1405:朝、庭に。
とある日の朝。ふあと欠伸をしながらベッドから起きて、エッダさんの介添えを受けながら着替えを終えて、そろそろ朝食のために食堂へ赴こうとしている頃だった。パタパタと廊下を走る誰かの足音が聞こえ、私室の扉から四度のノックが鳴り響く。どうしたのかと私と部屋にいるクロとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんたちが顔を見合わせ、毛玉ちゃんたちはなにかあったと顔を輝かせている。はい、と私が短く返事をすれば扉の向こうから声が上がった。
「ご、ご当主さまー!!」
私の名を呼ぶエッダさんの声が部屋に響く。凄く慌てているというか驚いているような声であり、私はなにかあったのだなと部屋の扉を開けた。
「どうしましたか、朝早くから」
侯爵家の侍女服を纏っているエッダさんは日頃、衣装を着崩すことなどないのだが、スカートの端が縒れていた。本当に珍しいと私が彼女の顔を見上げれば、ベランダを指差しながら口を開いた。
「そ、そ、そそそそそ、外を見てください!!」
私は彼女が指を指した方向に反射的に顔を向けてしまう。騒ぎを聞きつけたのかそっくり兄妹がいつの間にかエッダさんの後ろに立っている。
ジークとリンは事情を知っているのか微妙な顔を浮かべているため、難事ではないが問題があったのは事実のようだ。私はエッダさんとそっくり兄妹に中に入ってくださいと勧めながら、ベランダの方へと歩いて行く。途中で机の上で待機していたヘルメスさんが魔石をペかぺか光らせて、なにか訴え始めた。
『ご当主さま、私も忘れないでくださいね。飛べば良いのではという愚問は受け付けません。私は錫杖。ご当主さまに手に取って頂いて初めて価値を見出せる物なのですから』
机の上に私が視線を向ければ、ヘルメスさんが更に魔石を強く光らせる。
「あ、はい」
『ふふふ。しかし、なにがあったのでしょう』
私がヘルメスさんを手で持てば、ふっと身体が軽くなった気がした。ヘルメスさんが『今日もご当主さまの魔力は絶好調ですね』と機嫌良さげであるが、先ずはベランダに出てなにがあるのか確認をしないと。
『エッダが早く外に出て欲しそうにしているよ~ナイ、見てみよう』
「あ、うん。ベランダに出ようか」
私が腰元にヘルメスさんを差しているとクロがベランダの方を見ながら早く出ようと促す。確かにエッダさんはソワソワしていて落ち着きがない。彼女にしては珍しいし、侍女長さまか家宰さまの命を受けて私室へやってきたのだから早く外を確認すべきだ。私はジークとリンとエッダさんに、ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちを引き連れて、侯爵領邸の広い庭を見渡せるベランダへと立った。そこには信じられない光景が広がっている。
「あれ……目が変なのかな。エルとジョセがたくさん分身している」
謎めいた光景に私は目の調子が悪くなったのかと頭を振ってみる。でも目の前に広がる景色は変わらない。私たちがベランダに立ったことで庭にいる天馬さま方が一斉にこちらを向いた。
中にはルカとジアがいて、黒天馬と赤天馬である彼ら二頭は凄く目立っていた。二頭以外は普通の白い天馬さまだから、当たり前かもしれないが。私の視線に気付いたエルとジョセが嬉しそうな顔をして、ベランダの近くへと歩いてきている。
『エルとジョセもいるけれど、みんな違う個体だね。なんとなく魔力の波長が違うから。それにしても良く集まったねえ』
クロが庭のトンデモ光景を落ち着いた口調で教えてくれる。しかしエルとジョセとルカとジアを覗けば二十頭ほどの天馬さま方が集まるなんて、あり得るのだろうか。いや、現実になっているのだから、あり得ているけれど……。
私の後ろでジークとリンが『凄い光景だな』『彼女が喜びで腰を抜かしそう』と目の前に広がる光景を受け入れていた。ヘルメスさんも私の腰元で状況を把握しており、魔石をペかぺかと光らせた。
『ええ。魔獣や幻獣が一ヶ所に集中することはまずないですからね。本当にご当主さまは凄いお方です』
