1404:ちょいと視察に。
いつもの面子でデグラス領(仮)へ視察にやってきている。
支援が入ったお陰で領都の方たちの生活が安定し、仕事を再開させているそうだ。視察ついでに領都にある教会で治癒院を開いていたのだが、指を使う痛みに悩む方が多く訪れ職人さんが多い街だと窺い知れる。
職人といえど、近代社会で指すような専門職というわけではなく、鍛冶職人、硝子職人、籠職人、などの時代に合った職業の方々である。経験を積み脂が乗り熟練に達した頃、若い時から無茶をしてきたツケを払っていたようだ。
領にとって彼らは貴重な財産である。
いろいろと話を聞きながら治癒を施していた。彼らは設備の老朽化に悩んでいたり、新しい道具を買うことに躊躇いを感じているそうだ。貯蓄という概念が薄いうえに、お金が貯まってもトラブルで消費――病気や仕事道具の故障に家のメンテナンス――してしまっているようだ。
低金利でお金を貸し付ける事業を開始すれば、設備の更新にお金を当てたり仕事道具を揃えることができるはず。デグラス領(仮)の食事事情は改善したから、次に取り掛かるべきは領地内で食料を賄えるように、新規開墾と技術職の方々の環境向上であろうか。
視察に訪れているメンバーでデグラス領(仮)を見渡せる丘に立っている。見下ろす形となっているので、街中の視察では見えなかったところが見えていた。路地裏には崩壊しかけている家があるし、泥水が溜まって環境が悪くなっているところもある。予算を捻出し事業として環境改善を図って貰おうと、私は家宰さまを見上げる。
「といっても、急げば失敗しそうだから段階的にですね」
「急速に事業を拡大して大借金を背負う貴族の話は良く耳にします。開墾を急げば猟場を失うこともありましょうし、土地の選定は慎重に行わねばなりませんね」
私が領の現状とやりたいことを口にすれば、家宰さまが肩を竦めて苦笑いになっていた。欲を出したお貴族さまが領地に多額の資金を注ぎ込み、気合を入れた事業が失敗することがままあるようだ。私は急ぐ理由もないのでゆっくりとした変革を望んでいる。デグラス領(仮)の人々が落ち着けば、ミナーヴァ子爵領の方たちに施している奨学金や、領民の方々の魔力測定も行いたいところだ。
「もう少し領地で作れる品に色を付けたいところですが……難しいですよね」
デグラス領(仮)で作られている品々は所謂『普通』なのである。普通の防具、普通の硝子製品、普通の篭となっているため他の領地で生産されている特産品には敵わない。お値段も普通の品ということでそれなりの価格となる。お値段以上な品を作れと無茶は言えないので、職人さんの腕と材料でなにか割の良い仕事を生み出せると良いのだが。
「お気持ちは理解できますが、慌てなくても良いかと」
家宰さまが片眉を上げながら苦笑いを浮かべていた。私が領主として名案が思いつかなければ現状維持となるだろう。デグラス領(仮)の皆さまには領主交代により、重税から解放されて生活が良くなったと喜んで貰っているが……環境整備が追い付いていない街での生活に喜んで欲しくない。元、日本に住んでいた身からすると、デグラス領(仮)には頂けない場所がいろいろとある。
「先ずは、環境悪化による病気の蔓延を防ぎたいので、水捌けの悪い各所の整備をお願いします」
「承知致しました。軍を頼りますか、それとも領の者たちで?」
私の声に家宰さまが頷き、今後の方針を問うてくる。私は少し考えてから口を開いた。
「軍を頼りましょう。彼らが入領すれば、工事期間の間は治安が良くなりますから」
領の人たちで整備を行うこともできるが、なにせ少し前まで最悪の環境下で過ごしていた方たちである。体力が落ちているだろうし、先ずは生活再建のため仕事の方に集中して欲しい。
