1389:覚悟は認めるけれど。
派遣団三日目の夕方。元王女殿下と対面することになった。
私、フィーネは馬車の中で待機していたため彼女の顔は知らない。知らないけれど……各国の王族や貴族の人たちの顔の良さは知っていた。だから美人なのだろうなあと少し憂鬱である。
エーリヒさまが元王女殿下に気持ちが靡いてしまえば私は捨てられてしまうのだろうかという心配に、首都を目指した彼女の目的は一体なにか。考え始めるとキリがなくて、思考の渦に飲み込まれそうだ。深く考えるのは止めて、なるようになると私は気合を入れて馬車から降りようと席を立つ。扉が開き、真っ先に私の目に映ったのは彼の姿だった。
「エーリヒさま……?」
どうして彼がエスコート役を担っているのだろうか。確かに聖職者の格好をしているから、周りの方々がエーリヒさまが聖王国の者だと勘違いするはず。でも派遣団のみんなは彼がアルバトロス王国の人間だと知っている。出しゃばったことをするなと怒りをエーリヒさまに向けそうだと私は周囲を見渡した。
彼を敵視しているような視線を感じないし、むしろ小さく笑っているような。それに正面にいるエーリヒさまの顔が少し赤くなっていて、可愛いなあと場違いな感想を抱いてしまう。私がぼけっと彼の顔を見ていれば、なにかを感じ取ったのかエーリヒさまが口を開いた。
「エスコート役を譲って頂きました。お手をどうぞ、大聖女さま」
「ありがとうございます」
私の手をそっと彼の手の上に乗せる。聖王国の護衛の方の手とは違いゴツゴツとはしていないけれど、指の節や手の大きさは男性そのものだ。暖かい手に久方振りにエーリヒさまに触れられたと嬉しくなる。
馬車のステップを下りて二歩、三歩と進めば彼と私の手が自然と離れた。触れ合う時間は凄く短くて、嬉しかったはずの私の心が寂しいと声を上げた。エーリヒさまも同じなのか少し目を細めて私を見ながら、更に顔を赤くさせている。慣れないことで疲れてしまったのだろうかと心配になってきた時。
「その……俺が目移りすることなんてないですから。では」
エーリヒさまはそそくさと場をあとにするけれど、彼の後ろ姿から少し覗く耳が真っ赤になっている。もしかしてエーリヒさまの脈絡のない話は、私が出発前に彼の耳元で告げた『浮気は駄目ですよ』という言葉の答えなのだろうか。
「へへっ」
そう考えると私の口元が勝手に伸びて、勝手に声が上がっていた。凄く嬉しいと喜んでいれば、ふいに影が差す。
「大聖女さま」
宣教師が四角い顔を私にぐっと近づけながら声を掛けてくれた。
「ひゃい!」
驚いて変な声を出してしまう。相変わらず、宣教師の人は距離感が少しおかしい。急に姿を現すので心臓がドキドキと煩くなってしまう。エーリヒさまとのドキドキは大歓迎だけれども、こういう驚きのドキドキは止めて欲しい。けれど、宣教師はいつもの調子だから自覚がないようだ。大学でも距離感がバグった男の人がいたなあと懐かしくなる。
女の子であれば気にならないのに、異性になると気になり始めるのは何故だろうか。
「彼女の下へ向かいましょう。我々を待ってくれているようですから」
宣教師の人は細めていた目を少し開いて、中型の竜の方と雪さんと夜さんと華さんたちが待つ方を見る。元王女殿下の姿は見えないけれど確実に彼女がいるはずだ。
はいと私は頷けば宣教師がすたすたと歩き始める。私の彼のあとについていこうと背を伸ばして顔を引き締めた。きちんと聖王国の大聖女として品格を失わないように。
