1192:【⑥】招待を受けた皆さま。
ヤーバン王国から外へ出ると、私の目の前には知らない世界が広がっている。
と言っても、ヤーバン王として何度かアルバトロス王国へと赴いた身なので、他のヤーバンの者たちより驚きは少ないかもしれない。私の護衛として初めてアルバトロス王国入りを果たした者は建物の偉大さと広大さに驚いているし、提供された食事の繊細さにも驚いていた。
そしてミナーヴァ子爵領へ赴いてジャドさまとアシュさまとアスターさまとイルとイヴさまにお会いした際には腰を抜かしそうになっていた。件の者の側にいた者が腰革帯を掴んで無理矢理に立たせていたが。
私は今、ミナーヴァ子爵領新領主邸の控室で夜会が開かれる時を待っている。部屋にはアルバトロス王国の王太子殿下と王太子妃殿下一行にアガレス帝国の皇帝陛下一行とリーム王国国王夫妻一行と、アルバトロス王国の高位貴族の者たちが一同に会している。
少し前に開催されていた西大陸各国の王が集まる会議の場で顔を突き合わせてはいたが、私的な時間にこうして見るのは初めてである。先程挨拶を済ませたのだが女の私が王を務めていることが珍しかったようで、少し緊張なされていた。彼は私と歳が近いし、年上なのだからもう少し自信を持っていてもよさそうである。ただ西大陸の各国の王は老齢である。おそらく治世が安定している故に代替わりが頻繁に行われないのだろう。
まあ、今、この場には各国の王よりも年を重ねている者がいるわけだが。周りの者たちよりも独特な衣装を纏っている額から角が生えている男二人と、耳の長い女が二人控室でハイゼンベルグ公爵と話を交わしている。
「竜の亜人とエルフ? 本物なのか」
「陛下、陛下っ! あまり不躾な視線を相手に送らないでください。陛下の眼光はただでさえ鋭いのですぞ!」
私の隣で控えていた側仕えが苦言を呈しているが、おそらく相手は気にしていない。ちらりと私の方へと一瞬だけ視線を向けて『少し待て』という意志を感じ取れたのだから。とはいえ側仕えの主張は一理あると、私は彼らから視線を外して控室の中を見る。私に好奇な視線を向けてくる者が多くいるのだが、やはりヤーバン王国式の正装で赴くべきだっただろうか。
もしかして今の衣装は似合っていないのかと不安になってくる。一応、アルバトロス王に相談してドレスを一着仕立てたのだが……むむっと口をへの字に私がしていると、亜人連合国の者たちがこちらへとやってきた。
黒い角が生えている男と白い角が生えている男に、耳の長い女が二人。彼らから発せられる気配は人の物ではないと直ぐに分かる。仮に今私が帯剣しており、彼らに斬りかかっても勝てる算段が頭の中に湧いてこない。頭の中に浮かぶ映像は私が彼らに倒されている光景だけだった。
「ヤーバン王だったか?」
黒い角が生えた男が問うてきた。彼から私に話しかけてきたのに名乗りがないのは不思議であるが、他愛のない質問であるし嘘を吐く必要もないと私は口を開く。
「お初にお目に掛かる! 私はヤーバン王、アレクサンドラであるっ!」
うむ。やはり初めて名乗る時は確りと腹から声を出さねば。先程、リーム王と挨拶を交わした時は驚いた様子を見せていたが目の前の彼らは平然としていた。ふふふと私が笑っていると側仕えの者が小さくなりながら横に立つ。
「陛下ぁ! 声、声を抑えてください! 大変申し訳ございません。陛下は他国の風習に疎く少々声が大きいのでございます」
「問題ない。亜人連合国で代表を務めている。名乗る習慣は我らの国にない故、見逃してくれ」