軍の方たちに領の環境整備をお願いするとなればお金が必要となる。でも高い技術力で整備を行ってくれること、彼らが領にいてくれれば治安の改善に一役買ってくれる。居着いた悪い人たちを追い出せる機会なので、お金が高く付いてもお釣りがくるはず。
悪い人たちがどこに流れるか分からないが、恐らく野盗化する。苦情が入れば領主として討伐を命じれば問題ないはず。私は眼下に広がるデグラス領(仮)から、後ろに控えてくれていたそっくり兄妹の片割れに視線を向けた。
「ジークの領は大丈夫そう?」
「規模が小さいからな。荒れても領民の手で直すことができている。専門的な道具が足りないくらいだから買い足せば済む。エーリヒの所領も似たようなものだ」
私の問いに微かに笑いながらジークが答えてくれる。エーリヒさまの領地の話を持ち出したのは、私が気にしていると分かっていて彼に先回りされてしまった。
「そっか。なにかあれば教えてね。聖女が足りなければ、私が向かえば良いし、王都の教会にお願いすることもできるから」
「ありがとう。今のところは問題ない。天災が起きれば状況が変わってくるが……その時はどの領も同じ状況に陥るはずだからな」
ジークは天災が起こった際のことも考えているようだ。侯爵領で穫れた小麦の余りは備蓄しているが、災害が長引けば確実に領地の方たちの胃を満たすには足りない。
天候は本当に神さまに祈る――ヴァルトルーデさまやグイーさまではない――しかなく、運を天に任せるしかない状況である。できるならばずっと天候が安定していれば嬉しいけれど、十年、二十年先のことを考えると必ず起きそうだ。
『なんだか呼ばれたような気がします! 不肖ヘルメス。ご当主さまのためならば天候すらも操ってみせましょう!』
ヘルメスさんが私の腰元で突然声を上げる。身内しかいない場だし、領内の街中では声を出すことを控えてくれていた。ただ今は誰もいないと分かった上での発言のようで、ヘルメスさんはご機嫌に魔石の部分をペカペカペカーと光らせている。
ヘルメスさんであればできそうだと思ってしまうのは何故だろう。一緒に視察にきているヴァルトルーデさまが『やりそうだね』と目を細め、ジルケさまは『加減しなさそうなのがなあ……』と呆れている。呆れている二柱さまを他所にヘルメスさんはご機嫌であり、錫杖さんの声に反応してロゼさんが私の影の中からぴょーんと飛び出してきた。
『杖が生意気! ロゼがやる!!』
うにょっと身体を縦に伸ばしたり、横に広がったりするロゼさんも天候操作ができるようだ。主人をほったらかして彼らの方が高度な魔術を操れるとは一体なんだろう。
私も彼らのように魔術をきちんと習うべきであろうか。しかしそうなれば攻防一体の超聖女が誕生しそうだし、ヘルメスさんとロゼさんにクロやヴァナルたちが協力してくれれば超聖女ではなく、魔王と言われてしまいそうだ。ジークとリンもいるし、状況によれば各領地の騎士を招聘することもできる。
あれ、私が所持している固有戦力って凄いことになっていないだろうか。ジャドさんたちが向こうから戻ってくれれば、加勢してくれるだろうし……エル一家も助けてくれるはず。
勇者さまが現れて『魔王、覚悟!!』とか言われてしまうのだろうか。なにもしていないのに魔王と呼ばれれば理不尽極まりない。とはいえ降り掛かる火の粉を払わないわけにはいかないし、勇者を討伐した魔王、アストライアー侯爵となる可能性も。むむむと私がお馬鹿なことを考えていると、肩の上でクロがこてんと首を傾げる。
『あまり感心しないかなあ……お天気は気まぐれなものだからねえ』
