1403:こっそり動いてる。
ドエの都から、籠で一日かけてとある山奥へとやってきている。森の奥深くには温泉が湧き出ていると最近発見され、ドエ政府が管理を始めたところだ。件の計画を進めるために九条を派遣させ、寝泊りできる小屋が建ったと聞きワシも駆けつけた次第だ。
陽が温かく降り注ぐ昼間の時間。森の中には褌一丁の職人たちが木を切ったり、ノミで継を作っていたり、木槌を使いながら柱を立てている者たちが精を出している。征夷大将軍を務めるワシが着いたと知り、職人たちの棟梁が顔を出し頭に着けていたねじり鉢巻きを取って礼を執る。
「大樹公さま、わざわざ遠いところへ、ようこそお越しくださいました!」
礼を執った棟梁が顔を上げワシと視線を合わせた。本来であれば、目の前の者たちはワシに平伏しなければならない立場であるが、先に過度なものは必要ないと告げている。
効果があったのか目の前の棟梁は深く礼を執るだけにしていた。他の職人たちも一度手を止め礼を執れば、直ぐに作業に戻っていた。九条がワシが現場にきたことに気付き、慌ててこちらを目掛けて走り始めていた。
「気にするな。作業は順調であるか?」
「へい。工期は十分頂いておりますので、安全に気を付けながら気合を入れて作業をさせて頂いてございまする」
棟梁にワシが答えると、まだ柱しかできていない建物の方へと視線を向けた。その建物はこれからできるであろう物の主要建築物となるものだ。
「公方さま! 気付くのが遅れてしまい申し訳ありません!」
九条が慌てた様子でワシの前に立つ。流石に九条は職人の様に褌一丁ではないが、羽織が邪魔にならぬように白い布でたすき掛けを施している。九条の小間使いたちも同様な恰好でワシに頭を下げていた。
ワシの護衛として一緒にきている者たちも柱だけの建屋に視線を向けながら目を細めていた。温泉が近いためか火山の煙のような匂いが微かに漂い、真冬の雪が降り積もった露天風呂で熱燗を楽しむ己の姿を想像する。本当に完成が楽しみなのだが、ワシのために造っているものではない。
「構わん。九条よ、指揮は滞りなく?」
「もちろんでござりまする! 大役を任された責任をきちんと果たしてごらんに見せましょう!」
もちろん九条も誰のために造られているのか知っているので気合が入っているようだ。
「うむ。たが、無理をして死人が出ればアストライアー侯爵が気にしよう。職人たちには自分の命を最優先にと伝えておいてくれ」
そう。今いる場所はアストライアー侯爵に向けた保養地となる可能性がある。アストライアー侯爵にいつも侍っている赤毛の兄から問い合わせがあったのだ。
フソウには温泉という地があり、そこに主人が興味を持つかもしれないから、良いところを紹介してくれないだろうかと。それを知った帝さまとワシはフソウにある有名な温泉地を順に挙げて行ったのだが……どこも観光地と化しており、侯爵がゆっくり過ごすには不適合であるという結論に至った。
時を同じくして、ドエの都から一日掛かる場所に温泉が湧いていたという報を受け『そこだ!』と帝さまとワシは閃いた。良い場所がないのであれば、良き所を造るだけ。そのため、急いで大勢の職人を手配して温泉宿――貴人向け――を造れと命を下したのだ。本来、他国の者に接待などしないのだが、アストライアー侯爵……もといナイはフソウにとって特別な存在である。
フソウの神獣さまの番の主であり、神獣さまの仔を無事に育て上げ、ましてや創星神さまの使いまで果たした。
そんな方に接待という言葉では足りないかもしれないが、保養地としてナイに使って貰えたならば感無量である。神獣さまも湯に浸かることもあるし、彼女と一緒に過ごしているクロ殿も一緒に入るかもしれない。とんでもない光景が広がりそうであるが、フソウにとっては大金を投じても益にしかならない。帝さまも事が上手く運べば、ナイと共に温泉に浸かれるかもしれないと微笑まれておられたのだから。
ただ一つ気になることは、ナイがくるのであれば女神さま方も一緒にくるかもしれない。
まあ、フソウにきて下さったならば精一杯のおもてなしをするだけか。どう転んでもフソウにとって益しかないと、ワシは九条と棟梁の顔を見た。
「……はっ!」
職人たちの『そら!』『そーら!』『えい!』という小気味良い声と共に、柱がどんどんと増えていくのだった。
◇
――聖王国の派遣団、第二陣が自由連合国首都へと辿り着きました。
私、ウルスラは聖王国とアルバトロス王国と南の島にしか赴いたことがないので、自由連合国の首都に辿り着きどんな街かと楽しみにしていたのですが……フィーネお姉さま……ではなく、大聖女フィーネさまと報告書からの情報通り、民の皆さまに活気がありませんでした。
首都教会の方の話によれば、代表が新しくなって少しだけ首都の状況が良くなってきたとのこと。新代表となったフォレンティーナさまは精力的に動いており、元サンドル王国の諸侯の方たちと話し合いの場を開き、首都に商人を送り込むことに成功しているようでした。それでもまだ数が足りないようで、各国からの支援は有難いとのこと。
自由連合国首都にある街で一番大きな広場に辿り着いて、新代表となったフォレンティーナさまと護衛のダルさんと上層部の皆さまに首都教会の皆さまが、初顔合わせをしようと集まっています。紫色の長い髪をざっくりと纏め上げたフォレンティーナさまが一歩前へと出ました。
「聖王国派遣団の皆さま、ご足労感謝致します。私は自由連合国にて代表を務めております。フォレンティーナです。どうぞ、お見知りおきを」
「首都教会の枢機卿でございます。本当に、本当に自由連合国の民の者たちをお救い頂き、感謝を申し上げます」