私の側仕えの態度に怒りもせず、黒い角が生えた男は微かに笑っている。そういえば何故私と接触したのだろうか。先程の視線が失礼なものだと言われてしまえば謝るしかない。もし手合わせの申し出ならば私は嬉々として受けるのだが、さて。
名乗らない風習があるのならば仕方ない。暗部の者であれば身分と素性を隠すのだから、彼らもソレに準じているか、仲間内でしか名を明かさないのだろう。私が問題ないと黒い角の男に伝えると『有難い』と口にして、更に言葉を紡いだ。
「ヤーバン王国に住まうグリフォンの生息状況を知りたいのだが……貴国は余所者を寄せ付けないと知っている。せめて情報だけでも欲しいと我々は考えていてな」
黒い角が生えた男が更に説明を付け加える。彼ら亜人連合国では魔獣や幻獣の保護を行っているそうだ。アストライアー侯爵邸に住んでいるジャドさまたちとも情報を交換しているとか。
雌のグリフォンが大陸のどこかで見つかれば彼らからジャドさまへ連絡が入り、見つかった雌グリフォンに話を聞きに行く段取りとなっているとのこと。確かジャドさまが少し話していたような記憶が残っている。
「そういうことであれば、ヤーバン王国王家に現存している資料を貴国へ送ろう。しかし我々が情報提供するだけの状況は問題がある」
私は亜人連合国のみ得をする状況は流石に認められないと口にした。ヤーバン王国の過去の者たちが必死になって雄グリフォンの生態を調査し、彼らが好む餌や場所を調べ上げたのだから。
私は研究者たちの苦労を知っている。だから王として無料で情報を彼らに渡すのことなどできやしない。私は真面目に言っているという意志を伝えるため、亜人連合国の代表殿の目を確りと見る。春の木々に生える若芽のような緑色の瞳には私の姿が確りと映し出されていた。何故、分かるのか。ヤーバンの者は他国に住まう者たちよりも目が良いと聞く。矢を放てば百発百中と言われている所以が此処に在った。
「もちろんだ。新たなグリフォンが見つかればヤーバン王国へ連絡を入れるようにとジャドから言付けされている。貴国と直接連絡を取れる手段が欲しい。あとグリフォンが好んで食すという――」
ふふと笑った亜人連合国の代表殿は嬉しそうな顔になっている。
「――が亜人連合国では採れるのですかっ!?」
私は代表殿が口にした名を聞いて嬉しくなった。雄グリフォンたちが好んでいるのだが、どうしてもヤーバン国内では手に入れ辛い品なのだ。もし亜人連合国から輸入ができるのであれば、ヤーバン王国に居着いている雄グリフォンたちが喜ぶ。
「ああ。ある時期を境に良く採れるようになってな。融通できる」
代表殿が小さく笑っている。私が話に食い気味になってしまったので、面白かったのだろうか。いや、今なら笑われても構わない。ヤーバンの国獣であるグリフォンたちが喜んでくれるのだから。
「本当に!?」
「嘘は吐かない主義でね。大量にとはいかないが、ヤーバンに住まうグリフォンに提供できるくらいは採れているさ」
代表殿の後ろに控えている白い角が生えている男とエルフの女性二人が私の変わりようを見て笑っていた。いまならいくら笑われても構わないし、もしかすれば目的の品を彼らが育てているかもしれないのだ。私の側仕えが『ああ、グリフォンの話になると子供のように振舞うのはお止め下さい。陛下』と言っているものの、今は少し黙っていて欲しい。だって。
――伝説のマンドラゴラもどきが手に入れられるとは!