どこで知識を手に入れたのだろう。でもヘルメスさんの原材料が亜人連合国にある何万年も生きている樹から形成されたと聞いているので、もしかして植物が覚えている記憶を引き継いでいるのだろうか。本当に不思議なことが起こる世界だなと私は目を細めて、ヘルメスさんの言葉を受け入れるわけにはいかないと反論を試みた。
「いや、エルとジョセが彼らと話して侯爵邸に顔を出したのでは……? というか、そうであってください」
エルとジョセは『暫くお出掛けをしてきます』と言って侯爵邸を留守にしていた。侯爵邸で過ごすことが飽きてしまったのかと考えていたのだが、まさかこんなことになるとは。一先ず、庭に出て彼らの話を聞こうとベランダの真下まできてくれたエルとジョセに『少し待っててね』と私は告げ、エッダさんには家宰さま方に特に問題はないことを伝えて欲しいとお願いする。
「承知致しました! 経緯を教えてくだされば、侍女長と家宰が喜びます」
「あはは。エルとジョセに話を聞いたあと、執務室でお伝えしますね」
礼を執ったエッダさんがベランダを出て私室から去って行く。彼女の後ろ姿を見送った私たちも部屋を出て、庭を目指して歩いて行く。廊下で使用人の方とすれ違う度に『また増えるのか』という顔をされているのは如何なものだろう。
廊下を三人とヴァナルたちで歩いていれば、丁度離合するところでクレイグがひょっこり現れる。食堂に向かう途中だったようで挨拶をしようとする私より先にクレイグが口を開いた。
「また増えるのか」
「クレイグ、出会い頭にぶっちゃけるのは止めようよ。おはよう」
呆れ顔のクレイグが端的に事実を呟き、私は反射的に言葉を返す。腰元にいるヘルメスさんが『クレイグさん、ご当主さまですよ。これくらい朝飯前でしょう』と呟いていた。ヘルメスさんは私をどう解釈しているのだろうか。一度、解体して中身を調べてみるべきだろうかとヘルメスさんの方へチラリと視線を向ければ、不味いと感じたのか黙り込んでいる。
「おはようさん。つっても増えてるのは事実だろ。なんだよ、天馬が屋敷の庭にたくさん現れたって。嘘みてえな話だけどよ……事実だろ?」
「うん。って、一先ずエルとジョセの話を聞かなきゃいけないから、ちょっとごめん!」
クレイグは肩を大きく竦めて呆れ顔から苦笑いへと変わっている。私は私でエルとジョセを待たせてはいけないと、クレイグに別れを告げた。
「ああ、行ってこい……――」
後ろ手で頭を掻きながら『早く行ってやれ』と言いたげなクレイグから離れていくのだが、去り際に彼が言い放った声は聞き取れなかった。私たちはまた侯爵邸の長い廊下を歩き始める。
「なにを言ってたんだろうね?」
『次に増えるのはグリフォンか竜なのかって。覚悟しておかないとなってぼやいていたよ~』
歩きながら私がみんなに問えばクロが教えてくれた。確かに天馬さまがたくさんやってきたならば、次はジャドさんがたくさんのグリフォンを連れてきそうである。
竜のお方が卵を投げ入れる可能性だってあるんだし、小型の竜の方たちが『ここで卵を産みたい!』と望まれれば断る自信は全くない。セレスティアさまとヴァルトルーデさまとジルケさまは反対しないだろうし、むしろ嬉しいと受け入れてくれる。屋敷の方たちも『手が掛からないので問題ないです』と言ってくれるはず。ただ常識を持ち合わせている面子の方たちはエッダさんのように驚くのだろう。なんだかんだ言いつつ、受け入れてくれるけれど。
「クレイグに言い返せない……」
『ボクは嬉しいけれどねえ。ナイは有名になっちゃうから避けたいの?』
クロが肩の上でこてんと首を傾げた。
「そうだね。それがなければ特に問題ないかも」
私がたくさんの魔獣や幻獣を連れていても目立たないなら特に気にしないのだが。流石に魔獣や幻獣をたくさん引き連れている人間は存在していないので目立ってしまう。お貴族さま的には名前が売れることを良しとしているが、普通の侯爵位を持つアストライアーさんでありたかった。
