1199:新種。
ルカの背にナガノブさまが乗り、ジャドさんの背にヤーバン王が騎乗して徒競走が始まった。
一応、王都の子爵邸よりも子爵領の領主邸の方が広いので問題はないのだが、かなり早い速度でルカとジャドさんは駆けている。そんな二頭の背に跨るナガノブさまとヤーバン王の足腰の強さが羨ましいと、彼らが楽しそうにしている姿を見ている最中である。
私の隣にはウーノさまと彼女の旦那さまと第二皇女殿下が立っていた。もう直ぐ国へ戻る出立の時間が皆さま方に迫っている。
「揺れがかなり強いはずなのに、フソウのショウグンとヤーバン王の足腰はどうなっているのでしょうか……」
ウーノさまがポツリと零した言葉にフソウとヤーバン王国の面々以外が苦笑いになった。権太くんは『ナガノブやしなあ……』と声を漏らし、フソウとヤーバンの方々は『我が主ならば、あれくらい当然』と言いたげな顔になっている。
ちなみに空を飛べば確実にルカが勝つそうだ。三対の六枚翼は伊達ではないらしい。エルとジョセとジアとアシュとアスターとイルとイヴも見守っているのだが、ジアは相変わらずお兄ちゃんに向けている視線が厳しかった。
「本当にどう鍛えれば良いのか……」
私がウーノさまに答えるとアストライアー侯爵家の諜報部門師範として雇っている風魔と服部のご老体がにやりと笑った。
「ご当主さまもナガノブさまが受けた訓練を試してみますかな?」
「かなり厳しいものなので、初歩の初歩となりますが」
ご老体二人にウーノさまは女性には必要ないのでは……と言いたそうな顔をしているし、ヤーバン王国の面々もヤーバン式厳酷修練に興味はありませんかと小声で言っている――ヤーバン基準の小声――が会話に混ざる気はないようである。
訓練に興味はあるけれど、多分地力が違うので直ぐにバテてしまいそうである。そもそも討伐遠征や出張治癒院に参加しなくなったので私の体力は確実に落ちている。鍛え上げるより、元に戻す方が先決であった。
「体力が落ちているので多分無理かと。軽い運動から始めないと身体を壊してしまいそうです」
「ご尤もですな。庭の散策でも十分でしょうが、傾斜地を歩けば更に良いかと」
「こちらの国の貴族は道を歩くのも憚られているようですからねえ。庭に傾斜地を造るわけにはいきますまい」
私とご老体が呑気に話をしていると、クロがこてんと首を傾げ尻尾をぺちんと私の背に一度宛てる。
『広い場所があれば竜の背中を上り下りすれば良いんじゃない? 代表たちは大きすぎるけれど、小型と中型の仔たちの間の大きさなら庭に降りられるし丁度良いかも』
クロが良いこと思いついたと提案してくれる。確かに竜のお方の身体を上り下りすれば相当な運動になるはずである。そして某お方がクロの言葉を聞いていたら、凄く良い顔で自身もやってみたいと言い出しそうだ。でも。
「クロ。確かに良い運動になるけれど、流石にそれは竜の方に申し訳なさすぎるよ」
『そうかなあ。喜んでやってくれるはずだよ』
竜のお方の背中でボルダリングのようなこともできるけれど、どこかの山を借りて敢行した方が良さそうである。それに私が動いている間は竜のお方は動けないので凄く暇ではなかろうか。
クロは私の肩の上で『良いことだと思ったんだけどなあ』と首を傾げていた。ウーノさま方は私たちの会話に若干引いており、フソウとヤーバンの皆さまは話を聞いて楽しそうだと笑みを浮かべている。
どうにもフソウとヤーバンの皆さまは豪快な方々が多いようだ。また皆さまで他愛のない話をしていると、ルカとジャドさんがゴールを切ったようだった。上がった歓声に釣られて、彼らの方を見ればナガノブさまとヤーバン王が視線を合わせて良い顔をしている。
「ルカ、お主が勝ったな!」
「いや、ジャドさまが勝ったぞ、ショウグン!」
どうやら決着は僅差のようだったらしい。見ていないので分からないが、ルカとジャドさんはどっちが勝ったのだろうか。
「ナイ、どちらが早かったのだ!?」
「アストライアー侯爵、見ていただろう!?」
ナガノブさまとヤーバン王が同じタイミングで私の方へと顔を向けた。凄く真剣な表情になっているけれど、楽しいという雰囲気もありありとこちらに伝わってくる。
「え、あ、すみません。ちょっと余所見をしていまして……誰か他に見ていた方はおられますか?」
私がそう伝えるや否や、ナガノブさまとヤーバン王とルカが『えー……』と凄く微妙な顔になった。ジャドさんはにこにこと楽しそうに私たちのやり取りを聞いている。
ゴールの瞬間を見ていた方はいるのだが、流石にどちらが勝ったとは言い辛いようだ。それならと私は苦笑いを浮かべ口を開く。
「引き分け、ですかねえ」
「……ナイ」
「侯爵……」
