1340:ちょっとしたお願い。
私たちの目の前には、領軍を纏め上げ出征してきた領主さまが捕縛され地面に膝を突き、腕は後ろへと回されて拘束されている状態でいる。彼らの戦意を削ぐために放った私の魔術――威力は削いだため殺傷力はナシ。空砲みたいなものだ――はヤーバン王曰く『削ぐどころか、喪失させているな!』と教えてくれた。
確かに魔術を放って暫くすると白旗が上がり、武装解除する旨を相手の使者がやってきたのだ。私たちはエーレガーンツ王都の壁の上から降り、出征してきた領軍の皆さまの前で話し合いの場に立っていた。
私がいると面倒になりそうなのでヤーバン王には立ち合いを断ろうとしたが、彼らの戦意を喪失させたのは私だから一緒にきて欲しいと請われてしまった。
仕方ないのでヤーバン王とヤーバンの精鋭の兵の皆さまと王都の外へ出向いているわけだが、捕虜となった皆さまは元気そのものである。で、相手の指揮官である領主さまはヤーバン王の頭の上にある王冠と手元の錫杖を見て、状況にようやく納得したようだった。さて、捕まったご領主さまの開口一番はなんとおっしゃるのだろうか。
「エーレガーンツ王は生きておられるのか!?」
領主さまは必死な顔でヤーバン王に問うている。エーレガーンツ王を慕う方がいたのだなと私が感心していると、ヤーバン王がふんと鼻で笑う。
「生きている。幽閉塔生活にいつまで耐えられるか分からんが」
「そうか。陛下を……彼をどうするつもりだ!?」
「さて? どうするも、こうするも、我々ヤーバンの自由だ。あの男はアストライアー侯爵にも無礼を働いたから、彼女がどうしたいかも加味するがな」
領主さまとヤーバン王が私にちらりと視線を向けた。私はエーレガーンツ王のこれからに興味はないので、ヤーバンの自由にして頂いて良い。二柱さまも興味がないようで関知してこないし、ソフィーアさまとセレスティアさまもなにも言ってこないのでアルバトロス王国的にもエーレガーンツ王がどうなっても構わないようである。
ならば、私の答えは煮るなり焼くなりヤーバンのお好きにと答えるしかない。私にエーレガーンツ王がやらかしたことは忘れれば良いだけである。しかし目の前のお方は何故、エーレガーンツ王に固執しているのだろうか。他のエーレガーンツの諸侯の皆さまは早々に、彼の国の傘下から離れて独立すると宣言しているのに。
「エーレガンツ王の処分はヤーバン王国にお任せします。王都を落としたのはヤーバンですので」
何度も言っている気がするが、エーレガーンツ王の処遇はヤーバンが決めれば良いことである。ダリア姉さんとアイリス姉さんは私が希望を述べないことに不満そうだけれど、正直碌でもない方の相手をしたくないというのもある。お婆さまによってエーレガーンツの王冠と錫杖が私の下に届かなければ、この場には立っていなかったので、私たちアストライアー侯爵一行は部外者である。
「なら目の前の男はどうする?」
ヤーバン王が顎で目の前の領主さまを指して私に問うた。目の前の領主さまの処遇も興味がないのである。彼の領地で珍しい食べ物でも育てていたなら興味が湧くけれど……美味しい食べ物を育てたり作ってはいなさそうだ。とりあえず捕らえた皆さまをどうするのかと私はヤーバン王ともう一度視線を合わせた。
「陛下はどうなさりたいのですか?」
「私? 私か。正直、相手をするのが面倒だ。直ぐに白旗を上げたしなあ。根性なしめ!!」
ヤーバン王が唇を尖らせながらつまらないと言ってのけた。目の前の領主さまの顔が青くなっており、ヤーバンと剣を交えていた場合の状況でも考えているのだろうか。
