1370:年齢の差。
ユーリはお眠の時間だと、会場から自室へと戻っている。
そろそろ本来の目的を果たして良いだろうと、後ろで控えているリンになにか摘まもうと伝えれば、なにが食べたいと声が掛かるのだった。テラさまとヴァルトルーデさまとジルケさまはまだ食べており、私が彼女たちの中に混ざればたくさん食べても誤魔化せそうである。
それは冗談として、数々の料理が並ぶ場所に辿り着き、私とリンは目の前の料理を眺めていた。豚肉料理を披露しますということで、豚肉を使用した料理がたくさん並んでいる。
目の前で調理してくれる場所もあり、そこではポークステーキにとん平焼きにリクエストすれば、料理人の方が即興で作ってくれる。ほとんどの料理は出来立てのあつあつを食べるのが美味しい。
でも目の前で調理をしてくれる場所は人気のようだから、少し間を置いて赴こう。少し冷めていようとも、料理人の方と食材を作ってくれた方に命を捧げてくれたもの、そして侯爵家まで運んでくださった皆さまのお陰で十分美味しいのだから。
「提供されている品が、どれも美味しそうだから困る」
むむむと目を細めた私は横に控えているリンを見上げた。リンは私と視線を合わせて目を細める。腰元にいる錫杖さんが『ご当主さまの好みを把握しなければなりませんね』とぼやいているのだが、料理について錫杖さんは分かるのか謎だった。
「だね。ハズレは本当に少ないから」
リンが私から視線を外して料理の方へと戻す。個人の好みもあるため、時折、口に合わない料理というものが存在する。フソウの緑茶を渋いと言って砂糖を投入する方もいるのだから、口に合わない品があるのは当然だろう。
とはいえリンが食べたくないと口にしたことはない。強いていうならば納豆くらいで、美味しそうに食しているフィーネさまをリンは尊敬していた。
「リンはなにが食べたい?」
私がリンを見上げると、彼女が小さく右に首を傾げる。ネルも一緒に右に首を傾げて、リンの真似をしていた。可愛いなあと私が見ていると、リンは真面目な顔を浮かべて答えてくれる。
「ナイが食べたいもので良い。あと私は護衛だからナイは気にしなくて大丈夫」
「んーリンにも美味しい料理食べて貰いたいし……。外で護衛の人が食べるのは問題だけれど、私が主催している立食会だから良いんじゃないかな?」
流石に誰かが主催の夜会に参加して護衛とつまみ食いはできないが、今日は身内しかいない場だし問題は少ないはず。あとでご飯を食べられるとは言っても、美味しいお料理を一緒に食べられないのは悲しいのである。リンは片眉を上げて苦笑いを浮かべて『なにか食べよう』と料理を指差してくれた。それじゃあと私は歩を進め、食べたい料理の前を陣取る。
「クリームチーズと豚フィレ肉のパイ包み。レシピを見たときから美味しそうだったから、食べてみたかったんだよね」
クリームチーズを塗ったパイ生地の上に、炒めたほうれん草ときのこを置いて、更にその上にオリーブオイルで焼いた豚フィレ肉を包んでオーブンで焼き上げた品である。
レシピを見ているだけでも美味しそうだったのに、実物を見るとパイ生地には料理人の方が丁寧に模様を付けて目で楽しめるようにもなっていた。流石、料理人の方は細やかな気遣いができている。私は食べてしまえば分からないと、適当に済ませる口なので本当に腕の立つ料理人さんたちには足を向けて眠れない。
「外がパイ生地だから、ご飯ってイメージできないかも」
「確かに。匂いも閉じ込められているからね」
リンがパイの包み焼きを見つめて、ぼそりと呟いた。ほんのり小麦の甘い匂いがするけれど、お肉の匂いは感じ取れない。きっとナイフで切れば、クリームチーズと豚肉とほうれん草ときのこの匂いが芳醇に香るはず。
私はひとつパイ生地をお皿に乗せ、側に添えられていたフォークを手に取る。綺麗に装飾されているパイ生地を崩すのは忍びないが、そうしないと食べられないとフォークをぷすりとパイ生地の真ん中に入れる。
『美味しそうな匂いがするねえ』
「本当に」
クロがこてんと首を傾げて声を上げ、私はパイ生地の中を見つめる。白磁に輝く豚フィレ肉とほうれん草の緑が美しい。クリームチーズの香りと仄かにオリーブオイルの匂いも感じ取ることができた。このレシピは料理人の方たちが考えた品である。私では思いつかない洒落たご飯で味が楽しみだと笑っていると、横に控えているリンの鼻にも香りが届いたようである。
「良い匂いだ」
ふふふと笑った彼女は『早く食べないと』と私を急かした。確かに早く食べなければ匂いも美味しさも逃げてしまいそうだと、私はもう半分に切り分けてパイ生地とお肉と野菜を口の中に運んだ。
外はパイ生地のサクサク感に、中はほうれん草ときのことお肉が絶妙に重なりあって個を主張している。でも、激しい主張ではなくお互いの良さを消さないものだった。十分に落ち着いて噛んで、味を脳に刻み込みながら咀嚼する。
「……美味ひい」
ふふふふと笑いながら目を細めて、私の口から勝手に声が漏れていた。
『良かったねえ、ナイ』
「クロもあとで果物たくさん貰おうね」
クロは人間の食事を摂らないので、あとで果物を頂く予定である。ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんと毛玉ちゃんたちも人間の食べ物を欲しがったりしない。
