1364:保養先。
ナイさまにご招待を受け、聖王国からアルバトロス王都にある侯爵邸に私、フィーネ・ミューラーとアリサとウルスラで訪れている。来賓室に案内されて、同年代の皆さまとワイワイお喋りをしているところ。ナイさまによれば日頃お世話になっている方を誘ったとのことで、アルバトロス王国の名立たる貴族家の方もご参加されるとのこと。四女神さまとグイーさまとテラさまもご参加するとのことなので、侯爵邸の料理人の皆さまのプレッシャーが凄そうだ。
でも侯爵家の料理人の皆さまの腕は確かなものだし、エーリヒさまの料理のレシピもあるので凄く楽しみだ。アリサとウルスラも緊張するけれど、美味しい食事を頂けると喜んでいた。立食会をみんなで楽しめれば良いなと、時間を潰していればエーリヒさまが『ナイさまは休暇を取っているのか』とジークフリードさんに疑問を投げた。
最近のナイさまはグイーさまの石配りを終えたばかりというのに、エーレガーンツという国の王冠と王錫がお婆さまの悪戯でベッドの上に置いておかれたとか。
エーレガーンツ王国はヤーバン王国の手により陥落していたので大事にはならなかったけれど、他の国から妖精のお婆さまが盗んでいれば今頃大騒ぎだったはず。
ナイさまやアルバトロス王国が責められそうだし、亜人連合国にも矛先が向きそうだ。といってもナイさまと二国に立ち向かえるところはないと言って良いので、歯軋りするしかないかもしれない。とにかく、確かにナイさまには休息が必要だと来賓室に集まってる皆さまは、良いリフレッシュ方法はないものかと頭を捻っている最中だ。
「南の島に遊びに行くといっても、ナイさまが音頭を執ってくださっていますからね……」
「亜人連合国の所領ですので、ナイさまがいらっしゃらなければわたくしたちは足を踏み入れることはできないでしょうね」
アリアちゃんとロザリンデさまが苦笑いを浮かべて視線を合わせます。確かに南の島に向かえるのはナイさまのお陰であり、ナイさまが『行きましょう!』と言ってくれないと辿り着けない地である。他にどこか良さそうな所はないかと考えていれば、ウルスラとアリサがはっとした顔になっている。
「聖王国にきて頂ただくと騒動が起こりそうです」
「アルバトロス王国内に避暑地のようなところはないのですか?」
あははと力なく笑うウルスラにアリサが続いてソフィーアさまとセレスティアさんの方へと顔を向けました。確かに避暑地があるなら別荘やコテージがありそうだ。異世界の貴族がどうやって夏の暑さを凌いでいるのか良く分からないけれど、伯爵家出身であるアリサがいうのであれば別荘地があるのかもと私は期待する。
「自領地となるな……」
「大きな湖でもあればそうなっていたでしょうけれど……アルバトロス国内にありませんもの」
ソフィーアさまとセレスティアさまは肩を竦めていた。貴族の人が過ごす避暑地はどんなものがと気になった――前世では親が持つ別荘で夏休みを過ごしていた――のだが、アルバトロス王国には存在しないようである。
ちょっと残念と肩を落としているとエーリヒさまが『あ』と小さく声を上げる。相変わらずカッコ良いし、今回のように気遣いのできる優しい人で嬉しいというか自慢の彼氏というか。領地貴族となったため、質の良い衣装を纏っているので以前よりも数段男前になっている。へへへと私の顔が緩くなるのを我慢して、私はエーリヒさまを見る。ああ、カッコ良い。
「あの、フソウに温泉はないのでしょうか?」
エーリヒさまは自信がないようで、少し遠慮気味にソフィーアさまとセレスティアさまに問いかけます。聖王国の官舎で見かけるエーリヒさまはいつもきりりと表情を引き締めていてカッコ良いけれど、今はちょっと情けない顔だ。
でもそんな顔も様になっているなあとまた顔がにやけそうになるのを我慢していると、ソフィーアさんとセレスティアさんがふむと一つ頷いた。
「温泉か。書物でしか読んだことはないが、落ち着いて過ごせるかと問われれば微妙ではないか?」
「ですわね。湖の水が火山の熱で温かくなっている所では『温泉』として観光地になっておりますが、人が多いのでは……?」
西大陸にある温泉は観光地として人が多く集まっているようだ。そんな所にナイさまが赴けば大騒ぎになるのは確実だ。
フソウに温泉があるならば静かに過ごせそうである。ナイさまはドエの街に銭湯があると教えてくれたけれど温泉は聞いたことがない。銭湯は銭湯で男女混浴のため、恥ずかしいから行けないとも教えてくれている。
確か江戸時代は随分と性に寛容で男女に分かれていないものが多かったと聞いたことがある。フソウもおなじであるならば温泉も混浴ではないだろうか……エーリヒさまと一緒にお風呂……。駄目、駄目! 想像しちゃ駄目! なんだかいろいろ聖王国の大聖女として品格を失いそうだ。貴族であるなら貸し切りとか可能だろうし、男女に分けることもできる。そう、できるはず!
