1334:茶目っ気。
――助けて欲しいと言われましても……ねえ?
私はアルバトロス王国より調査員兼相談役としてヤーバン王国……いえ、エーレガーンツ王国へと派遣された者です。アルバトロス王国の陛下から受けた命を果たすため、まずは幽閉塔に捕らえられているエーレガーンツ王と顔を会わせているのですが、鉄格子越しにエーレガーンツ王、いえ、元エーレガーンツ王が悲壮な顔で私を見上げております。
数日の牢屋生活で疲れているのか、両手は鉄格子に膝を石畳みに突いたままそこから立ち上がろうとはしませんでした。
「申し訳ありませんが、ヤーバンが戦に勝ち貴方、ようするにエーレガーンツは負けた。首を落とされていないだけマシでしょう。私が貴方を助け出す術はありませんし、そもそも私はアルバトロス王国の者ですからねえ。勝手はできません」
私は元エーレガーンツ王を見下ろして事実を告げました。彼に向けている私の視線は実に冷たいものとなっているはず。だって、そうでしょう。なにも考えずにヤーバン王の宣戦布告に乗り、あまつさえ三日で王都を落とされた王に価値などありましょうか。
エーレガーンツに住まう民に同情をしてしまいそうです。いえ、エーレガーンツ王都の民は既に日常生活を送っているので、彼らの日々が守られるならば誰が王でも構わないのかもしれませんが。
「か、金ならいくらでも払おう! 私は王だ! エーレガーンツ王国の頂点に立つ者なのだ!」
顔を歪ませながら脂汗を流す男に王の威厳など書類一枚の重さもないのですから、私にとって目の前の男の価値など軽いもの。私の背後に控えている護衛の方たちが『こんな者が王を務めていたのか』『玉座の威光で輝いていただけに過ぎないのだな』などと小声で話し込んでいるようです。
確かに玉座という立派な椅子の威光に照らされて、男が光っていただけなのだろうと私は納得しました。真っ当な王であれば、ヤーバン王国を貶め、創星神さまの使いを務めるアストライアー侯爵に男を宛がおうとするなんて愚策でしかありません。なにをどう考えれば成功すると確信を持てるのか。少し目の前の男の頭の中がどうなっているのか興味が湧いてきましたが、構うだけ時間が勿体ないです。
「お金は必要ありません。私はアルバトロス王家から生活に必要な給金は十分頂いておりますので。しかし、貴方に気概があれば、ご自身の血族を逃がしヤーバンに復讐をと望むのでしょうけれど……」
私ははあと深い溜息を吐きます。お金には困っておりません。アルバトロス城で書庫の司書を務める傍ら、本を読むことができるのですから。城の司書を務めていなければ本を購入するために私は破産していたはず。
本を読めば多大な知識を有することができます。歴史は繰り返されると言われているので、覚えておけば似たような話を思い出し城の者たちに助言を送ること。本に記されている知識をどう転用すれば、今のアルバトロス王国できちんと役に立つのか考えたりすること。これが私の主な仕事です。司書の範疇を超えている気もしますが、性に合っているため問題はないのです。
目の前の男に気概があれば、物語に登場する悲劇の王であれば、血族を逃し侵略者に復讐をするのでしょうけれど……エーレガーンツの王族全員、ヤーバンの者に捕らえられております。
エーレガーンツ王国の諸侯たちも軒並み白旗を上げており、特にヤーバン王国に近い領主ほど降参の宣言を出すのが早く素通りできたとか。だからこそヤーバンは三日という速さでエーレガーンツ王都を陥落せしめたと。
ヤーバン王国の傘下になる……には少々骨を折りそうですが、一先ず現状に物申す者はいません。胸躍る展開を期待していたのですが現実は上手くいかないようです。そしてエーレガーンツ王に求心力は全くなかったのだなあと。私が溜息を吐くと元エーレガーンツ王はがくんと項垂れてしまいます。
「ご自身の心配は宜しいのですが、ご家族がどうなったのか気にはならないので?」
目の前の男は自らの身の安全を試みるだけで、家族がどうなったのか一言もありません。普通、少しは心配しても良いのではないかと問うてみれば、男は項垂れていた顔を上げ私をきっと睨みます。
「見せしめに皆、殺されているだろう! ヤーバンは蛮族らしく、私を皆の前で首を落とすのだ! そうだ、そうに違いない! 王という立場から引きずり降ろされる私の姿を面白く晒すのだ!」
はははと涙を流しながら男が訴えてきますが、エーレガーンツ王族は幽閉塔以外の場所にある地下牢に閉じ込められております。ヤーバン王が彼らをどうするつもりなのか、まだ聞いておりませんので私には答えようのないこと。
何故、アストライアー侯爵に馬鹿なことをしようとしたのか聞き出すつもりでしたが、自分の身しか考えていない男と会話することが面倒になってきました。幽閉塔から出ようかと出入口の方へ私が視線を向けると、良い顔を浮かべたヤーバン王が立っております。
「そのような悪辣なことをするつもりはないぞ? 逃げると面倒になるから、違う場所に捕らえているが。それに最初からヤーバンの目的はお前のみだしなあ。その証拠に王都に火を放っていないし、民を殺してもいないのだがな」
くくくとヤーバン王が笑い説明をしているのだが、全員が目的だった場合は本当に皆殺しにするつもりで乗り込むそうだ。たった三百の兵でなにができると言いたくなるが、彼女と彼女の後ろに控えている兵士たちの眼光は異常に鋭い。ヤーバン王国の精鋭であればこともなく成し遂げてしまいそうだと思えてしまう。ヤーバン王の獰猛な視線に怯えた男はなにも言えなくなり、鉄格子から両手を離し身体を丸め込んで震えている。