聖王国に迷惑を掛けない……掛けているのは聖王国の馬鹿な人たちのような気もする。待て、変なことを考えないようにしよう。馬鹿な人たちのために怒りを抱いて、般若のような顔になるわけにはいかない。私はこれから元王女殿下と面会をするのだから、にこやかで優しい大聖女さまと元殿下には認識してもらわないと。
こんもりと積まれた支援物資の隣には中型の竜の方がおり、その傍に雪さんたちがちょこんと地面にお尻を降ろしている。ヴァナルさんが『向こうに行っても良い?』と私に声を掛けてくれたので『良いよ』と伝えれば、私の影からぴゅっと飛び出して雪さんたちの横に並びちょこんとお尻を地面に降ろしている。
竜とフェンリルとケルベロスが揃っているってどんな状況だろう。といっても私が今いる場所はゲーム世界であり、割となんでもありのファンタジー乙女ゲー作品である。考えるだけ無駄だろうし、他にもグリフォンがいて亜人の方たちもいて、妖精さんたちもいる。聖樹と呼ばれる木があることも知っているし魔術や魔法が存在している。
吹っ切れて世界を楽しんだ方が良いだろう。まあそのファンタジー要素が何故か集まっているナイさまは頭を抱えるかもしれないけれどと、私は苦笑いをしてしまう。
怒りの方面に思考を向けては駄目だと、愉快そうなことを考えていれば彼らの下へと辿り着く。話に聞いていた通り、王女殿下はお付きの護衛一人――ダルと呼ばれていたそうだ――を後ろに侍らせていた。物資の箱に腰を下ろしていた元王女殿下は私たちの姿を見て、ひょいと箱から降りて背筋を伸ばす。護衛の男性も顔を引き締めて私たちと相対した。
「初めまして。聖王国、大聖女フィーネさま。私はフォレンティーナと申します。王女でしたが、今ではしがない一人の貴族令嬢に過ぎません。どうか、気軽に接してくだされば嬉しいです」
目の前の彼女の態度に、おやと私は首を傾げる。道中で彼女を助けた際は随分と慌てていたと聞いていた。だというのに今は随分と落ち着いた様子であり、私と普通に対面を果たしている。
年齢は二十歳前後といったところで、凄く綺麗な方である。長い紫色の髪を流しているが、少しばかり痛んでいた。手入れをすれば彼女の髪は更に綺麗になるだろうと、自由連合国が置かれた状況に目を細めた。
ここは一先ず、私もきちんと名乗った方が良いだろうと聖王国式の礼を執った。
「フォレンティーナさま、初めまして。フィーネ・ミューラーと申します。此度の話合いの場に立ってくれたこと感謝いたします」
家名を明かした――実家の価値は地に落ちているけれど――のは、貴女と敵対する気はないという意思の表れである。自由連合国の代表には名前も知られたくなかったので役職だけを告げた。こういう細かなところで貴族の人たちや政治を司る方たちは相手の気持ちを推し量るそうな。面倒だなあと言いたいけれど、ルールを知っていれば、己が政治的な場に立つ時は便利である。
元王女殿下は私の言葉にぱちくりと目を何度か閉じたり開いたりを繰り返した。無言のままのため、彼女の護衛の男性が『お嬢さま!』と小声で問いかける。すると彼女ははっとした顔になり、失礼しましたと小さく頭を下げた。
そうしてダルと呼ばれる護衛の男性が『ダルトンと申します。お嬢さまが幼い頃から護衛を務めさせて頂いておりました。今では懐かしい話ですが』と含みのある言葉で自己紹介をする。
私たち聖王国の主だったメンバー、といっても宣教師だけだけれど……彼も名乗りを上げて話し合いのテーブルに就くのだった。
◇
少し重い空気が流れそうだったのに。
俺とユルゲンは元王女殿下が首都にきていると聞いて驚いていたのだが、彼女は首都で飢えに苦しむ方たちを助けたいと願い旅立ったそうである。荷物もないのにどうやって首都の人たちを救うのかとフィーネさまが問いかければ、懐から魔石を取り出し『荷物を収納できる魔石です』と教えてくれる。