フォレンティーナさまが名乗りを挙げれば、首都教会に所属している枢機卿さまも礼を執りました。本来、私たちはフォレンティーナさまと友人関係にあるので挨拶は必要ありませんが、彼女以外はその事実を知りません。
外交上、名乗りを上げておいた方が良いのだろうと私も一歩、皆さまの前から出ました。すると一緒に派遣団に編成されているアリサさまも半歩前へと進みます。私と並ばないのは大聖女と聖女という立場を明確にさせるためでしょう。こんなことは必要ないと思うのですが言っても仕方のないことだと我慢をして、私は聖女の礼を執りました。
「聖王国から参りました。大聖女ウルスラです!」
「同じく、聖王国から参りました。聖女アリサと申します」
私とアリサさまが名乗れば、他の面々も礼を執り各々挨拶を交わしておられます。暫くすると、フォレンティーナさまが口を開きました。
「自由連合国も人員を手配し、支援物資の仕分け作業や配給作業を手伝わせて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」
片眉を微かにフォレンティーナさまは上げて、こちらを伺うように問うてきました。凄く有難い申し出なので異論などありません。
「もちろんです。支援物資は第一陣よりも量が多くなっていますので、人手が多い方が早く作業が済みます。フォレンティーナ代表、お気遣い感謝申し上げます」
「いえ。前回は勝手が分からず、聖王国の派遣団の方に頼り切りとなっておりました。経験者が少ないので最初は足手纏いになる可能性がありますが、精一杯務めさせて頂きます」
私が頭を下げると、フォレンティーナさまがようやく普通に笑ってくれたような気がします。他の自由連合国上層部の方たちもほっとしているのか、胸を撫で下ろしておりました。
挨拶を早々に終えれば、天幕が聖王国の皆さまの手で張られ、私たち聖女の出番がやってきます。支援物資の仕分け作業もお手伝いしたい気持ちがありますが、私とアリサさまは聖女です。聖女にしかできないことをやろうと、私とアリサさまは顔を見合わせます。
「ウルスラ、無茶はしないでね」
「大丈夫です! 私が倒れると皆さまが心配なさると分かりましたから」
アリサさまが小声で私に語り掛けてくださいました。いつも彼女は私の心配をしてくれており、彼の枢機卿さまの下から離れた私が加減を理解していなかった頃は、治癒院で止めに入ってくださいました。
もちろんフィーネさまも私が無茶をしていると気に掛けてくださり『今日はもう終わり』という声を頂く機会が多かった気がします。今は自身の限界を熟知しているため、倒れるまで魔術を施すことはなくなりました。どうしてあの頃の私は無茶をしていたのだろう。そう考えると、誰かに見捨てられることが怖かったのかもしれません。
フィーネさまとアリサさまと聖王国の聖女さま方、教皇猊下やシュヴァインシュタイガーさま、アストライアー侯爵閣下に南の島でお会いした皆さま、いろいろな方と会って私の世界が広がったことで、私に余裕というものが生まれたのでしょう。
なんだか少しむず痒い気もしますが、以前よりも治癒院での施術にやりがいを感じています。まだまだ未熟でフィーネさまとアリサさまに助けられることもありますが、以前の私と今の私を比べると、きっと今の自分の方が優れているように思えるのです。
きっと私にしかできないこともあるはずと、張られた天幕の方へと向き直りました。
「では、大聖女ウルスラさま、参りましょう」
「はい。行きましょう」
アリサさまが恭しく聖女の礼を執り、私は確りと頷いて前へと進みます。まだ首都は口元に当て布をしなければならないですが、きっと良い方向へ進むと信じて。
――夜。
派遣一日目の作業が終われば、既に陽が暮れておりました。自由連合国の代表であるフォレンティーナさまから食事会に誘われていたのですが、流石に今の首都の状況で参加するのは憚られるとお断りしています。アリサさまによれば、貴族の習わしのようなものだから、断ったことを気にする必要はないと教えてくださいました。というか、断って正解だろうと。
自由連合国の上層部にも面子というものがあるから、国外から自国へ赴いた要人を無下にはできないそうです。だからフォレンティーナさまは食事会に参加しないかと誘ったのだろうと。晩餐会ではなく、食事会と称していたのは自由連合国上層部の懐事情の現れだとか。
首都教会の客室にあるベッドが二つ並ぶ部屋で私はアリサさまと就寝前のお喋りをしているところです。簡素な服を纏ったアリサさまがベッドに腰を掛け、今日のことを振り返っていました。
「今日一日、大変だったけれど、フィーネお姉さまのことを聞けて幸せだったなあ」
「そうですね。フィーネさまが第一陣で治癒院を開いてくださったお陰なのか、首都の皆さまは私たちに好意的でしたから」
相変わらずアリサさまはフィーネお姉さまが一番なご様子です。私もフィーネお姉さまのことが大好きなので、彼女の気持ちを理解できました。自由連合国で開いた治癒院には多くの患者さんが列を成し、長時間待たされても文句など口にしませんでした。前回、フィーネさまが開いた治癒院の方が大変だったようで、今回も派遣されている四角い顔の宣教師の方が教えてくださったのです。
『歩く気力もない方がおりましたから。今回の方がマシでしょう』
と。それでも今の首都の状況が良いとは言えませんし、まだまだ踏ん張らなければと私はアリサさまに伝えます。
「ほどほどにね、ウルスラ」
「難しいですが、頑張ります!」
呆れた顔になるアリサさまに握り拳を作れば、まあ前よりマシだものねと彼女の呆れた声がまた返ってくるのでした。