引き分けの判定を出せばナガノブさまとヤーバン王とルカは凄く微妙な顔になった。本当はどちらが勝ったか告げた方が良いのだろうが、両国の間に問題が起これば面倒になる。
ノーと言えない日本人だし、玉虫色の答えで十分だろうと判断したのが駄目だったのか、ルカが変顔を披露しながら抗議し始めた。ルカの変顔に耐えきれなくなった面々が噴出して、ナガノブさまは馬上にいるため不思議そうな顔になっている。
変顔を披露したことでみんなが笑ってくれたことにルカは機嫌を戻したようだ。ジャドさんは勝負にこだわらないようで、単純に走りたかっただけなのだとか。エルとジョセがルカの話を通訳してくれ、ジャドさんにまた勝負を挑んでいる。彼女は挑戦ならいつでも受けてくれるそうだ。
「また勝負しよう。ヤーバン王!」
「受けて立ちましょうぞ、ショウグン!」
ナガノブさまとヤーバン王がお互いに良い顔で笑い合い、ルカとジャドさんの背からひょいと降りた。どうしてそんなに身軽なのかと言いたくなるが、多分魔力のお陰で身体能力が高いのだろう。私は放出型なので魔力は肉体強化に使われることはない。意識すればできるかもしれないが難しいはず。
そんなこんなで皆さまとのお別れの時間がやってきた。
ナガノブさまは飛竜便でヤーバン王はアルバトロス城の転移陣を使い、ウーノさま方は飛空艇でそれぞれ国へと戻って行く。賑やかだったミナーヴァ子爵領新領主邸は元の静けさを取り戻し、今日は昨日の片付けと皆さまから頂いた贈り物の確認となっている。
家宰さまは新領主邸に泊っていたので、直ぐに仕事に取り掛かってくれるとのこと。ソフィーアさまとセレスティアさまは明日から王都のアストライアー侯爵邸に出勤だ。馬車回りでエル一家とジャドさん一家と別れ玄関ホールに入って数歩歩き、私は後ろを振り返る。
「ジーク、リン、暫く忙しいかもしれないけれど頑張ろうね」
「手伝えることは手伝う。なんでも言ってくれ」
「みんなでやれば直ぐに終わる。頑張ろう」
ジークとリンと私は三人固まってグータッチをする。私たちの姿を見ていたクロたちもグータッチをしたいようだ。クロは私の肩の上で脚を踏み踏みしているし、ロゼさんはスライムボディーをぷくうと膨らませ、ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたち三頭が立ち上がる。
「クロとロゼさんとヴァナルと雪さんと夜さんと華さんもよろしくね」
『ボクたちは見ているだけだけれどねえ』
と言いつつクロはちゃっかりとジークとリンと私と鼻タッチをする。首を伸ばしてちょこんと鼻先を拳に付けている姿は可愛い。
『ロゼ、荷物運ぶ!』
ロゼさんは身体の一部を伸ばして私とだけタッチした。いつものことなので他の面子は気にしない。
『ヴァナル、重い物持つ』
『楓と椿と桜も手伝ってくれるそうです』
『助言であれば任せてくださいませ』
『早風と松風がいない分はわたくしたちが頑張りましょう』
ヴァナルと雪さんたちと毛玉ちゃんたちともグータッチをする。元気な毛玉ちゃんたち三頭の勢いに押されそうになるけれどいつものことだ。見送りを終えて領主邸の中にはいればクレイグとサフィールも手伝ってくれるようで、彼らともグータッチをして頂いた品を仮置きしている部屋に移動した。
「お待たせしました」
「いえいえ、ご当主さま。私も今きた所ですから。手伝いの方が多くて助かります」
家宰さまは部屋で贈り物の前に佇んでいた。バインダーを持って内容を書き取るつもりのようである。山積みになっている贈り物に、私の口の端が勝手に伸びていく。
これは割と時間が掛かりそうだなあと一つ息を吐いて、みんなで中身の確認に取り掛かった。大きい物から捌いて行こうと決めて、目に付く品から手あたり次第開封していく。目録が付いているものがあり凄く助かった。
「貴族の皆さまから贈られる品は貴金属や反物や工芸品が多いのですが……」
「やはりお野菜や食べ物関連が多いのは私だからでしょうか」
家宰さまと私は視線を合わせて苦笑いになる。頂いた贈り物の品は各国で作られた製品――時計やら魔術具やら化粧品やら――なのだが、ついでと言わんばかりに長期保存できるお野菜さんも含まれていた。
ハイゼンベルグ公爵さまからは、これらを見越していたのかカトラリーのセットを頂いている。ヴァイセンベルク辺境伯閣下からは刀剣類だった。おそらくジークとリンに持たせるか、装飾品として飾れば良いと考えてくれたのだろう。
アルバトロスの国王陛下からは真新しい聖女の衣装と侯爵家当主の衣装が贈られている。贈られた品が被っていないので、彼らは相談でもしていたのだろうか。不思議であるが、考えて贈られた物なので有難い限りだ。