領主さまの部隊は領軍と傭兵の混成部隊のようだし、装備も揃っていない方が多く練度に期待はできそうにない。ヤーバンと一戦交えていても直ぐに降参していそうだ。まあ私が大出力の魔術で彼らの心を折ってしまったため、ヤーバン王国の出番はなかったけれど。
ヤーバン王もヤーバンの兵士の皆さまも心が折れてしまったご領主さまの処遇に然程興味はないようである。さっさと引き上げてくれないかという空気を醸し出しており、つまらなそうな顔を浮かべている。私も目の前のご領主さまには興味がないため、どうしようかと考えていると、ふいに頭の引き出しが開いた。
「捕虜として身代金を要求しますか? 確か貴族位の方を捕虜にした場合の常套手段でしたよね?」
私がソフィーアさまとセレスティアさまの方を見ると、お二人は頷いてくれた。本で読んだのか、前世の知識だったのかは忘れたが、お貴族さまを捕虜にした場合は殺さずに、釈放を条件にお金をせびるそうである。確かに命を奪ってしまうより、お金を頂いて活用した方が世の中のためだろう。
「だが、我々ヤーバンは交渉事に不慣れだ……」
ヤーバン王が情けない顔を浮かべているのだが、練習がてらに交渉のテーブルに就いてみてはどうだろう。相手は領主さまのご家族か後ろ盾の方になるだろうから、海千山千の一国の王さまと話合うわけではない。身代金を出し渋れば実力に訴えるだけ。私がヤーバン王と話していれば、身代金をふんだくることを腹に決めたようである。
「む。やってみるか。アルバトロス王国の相談役殿に頼り切りというわけにもいかぬしな」
少し自信のなさそうなヤーバン王は珍しい。ヤーバンが本気で毟り取るならばダリア姉さんとアイリス姉さんにお願いしてみれば良いと私は助言を述べておく。
エルフのお姉さんズは『面白そうね』『協力するよ~?』と軽い調子で乗ってくれているので、ヤーバン王が困ることはなさそうだ。むしろ困るのは目の前の捕らえたご領主さまである。全身の毛を毟り取られてくださいと私はご領主さまに視線を向るとヤーバン王が彼の首根っこを掴んだ。
「ヤーバンは貴様らの頭を捕らえた! この男を取り戻すという気概のある者はこの場に残れ! なければ領地へさっさと戻れ! 戻らぬならばヤーバンの戦士が貴様らを狩ろう!!」
ヤーバン王がご領主さまの身体を持ち上げる。武装した成人男性を女性が片手で持ち上げるとは驚きだ。ご領主さまはなされるがまま黙っているので、なにを考えているか分からない。
ただ集まった領軍の忠誠心が低い方や傭兵の方たちはヤーバン王の声に呼応して、元来た道をぞろぞろと歩き始めていた。ご領主さまの身柄を強奪する気はないようで、ヤーバン王がつまらなそうな顔で戻って行く彼らを見ている。――一先ず。
「今回の一件は終わりでしょうか」
「すまんな、アストライアー侯爵。関わる気はなかっただろうに」
私がヤーバン王の顔を見上げると、彼女は片眉を上げて苦笑いになる。いつの間にか彼女がぷらーんと下げていたご領主さまはヤーバンの兵士の方が預かっており王都に連行するようだ。まだヤーバン王国は周辺諸侯の皆さまとの話し合いがあるはずだから、ヤーバン王が母国に戻るのは暫く掛かりそうである。
「いえ。原因はお婆さまですから。王冠と王錫がまた私の下にこないことを願うばかりです」
苦笑いを浮かべながら私がお婆さまの方へと視線を向けると、ディアンさまとベリルさまが申し訳なさそうな顔をし、ダリア姉さんとアイリス姉さんはお婆さまをつんつんしている。当の妖精さんは『妖精だもの仕方ないじゃない!』と言いたげだが、ダリア姉さんとアイリス姉さんが怖いのか小さくなっていた。
「ヤーバンは助かった。王冠と王錫の行方が分からなかったからな。これで王都に住む民や諸侯を納得させることができるはずだ」