「フソウなら人里離れた場所にあるでしょうし、宿も併設されているでしょうから」
エーリヒさまが落ち着いて過ごせそうですと二人に付け加えている。リヒター子息とギド殿下とクルーガー子息はエーリヒさまが博識なことに感心していた。
ジークフリードさんとクレイグさんとサフィールさんは『水が温かいところなんてあるんだな』と不思議そうな顔になっている。サフィールさんの腕の中にいるユーリちゃんは良く分かっていないようで、お菓子を強請っている。
ジークリンデさんは忙しいナイさまの側で護衛を務めているので来賓室にはいない。でもジークリンデさんなら『ナイと一緒』と喜んでいそうである。エーリヒさまの提案にソフィーアさまとセレスティアさまは異論はないようだ。二人は視線を合わせて頷き、エーリヒさまの方を見た。
「ふむ。問い合わせてみても良いかもしれないな」
「フソウであれば、ナイ以外にも連絡を取れるようになっておりますからね」
フソウへの連絡手段はナイさま以外にも持っているようだ。急いではいないし、きっと帝さまや征夷大将軍さまに直接問い合わせるのではなく、外務部のような部署に問い合わせを入れるのだろう。そこから帝さまや征夷代将軍さまに伝わって大騒ぎになりそうだけれど……まあ、心配は必要ないだろう。お忍びでと伝えれば、待遇もそうなるだろうから。
「もし温泉があるのであれば、ゆっくり過ごす場に適しているかと」
小さく笑うエーリヒさまに、新婚旅行は温泉も乙だなあと私は目を細めるのだった。
◇
アルバトロス城から出発した馬車の中で、ワシの正面に緊張した面持ちの青年と少女がいた。ワシの横には愛する妻が座しているのだが、彼女も普段より硬い顔になっていた。
ナイの後ろ盾を務めていたこともありワシはアストライアー侯爵邸への訪問を苦にしていないのだが、馬車の中にいる皆は一様に緊張しているようだ。確かに神さま方も同席なさるとナイから知らされているので、重く受け止めてしまうのは仕方ないのかもしれない。
だがナイの屋敷の混沌振り慣れておけば、なにが起こっても動じなくなるはずだ。現にナイも舞い込んでくる厄介事に慣れてきたのか、報告が早くなったり、誰かを動かすことを覚えてきているようだ。相変わらず少々抜けていることがあるものの、大間抜けな失態はしないので問題ない。
「そう、緊張されますな。他国の王冠と王錫が殿下の下へ舞い込むなどないでしょうからな!」
「ボルドー男爵、そう面白そうな顔をして言わないでください」
ワシが手で膝を叩けば、王太子殿下は微妙な表情で力なくワシを見ている。本来は彼ではなく陛下である甥が向かうはずであったが、名代として王太子殿下夫妻を向かわせることにしたようだ。
ヤーバンの戦後処理がほぼ終わり、協力していたアルバトロス上層部も落ち着きを取り戻しているのに甥はナイの招待から上手く逃げたようである。毎度、名代を寄越していればナイが『陛下に嫌われている?』とか言い出しかねないので、そろそろ甥は腹を決めて参加して欲しいところであるが……。まあ、ナイが音頭を執る催しはこれで最後というわけではないので甥もいつかは参加するだろう。兎小屋からきちんとした屋敷に移り住んだのだ。一度くらいは甥も顔を出しておかねば。