人間用だと彼らには塩分が多いだろうし、欲しがらないのは有難いけれど似たようなメニューで飽きないのかという疑問があった。ヴァナル曰く『生肉より美味しい』とのことなので、焼いただけのお肉でも贅沢品に含まれるようである。
クロも果物の種類がたくさんあるから大丈夫なのだとか。毎日、同じ木に生えている果物を食べていたので、屋敷で出される果物に対して飽きがこないそうである。少し羨ましいような、寂しいようなとまたパイ生地の包み焼を口の中に運ぶと、クロが機嫌良さそうに答えをくれた。
『うん』
「私は食堂で他の人たちと食べるから気にしないで良いよ」
リンは立食会が終わり次第、使用人の皆さまと一緒に食べるようだ。立食会で出された品も提供される――使用する肉や野菜の質は少し落ちているけれど――ので、そちらで楽しむつもりらしい。私がリンと一緒に赴けば他の人たちが気を遣うから、行けないなと苦笑いを浮かべた。
「リン。中身、違うもので試したければ、料理人の方に申し出てね。豚肉じゃなくて、牛や鴨肉だって美味しいはずだから。あと、食べたいものがあったならリクエストしてみて」
私が今リンに伝えたことは、屋敷で働く皆さまにも言ってある。もしかすれば新しいレシピが誕生するかもしれないという期待を込めているのだが、果たしてどうなるのか。リンは私を見下ろしながら小さく笑っている。
「ありがとう。今のものでも美味しいはずだから、十分だよ、ナイ」
リンは新しい料理や味というものに、興味はそそられないようである。私が求め過ぎているだけかもしれないと笑っていると、ヴァルトルーデさまとジルケさまとナターリエさまとエーリカさまとテラさまがこちらにきた。
グイーさまはどこに行ったのかと会場を見渡せば、一柱さまだけでお酒を美味しそうに飲んでいる。放置して良いのか気になるところだが、側にはエーリヒさまとフィーネさまが付いているので構わないだろう。ヴァルトルーデさまとジルケさまとテラさまは機嫌が良さげであるし、ナターリエさまとエーリカさまも普段より少し雰囲気が軽い気がする。
「ナイ。目の前で焼いて貰ったお肉美味しい」
ヴァルトルーデさまがお皿を片手に持ってにこやかに告げた。ジルケさまとテラさまも気に入ったようで『珍しいよな。目の前で料理してくれるなんてよ』『本物を始めて味わったわ』と嬉しそうに二柱さまで話している。
ナターリエさまとエーリカさまは三柱さまの健啖ぶりに肩を竦めながら会話を聞いている。女神さまが五柱揃えば後光が凄いなあと私は目を細めた。
「それは良かったです」
美味しかったのであれば料理人の方たちが喜ぶだろう。私の言葉より女神さま方の方が価値があるのだから。でもあとで、目の前で焼いてくれるパフォーマンスは好評だったと料理人の方たちに伝えておかねば。女神さまが気に入ったならばと、目の前で調理してくれることに抵抗がなくなるかもしれないのだ。いろいろ考えていれば、ヴァルトルーデさまの視線が私の手元に刺さっていた。
「ナイのそれはなに?」
随分と崩れてしまった私が持つお皿の上の物体にヴァルトルーデさまの視線が注がれている。ジルケさまとテラさまも『美味そうだな』『ね。どこにあったのかしら?』と覗き込む。
「クリームチーズと豚フィレ肉のパイ包みです。食べてみますか?」
私の声に少し考える仕草を見せるヴァルトルーデさまが顔を近付けてきた。
「少し頂戴」
一柱さまはお皿の上の物体の中身に興味津々のようである。ヴァルトルーデさまは手を出すつもりはなく、口を開けて場に留まっている。少し冷めてしまったから匂いは落ち着いているが味は変わらない。
「食べ掛けで良いんですか?」
ご本人、ご本神さまが気にしないのであれば、私がヴァルトルーデさまの口に運んでも問題ないのだろう。ジルケさまとテラさまはきょとんとした顔で長姉さまに視線を向け、ナターリエさまとエーリカさまは『あら』『まあ』と小さく声を上げている。リンは横でむっとしており、ヴァルトルーデさまの行動が気に入らないようである。とはいえ文句を言えば、立場上問題があると認識しているようだった。
「気にしない」
「それじゃあ、どうぞ」
私は『ほれ』とヴァルトルーデさまの口の中にパイ包みを放り込む。お肉が一番詰まっていた所なので、少し惜しいが致し方ない。なにやっているんだかという四柱さまの視線とリンの『今度は私』というオーラを浴びながら、ヴァルトルーデさまが咀嚼するのを待つ。
「美味しい」
ヴァルトルーデさまは味を噛みしめつつ、ぽつりと一言呟いた。本心のようなので、料理人の方も嬉しいだろう。今日は立食会のため豚丼や生姜焼きは用意していないが、なにかの機会に食べたいところである。
「梅が入っていたやつが、あたしは気に入った」
「豚肉も美味しいのよねえ。歳を経ると牛より豚が良くなるのは悲しい定めだけれど」
ジルケさまとテラさまが肩を竦め、ナターリエさまとエーリカさまは母親であるテラさまの言葉に反応する。
「お母さま、お年を召したのですねえ」
「味が薄いものの方が良くなるのでしたか」
ふうと二柱さまは息を吐き、テラさまは『貴方たちもあたしと同じくらい生きれば分かるわよ』と年長者の風格を見せている。そんな中、ヴァルトルーデさまは新しいクリームチーズと豚フィレ肉のパイ包みをお皿の上に置いて、一人黙々と食べ進めているのだった。