高品質な魔石は貴重で、荷物を収められるとなれば更に貴重な品となり本当に一部の高貴な方しか持てない代物だ。そんなものが目の前にあれば普通は驚く。現に宣教師の人は『これは凄い品ですなあ』と声を漏らし、聖王国の護衛の方たちも『おお!』と声を漏らしている。
「今、積まれている物資には届きませんが、半分程度は収めているかと。取り出しも任意で選ぶことができます」
ふふと元王女殿下が口元に手を当てて小さく笑う。紫色の長い髪を揺らしている姿は確かに王女さま然としたものだ。しかし王女さまは何故、貴重な品を持ち得ることになったのか。疑問に思っていると俺の隣にいるユルゲンが『どうしましょうか。侯爵閣下のお陰か、目の前のアレが凄い物だと認知できなくなってしまいました』と嘆いている。
ユルゲンが言っていることは尤もだ。ナイさまに懐いているスライムは無尽蔵に荷物を収納できると言っても過言ではない。ナイさまもロゼさんが収納できる量を把握していないと言っていたし、ロゼさん自身も『まだ余裕!』と言ってぽよんとスライムボディーを揺らしていた。
おそらくとんでもない量を収められるはずだし、スライムが喋り、考え、魔術を学び、ナイさまに尽くしている姿を見れば、本当に目の前の魔石がちっぽけなものに見えてしまう。そもそもロゼさんも魔石だ。俺たちの価値観は大丈夫かと脱力していると、フィーネさまが元王女殿下と目を合わす。
「凄い品ですね。聖王国では見たことがありません。アルバトロス王国に留学していた際はスライムが荷物を収納していましたけれど……こんな小さなものに収まるなんて驚きです」
簡易テーブル上に置かれた魔石へと視線を移したフィーネさまはほうと感心している。どうやら本当に魔石が荷物を収められることに驚いているようだ。乙女ゲームをプレイしていたならば収納アイテムとか知っていそうだけれど……フィーネさまは魔石自体に効果を付与できることを初めて知ったようである。逆に元王女殿下が困惑し初めていた。
「スライムが? え? え?」
確かにスライムが荷物を収納できるなんて前代未聞だよなあと俺は息を吐く。魔力の影響で魔物が変質することはあるので、あり得ないことではないけれど。
確率は凄く低い、どころか天文学的な確率ではないだろうか。そんな奇跡をナイさまはホイホイと引き起こしているわけだが本人に自覚はない。まあナイさまらしいと俺は前を向けばフィーネさまが『いけない』という顔になっている。
「っと、失礼いたしました。話が逸れてしまいましたね」
「え、えっと、はい」
話を軌道修正させたフィーネさまにフォレンティーナさまが困惑しつつも背を正した。そうしてフィーネさまが言葉を紡ぐ。
「率直にお聞きします。フォレンティーナさまの目的は一体どこにあるのですか?」
直球だなあと目を細めるものの、日が暮れる時間だし早く話を済ませた方が良いのだろう。ダルトンという護衛の男性が握り拳を作り、元王女殿下が真面目な顔になり、宣教師の人がふふふと笑い、場に重い空気が流れ始める。
「王都、いえ、首都の皆さまを助けるためにやってきました! あと私の身柄で自由連合国がお金を出すなら、首都の人たちに突き出して貰えれば少しは食料が買えるはずです!」
彼女の声に聖王国の派遣団と俺たちはズッコケそうになる。王女殿下の意思は尊重したいけれど、一人でなにができるのだろう。食料を配ると言っても護衛の人に全部任せるわけにはいかない。少し夢を見過ぎではと息を吐き、俺はフィーネさまを見た。彼女も難しい顔をして、現実をどう王女殿下に伝えれば良いだろうと考えあぐねているのだった。