「あ、あはは……」
「旦那さまの豪気には本当に驚かされます」
妃殿下と妻が苦笑いを浮かべながらワシを見ている。豪気なつもりはないが、ワシの態度は周りの者からそう取られることが多い。細かいことを気にしていては物事が進まないし、貴族であるならば切り捨てなければならぬものもある。
皆、優し過ぎると息を吐いて、我々の後ろを走る馬車を見た。後ろの馬車には亜人連合国の四人――正確には二頭と二人である――が乗っており、我々と一緒にナイの屋敷に着く。
ナイも応対が楽になるし、アルバトロス王国を他国の彼らが闊歩するには少々目立つ。丁度良いと、ワシから一緒に行かないかと誘った次第だ。亜人連合国の代表殿は有難い申し出だと手紙に記していたから、ナイは彼らの移動手段を深く考えていなかったようである。まあ、彼らは竜で乗り付けることもできるから、ワシは余計なことをしたのかもしれないが。
そうして暫く。ナイの屋敷に辿り着く。王城に程近い位置に侯爵邸があるため時間はさほど掛かっておらず、我々と同じくしてリヒター侯爵家夫妻もナイの屋敷に着いたようである。
「降りましょう、殿下、妃殿下」
ワシは殿下と妃殿下に声を掛け先に馬車から降りて妻をエスコートする。何度もこうして彼女の手を握っているが、若かりし頃抱いた彼女に対しての熱は冷めていない。貴族でありながら、冷めない熱を心に抱いているのは幸せなことだ。
目の前の彼女にワシの気持ちが伝わっているのかは分からないが、いつものようにステップから降りれば『旦那さま、ありがとう』と柔らかい声が耳朶に響く。
「手を」
王太子殿下も妃殿下の手を握って馬車から降りれば、お互いに視線を合わせて微笑みを抱いていた。彼らに将来の不安は少なそうだと髭を撫でていれば、ナイが迎えにきてくれたようである。
「王太子殿下、妃殿下、ボルドー男爵卿、ボルドー夫人。ようこそ、アストライアー侯爵邸へ」
ナイがジークリンデと護衛を数名引き連れて頭を下げた。相変わらずナイの肩の上にはクロさまが乗っており、ジークリンデの肩にも幼竜が乗っている。竜の卵を二個預かっていると聞いているし、まだまだアストライアー侯爵邸では竜が増えそうだ。ナイはどこまで増やしてくれるかなと期待していると殿下と妃殿下が半歩前に出る。
「お招き頂き感謝するよ。今夜は宜しく頼む」
「閣下、お招き頂き感謝致します。今宵はよろしくお願い致しますね」
馬車の中での緊張はどこへやら。殿下と妃殿下はナイと言葉を交わしている。女神さま方が席を外されているので緊張感が少ないのかもしれない。彼らが挨拶を終えたならワシもとナイの前へと出る。
「アストライアー侯爵閣下。数々の料理、期待しておりますぞ」
「閣下、ご招待ありがとうございます。よろしくお願い致しますわ」
ワシがふふんと笑えばナイが『呼称に対して違和感が……』と言いたそうな顔になっているが堪えているようだ。妻も礼を執ればナイは小さく笑みを携えて、案内役の者と交代をする。そうしてナイはジークリンデを連れて亜人連合国の者たちの方へと、ちまちまと歩いていくのだった。