本当にアストライアー侯爵の夜会に参加させて頂いて良かった。
◇
――ナイの野郎……。
いや、野郎じゃねえけど。初めて参加する夜会が幼馴染が主催であれば安心できる。そう普通であれば。だが今回の主催者は今や東西南北の大陸に名を馳せているだろう、ナイ・アストライアー侯爵が開くものなのだ。
伯爵位より上の方々は別の控室で夜会が開始されるのを待っており、俺たちも用意された部屋で待機している。そろそろ入場が始まるのだが俺たちの順番は最初の方だ。そのことに文句はない。貴族籍に入っているものの、爵位なんて持っていないのだから。むしろ今回の夜会に呼ばれてのはもの凄く場違いではと首を傾げたくなる。
とはいえナイが仲の良い人たちを誘ったからと言われて招待状を受け取れば、参加すると返事をするしかない。だから俺とサフィールは場違いな場所にいるなと苦笑いになっていた。
「サフィール、平気か?」
「大丈夫だよ、クレイグって言いたいけれど……女神さまとの食事とはまた違った緊張感があるよね」
俺の隣に並んでいるクレイグが待機部屋の隅っこの壁際で苦笑いを浮かべている。しかし女神さまと一緒に摂る食事と比べるのも如何なものだろうか……女神さまと食事を一緒に摂る人間という構図自体が信じられないが、真実起こっているのだからサフィールの言葉に俺は反論できなかった。
「女神さまとの食事と比較するな……いろいろと価値観がぶっ飛びそうになる。この部屋にいる皆さまもアルバトロス王国で重要な方々だろうけど……あっちの控室はもっと凄いからな」
「だね。ナイも本当に無茶をするというか、なにも考えていないだけというか」
幼馴染との会話は気楽なものだ。こうしてナイを揶揄いながら話すことができるし、別にナイのことではなくとも普通に話が続く。例え無言であっても構わないのだが、まあこうして話していた方が気が紛れる。
なにせ俺たちが初めて参加する夜会には、アルバトロス王国国王陛下の名代である王太子殿下夫妻に各国の王さまがおり、ハイゼンベルグ公爵閣下を始めとしてアルバトロス王国内の有力貴族がいらっしゃるのだ。
女神である二柱さまも気が向いたら顔を出す、というようなことを朝食の席で言っていた。本当に初めて参加する夜会、そして爵位も持っていない俺たちが赴くにはハードルが高いのではなかろうか。いや、野心が高ければ絶好の機会だと意気込むのかもしれないが、俺は今の生活で十分満足している。おそらくサフィールも満足しているから、今の状況は俺と同じ気持ちであろう。
部屋の中には緊張している様子のフライハイト男爵閣下に娘であるアリア嬢が声を掛けていた。きょろきょろと落ち着きない様子を見せる男爵にアリア嬢が活を入れている。アリア嬢の隣にはロザリンデ・リヒター侯爵令嬢もいる。アリア嬢の側で親子の姿を見て小さく笑みを携えていた。
他にもソフィーア・ハイゼンベルグ公爵令嬢がリーム王国の第三王子であるギド殿下と一緒に話をしているのだが、お互いに落ち着いた様子で笑みを携えていた。
セレスティア・ヴァイセンベルク嬢も婚約者であるマルクス・クルーガー伯爵子息と一緒に並んで立っている。南の島で逆らえない様子を見せていたマルクス殿だが、今は普通に二人並んで立って開始時間を待っているようだ。
他にもラウ男爵閣下も一緒の部屋にいる。彼の本来の爵位は伯爵位だが引退した身だからと、こちらの部屋を選んだようだ。ジークが世話になっている人物だからか、先程俺たちに声を掛けてくれた。凄く落ち着いた物腰であるが眼光鋭い方である。やはり元は伯爵位を持つ貴族なのだなと感心してしまった。
知り合いと挨拶を交わし終えて、壁の側でぼーっとしているとアリア嬢がフライハイト男爵閣下と話を終えたようである。俺たちの姿を見たアリア嬢がにこりと笑い、ロザリンデ・リヒター侯爵令嬢が目線だけを下げた。
俺とサフィールは彼女たちに礼を執る。元々貴族籍に入っている方と成り行きで貴族籍入りした俺たちとは違うのだから。
「クレイグ、顔逸らしていないで手くらい振ってあげなよ」
「うっせ! 元は俺たち孤児だから無理だろ」
本当に気軽に手を振れる相手なんかじゃない。彼女は教会で聖女も務めている。顔も広い。俺なんかとは別の世界に住んでいる人間だ。
「そうかなあ……大丈夫な気がするけれどね。ナイよりマシだけれど、人のこと言えなくなるよ」
「どういう意味だ?」
「うーん。どうだろうね?」
サフィールが要領を得ない言葉を紡ぎ肩を竦めた。俺が真意を問うてもはぐらかされる。もう一度サフィールに声を掛けようとすれば、入場が始まると係の人間が声を上げるのだった。