1353:炊き出し終了。
流石に侯爵令嬢どころか侯爵位を持つ私が配膳に関わるわけにはいかないため見守りに徹する。ヴァルトルーデさまとジルケさまは面白そうだからと言って配膳作業に参加するとのこと。ちなみにお二人は男爵家のご令嬢という適当設定を付与している。
ヴァルトルーデさまもジルケさまも平民と言い張っても誰も信じてくれない圧を発しているため、ここは低い貴族位のお嬢さまと称した方が信じてくれるだろうとなったのだ。教会の皆さまも『雰囲気があるのは、そういうことなのか。さぞ立派なご両親なのだろう』と勘違いしてくれている。騙して申し訳ないが、女神さまと露見するより事がスムーズに運ぶ。
配膳の列は子供を先に並んで貰っているのだが、あちこちで割り込みが発生していた。親まで子供を示唆して列に割り込んでいるから本当に秩序が悪いというか。
お腹が空いて早く食べたいという気持ちは理解できるけれど、順番をきちんと守っている子供たちに申し訳が立たない。私は護衛の方にお願い――ガタイの良い強面の方を選んだ――して、割り込んだ子供は列の最後尾に並んで貰う。ズルは成功しないと理解してようやく割り込みが収まった。ちなみにヴァナルと雪さんと夜さんと華さんには私の影の中で待機して頂き、大人組が列を形成する時に外に出て貰うつもりである。
子供だけでも二百人以上いそうだし、大人となれば果たして何人並ぶことやら。家から出られない人もいるだろうし、流石は伯爵位の領都である。
「では配膳を開始し致します。量は十分に用意しておりますので、慌てずゆっくりお進みください」
神父さまが代表して声を上げる。先程、お腹を満たしたためか、食べる前より顔の血色が良くなっていた。シスターたちも同様で、寸胴の前に立ちお玉を握って子供から受け取ったお椀――自前で用意するようにと、お願いしておいた――によそっている。
シスターからお椀を受け取った子供たちは、場を一目散に走り去って家へと戻っているようだ。転倒しないようにと私が目を細めていると、お粥が入ったお椀を握りしめた子供が私の側へと近づいた。ジークとリンがすぐさま前に立つものの、子供たちに敵意がないと分かっているため圧を発していない。距離が空いているものの、これ以上近づいては駄目だと子供なりに理解しているようだった。
「せいじょさま、ありがとう!」
「ごはん、食べれる!」
ジークとリンと距離を取り、その場で子供たちはお礼を告げる。早く食べたいだろうに感謝を私に伝える子供の素直さは尊いものだろう。私は子供たちに視線を合わせようと、少しだけ足を屈めて言葉を紡ぐ。
「どういたしまして。ゆっくり食べてね。また、お腹が空いてたまらない時がくると思うけれど、今少しの辛抱だから」
私が伝え終えれば子供たちは足早に去って行く。本当は毎日配給できれば良いけれど、私が持参した麦にも限りがある。念のためにとロゼさんに持って貰っていた麦も放出してしまった。王家の代官さまが派遣されるまであと数日あるし、領の状況を改善するにしても時間が掛かる。
目の前の子供たちが一時だけ腹を満たしてなにになるというのかと歯を食いしばりたくなるが、貧民街時代に教会で炊き出しを頂いた時の感謝を私は忘れていない。空腹を満たした安堵感と、まだ生きることができるという希望は心の拠り所だったのだから。
子供たちが走り去ったことでジークとリンが私に振り返った。そっくり兄妹の瞳はどこか寂しげである。もしかして昔を思い出しているのだろうか。
「ままならないが……子供たちがようやく笑ったな」
「ん。子供は素直」
そっくり兄妹がふっと笑えば一陣の風が吹き抜ける。本当にままならないけれど、なにもしないよりマシだろう。私がふうと息を吐くと肩の上に乗っているクロが顔を擦り付けてきた。
『竜も人間も他の種族も子供は宝だからね~元気でいてくれると良いけれど』
「うん」
少し呑気なクロの声に私は笑って頷く。本当に彼らが元気でいてくれると良いのだが。また列を成す子供たちへ視線を移せば随分と捌けているようだ。もう一度列に並ぼうと試みる子供がいるのだが一杯で終わりと伝えてある。申し訳ないけれどルール違反は認められないと護衛の方に列から出て貰うように指示をした。
ズルをしようとした子供は抵抗するものの、他の並んでいる子供の視線が痛かったようですごすごと家へと戻っている。なにも問題なく子供の分は配り終えることができそうだと安堵していれば、神父さまがこちらへきていた。
「子供たちは終わったようですね。遅れてきた子供は如何なさいましょう、閣下」
「大人と列を分けられますか?」
流石に大人と一緒に揉みくちゃにされるのは子供が可哀想である。特別扱いとなってしまうが、子供を優先させた時点で集まっている大人も理解しているだろう。
「小分けした鍋か寸胴を増やせば可能です。裏では追加の粥を作っているので、まだまだいけますよ」
神父さまが笑みを深めた。ならばそれでと私は彼にお願いをして、今度は大人の番になると気合を入れ直す。おそらく気の荒い方たちがいるので小競り合いが発生することは予測済み。王都での治癒院や炊き出しで割と頻繁に見る光景なのだから、伯爵領でも同じ状況に陥るはず。
「ヴァナル、雪さんと夜さんと華さん、お願いします」