「私がここにくると奴はこうなってしまってな。他のヤーバンの者でも同じだ。貴殿であれば話が聞けるかと頼んでみたが、命乞いばかりで飽きてしまった」
ヤーバン王が獰猛な顔から一転、私に視線を合わせるとからりとした表情で笑っていた。気持ちの切り替えをどうしているのかと気になるものの、彼女たちの獰猛な視線を私に向けられれば失禁しそうである。怒った神に触れないのと同じく、怒っているヤーバンの者に進んで関わってはいけない。適切な距離を保っておこうと私が決めていると、ヤーバン王が『あ、そうだ!』と言わんばかりにポンと手を叩いた。
「目の前の男を街に放り投げればどうなるだろうか?」
ヤーバン王の純粋な興味なのだろう。悪意も善意も含んでいない顔で私に問うた。
「民から石を投げられ、水を掛けられ罵られることでしょうなあ。柄の悪い者であれば彼を殴ってしまうかもしれません」
下手をすれば殺されてしまうのではないだろうか。人間、集団になるととんでもない行動に出てしまうとなにかの本で読んだことがある。ヤーバンにエーレガーンツは落とされたばかりだし、民に不満が溜まっているかもしれない。そう考えると実行したあとのことは簡単に想像できてしまう。
「私なら放り投げられた石を掴んで投げ返し、水は気持ち良いからもっと掛けてくれと望むし、殴ってくる者がいれば全力で殴り返すのだが……」
「ヤーバンの鍛えている戦士と他国の王族を同列に見ない方が宜しいかと」
ヤーバン王が両腕を組んでうーんと唸り、私は口の端を伸ばしながら当たり障りのない答えを用意した。ヤーバンの戦士はどんな鍛え方をしているのだろう。目の前にヤーバンの最高権力者が立っているのだから、直接聞いても良いだろうか。もしかすればアルバトロス王国の騎士や軍人の養成機関に役立つ情報が聞けるかもしれない。
「外には放り投げられんか。ヤーバンの者のように立派な体躯ではないしなあ。直ぐに倒れてしまいそうだ。しかし困った。肝心の王冠と王錫をどこかに隠したようでな……探させているのだが見つからぬのだよ」
「私も気に留めていたので、話を聞き出せると良かったのですが……」
そう。王都に攻め入り、王族を捉えたまでは良かったのだが、王の証である王冠と王錫が見つかっていないのである。もし仮にエーレガーンツ王位、もしくはエーレガーンツを次に拝領する者に与える品となるため必須となるのだ。
ヤーバン王も部下である兵士に探させているのだが、何処に隠したのかさっぱり分からないとのこと。ヤーバン王がエーレガーンツ城に留まっている理由の一つでもあるそうだ。私も王冠と王錫の隠し場所を聞き出せればと目の前の男と話していたわけだが……――
「命乞いばかりだしなあ」
「命乞いばかりですしねえ」
――ヤーバン王と私の声が重なり、護衛として就いている皆がはあと深い溜息を吐いた。全く。国を三日で落とされるという無能を晒すのに、どうしてこういうことだけは賢しいのだろうか。見つけるには少し骨を折らなければいけないし、この後はエーレガーンツの城下に出て街の者たちの話を聞くことになっている。とりあえず目の前の男は放置しようとヤーバン王と決め、幽閉塔から外へと出た。
爽やかな風が私の胸の中に沁み込むのだが、これからヤーバンはエーレガーンツという土地をどう扱うつもりなのだろうか。
◇
――面白そうな話を聞いちゃった!
力を取り戻して暇になったからあの子の側を離れて過ごすようになったけれど、えーれがんつ? という国のお城で面白いことが起きている。あたしは長く生きている妖精として姿を隠して、鉄格子のある暗い部屋で男と薄着の女の子の会話を聞いていたのだけれど、彼らは探し物をしているらしい。
あたしが彼らの代わりに探し物を見つければ、きっと驚いてくれるはず。オウカンとオウシャクがどこにあるか分からないけれど……人間が探すよりどこにでも行ける妖精が探す方が見つけ易いだろう。あたしだけで見つからないなら他の妖精を呼べば良い。
あの子はあたしが力を取り戻したことで相手をしてくれなくなったし、あの子が住む家には女神さまがいらっしゃるもの。昔のあたしを知っている女神さまはちょっと苦手。
でもオウカンとオウシャクを見つけてあの子に見せれば、きっと驚いてくれるはず。さっきまで話していた人たちが困るかもしれないけれど、妖精のあたしには関係ない。
亜人連合国の竜やエルフに探し出した品を渡しても驚くけれど『お婆、元の場所に戻してきて欲しい』とか『勝手に盗んでは駄目ですよ』とか『人間が作った品よりウチの国の方が質が良いわね』とか『初めて見たけど、しょぼいねえ~』とか言われそうだ。それならば、あの子に渡した方がもっと驚いてくれるはず。うんうんと私はあの子が驚いている顔を想像する。
『よし! 人間より、あたしが先に見つけて、あの子に渡しちゃおうかしらね!!』
ふふふと笑って、私が声を上げれば鉄格子の向こうにいる男は気付いていないけれど、鎧を着込んだ男の人の何人かは私の声が聞こえたのかきょろきょろと顔を動かしている。
ただあたしが見えていないようで、場所までは分からないようだ。姿を見せる気はないからバレても困るけれど。あたしは背中の羽と身体を動かして、くるりと一回転する。次の瞬間、暗い部屋から明るい外へと出ており、目の前にはお城の建物がどーんと構えていた。さて、中のどこにあるのかしらと口を伸ばして笑い、あたしはまたくるりと身体を一回転させるのだった。
――きっとあの子が喜ぶわ。