いや、でもクロやヴァナルたちのお陰で今の地位に就いているようなものだから、致し方ないことだろうか。なににせよ、エルとジョセと話して今後を決めなければと庭に出た。
「エル、ジョセ。久しぶりだね」
久しぶりに会ったエルとジョセに私が挨拶をすれば、二頭は懐かしそうに目を細めながら顔を寄せてくる。私の顔の両側に顔がきたので、両手を使って彼らの顔を優しく撫でた。長いまつげを伏せながら目を閉じたエルとジョセが言葉を紡ぐ。
『お久しぶりです。聖女さま。大陸を渡り歩いていれば各地の仲間たちが聖女さまに一度お会いしたいと言い出しまして』
『ご迷惑かと考えましたが、彼らの意思を無下にすることもできず、個別で訪れるのも問題があろうと……こちらへ案内させて頂きました」
どうやら、グイーさまの一件で天馬界にも私にお礼を言いたいと考える方たちが増えたそうな。丁度エルとジョセが大陸をウロウロしていたので、私の屋敷で過ごしていたこともあった彼らは皆さまに紹介して欲しいと懇願されたとのこと。
屋敷の位置を教えて去ることもできたが、あまりにも仲間の天馬さまが乞うてくるため、それならいっそみんなでまとまって伺おうとなったらしい。グイーさまの石配りの一件から時間が空いてしまったのは、私が忙しかろうという配慮があったとか。
エルとジョセの顔を撫でていると、屋敷に降り立った天馬さま方が凄い力強い視線を向けている。挨拶をした方が良いだろうと、エルとジョセから一旦離れて、二十頭近くの天馬さまたちの前へと立った。
「ナイ・アストライアーと申します。エルとジョセにはお世話になっております」
私が礼を執れば集まった天馬さまたちが嘶きを挙げる。なんだなんだと屋敷の方たちが驚いて窓から顔を出しているけれど、私がいることを知って作業に戻っていった。
自室の窓から顔を覗かせているソフィーアさまとセレスティアさまがいることも分かったのだが、真面目な方は少し顔を引き攣らせ、魔獣が大好きな方は鼻を手で抑えている。直ぐ窓から姿が見えなくなったので、着替えをして執務室に向かうか、急いでこちらへくるかのどちらかだろう。
『そんな。我々の方が聖女さまにお世話になっておりますのに』
『ええ。ルカとジアを無事に産むことができたのは聖女さまのお陰です』
エルとジョセは謙遜しているけれど、託児所の子供たちの相手を務めてくれたり、荷を運んでくれたりといろいろと役に立ってくれている。もちろんルカとジアも協力的で屋敷の方たちは大助かりなのだ。
謙遜している二頭と私に頭を下げている天馬さま方のなんとも言えない光景に片眉を上げつつ、群れを形成している天馬さまたちの姿は圧巻と言わざるを得ない。写真の魔道具に納めたいけれど、許可を得られるだろうか。
「しかし、こんなに天馬さま方が集まるなんて驚きです」
『聖女さまに興味を示す方たちが集まりましたから」
『屋敷で仔を産みたいと望む者もいるのですが……可能でしょうか?』
本当に驚きである。エルとジョセは普通に捉えているし、何故か出産のお願いの申し出が入っていた。
「かまわないけれど、なにかあった時は責任を取れないよ。もちろん手助けはするけれど……」
死産になって文句を言われても困ってしまうので、保険を掛けておかねば。逃げていると思われるかもしれないが、絶対に無事に産まれる保証なんてどこにもない。私が手助けしても助からない時は助からないのだ。死神の鎌は突然現れて、突然命を奪っていく。自然界で生きている彼らは当然と感じているようで、魔素の高い場所で産めること自体が幸運なのだとか。
腰元でヘルメスさんが『ご当主さまに感謝をしなさい』と主張しているけれど、私への感謝より無事に産まれてくることを第一に考えて欲しい。どれだけの天馬さまが残るのかエルとジョセに教えて貰っていると、騒ぎを聞きつけたのかヴァルトルーデさまとジルケさまがひょっこりと現れる。天馬さま方は二柱さまの高貴な姿に恭しい態度を直ぐに取っている。
「凄いね」
「おー圧巻だな」
二柱さまの呑気な声と、驚いて目を丸くしつつも頭を下げている天馬さま方に私は呆れ顔を浮かべるのだった。