私の声で影の中から元の姿のヴァナルと雪さんたちがひゅばっと出てきた。突然現れた大きなフェンリルとケルベロスの姿に、喧騒に包まれていた教会前がしんと静まり返る。毛玉ちゃんたち三頭もヴァナルと雪さんたちと共に影の中から出てきているのだが、元の姿になっている二頭に皆さまの視線が集まっていた。
『主のお願い大事』
『元の大きさに戻るだけですからねえ』
『興味深いものを見させて頂いているだけですもの』
『ええ。対応は人間の方たちがするでしょうし』
ヴァナルがキリっと答えてくれ、雪さんたちもお茶目に返してくれた。毛玉ちゃんたち三頭は自分たちに注目が集まらないことに怒っており、毛をぶわっと逆立てて大きくなろうとしている。
『まだ、時間必要』
『ええ。仔たちが私たちのように大きくなるのは百年や二百年は掛かるのではないでしょうか?』
『しかし環境が良いので縮まる可能性もありますね』
『松風と早風はゆっくりと大きくなることを選んだようですし、椿と楓と桜はどうするつもりでしょうねえ。楽しみです』
ヴァナルと雪さんたちが呑気に会話をしているけれど、毛玉ちゃんたちは不貞腐れ、教会前に集まっている方たちはまだ視線を奪われたままである。ヴァナルたちの大きな姿に喜んでいる方もいるのだが、少しやり過ぎただろうか。
けれど抑止力は抜群のようで、小競り合いや喧嘩は始まらない。教会の皆さまには事前に伝えていたので驚いてはいないだろうと配膳の場に立っている彼らを見れば、ポカンと呆けていた。どうやら想像より大きいサイズだったようで固まっているのが分かる。早く意識を戻してくださいなと私が願えば、彼らははっとした顔になり前を向く。
「神父さま、大人の皆さまへの配膳を開始しましょう」
「は、は、はははは、はい! ええ、ええ、直ぐにでも!」
神父さまもヴァナルたちに視線を向けつつ、配膳場に立つ皆さまへと指示を出している。ヴァナルと雪さんたちは私の横にちょこんと座り、配膳場の方へと視線を向けていた。毛玉ちゃんたち三頭は拗ねていたことは忘れて、ヴァナルと雪さんたちの横に並んでドヤと顔を上げている。
大人組への配膳が開始されて列がゆっくり捌けていく。ヴァナルと雪さんたちの姿に落ち着かないかもしれないが、喧嘩や問題を起こす方が減るのは良いことだ。
王都の教会では荒くれ者に手を焼いて教会騎士が出動するのが常である。今日は教会騎士の方の手が足りない上に人員もギリギリだったということも、ヴァナルたちに大きくなって貰った原因の一つだ。
「今更だけれど、ヴァナルと雪さんと夜さんと華さんたちは大きいね」
彼らの体長は十メートルほど。そりゃ超大型竜の方と比較すると小さいが、こうして横に並ぶと随分と迫力がある。ヴァナルと雪さんたちと視線を合わせたいなら、私は随分と顔を上げなければならない。
『主のお陰』
『わたくしたちは元々長い年月を経て今の姿となっておりますが、番さまの成長の速さは目を見張りますね』
『以前の記憶があるからでしょうけれど、それにしたって早い成長かと』
『ですから私たちは番さまを選んだわけですが』
ふふんとドヤるヴァナルと落ち着いて説明してくれる雪さんたちに、私はふと気付いたことがあった。
「あれ? 雪さんと夜さんと華さんが元の姿で毛玉ちゃんたちを産んでいれば、毛玉ちゃんたちは今よりもっと大きかったとか?」
雪さんたちは屋敷の部屋の中で毛玉ちゃんたちを出産したため狼サイズで産んでいる。もし今の姿で毛玉ちゃんたちを産んでいれば、彼ら彼女らはもっと大きく立派になっていたのではなかろうか。
『ナイさんの下であれば強い仔が産めると判断してのことですからね』
『今の大きさで産んでいたとしても、仔たちの大きさは変わらないかと』
『少し出産が楽だったかもしれない、というくらいでしょうか』
雪さんたちがこてんと首を傾げながら教えてくれた。小さい姿でも、元の姿でも毛玉ちゃんたちは毛玉ちゃんたちのままであるようだ。当の毛玉ちゃんたちはなんのことか良くわかっておらず、頭の上に疑問符を浮かべているけれど。
「そっか。問題ないなら大丈夫だね」
本当に良かったと私は安堵すれば、雪さんたちが小さく笑う。
『お気遣い感謝です』
『ええ、本当に』
『ナイさんは小さなことを気にし過ぎです』
雪さんたちがにこやかに笑っていると、列の方では割り込みが発生しているようだった。その度に護衛の方が走っていき、列に割り込もうとした方を最後尾送りにしていた。
子供であれば仕方ないと思えるが大人がやればみっともないと思えるのは不思議なものだ。雪さんたちが冗談めかして『ズルをした方の隣に座れば面白そうですね』『私たちが列の側に行けば、今より減るでしょうねえ』『かと言って、なにもしていない方も驚いてしまいましょうから』と息を吐く。ヴァナルは列をじっと見つめて、人間の行動を観察しているようだった。毛玉ちゃんたち三頭も面白そうに列を成している大人たちを見ている。
そうして時間が流れ、お昼から夕方へと移り変わっていた。
「ようやく終わりましたね。皆さま、長い時間お疲れさまでした」
なにもしていない私が言うのもおかしなものだが陣頭指揮を執っていたのだ。始まりと終わりを告げる義務はあるだろう。既に領都の街の皆さまは各々家へと戻っている。あとは片付けをして、次の炊き出しに備えるのみだとみんなで顔を合わせた。次の炊き出しに私たち侯爵家一行は顔を出さないけれど、上手くことが運びますようにと願わずにはいられなかった。