「ご当主さまは美食家だと噂が流れ始めておりますから」
「今まで貴族の方を屋敷に招待したことがないのに、どうして私が美食家なんて噂が流れるのでしょう……」
家宰さまは私の疑問に答えてくれず苦笑いを浮かべたままジークとリンの方を見た。なんだろうとそっくり兄妹の方へと私が視線を向けると、彼らも家宰さまと同じ顔になっている。
「ナイ。出先で食べ物ばかり買い付けているだろう」
「みんな知ってる」
小さく笑うジークとリンが綺麗に笑って私の後ろに回り込む。
「ぬう。ま、いっか。事実だし」
「ナイ。あの小箱、気になる」
リンが私の後ろから山積みの贈り物の中の一つを指差した。彼女が言った通り小さな小箱があるのだが随分と質素だし、あのような品を頂いたかなと私は首を傾げる。彼女の直感はかなり鋭いのでなにかあるかもしれないとジークの顔を見た。彼は確りと頷いて質素な小箱を手に取って、私の下へと近づくか迷っている。
「多分、大丈夫だけれど……うーん」
「中身までは流石に分からないか」
リンが悩む仕草を見せ私は中身はなにかと考えていれば、ジークが意を決して『開けるぞ』と告げた。おそらくリンの大丈夫という声を聞いて箱の中身を確かめる決心がついたようだ。
クロとロゼさんとヴァナル一家も反応していないので危険な物ではないのは分かる。分かるんだけれど、なにが起こるか分からないのが私の周辺だ。一先ずなにか起こってもすぐ対処できるようにと、こっそり魔力を練っておく。そうしてゆっくりとジークが小箱を開けると、箱の中からひょいとなにかが出てきて床に降り立った。
『びゃあああああああああああああ!』
床に着地した途端にマンドラゴラもどきが主根の先を器用に動かして走り出す。部屋の扉は閉まっているので脱走の危険はないが、叫び声がやたらと大きく響いている。
「どうしてマンドラゴラもどきが入っているの……」
「妖精かな?」
私がぼやけばリンが答えてくれ、ジークは害はないとホッとしたのか小さく息を吐いた。私の肩の上にいるクロは走り回るマンドラゴラもどきを見つめ目を細める。
『お婆の可能性もあるねえ』
「相変わらず、マンドラゴラもどきは元気ですね。とりあえず捕まえ……ありがとうございます。サクラさん」
家宰さまも立ち尽くしたままマンドラゴラもどきを視線で追っていた。捕まえなければという彼の声にいの一番に反応したのは桜ちゃんだった。というか家宰さま、毛玉ちゃんたちをさん付けで呼んでいると初めて知った。
昼ドラの不倫相手みたいな名前……いや、これ以上考えるのは止めておこう。妙な方向に思考を走らせては駄目だと頭を振って、桜ちゃんに窓からポイするようにとお願いする。
私のお願いを聞き届けた桜ちゃんはドヤという顔で窓の近くに寄り『開けて!』と視線で訴えていた。楓ちゃんと椿ちゃんは桜ちゃんに先を越されて、ちょっと不貞腐れて雪さんたちのお腹の所に顔を突っ込んでいる。桜ちゃんの要望には家宰さまが答えてくれて窓を開け、桜ちゃんは開いた窓の縁に前脚を掛けてぺっと加えたマンドラゴラもどきを離した。
『びゃああああああああああああああ!』
またマンドラゴラもどきが悲鳴を上げている。気になって窓の近くに寄ってみると、マンドラゴラもどきが新領主邸の庭を叫びながら爆走し、声に引き寄せられたルカとジアが競争だと言わんばかりに庭を駆け回りはじめた。
ルカとジアがいるならばマンドラゴラもどきが外へ出ることはないと、私たちは贈り物の確認作業を再開させる。そうして今度はアガレス帝国のウーノさまからの品を手に取った。
前回、私がアガレス帝国で天然石をお土産で買っていたから、ウーノさまは珍しい天然石を贈ってくれていた。装飾品を作る際に使ってくださいとのことだから、なにか仕立てた方が良いだろうか。
ネックレスあたりが無難かなと考えていると、大きめの箱が目に入る。こちらもウーノさまからの贈り物でなんだろうと開封してみた。中にはさつまいもさんがびっしりと詰まっているのだが、以前頂いた品よりも丸くなっている気がする。中には手紙も一緒に添えられていて、手に取って読んでみる。――マジか!
「新しいさつまいもさんだって! 凄いなあ。ウーノさま、短期間に新品種を作り上げるなんて。試食して感想を送らなきゃ……!」
「美味いと良いな」
「だね」
私が新品種のさつまいもさんを手に取ってジークとリンと家宰さまを見れば、くすくすと小さく笑っている。蒸かして食べるか、焼いて食べてもきっと美味しいだろうし……さつまいもご飯も魅力的だ。なににせよ、ウーノさまにはありがとうございますと返事を認めなければなと新品種のさつまいもさんを見つめるのだった。