「もし見つからなかった場合はどうするおつもりだったのですか?」
「もちろん、力を見せつけて従わせるまでよ!」
カラカラと笑うヤーバン王に私は苦笑いを浮かべていればディアンさまが半歩前に出てきた。どうしたのだろうと私とヤーバン王が首を傾げていると彼がおもむろに口を開く。
「少し相談だ」
彼の少し後ろにはベリルさまも控えている。改まった様子だし一体どうしたのだろうかと私とヤーバン王は顔を見合わせたあと、ディアンさまの方へと視線を向けた。
「代表殿、如何なされた?」
「どうしましたか?」
「グリフォンを国獣と定めているヤーバン王国であれば、竜が住み着いても問題はないだろうか?」
ヤーバン王と私が彼を見上げると少しだけ間を置いてからディアンさまが言葉を紡いだ。彼の声を聞いたクロは私の肩の上で尻尾をべしべしと私の背に打ち付ける。
普段より強めの威力だから、竜が増えていると分かりクロは嬉しいのだろうか。私が預かっている卵さんに変化はまだ訪れていないが、卵から孵った彼らがヤーバンに移住することもあるのだろう。ヤーバン王の返事次第だけれど。
『狭くなっているもんねえ~ボクからもお願いするよ~』
クロはべシンベシンと私の背を尻尾で叩き続けている。ディアンさまとベリルさまはヤーバンであれば竜を無下に扱わないと理解しているか、ヤーバンで竜を従える強者がでてくるとも考えているのだろうか。ヤーバンの方なら竜のお方を従えて広い野原を疾走しているか、一緒に空を飛んでいそうである。ヤーバン王はディアンさまとクロの顔を見ながら凄く良い顔で口を開いた。
「なんと! この上なく良い話だ! アストライアー侯爵、構わないか?」
「構わないもなにも、陛下次第かと。あとは竜の方たちのお気持ち次第です」
何故かヤーバン王が私に問うたため、苦笑いで彼女に私は返事をした。どうしてヤーバン王は私に許可を取るのだろうか。亜人連合国の竜のお方たちの意思次第だというのに。
ディアンさまとベリルさまから打診があっても移り住むであろう竜の方が気に入らなければ、ヤーバン王国に居着くことはないはずだ。ただヤーバン王が凄く楽しそうな顔で竜のお方の背に乗り、大地を疾駆している姿を見たくはある。ポチとタマなら彼女と気が合いそうだし、ディアンさまの話はこれからどうなることやら。アルバトロス王国でも隊長さんに懐いている小型の竜の方がいると報告がきている。
「すまないな。貴国であれば無下に扱う者はいないだろうと判断させて貰った。もちろん迷惑を掛ける竜がいれば我々が対処する」
ディアンさまが申し訳なさそうな顔をしてヤーバン王に迷惑はなるべくかけないと伝えれば、彼女は凄く愉快そうに笑った。
「至れり尽くせりではないですか! ジャドさまが言葉を操るようになり我々は凄く助かっているのだが、更に竜のお方まで飛来されようとは! この上なく光栄だ!」
「ヤーバンに移り住むかどうかはまだ分からぬが、いずれ貴国に居着く者もいよう。アルバトロス王国のヴァイセンベルク辺境伯領のようにな」
そんなこんなでヤーバン王国にも竜のお方たちの居場所ができそうで良かったと笑い、エーレガーンツ王都で美味しい食べ物や料理があれば教えてくださいとヤーバン王と約束を交わしてアルバトロス王国へと戻った。
お婆さまのお陰で大変なことになったけれど収まるところに収まったようだと私は息を吐く。さて、今度はセボン子爵の晩餐会の件かなあと執務を捌きながら数日過ごしていれば、エーレガーンツ王国の王都にやってきた某領主さまが治める――ヤーバンに隣接している所だそうな――土地をいらないか? と問い合わせがあったとヤーバン王から手紙が届くのだった。
――どうなるかな?