クロの言葉にヴァルトルーデさまとジルケさまがうんうんと頷いていた。家宰さまも人間の手でどうにかなるものではないと捉えているようだ。ソフィーアさまとセレスティアさまも『そうだな』『そのための品種改良でもありますし』と呟いていた。
彼女たちの肩に乗っているはずの青い幼竜さんと赤い幼竜さんは地面でワンプロならぬ竜プロを繰り広げている。アズとネルは竜プロをやらないので、個々の性格が出ているようだった。そんな彼らの側で見守っていたヴァナルが私の方へと視線を向けた。
『雨も大事。日照りはちょっと駄目』
だよね、と言いたげにヴァナルは番である雪さんと夜さんと華さんの方へと視線を向ける。
『恵みの雨とも言いますし、人を飲み込む大水とも言いますからねえ』
『天気と付き合うのは難しいものです』
『簡単に変えられるならば苦労はしませんよ』
雪さんたちはヴァナルと視線を合わせて幸せそうに天気について語っている。フソウの文化が根付いているのか天候には自然に任せるという意識が根付いているようであった。一方で毛玉ちゃんたち三頭は彼らの言葉を聞いて首を傾げている。というよりヘルメスさんとロゼさんの言葉の方に興味を引かれているようだ。
『むじゅかちい』
『きゃえれる?』
『あたちたちゅにできりゅ?』
目を輝かせている三頭がヘルメスさんとロゼさんをじっと見ていた。ヘルメスさんは『毛玉ごときにできるものではありません』と言い切り、ロゼさんは毛玉ちゃんたちが苦手なのか影の中にそそくさと逃げ込む。ロゼさんが影の中に逃げ込み戻ってこないと分かったのか、彼女たちは私の腰元にいるヘルメスさんをじーっと見つめながら、期待に胸を膨らませて尻尾をぶんぶんはち切れんばかりに振っている。
「毛玉ちゃんたちまで天候操作を覚えると大変なことになるよ?」
『にゃんで?』
『どうちて?』
『だめにゃの?』
私の言葉に三頭が首を傾げている。まだ天候操作の凄さや危険性を理解できないようで、雪さんたちは困ったように笑っていた。
「駄目というわけじゃないけれど、覚えると使いたくなるよね?」
『とうじぇん!』
『ちゅかう!』
『ためしゅ!』
胸を張りドヤ顔を披露している毛玉ちゃんたちだけれど、言い聞かせることができるだろうか。
「ほら。もし失敗して食べ物が穫れなくなったら大変なことになるよ。手作りジャーキーが食べられなくなっても良いの?」
『や!』
『じゃめ!』
『おいちいのちゃべる!』
どうやらお気に入りの手作りジャーキーが食べられなくなることを危惧できたようである。お野菜が採れなくなれば、当然家畜も育たなくなるわけで。この辺りの細かいことを毛玉ちゃんたちが理解するにはもう少し時間が必要だろう。
常識に関してはゆっくりと覚えれば良いはず。雪さんたちも一緒なので、毛玉ちゃんたちがルールや常識から外れることは早々ないはずだ。
「だよね。じゃあ、覚えない方が良いかもね?」
私が疑問形で問い直せば『わかっちゃ!』『やらにゃい!』『しにゃい!』と毛玉ちゃんたちが答えてくれる。彼女たちの頭を撫でていると、竜プロを何時の間にか解いた青い幼竜さんと赤い幼竜さんがこちらへちょこちょこと歩いてやってきていた。
私の顔をじっと見上げてなにかを望んでいるようだ。毛玉ちゃんたちの様に撫でて欲しかったのかと私が地面にしゃがみ込み、右手を差し出せば彼らは顎を置いて『ぴょあ!』『ぴょえ~!』と声を出す。一先ず顎の下を指先で撫でてやれば、こてんと地面に転がり後ろ脚を忙しなく動かして、気持ち良いと身体で表現している。
『竜の威厳が全くないねえ』
そんな声を漏らしている方がいるけれど、孵ったばかりの頃巨大な蚯蚓に負けていた誰かさんに幼竜さんたちは言われたくないのではなかろうか。






