっている。
手紙を読み終えた私はソフィーアさまに読んでも問題ないですと告げ紙の束を手渡す。
「ジャドさんが仲間を探しに旅立ったそうです……まさか、ねえ?」
私がぼやいている間にソフィーアさまは手紙を読み終えたようである。セレスティアさまは私の言葉尻りからなにが記されていたのか理解したようで、ぱあっと顔を輝かせている。
「……」
「次はグリフォンの方々が屋敷に舞い降りる可能性が! 天馬さま方とグリフォンの競演……! 是非、この目に焼き付けたいものですね、ナイ!!!!」
ソフィーアさまはジークとリンに手紙を無言で差し出し、セレスティアさまは私に至近距離に顔を近付ける。セレスティアさまの綺麗な顔が私の視界一杯に広がって、隅っこにソフィーアさまの呆れ顔も映っていた。
「当主に圧を掛けるな」
「ぐえ! 良いではありませんか、ソフィーアさん。特に問題が起きたわけではないでしょう?」
ソフィーアさまが私の隣から移動してセレスティアさまの首根っこをむんずと掴んで私から引き離した。それによって私の視界は随分とスッキリとしたものになった。相変わらず天馬さま方が映っているけれど。
『ジャドさまも私たちと同じ考えを持っているようですねえ』
『グリフォンの方までこられるならば、私たちはいない方が良いでしょうか……?』
エルとジョセはこてんと困り顔を浮かべながら自分たちは邪魔かもしれないと考えているようである。まだ決定したわけではないし、グリフォンより天馬さま方の方が力関係は弱くなる。
屋敷で過ごすなら天馬さま方の方が優先させた方が良いのではないだろうか。うーんと私が悩んでいると、首根っこを掴まれていたセレスティアさまがソフィーアさまの手を振り払い、また私の方へと顔を寄せた。先程より距離はマシになっている。
「ナイ。早急に禁忌の森を調べ上げましょう! 安全が確保できれば、天馬さま方やグリフォンの方たちの生活の場として丁度良いですわ!」
侯爵家で人員を手配できないなら辺境伯家から人手を借りましょうとセレスティアさまが言葉を付け足す。一応、禁忌の森外縁部の調査は終えている。ただ、中の方へは足を踏み入れていない状態だ。
長い間、人の手が入っていない森のため、外側からゆっくりと手を入れつつ中を調べようとしていたのだが、確かに急いだ方が良いのかもしれない。
屋敷の庭で過ごすのは妊娠している番の方たちである。他の方たちも侯爵領で過ごしたそうな雰囲気を醸し出していたので、禁忌の森が解放されたなら丁度良い場所だ。天馬さま方に森の管理をお願いして、領地の方たちと共存するのもアリだろう。
「領地の方々の狩猟場にする予定でしたし、予定を早めましょうか。でもセレスティアさま。ジャドさんがグリフォンの方を連れて侯爵邸にくると決まったわけではないですよ」
「承知しておりますわ。ただ、天馬さま方も広い土地の方で過ごす方が良いでしょうし、仔が産まれるなら更に土地が必要となりますもの!」
エルとジョセによれば各地で各々過ごすのも大変だそうである。物好きな人間が天馬さまを仕留めようと試みて襲われることもあるし、鬣や尻尾の毛を手に入れようと寝込みを襲われることもあったとか。それなら落ち着いて過ごせる場所を提供した方が彼らのためでもある。亜人連合国も保護先となってくれるだろうし、彼らにとって安全な場所が増えると良いのだが。
『なんだか申し訳ありません』
『我々のために手を尽くしてくださるとは』
申し訳なさそうな顔を浮かべるエルとジョセだけれど、ある意味、これも人間のエゴなのだから気にしないで欲しい。ただ禁忌の森は狩猟場になる予定だから、人間と共存する形になると伝えておく。
「天馬さま方も数が減っているって聞くし、禁忌の森は今なら誰もいないから丁度良いかも。ヴァルトルーデさまとジルケさまから嫌な気配はしていないって言って貰っているから」
魔物はいるかもしれないが、堕ちた神さまや悪い魔獣や幻獣の気配はないそうである。エルとジョセは『天馬に手を出してはならない』というお触れが出されるだけでも有難いと言ってくれ、嬉しそうに他の天馬さま方に伝えにいく二頭のお尻を眺めるのだった。